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2021.10.12
日本初の大回顧展『ピーター・シスの闇と夢』レポート。人生の旅程で見たさまざまな冒険や夢を絵本に描く。
チェコスロヴァキア(現チェコ共和国)出身でアメリカを代表する絵本作家のピーター・シス(1949年〜)。日本でも『かべ 鉄のカーテンのむこうに育って』や『飛行士と星の王子さま サン=テグジュペリの生涯』などが翻訳され、多くの人々の心をとらえてきました。
目次
『三つの金の鍵 魔法のプラハ』原画 1994年 シスが記憶の中にあるプラハの街を巡りながら、自分のルーツを探る物語。黒猫に誘われながら街に眠る伝説と出会うと、家族の記憶を封じた家の扉を開けるための鍵を手に入れます。
『モーツァルトくん、あ・そ・ぼ!』絵本原画 2006年 プラハで『ドン・ジョバンニ』といったオペラの初演を行うなど人気の高かったモーツァルトを題材にした絵本。シスはモーツァルトの生涯を描いた映画『アマデウス』のポスターも手がけました。
そして現在、練馬区立美術館では、シスの幅広い活動を振り返る『ピーター・シスの闇と夢』が開催中です。国内ではじめて公開された絵本原画のほか、貴重な初期アニメーションやスケッチなどを合わせて約150点も紹介。シスの人生をたどりながら、絵本の世界を楽しめる充実した展覧会となっています。
チェコスロヴァキアでの「かべ」の中での不自由な暮らし
『かべ 鉄のカーテンのむこうに育って』原画 2007年 冷戦下のチェコスロヴァキアの環境や社会を日記に基づいて振り返った作品。2008年にはアメリカで優れた絵本を表彰するコールデコット・オナー賞を受賞しました。
シスが生まれたのは1949年5月。3歳から約30年間を首都のプラハで過ごしました。中世の面影を残し「魔法の都」とも呼ばれるプラハですが、冷戦下の当時は「鉄のカーテン」で西欧から分断されて人々に自由はなく、子どもが絵を描くことさえも管理される環境の中で育ちました。
映像作家だった父のヴラジミールは政府の仕事によりイギリスやフランスを旅することが多く、シスは父が持ち帰った本などを通して、外国の世界に憧れを抱きました。そしてアーティストだった母アレナから紙と鉛筆を与えられると、政府の監視の及ばない家の中にて毎日のように絵を描いたと言われています。
そうした厳しい幼い頃を振り返って描いたのが、シスの代表作の1つでもある『かべ 鉄のカーテンのむこうに育って』です。「生きているかぎり、絵をかきつづける」と本の最後に記した言葉には、自由の尊さと夢をあきらめないというシスの想いが込められています。
「僕は検閲の中で生まれた」 アニメーションの制作で評価される若きピーター・シス
右:『プラハからこんにちは』 1970年頃 左:『ジャック・プレヴェール『自由地区』 1972〜73年 ともにアニメーションの絵コンテ 大学時代の課題として制作された『プラハからのこんにちは』には、当時シスが傾倒していたロックバンドの姿が多く描かれています。
ソ連軍の戦車がプラハを占領する中、1968年10月にシスはプラハ工芸美術大学に進学します。そこで学びながら興味を深めたのは、意外にも絵本ではなくアニメーションでした。そして卒業後は国営の映像制作会社に所属して、童話アニメの制作などに携わります。チェコスロヴァキアでは芸術家たちは厳しい監視下に置かれていましたが、伝統的な人形劇から発展したアニメーションは、検閲されつつも、子どもの育成のためとして比較的自由な創作が許されたのです。
『頭』アニメーション原画 1979年 シスは『頭』において、心のなかに感情や真実を隠さざるを得ないチェコスロヴァキアの人々を暗に表現しました。
シスが世界で評価される時がやってきます。プラハ宮廷に仕えた画家、ジュゼッペ・アルチンボルドへのオマージュとして描いたアニメーション『頭』が、ベルリン国際映画祭のアニメーション部門の金熊賞を受賞。さらに人間の闘争をユーモラスに表現した『選手たち』がトロント国際映画祭を受賞します。いわば「鉄のカーテン」をまずすり抜けたのは、国策として政府から容認されていたアニメーションだったわけです。
