STUDY
2021.9.29
ゴッホの楽しみ方!炎の画家はなぜ孤高に“なってしまった”のか
芸術家はみんな「変」です。みんな天才で、みんな奇人です。彼らは天才だから奇人なのか、それとも奇人だから天才なのか。彼らの生き方に注目してみると、有名芸術家の楽しみ方が見えてくることもあります。ちょっとおかしなところも含めて、芸術家は魅力たっぷりなんです。
この企画では有名アーティストの「すごいところ」と「ちょっとおかしなところ」を紹介します。第2回は“炎の画家”、フィンセント・ファン・ゴッホを取り上げましょう。
目次
フィンセント・ファン・ゴッホのここが天才!
『自画像』(1887年春) Vincent van Gogh, Public domain, via Wikimedia Commons
フィンセント・ファン・ゴッホ……。後期印象派の1人で、日本でも最も人気のある画家の1人といっていいでしょう。生前はほとんど無名の画家でしたが、死後に作品が高く評価され、1956年にアメリカで「炎の人ゴッホ」という映画が封切られてからは「情熱的な画家」というイメージが定着しました。
まずは「ゴッホの何がすごかったのか」について紹介します。
ゴッホはここが天才① 実はめちゃめちゃオールドルーキー
18歳の頃のゴッホ Unknown author , Public domain, via Wikimedia Commons
ゴッホは1853年、オランダの田舎町で生まれます。お父さんは牧師、お母さんは王室御用達の製本師の娘。兄がいましたが死産したため、長男で下には5人の弟がいました。ちなみに死産した兄もフィンセントと名付けられています。
「死んだ兄と同じ名前を付けられる」というのはサルバドール・ダリと一緒です。ダリの場合はその結果、アイデンティティを失い、めっちゃ変な人になっていきます。ゴッホが兄と同じ名前にコンプレックスをもっていた、という事実はわかりませんが、もしかしたらちょびっと孤独な気持ちも生まれたのかな、なんて思っちゃいます。
そんなゴッホは叔父が美術商だったこともあり、子どものころから絵を書いていました。その後、16歳で画商となり、牧師や教師を経て、画家として活動をはじめたのは27歳です。もともと彼はキリスト教の伝道師が夢で、それを断たれたので画家を目指し始めました。実はかなりオールドルーキーなんですね。
ゴッホのここが天才②実はものすごく几帳面で真面目
『ローヌ川の星月夜』 Vincent van Gogh, Public domain, via Wikimedia Commons
そんなゴッホは「本能のまま我が道を突き進む」みたいなイメージがありますが、画家を志したときに、しっかりデッサンの教科書を購入して基本を押さえたうえで描き始めています。
また絵を描く際は色の違う毛糸を並べて「ちゃんと補色同士になっているか」を観察したそうです。補色とは「2つの色を並べたときに白黒になる色」でRGBカラーモデルの場合は「赤とシアン」「黄色と青」などの組み合わせになります。一般的に補色を組み合わせると互いの色を引き立て合うので絵にインパクトが生まれるんです。ゴッホはしっかり補色調和の状態になるよう、色を考えていたといいます。特に彼は「青と黄色」の対比をよくしています。
キャプション:『黄色い家』 Vincent van Gogh, Public domain, via Wikimedia Commons
ゴッホのここが天才③ジャンルに分類できない絵
『赤い葡萄畑』 Vincent van Gogh, Public domain, via Wikimedia Commons
西洋美術だけでなく、モノづくりの世界には「文化」があります。いわゆる「流行りにのっかる」ということは中世以前から続いているわけです。
例えばルネサンスのときに、一部の市民がビジネスに目覚め、世の中が合理主義化したことで、絵画作品もそれまでのファンタジックな宗教画から写実主義に転換しました。また第一次世界大戦の時期には、合理主義が行き過ぎて戦争が起きたことに反対して、理性を破壊して本能のままに描く、ダダイズムが流行りました。
大体の画家は「〇〇派」とラベリングされ、ジャンル分けされて紹介されます。ゴッホは一般的に「後期印象派」に分類されますが、その当時の他の画家と比べてもバックグラウンドが見えにくく、オリジナリティが超強い。
『糸杉のある麦畑』 Vincent van Gogh, Public domain, via Wikimedia Commons
後期印象派は比較的「自分がしたい表現をできるフィールドにあった」とはいえ、彼の作品は不思議です。ゴーギャンのようなフォービズムっぽさもあるし、セザンヌのキュビスム的視点もある、スーラの点描も感じるし、ムンクの内省的な渦巻きも見える……どれもが混ざり合って完全にオリジナルの、しかも〇〇派みたいな名づけができない絵になっています。
その孤高の画風に私たちは魅力を感じてしまうのかもしれません。
ゴッホのここが天才④売れる絵を描けたのに媚びなかった
ゴッホは自分自身が若い時から画商でしたし、伯父も弟も画商でした。この境遇から察するに、ゴッホはたぶん「売れる絵」の描き方を知っていたはずなんです。例えばフェルメールやロイスダールといった画家も元画商でしたが、彼らはある程度、お客さんの趣味趣向に寄せていました。
しかしゴッホは媚びませんでした。特に画商の弟・テオには自分の絵を持っていって「これ、誰かに売ってくんない?」なんて話しかけていましたが「兄貴、これは流行りじゃないよ。“売れる絵”を描いてよ」と言われていたそうです。この時の“売れる絵”とは「油彩の風景画」で、ぶっちゃけゴッホは「やってみっか」と挑戦した時期もありますが、すぐ挫折しています。その理由を「上達が遅いから」と自虐していますが、いやたぶん自分がしたい表現ではなかったから、といえるでしょう。
とにかく世間とのコミュニケーションや金銭的な欲求ではなく、ゴッホは自分の表現を追究しつづけたんですね。
フィンセント・ファン・ゴッホのここが奇人!
