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2023.2.3

東京では18年ぶりの本格的な回顧展!画家・佐伯祐三が描き続けた3つの街の風景

大正から昭和初期に活動し、わずか30歳の若さで世を去った画家、佐伯祐三(1898〜1928年)。大阪、東京、パリの3つの街に生きた佐伯は、それぞれの都市の風景を描き続けると、とりわけ2回目の滞仏期に制作した、繊細で踊るような線によるパリの風景画で多くの人々の心をとらえます。

その佐伯の東京では18年ぶりの本格的な回顧展が、東京ステーションギャラリーにてスタート。佐伯の生きた時代に建てられた当時のれんが壁の残る展示室にて、パリの石造りの建物と重厚な壁を描いた絵画を味わうことができます。

東京ステーションギャラリーで開催中の『佐伯祐三 自画像としての風景』展示風景

2つの自画像から見る佐伯祐三の転換点とは?ヴラマンクとの出会い

『パレットをもつ自画像』 1924年 ENEOS株式会社 右:『自画像』 1923年頃 神奈川県立近代美術館

まず冒頭にて紹介されたのは、佐伯が数点ほど残した自画像です。『パレットを持つ自画像』とは、パリに渡って間もない頃にセザンヌの影響を受けて描いたもの。まさにセザンヌを思わせるようなタッチにて、落ち着いた眼差しを前に向ける自らのすがたを描いています。

正面:『立てる自画像』 1924年 大阪中之島美術館

一方で同じ年の少し後に描かれた『立てる自画像』はどうでしょうか。顔の部分は削り取られていて表情を伺うことはできませんが、タッチは『パレットを持つ自画像』よりも激しく、同じようにパレットを持ちながらも、ただならぬ雰囲気を感じさせます。

左:『風景』 1924年頃 大阪中之島美術館 右:『パリ遠望』 1924年 大阪中之島美術館

この2点を制作する間の出来事として重要なのが、フォーヴィスム運動を率いた画家のひとりであるヴラマンクとの出会いです。佐伯はパリにてヴラマンクを訪ね、裸婦を描いた作品を見せるも、「このアカデミック!」と一蹴されてしまいます。しかしこの否定こそが佐伯の画業の転換点となり、2点の自画像の著しい画風の変化に見られるように、独自の表現を模索しはじめるのです。

一時帰国時代の作品を再検証。「下落合風景」と「滞船」のシリーズ

左:『河内燈油村附近』 1923年 大阪中之島美術館 右:『河内打上附近』 1923年 大阪中之島美術館

一連の自画像に続いて展示されるのは、大阪と東京で描いた風景画です。1回目の渡仏前の美術学校時代では郊外を写生した作品に画家としての技量が見られるものの、必ずしも画題の選択や表現に独創性があるとはいえません。

左:『下落合風景』 1926年頃 和歌山県立近代美術館 右:『下落合風景』 1926年頃 個人蔵

しかし一時帰国時代は、東京のアトリエ近くの「下落合風景」と大阪の「滞船」の2つの風景へ明らかに関心が注がれています。ここにはパリで街景に向き合った視点を応用しつつ、電柱や電線、また帆柱やロープといった中空に伸びる線という要素を見出していく画家の新たな取り組みが見られるのです。

左:『滞船』 1927年 ポーラ美術館 右:『滞船』 1926年 神奈川県立近代美術館

佐伯自身も「日本の風景はぼくの絵にならない」とこぼした一時帰国時代の作品は、これまでパリ時代の作品に比して評価が低く、画家の本領が発揮できなかったと位置付けられてきました。しかし今回の回顧展では、「下落合風景」と「滞船」のシリーズをまとまった形にて展示することで、再検証と再評価を試みています。

建物や広告の文字が画面を埋め尽くす。パリ時代の躍動感のある風景画の魅力

左:『レ・ジュ・ド・ノエル』 1925年 大阪中之島美術館 右:『レ・ジュ・ド・ノエル』 1925年 和歌山県立近代美術館

佐伯のパリ時代は1924年1月からの約2年と、1927年8月からの約1年の2回に渡ります。ただし最後の5ヶ月弱は病気の悪化により筆を持てなかったため、パリでの制作期間の合計は2年7ヶ月余りのことでした。

左:『広告のある門』 1925年 和歌山県立近代美術館 右:『壁』 1925年 大阪中之島美術館

1回目のパリで佐伯が描いたのは、古い店舗を題材にした一棟の建物、あるいはその壁を正面から切り取った構図でした。厚塗りの絵具を重ね、重厚な石壁の表現を獲得した佐伯は、壁に執着するように壁だけで画面を埋めていきます。すると次第に壁へ貼られた広告ポスターへと関心が向けられました。

