STUDY
2023.9.14
ビカミング・クロード・モネ~風景画家への道
「印象派」といえばモネ、あるいはルノワール。どちらかの名前が思い浮かぶでしょう。
モネ、という名を聞いて、睡蓮の浮かぶ水面や、色とりどりの花咲く庭、どっしりした積み藁を描いた作品を連想することも、難しくはありません。
彼は、風景を題材に、うつろう光や水のきらめきがもたらす一瞬の美しさを生涯に渡って追求し、描き続けました。
しかし、そんな彼の画業のスタート地点は、実は意外なところにありました。
クロード・モネ、『ルエルの眺め』、1858年、油彩・カンヴァス、46 × 65 cm、丸沼芸術の森コレクション
今回は、クロード・モネの約70年にも及ぶ画業の初期に焦点をあて、「風景画家クロード・モネ」の始まりを見てみましょう。
モネの始まり①:ル・アーヴルのカリカチュア作家
クロード・モネ『レオン・マンション氏のカリカチュア』、1858年、白黒チョーク・紙、61.2 x 45.2 cm、シカゴ美術館
オスカー=クロード・モネは、1840年にパリで生まれました。彼が5歳の時、一家はノルマンディー地方のル・アーヴルへと引っ越し、そこで成長します。
ル・アーヴルは、フランスの北西部に位置し、英仏海峡を臨む港町で、少年時代のモネは、学校をさぼっては海岸を歩き回ることもしばしばでした。15歳頃から、彼は地元の名士たちをモデルにしたカリカチュア風の似顔絵を描くようになります。
それらは、彼らの特徴を的確に捉えると同時に、見る者をクスッと笑わせるユーモアも感じさせました。17歳の時には、1枚20フラン(約2万円)で額縁屋の店頭で売られるようになります。
少年にとってはちょっとした小遣い稼ぎだったと言えるでしょう。売り上げの総額は、2000フランにも達しました。
ウジェーヌ・ブーダン『トルヴィル=シュル=メールの浜』、1867年、油彩・カンヴァス、63×89㎝国立西洋美術館
そんな彼に興味を持ったのが、当時ル・アーヴルに住んでいた画家ウジェーヌ・ブーダンです。彼は早速知り合いの画材屋に頼んでモネを紹介してもらいます。そして、カリカチュアよりも風景画を描くよう勧め、彼をル・アーヴル近郊のルエル村での戸外制作へと誘います。
カリカチュア作家として地元では名の知れた存在になりつつあったモネ本人にとって、ブーダンからの申し出は、正直あまり魅力的ではありませんでした。が、その熱心さに断りきれず、しぶしぶではありながら彼に同行したのでした。
モネのはじまり②:『ルエルの眺め』―風景への開眼
クロード・モネ、『ルエルの眺め』、1858年、油彩・カンヴァス、46 × 65 cm、丸沼芸術の森コレクション
ブーダンがモネを連れて行ったのは、ル・アーヴル近郊の小さな村ルエルです。そこでの経験は、モネにとって、まさに目からウロコが落ちるようなものでした。
従来、風景画とは屋外での習作スケッチをもとに、アトリエで再構成して仕上げるのが通例でした。しかし、ブーダンは、カンヴァスを明るい戸外に置くと、目の前に広がる木々の緑や空の青、そこに流れる雲を描いていったのです。
明るい光に満たされた自然風景を前にしての「感動」が、そのまま筆にのって、カンヴァスの上に同じ風景を再現していきます。カンヴァスの向こうに広がる風景と見比べる中で、モネは「自然の美しさ」というものに触れたように思えたでしょう。
同時に、彼自身も、ブーダンの指導のもとに初めての油彩画を描きます。それが、『ルエルの眺め』です。
広い青い空を背景に、みずみずしい緑が映え、中央を流れる川には、空の雲と、一際高いポプラの木が映り込み、穏やかな時間の流れと爽やかな空気、草木の匂いや水の冷たさまでもが伝わってきます。
モネの素直な「感動」を反映した、この作品は、まさに「風景画家モネ」の誕生の象徴と言えます。その後、『ルエルの眺め』をル・アーヴル市の展覧会に出品すると、1859年春、モネは本格的な画家修行のため、パリへと旅立っていきました。
モネのはじまり③:『ラ・グルヌイエール』―新技法・筆触分割
クロード・モネ『ラ・グルヌイエール』、1869年、油彩・カンヴァス、74.6 × 99.7 cm、メトロポリタン美術館
パリに来たモネは、アカデミー・シュイスやアカデミー・グレールなどの画塾で学び始めます。そこには、生涯の友となるルノワールをはじめ、若い画家の卵たちが数多くいました。
