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2022.4.13

フランスの2人の画家、マルタンとシダネルが追い求めた風景とは?『シダネルとマルタン展』レポート

19世紀末から20世紀の前半にかけてフランスで活躍した画家、アンリ・ル・シダネル(1862〜1939年)とアンリ・マルタン(1860〜1943年)。2歳違いだった両者は深い友情で結ばれ、身近な人々の生活や風景などを親密な情感を込めて描き続けました。

フランスの2人の画家、マルタンとシダネルが追い求めた風景とは?『シダネルとマルタン展』レポート『シダネルとマルタン展』展示風景。手前はアンリ・マルタン『野原を行く少女』(1889年、個人蔵、フランス)、奥はアンリ・ル・シダネル『ベルク、孤児たちの散策』(1888年、ダンケルク美術館)

そして同じ芸術観を共有しながらも、フランスの南北に異なる拠点を構え、それぞれに違った光の表現を求めていきます。そのシダネルとマルタンの2人の関係と足跡、そして作品を紹介する展覧会が、現在、東京・新宿のSOMPO美術館にて開催中です。

2人のアンリ。フランスの画家、マルタンとシダネルのプロフィール

フランスの2人の画家、マルタンとシダネルが追い求めた風景とは?『シダネルとマルタン展』レポート右:アンリ・マルタン『クレマンス・イゾール』(1895年、個人蔵、ベルギー)

まずは2人の画家のプロフィールについて簡単に追ってみましょう。アンリ・マルタンが生まれたのはフランス南部のトゥールーズ。パリの国立美術学校で学ぶと、南フランス各地を拠点として、明るい陽光を取り込んだ風景を描いていきます。また公共建築の壁画を手がけるなど、大画面の装飾画にも優れた才能を発揮しました。

フランスの2人の画家、マルタンとシダネルが追い求めた風景とは?『シダネルとマルタン展』レポート左:アンリ・ル・シダネル『エタプル、満潮』(1889年、個人蔵、ベルギー)、右:アンリ・ル・シダネル『エタプル、砂地の上』(1888年、個人蔵、フランス)

アンリ・ル・シダネルはインド洋に浮かぶモーリシャス島の生まれ。10代にしてフランス北部のダンケルクに過ごします。そしてパリの国立美術学校にて学び、フランス北部を拠点に作品を制作します。「南のマルタン」とすれば、「北のシダネル」と呼んでも差し支えないかもしれません。

フランスの2人の画家、マルタンとシダネルが追い求めた風景とは?『シダネルとマルタン展』レポート右:アンリ・ル・シダネル『モントルイユ=ベレー、朝』(1896年、ダンケルク美術館)

マルタンの明るい光に対し、シダネルが描いたのは、北部特有の微妙に変化する淡い光でした。またジャン=フランソワ・ミレーにも影響され、孤児や羊飼いなどの田舎の風景を描いていきます。そして1891年にはサロンに入賞。そこですでに成功を収めていたマルタンと出会いました。

まどろみの中にあるような風景。シダネルがベルギーのブリュージュで見た淡い光

フランスの2人の画家、マルタンとシダネルが追い求めた風景とは?『シダネルとマルタン展』レポート左:アンリ・マルタン『オデット』(1910年頃、個人蔵、フランス)、右:アンリ・ル・シダネル『ヴェネツィア、ラグーン(潟)』(1892年、個人蔵、フランス)

印象派をはじめとする19世紀の風景画家にならい、シダネルとマルタンも各地を旅しながら風景を描いた画家でした。シダネルはフランス北部の街や村からブルターニュ地方などを巡り、イギリスやベルギーへと足を伸ばしていきます。一方で南フランスを拠点にしたマルタンも、ヴェネツィアを何度か訪ねては、その景観に魅了されました。

フランスの2人の画家、マルタンとシダネルが追い求めた風景とは?『シダネルとマルタン展』レポートアンリ・ル・シダネル『ビュイクール、月明かりのなかの教会』(1904年、個人蔵、フランス)

シダネルの光の表現に強い影響を与えたのは、1898年に一時住んだベルギー北西部の町、ブルージュでした。以降、シダネルが描く都市は、まどろみの中にあるような風景として表現され、画面から人影がすがたを消すようになります。『ビュイクール、月明かりのなかの教会』は、シダネルが後半生に拠点を構えたジェルブロワ近郊の街で、雪景色の静寂に包まれた教会や家々の屋根をおぼろげなタッチにて描いています。

フランスの2人の画家、マルタンとシダネルが追い求めた風景とは?『シダネルとマルタン展』レポート左:アンリ・ル・シダネル『サン=トロペ、税関』(1928年、個人蔵、フランス)、右:アンリ・ル・シダネル『ブリュッセル、グラン=プラス』(1934年、シンガー・ラーレン美術館)

