STUDY
2023.9.27
永遠の都ローマ展:【ルネッサンス】を理解する3つのポイントを在住者が解説!
2023年9月16日(土)から12月10日(日)にかけて東京都美術館で開催される「永遠の都ローマ展」。
この記事は、「永遠の都ローマ展」の開催にあわせ、唯一無二の都ローマを時代ごとに解説するシリーズ記事の第三弾です。ルネッサンスローマを理解するための3つのキーワードについて、現地ローマの大学院で美術史を専攻する筆者が詳しく解説します。
「永遠の都ローマ展」の詳細を知りたい方は、「【永遠の都ローマ展】カピトリーノ美術館から数々の名作が来日!」をどうぞ。
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永遠の都ローマ展【ルネッサンス①】:教皇主導の古典復興
サンタンジェロ橋,ローマ, Public domain, via Wikimedia Commons
イタリアを中心に始まったルネッサンスが、その後のヨーロッパ芸術に多大な影響を与えたことは言うまでもありません。ルネッサンスは、人文主義者を中心とした、偉大な古典古代の復興運動です。
15世紀初頭から始まったルネッサンスにおいて、なかでも重要な役割を担っていた都市はフィレンツェでしょう。しかし、ローマがイタリア・ルネッサンスにもたらした影響は、フィレンツェに勝るとも劣らないものでした。
フィレンツェ・ルネッサンスがメディチ家を中心とした民間から起こった運動であるとすれば、ローマ・ルネッサンスは教皇主導で推進された特徴があります。
14世紀に起きた教皇のアヴィニョン捕囚により、主導者を失ったローマは荒廃し、かつての輝きを失っていました。そこで教皇シクストゥス4世は、ローマの繫栄を取り戻すために芸術を用いて「聖年」を盛り上げようとしました。
聖年とは、キリスト教生誕から25年ごとに訪れる聖なる年のことです。シクストゥス4世は1475年の聖年に、多くの巡礼者をローマに迎え、永遠の都の権威と財政を立て直そうとしたのです。1475年に向け、シクストゥス4世は大規模なローマの都市計画のほか、芸術をとおした権威の表明に力を入れました。
シクストゥス4世は『永遠の都ローマ展』で公開される約70作品を所蔵しているカピトリーノ美術館の創設者でもあります。ヴァチカンにある「システィーナ礼拝堂」を作ったことでも有名です。(ミケランジェロの天井画『天地創造』や『最後の審判』はのちに加えられた)
永遠の都ローマ展【ルネッサンス②】:今も残るヴァチカンの名作たち
『アテネの学堂』,ラファエロ,ヴァチカン宮殿 , Public domain, via Wikimedia Commons
シクストゥス4世が亡くなってからも、教皇による熱狂的な芸術への投資は続きました。ローマ・ルネッサンスの黄金期を支えた教皇の代表は、ユリウス2世でしょう。
ユリウス2世は、ヴァチカン宮殿のなかにある4つの「ラファエロの間」をラファエロに、そしてシスティーナ礼拝堂の天井画『天地創造』をミケランジェロに依頼したことで知られます。
ユリウス2世とミケランジェロはパトロンと芸術家として近しい関係を築いていたものの、2人とも頑固者ゆえに争いが絶えませんでした。天井画を制作している際にはユリウス2世が怒ってミケランジェロを杖で叩き、憤慨したミケランジェロはそのまま一時的にローマを去ったという逸話も残っています。
ラファエロの「ラファエロの間」とミケランジェロの『天地創造』に共通して見られる特徴は、古典古代のモチーフをキリスト教のコンテクストのなかに盛り込んでいる点です。ラファエロのもっとも有名なフレスコ『アテネの学堂』 は、古代ギリシャの哲学者を描いています。
古代ギリシャの神話はキリスト教から見れば「異教」に該当します。つまり、ルネッサンスにおける古典復興は一見、カトリックの視点からは「異教復興運動」とも考えられる要素がありました。
ローマ・ルネッサンスは、この深刻な課題を「すべてを超越してたどり着いた究極解としてのキリスト教」という解釈で乗り越えた上に成立する思想です。古代ギリシャ、古代ローマを「異教」として完全に否定するのではなく、偉大な過去を踏まえて現在のキリスト教があると示すことで、キリスト教の一部に取り込んだのです。
永遠の都ローマ展【ルネッサンス③】:古代との共鳴
『ラオコーン』,ローマ , Public domain, via Wikimedia Commons
教皇の恣意的、そして政治的な“古典復興”を抜きにしても、ローマはルネッサンスの概念に強く共鳴する要素があります。取り戻すべき「古代」をもっとも色濃く保存している都市は、ほかならぬローマだったからです。
ルネッサンスの芸術の大きな特徴の1つに、古代の彫刻や絵画を再生産する運動が挙げられます。ローマは長く荒廃した中世の間に多くの建造物が失われたとはいえ、それでもほかの都市とは比べ物にならないほど偉大な遺跡が残っている街でした。そしてこれは現代も同じです。
ローマの街を歩くと、いたるところの古代の建造物の遺跡があります。地下鉄を掘る工事では常に新しい彫刻品が出土し、工事がなかなか進みません。ルネッサンスの芸術家にとって、ローマで生の古代遺跡を目にすることはかけがえのないステータスだったのです。
ローマで長年保存されてきた古代ローマ時代の彫刻やブロンズ像は、数えきれないほど多くの芸術家によってデッサンされました。古代との強烈なつながりと教皇庁という2つの大きな柱に支えられたローマのルネッサンスは、独特なニーズ(古代性とキリスト教の融合)と強大なパトロン(教皇)に支えられて発展した特徴があります。
「ルネッサンスといえばフィレンツェ」という発想は、間違いではありません。しかしローマのルネッサンスは、その歴史と立地から、ほかの都市にはない独自の方法で発展したところに面白さがあります。
『永遠の都ローマ展』について詳しく知りたい方は、こちらの記事「【永遠の都ローマ展】カピトリーノ美術館から数々の名作が来日!」をどうぞ。
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イタリア・ローマの大学の美術史修士課程に在籍中。3年半勤めた日系メーカーを退職後、2019年から2年半のスペイン生活を経てフリーライター、日英・日西翻訳として活動するかたわら、スペイン語話者を対象に日本語を教えています。趣味は読書、一人旅、美術館・教会巡り、料理。
イタリア・ローマの大学の美術史修士課程に在籍中。3年半勤めた日系メーカーを退職後、2019年から2年半のスペイン生活を経てフリーライター、日英・日西翻訳として活動するかたわら、スペイン語話者を対象に日本語を教えています。趣味は読書、一人旅、美術館・教会巡り、料理。
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