左:『レストラン(オテル・デュ・マルシェ)』 1927年 大阪中之島美術館 右:『テラスの広告』 1927年 石橋財団アーティゾン美術館

一時帰国後、再びパリへと渡った佐伯は街へ繰り出し、石造りの壁や石畳が連なる街並みを猛烈な勢いで描いていきます。そして建物の壁とともに描きとられたポスターの文字は、いつしか判別不能のリズミカルな線と化し、構造物を凌駕する勢いにて画面いっぱいに躍動していきました。

左:『ラ・クロッシュ』 1927年 静岡県立美術館 右:『ガス灯と広告』 1927年 東京国立近代美術館

1日2〜3枚制作することもあった佐伯は、時に現場のみで描き切るなど、確信を持って早く描いていて、それが絵全体の躍動感へとつながると指摘されています。そうした佐伯芸術の到達点が『ガス灯と広告』などに見ることができるのです。

パリから小さな村、モランへ。最晩年の佐伯祐三が命を削って描いた景色とは?

左:『モランの寺』 1928年 東京国立近代美術館 右:『モランの寺』 1928年 大阪中之島美術館


最晩年の佐伯が新たに見出した土地。それはパリから電車で1時間ほどの小さな村、ヴィリエ=シュル=モランでした。1928年2月、後輩画家らとモランへの写生旅行を行うと、ポスターの氾濫する文字もない素朴な田舎の佇まいを描いていきます。

左:『モラン風景』 1928年 大阪中之島美術館 右:『煉瓦焼』 1928年 大阪中之島美術館

モランでの作品は揺らぎや感覚的な要素が削ぎ落とされ、画面には力強く太い線と構築的な構図が復活します。しかし厳しい寒さの中、自らを追い込むような制作態度は、佐伯の体力を明らかに奪っていきました。結果として20日ほどの滞在で生み出された30数点の絵画は、まさに佐伯が命を削りながら創り上げた作品といえるかもしれません。

左:『郵便配達夫』 1928年 大阪中之島美術館 右:『郵便配達夫(半身)』 1928年 大阪中之島美術館

モランからパリへ戻った3月、風邪をこじらせた佐伯は体調を崩し、同月末に喀血すると病臥して筆を置きます。また病気(結核)の悪化とともに自殺を図るなど精神状態も不安定となり、パリ郊外の精神病院へ入院しました。そして同年8月16日、病室でひとり息を引き取ります。その容貌はデスマスクも取れなかったほど衰弱していました。

左:『黄色いレストラン』 1928年 大阪中之島美術館 右:『扉』 1928年 田辺市立美術館(脇村義太郎コレクション)

展覧会では日本最大級の質と量を誇る大阪中之島美術館の佐伯祐三コレクションを中心に、画家の代表作など約140点もの作品が集結。かつてないほど質量ともに充実した回顧展としても差し支えありません。一連の絵画で佐伯の画家としての歩みをたどるとともに、砂や糸屑なども混じる厚塗りの画肌の迫力を目に焼き付けてください。

※一部に展示替えあり。前期:1月21日〜2月26日、後期:2月28日〜4月2日

展覧会情報

『佐伯祐三 自画像としての風景』 東京ステーションギャラリー
開催期間:2023年1月21日(土) 〜4月2日(日)
所在地:東京都千代田区丸の内1-9-1
アクセス:JR線東京駅丸の内北口改札前。東京メトロ丸の内線東京駅より徒歩約3分
開館時間: 10:00~18:00
 ※金曜日は20:00まで開館
 ※入館は閉館の30分前まで
休館日:月曜日(3/27は開館)
観覧料:一般1400円、高校・大学生1200円、中学生以下無料
https://www.ejrcf.or.jp/gallery/
https://saeki2023.jp/
※大阪中之島美術館へ巡回。会期:2023年4月15日(土)〜6月25日(日)

【写真15枚】東京では18年ぶりの本格的な回顧展!画家・佐伯祐三が描き続けた3つの街の風景 を詳しく見る

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千葉県在住。美術ブログ「はろるど」管理人。主に都内の美術館や博物館に出かけては、日々、展覧会の感想をブログに書いています。過去に「いまトピ」や「楽活」などへ寄稿。雑誌「pen」オンラインのアートニュースの一部を担当しています。

千葉県在住。美術ブログ「はろるど」管理人。主に都内の美術館や博物館に出かけては、日々、展覧会の感想をブログに書いています。過去に「いまトピ」や「楽活」などへ寄稿。雑誌「pen」オンラインのアートニュースの一部を担当しています。

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