そんなまさに情熱的に自分の表現を追究し続けたフィンセント・ファン・ゴッホは、紛れもない天才です。ただ天才ゆえにちょっとヤバいエピソードもたくさんあります。ここからは彼の奇人っぷりを紹介しましょう。
ゴッホのここが奇人① 他人からのアドバイスにキレる
『タンギー爺さん』 Vincent van Gogh, Public domain, via Wikimedia Commons
ゴッホはとにかく超絶人見知りです。小さいころから家族に黙って外に遊びに行って植物や昆虫を観察していました。中学では友だちが出来なさ過ぎて中退しています。家族も「この子、大丈夫かしら」と心配になったくらいです。
しかしまぁまだ10代ですからね。傷つきやすく臆病で、社会とのコミュニケーションを嫌う子はよくいます。そんな子もだんだん人とのつながり方を覚えていくものですが、ゴッホがヤバいのはそのまま大人になったんですね。“キレたナイフ”なわけです。
なので画商で働いている際も、有給取り消されたのに無視して帰省してクビになっています。また伝道師をクビになった理由は「教えが自己流過ぎて、さすがにキリストの道からそれている」と指摘され、ぶちキレたからです。その後、様子を心配して精神病院への入院を勧めた父にぶちギレ、「ゴッホ君の絵、すげぇいいと思うんだけど、この部分をもっと変えたほうが」とアドバイスをくれた知り合いにぶっつんし……とゴッホはコミュニケーションがすごく苦手な人でした。
「自分のことを思って言ってくれている」ではなく「こいつ!否定してやがる!」と勘違いしてしまうんですね。自分の生き方にかなりのコンプレックスがあったのでしょう。
ゴッホのここが奇人② しっかり弟のヒモ生活を続ける
『テオの肖像』 Vincent van Gogh, Public domain, via Wikimedia Commons(※長年ゴッホの自画像として知られてきたが、実は弟・テオを描いたものだったことをファン・ゴッホ美術館が2011年に発表した)
ゴッホが生前に売った絵はたった1枚といわれています。もちろん今の駆け出しインディーズバンドみたいにバイトしてるわけではありません。それなのに生活ができたのは弟のテオが仕送りをしていたからです。ゴッホは絵に熱中するあまり、しっかりとヒモ生活をしていたんですね。
またゴッホが一時期、恋人と同棲した際には、彼女やその母の生活費までをテオが工面していました。しかもゴッホは「この画家の浪人っぽさこそが男の中の男っ!」と考えていた節があり、テオに「お前も画家にならないか」という提案までしています。テオは心労のあまり「もう残念な兄過ぎて辛い」と家族に手紙を送ったりしていました。
いやぁ、もうこんなに素晴らしい弟がいるでしょうか。ゴッホが奇人であるほど、テオが偉人に見えてきます。個人的には皆さんにテオのことをもっと知ってほしい、と思っちゃいますね。
そんなテオはゴッホが死んでしまった直後から衰弱してしまい、まさに後を追うように翌年に亡くなります。もしかしたらテオ自身もゴッホの世話をすることが生きがいだったのかもしれません。
ゴッホのここが奇人③ 自分をフった相手の家に押しかける
『ジャガイモを食べる人々』 Vincent van Gogh, Public domain, via Wikimedia Commons
ゴッホは「否定されている!」ではなく「好かれている!」というポジティブ(?)な面でもコミュニケーションを間違ってしまうことがありました。
まず画商時代に転勤先のロンドンで下宿先の娘に恋をします。当時20歳のゴッホはもじもじして散歩に誘うことすらできませんでしたが、相手も自分のことを好きだと思い込み「そろそろ結婚を考えましょうか」といきなり切り出しました。サッカーだったら、ゴールキーパーが相手のゴールまで遠投するみたいなもんですからねこれ。当然、振られます。
そしてその7年後、画家を目指すことにしたゴッホは未亡人の従姉妹・ケーに恋をして告白するも撃沈します。しかもLINEブロックされます。そりゃ売れない画家で弟のヒモですからね。無理です。
しかしゴッホは諦めません。弟のテオから電車賃をもらい、ケーの実家にアポなしで訪問。止める玄関で止める女中を振りほどき、リビングのロウソクを取って手に当て「この熱に耐えている間だけでも会わせてくれ」とケーの両親に懇願するんです。
当然、両親はドン引き。ゴッホを挑発しないように気を付けながら丁重にお断りしました。ゴッホのメンヘラっぷりがいかんなく発揮された面白エピソードですね。