モネは、彼らと友情を結び、互いに切磋琢磨しながら、当時の画家の登竜門であるサロン(官展)での入選を目指し、作品を描きます。『ラ・グルヌイエール』は、そんな日々の中で生まれた作品の一つです。
この作品は、ルノワールと共に出かけた、パリ郊外のセーヌ河畔にある水浴場を描いたものです。中央の浮島も、右手に見える水上レストランも、休日の一時を楽しむ人々で賑わっています。
しかし、作者であるモネの目は、手前の水面へと最も強く向けられているようです。ボートが浮かぶ水面は、空や木々を映しながら、陽光を反射しながら、揺らめいて見えます。
よく見ると、水面は白や緑、水色など異なる色を、細長い筆致として、隣り合うように並べることで、形作られていることがわかりますね。従来の絵画は、『ルエルの眺め』でも見られるように、筆のあとを残さないように仕上げるのが常識でしたが、ここではその逆が行われているのです。
それにより、画面にはまるで絶えず小刻みに揺れているかのような動きが生まれています。また、絵の具には、混ぜると色が濁ってしまう性質がありますが、この「筆触分割」を使えば、色の明るさは保たれ、戸外の明るい陽光をカンヴァスの上に再現することができました。
これまでの常識を破る新手法「筆触分割」は、モネがルノワールと共に、目の前に広がる風景の美しさを再現しようと試行錯誤する中で見いだした答えなのです。
『ラ・グルヌイエール』は、その最初の成果であり、モネ自身も並々ならぬ思い入れを持っていたでしょう。彼は早速1869年のサロンに、この作品を送ります。が、保守的なサロンでは、このような実験的な作品は忌避されやすく、最終的に落選してしまいました。
自信を持って送った作品が受け入れられなかったことは、モネにとってサロンというもののあり方を考える契機となりました。
画家として世間に認められるには、サロンでの入選が必須。しかし、入選できるかどうかは、審査員の胸先三寸にかかっています。彼らは、伝統を重んじ、それから逸脱する作品はほとんど認めません。
そのような審査のあり方に、意味はあるのでしょうか。モネの周囲で、同じようなことを考えた画家仲間は少なくありませんでした。
やがて、モネたちの間で、審査制のない自由な作品発表の場として、自分たちのグループ展を開く計画が持ち上がり、1874年、ついに実現させます。「画家、版画家、彫刻家等による“共同出資会社”第一回展」と題したそれに、モネも12枚の作品を出品します。
その中には、彼にとって馴染み深いル・アーヴルの港の早朝の風景を筆触分割で描いた『印象・日の出』もありました。
クロード・モネ『印象・日の出』1872年、油彩・カンヴァス、48×63㎝、マルモッタン美術館
しかし前衛的・急進的な作品が多く出揃った展覧会は、理解を得られず、非難の的となります。
『印象・日の出』も槍玉に上げられた一つです。批評家の一人は、「未完成」等とこき下ろし、最後には展覧会そのものに対し、「印象派の展覧会」と名付けたのでした。
新しいことに挑戦するときは、いつの時代も厳しい向かい風があるようです。それでも信じた芸術を貫いたモネの作品は、現代の私たちにとっても新鮮さがあります。
モネ作品鑑賞の際は、ぜひ参考にしてみてください。以上、風景画家クロード・モネの初期についてでした!
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このライターの書いた記事

アート・ライター。大学ではイタリア美術を専攻し、学部3年の時に、交換留学制度を利用し、ヴェネツィア大学へ1年間留学。作品を見る楽しみだけではなく、作者の内面や作品にこめられた物語を紐解き、「生きた物語」として蘇らせる記事を目標として、『Web版美術手帖』など複数のWebメディアに、コラム記事を執筆。
アート・ライター。大学ではイタリア美術を専攻し、学部3年の時に、交換留学制度を利用し、ヴェネツィア大学へ1年間留学。作品を見る楽しみだけではなく、作者の内面や作品にこめられた物語を紐解き、「生きた物語」として蘇らせる記事を目標として、『Web版美術手帖』など複数のWebメディアに、コラム記事を執筆。
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