また『ブリュッセル、グラン=プラス』とは、広場に面した建物のファサードを真正面から描いた作品です。僅かな人影のみが見られる静かな世界が広がっていますが、建物の窓には明かりが灯っていて、人や生活の気配を感じることができます。この「窓から漏れる明かり」もシダネルの詩的な絵画の大きな魅力といえるかもしれません。

フランス国務院の装飾画も制作。公共建築の壁画にも才能を発揮したマルタン

フランスの2人の画家、マルタンとシダネルが追い求めた風景とは?『シダネルとマルタン展』レポート「アンリ・マルタンの大装飾画のための習作」の展示バナー

マルタンの手がけた壁画も見どころの1つです。彼が生涯に制作した公共建築の壁画は、詳細が明らかなものだけでも12を数えます。そしてマルタンは壁画を30代の前半から晩年まで手がけましたが、当初の象徴主義と呼ばれる作風から、強烈な陽光や点描による色彩を特徴とした新印象派風の描写へと変化していきました。

フランスの2人の画家、マルタンとシダネルが追い求めた風景とは?『シダネルとマルタン展』レポート左:アンリ・マルタン『農業[フランス国務院(パリ)の装飾画のための習作]』(1918年、個人蔵、フランス)

その壁画の集大成ともいえるのが、パリ国務院を飾った一連の壁画群です。1914年頃、政府から制作依頼を受けたマルタンは、国務院の中核的な一室である総会室のため、「勤労のフランス」というテーマのもと、農業、商業、産業、知的労働の4つの主題にて、人々が働く様子などを描きました。

フランスの2人の画家、マルタンとシダネルが追い求めた風景とは?『シダネルとマルタン展』レポート左:アンリ・マルタン『舗装工[フランス国務院(パリ)の装飾画《コンコルド広場での仕事》のための習作]』(1925年頃、個人蔵、フランス)、右:アンリ・マルタン『ふたりの労働者[フランス国務院(パリ)の装飾画《コンコルド広場での仕事》のための習作]』(1925年頃、個人蔵、フランス)

そして会場でも国務院の装飾画の習作を何点か展示。とりわけ小麦の収穫に勤しむ人々を明るい色彩とともに描いた『農業』や、舗装工事に従事する男たちの光景を表した『舗装工』などが目立っています。

フランスの2人の画家、マルタンとシダネルが追い求めた風景とは?『シダネルとマルタン展』レポートアンリ・マルタン『ガブリエルと無花果の木[エルベクール医師邸の食堂の装飾画のための習作]』(1911年、個人蔵、フランス)

また個人邸宅の装飾として、エルベクール医師邸の食堂のための装飾画習作である『ガブリエルと無花果の木』も充実しているのではないでしょうか。いずれも習作でありながら、力強いタッチや輝かしい光など、マルタンの絵画ならではの魅力に満ち溢れていました。

バラを愛したシダネル。自然に囲まれたジェルブロワでの穏やかな暮らし

フランスの2人の画家、マルタンとシダネルが追い求めた風景とは?『シダネルとマルタン展』レポート左:アンリ・ル・シダネル『ジェルブロワ、食卓』(1910年、個人蔵、イギリス)、右:アンリ・ル・シダネル『ジェルブロワ、明かりの灯る2つの窓』(1935年、個人蔵、フランス)

シダネルにとってバラもこよなく愛したモチーフでした。1901年にパリから100キロ北に位置する小さな田舎の村、ジェルブロワを見出すと、3年後に家を購入して制作の拠点とします。そしてバラの咲き誇る庭を築くと、マルタンや作曲家のギュスターヴ・シャルパンティエといった友人らを招きました。

フランスの2人の画家、マルタンとシダネルが追い求めた風景とは?『シダネルとマルタン展』レポートアンリ・ル・シダネル『シェルブロワ、テラスの食卓』(1930年、個人蔵、フランス)

『シェルブロワ、テラスの食卓』は、庭のテラスから村を見下ろす眺めを描いた作品で、暖色系の色彩による奥の家々の屋根と、寒色にまとめられた手前の食卓が対照的に表されています。そして無人の光景であるものの、食卓には食器やボトルなどが置かれ、人の存在が暗に示されています。こうした暗示の手法もシダネルの得意とするところでした。

ラバスティド・デュ・ヴェールから港町コリウールへ。南仏を拠点に活動を続けたマルタ

フランスの2人の画家、マルタンとシダネルが追い求めた風景とは?『シダネルとマルタン展』レポート右・アンリ・マルタン『マルケロル、テラス』(1910〜1920年頃、個人蔵、フランス)