ゴッホのここが奇人④ 耳切事件
『ひまわり』 Vincent van Gogh, Public domain, via Wikimedia Commons
ゴッホの耳切事件は西洋美術史では超有名な事件の1つですね。アルルのアトリエで先輩のゴーギャンと同居生活を送っていたゴッホ。しかしそりゃこれまでのエピソードを見て分かる通り、同棲とか絶対無理です。最終的にゴーギャンと大喧嘩して、癇癪をおこし自分の耳を切りとって共通の知り合いに「これ、ゴーギャンに」と手渡した事件です。ゴーギャンはのちに回想で「アルルのゴッホは既に狂人だった」と振り返ります。
なぜ「耳」なのか。ゴーギャンがゴッホの自画像見て「お前の耳の形、変だな!」と小学生みたいな悪口を言ったから、とか、「もうお前の指摘は聞かねえ」という意思表示だとか、「興奮すると紅潮する耳は、いわゆる性器のメタファーで……」みたいな考察とか、その理由は判然としません。
ただ個人的に耳切事件に関してゴッホに恐怖を覚えるのは耳を切ったことではありません。彼が耳の治療を受けて精神病院に入ったあと、誰もいなくなったアルルの家に戻り、耳に包帯を巻いた自画像を黙々と描いたことです。
『包帯をしてパイプをくわえた自画像』 Vincent van Gogh, Public domain, via Wikimedia Commons
「この心境を何としてでも残さないといけない」という気持ちだったのでしょうか。普通の人であればここまで心が弱っているときは休みます。一回、寝ます。ただアーティストである彼はそれでもキャンバスの前に座ったんですね。狂気じみていて、怖いエピソードです。
人と関われなかった孤高のゴッホのオリジナリティを楽しむ
『星月夜』 Vincent van Gogh, Public domain, via Wikimedia Commons
この「包帯をしてパイプをくわえた自画像」の翌年、37歳でゴッホは自ら命を絶ちます。つまり画家としての人生は実質、たったの10年。その間に水彩や素描をはじめ2,000点以上の作品を描きました。そのなかで生前に売れたのは1点だけです。
しかし実は亡くなった年から既にゴッホは高い評価を受けつつあり、死後5年以内には展覧会が開かれ、1900年代前半には絵の価値が高騰し、1900年代後半には80本以上のドキュメンタリー作品が作られるようになりました。
これだけのドキュメンタリーが作られることからも、作品価値はもちろん画家としての人間的魅力が高いことが分かりますね。ゴッホの人生で面白いのは「“結果的に”孤高になったところ」です。本当は他者と関わりたかった、でもコミュニケーションが下手で仲良くなれなかったのがすごくよく分かります。
テオに送った手紙は分かっているものだけで約650通。捨てられたものも含めると1,000通はあったのではないか、ともいわれます。当時Twitterがあったら絶対ツイ廃になるタイプです。そのメッセ―ジは「モデル雇えないから早くお金送って」という無心から「みんな僕のことを分かってくれない」というヘルプや「やる気に満ち溢れてきた」という決意などです。
こんなにたくさんの言葉を伝えたい人が人間嫌いなわけがないと思います。ゴッホはものすごく人間が好きだったんでしょう。ただ、伝わらない。なぜか周りから人が離れていく。その結果、当時の画壇でもオリジナリティが高い「唯一無二のスタイル」となったとも考えられます。
そんなゴッホのフラストレーションと孤独感を感じてみることが、彼の作品を楽しむ第一歩かもしれません。
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アート・カルチャーライター。サブカル系・アート系Webメディアの運営、美術館の専属ライターなどを経験。堅苦しく書かれがちなアートを「深くたのしく」伝えていきます。週刊女性PRIMEでも執筆中です。noteではマンガ、アニメ、文学、音楽なども紹介しています。
アート・カルチャーライター。サブカル系・アート系Webメディアの運営、美術館の専属ライターなどを経験。堅苦しく書かれがちなアートを「深くたのしく」伝えていきます。週刊女性PRIMEでも執筆中です。noteではマンガ、アニメ、文学、音楽なども紹介しています。
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