自由の国「アメリカ」へ。挿絵の仕事から絵本作家としての道を歩む
『リトル・シンガー』表紙原画 1983年 とびきり美しい声をもって歌を披露した小人のグスタフの物語。シスが帰国を命じられる前に手掛けた最初期の絵本として知られています。
シスが現実に「鉄のカーテン」を超えてアメリカへと渡ったのは1982年、33歳の時でした。ロサンゼルスで2年後に開かれる夏季オリンピックの映像を制作するアニメーターの1人に選ばれたのです。しかし翌年、ソ連と東欧諸国はオリンピックをボイコットし、チェコスロヴァキアも不参加を決定。シスも政府から帰国するよう通達されますが、それでも戻りませんでした。「二度と家族に会えなくなるかもしれない…」そう思いつつも、シスはやっとつかんだ自由を手放したくなかったのです。
ニューヨーク・タイムズ・ブックレビュー誌の挿絵 1984〜96年 ニューヨーク・タイムズ誌の別刷として広く読まれた書評誌のイラスト。驚くことに点描画です。シスは誰にでもできる線描ではなく、独自の描法をアピールするために、無数の小さな点のみで描きました。
シスに絵本や挿絵の仕事を与えたのは、アメリカの絵本作家の巨匠モーリス・センダックでした。知人から紹介されたセンダックの電話を受けたシスは、編集者たちと会うと、早速挿絵の仕事で才能を発揮します。そして1989年5月、40歳の時にアメリカの市民権を得ました。すると半年後にベルリンの壁が崩壊して、チェコスロヴァキアの人を閉じ込めていた「鉄のカーテン」が消えます。シスは故郷に戻り、プラハで7年ぶりに家族と再会を果たしました。
子どもたちのために描いた絵本〜『マットくん』と『マドレンカ』のシリーズ
左:『マットくんのしょうぼうじどうしゃ』絵本原画 1998年 右:『マットくんのトラックトラック』絵本原画 1999年 子どもたちが大好きな乗り物などをテーマにした『マットくん』シリーズ。全部で4作品発表されました。
アメリカ市民となったシスは、ドキュメンタリー映画の編集などをしていたテリー・ライタと結婚。娘マドレーヌと息子マテイの2人の子どもが生まれます。するとシスはこの子どもたちのために絵本を贈るとともに、子どもをモデルとした絵本を制作するのです。
『マドレンカ』絵本原画 2000年 ニューヨークの街角を舞台とした『マドレンカ』。シスは多様な人びとが暮らす街での生活の素晴らしさを通して、自由の大切さを訴えました。
『マットくん』シリーズでは、ブルドーザーとトラックが大好きで、お気に入りの船や恐竜のおもちゃで遊ぶマテイをシンプルな絵で表現。4歳から6歳までの息子の日常を描きます。また6歳の娘をモデルとした『マドレンカ』シリーズでは、当時住んでいたマンハッタンでのさまざまな文化を持つ人々とマドレーヌとの出会いを表現しました。このようにシスは2人の子どもたちからもインスピレーションを受けて絵本を描き続けたのです。
ピーター・シスにとっての旅とは?冒険家や探検家たちの物語を絵本に描く
『チベット-赤い箱のひみつ』絵本原画 1998年 シスの父ヴラジミールが19ヶ月に渡って旅したチベットでの体験を元に制作した作品。曼荼羅のように神秘的な絵を描いています。なおシスに大きな影響を与えたヴラジミールは、この作品が完成した3年後に亡くなりました。
シスの作品のモチーフとしてたびたび登場するのが地図や地形です。外の世界に出ることが禁じられた国に育ったシスにとって、見知らぬ場所を旅することは憧れであり、地図を眺めながら世界のどこかを想像することを子どもの頃から好んでいました。
『ロビンソン』絵本原画 2017年 シスの子どもの頃の実話とダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルーソー』を組み合わせて描きました。
そして冒険家や探検家の伝説に心を奪われたシスは、チェコスロヴァキアの探検家のヤン・ヴェルズルや、大好きなロビンソン・クルーソー、そしてチベットを巡った父などの話を絵本に表現します。