それではマルタンはどのような場所を活動の拠点にしていたのでしょうか。それが南フランスのラバスティド・デュ・ヴェールであり、そこに購入した別荘マルケロルでした。マルタンはこの地にて橋や丘などを描きつつ、家の前に築いた池やテラスなどを題材に絵画を制作します。雨に濡れたテラスからの眺めをシンメトリカルの構図に描いた『マルケロル、テラス』も美しいのではないでしょうか。

フランスの2人の画家、マルタンとシダネルが追い求めた風景とは?『シダネルとマルタン展』レポートアンリ・マルタン『コリウール、港と城』(1925〜1935年頃、ギャルリー・アレキシー・ペンシェフ)、右:アンリ・マルタン『窓際のテラス』(1925年、ギャルリー・アレキシー・ペンシェフ)

さらにマルタンは1911年、ラバスティド・デュ・ヴェールに近く、中世の街並みを残すサン・シル・ラポピーに家を購入。次いで1923年にはスペインの国境に近い海沿いの港町、コリウールにも居を構えます。そしてサン・シル・ラポピーでは崖の上に立つ教会の風景を、コリウールでは色とりどりの船が停泊する港を描きました。

心に染み入る風景世界。マルタンとシダネルの作品をたどる

フランスの2人の画家、マルタンとシダネルが追い求めた風景とは?『シダネルとマルタン展』レポート右・アンリ・ル・シダネル『ヴェルサイユ、月夜』(1929年、個人蔵、フランス)

1909年より晩年にかけヴェルサイユに住んだシダネルは、ジェルブロワとの二重生活を送りながら、王宮の宮殿などを題材にして絵画を描きます。シダネルは壮大な王家の公園を親しみのある景色として捉えると、この町にて120点ほどの油彩を制作しました。月明かりの元、宮殿の噴水の一角を描いた『ヴェルサイユ、月夜』は神秘的な趣きをたたえているかもしれません。

フランスの2人の画家、マルタンとシダネルが追い求めた風景とは?『シダネルとマルタン展』レポート「ジェルブロワの家の前に立つシダネル」 ©️Yann Farinaux-Le Sidaner 会場内写真パネルより

1939年、シダネルはパリで心筋梗塞にて亡くなると、その4年後、マルタンもラバスティド・デュ・ヴェールにて息を引き取ります。ともに「最後の印象派」とも呼ばれ、「親密派」として括られるシダネルとマルタンは、象徴主義などの影響を受けつつも、光の扱いなどで異なった表現を切り拓きました。ともに甲乙つけ難い魅力が感じられるのはいうまでもありません。

フランスの2人の画家、マルタンとシダネルが追い求めた風景とは?『シダネルとマルタン展』レポート「マルケロルの蔓棚にいるマルタンの家族(1920年頃、ラバスティド・デュ・ヴェール)」 ©️Marie-Anne Destrebecq 会場内写真パネルより

近年、フランスでも再評価が進むシダネルとマルタン。今回は70点の油彩を中心に、2人の画家へと焦点を当てた日本で初めての展覧会です。展示は昨年秋のひろしま美術館を皮切りに、山梨県立美術館にて開かれた巡回展で、ここSOMPO美術館が最後の開催地となります。心に染み入るような風景世界を描いたシダネルとマルタンの作品を、是非とも味わってみてください。

※現在、SOMPO美術館では、ウクライナへの人道支援活動に関する寄付が行われています。『シダネルとマルタン展』開催中、館内に募金箱が設置されるほか、ミュージアムショップで販売される『ひまわり』のポストカードの売り上げの一部が寄付されます。また本企画展の入場者数などに応じて1億円の上限額として寄付が実施されます。

『最後の印象派、二大巨匠 シダネルとマルタン展』 SOMPO美術館
開催期間:2022年3月26日(土)~6月26日(日)
所在地:東京都新宿区西新宿1-26-1
アクセス:JR線新宿駅西口から徒歩5分。東京メトロ新宿駅から徒歩5分。東京メトロ西新宿駅C13出口から徒歩6分。
開館時間:10:00〜18:00(入場は17:30まで)
休館日:月曜日。※祝日、振替休日の場合は開館。
観覧料:一般1600(1500)円、大学生1100(1000)円、高校以下無料。
※( )内は電子チケット「アソビュー!」での事前購入券。
※オンラインでの日時指定予約を推奨。
https://www.sompo-museum.org

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千葉県在住。美術ブログ「はろるど」管理人。主に都内の美術館や博物館に出かけては、日々、展覧会の感想をブログに書いています。過去に「いまトピ」や「楽活」などへ寄稿。雑誌「pen」オンラインのアートニュースの一部を担当しています。

千葉県在住。美術ブログ「はろるど」管理人。主に都内の美術館や博物館に出かけては、日々、展覧会の感想をブログに書いています。過去に「いまトピ」や「楽活」などへ寄稿。雑誌「pen」オンラインのアートニュースの一部を担当しています。

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