『鳥の言葉』絵本原画 2011年 12世紀ペルシア神秘主義詩人のアッタールの『鳥の言葉』を描いた大人向けの絵本。無数の鳥がまるで抽象的パターンを描くように広がっています。
シスにとって旅とは、自由や夢、真実を追い求め、アイデンティティを探すためのものであり、また時に迷いながら道を進むことに、生きる喜びを見出していました。祖国を離れ、自由を夢見て新しい地へと赴いたシスにとっては、人生そのものが旅であり冒険だったのです。こうしたシスの絵本を読んでいると、まるで一緒に冒険しているような気持ちにさせられるのではないでしょうか。
人々に夢と希望を与える絵本〜ピーター・シスのファンタスティックな世界
『星の使者-ガリレオ・ガリレイ』表紙原画 1996年 宗教裁判にかけられつつも自らの意見を貫いたガリレオ。シスはそうしたガリレオの勇気ある生き方に共感して絵本を制作しました。
ボローニャ国際絵本展の金賞など多くの賞を得たシスは、2012年にそれまでの業績が評価され、国際アンデルセン賞画家賞を受賞します。そして自らの絵本を子どもたちと夢追い人をつなぐ「橋」と考えるシスは、夢を信じて追うことの大切さを伝えるため、ガリレオ・ガリレイやアントワーヌ・サン=テグジュペリといった偉人たちを描いた伝記絵本を長年にわたって制作しました。
右:『飛行士と星の王子さま サン=テグジュペリの生涯』表紙原画 2014年 12歳の時に父から贈られた『星の王子さま』を大切に読んだことを覚えていたシス。自由の象徴として絵本に表現しました。
シスは誰かの人生を描くとき、必ずその人の子どもの頃を描くのは、誰もが子どもだったことを示しながら、すべての子どもたちに可能性があることを伝えるためでした。代表作『飛行士と星の王子さま サン=テグジュペリの生涯』において、表紙で飛行機に乗る金髪の少年を、星の王子さまであり、また子どもの頃のサン=テグジュペリを重ねた存在として表現しています。そしてそれを自分と父を描いたものだと語っています。
右:『ニッキーとヴェラ ホロコーストの静かな英雄と彼が救った子どもたち』 2018年 ※2021年に最新作を出版 ナチスの侵攻が迫るプラハからユダヤ人の669人の子どもたちを脱出させたイギリス人ニコラス・ウィントンと、救われた1人であるヴィラ・ギッシングの物語。互いに知らぬまま人生を歩む2人が50年後に出会うまでを描いています。
2020年、世界中がコロナ禍に見舞われる中、シスが拠点とするニューヨークではロックダウンが行われ、シスは若い頃と同じように移動の制限を余儀なくされました。しかしそうした状況においても新作『ニッキーとヴェラ ホロコーストの静かな英雄と彼が救った子どもたち』の完成に邁進します。制作の手を緩めることはありません。
『生命の樹-チャールズ・ダーウィンの生涯』絵本原画 2003年
「自分とは何者か」を問い続け、厳しい現実と向き合いながら、人生の旅程で見たさまざまな冒険や夢を絵本につづったピーター・シスのファンタスティックな世界を、日本初の大規模な回顧展で追体験してみてください。
『ピーター・シスの闇と夢』 練馬区立美術館
開催期間:2021年9月23日(木・祝)~11月14日(日)
所在地:東京都練馬区貫井1-36-16
アクセス:西武池袋線中村橋駅下車徒歩3分
開館時間:10:00~18:00 ※入館は17:30まで
休館日:月曜日
料金:一般1000円、大学生・高校生及び65歳〜74歳800円、中学生以下および75歳以上無料
※ぐるっとパスを利用すると500円
https://www.neribun.or.jp/museum.html
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千葉県在住。美術ブログ「はろるど」管理人。主に都内の美術館や博物館に出かけては、日々、展覧会の感想をブログに書いています。過去に「いまトピ」や「楽活」などへ寄稿。雑誌「pen」オンラインのアートニュースの一部を担当しています。
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