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STUDY

2022.3.8

西洋美術史を流れで学ぶ(第20回)~バルビゾン派編~

やたらと難しく語られがちな西洋美術の歴史について、初心者の方でも分かりやすいように、易しく楽しくご紹介しているこの企画。前回の第18回と19回では「基本に忠実なしっかりした線で絵を描こう」という新古典主義と「いや、絵画は教科書通りとかじゃなく自分の感性だから。アーティスト舐めんなよ」というロマン主義についてご紹介しました。

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前回の記事でロマン主義の名作として紹介したウジェーヌ・ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」が描かれたのが1830年。ちょうど同じ時期に「新古典主義vsロマン主義」とはほぼ関係なく、フランスのバルビゾン村で発生したのが「自然主義」です。

今回はそんな画壇の中心部からは逸れたところで、のんびり「あるがままの自然の姿」を描き「風景画」の初動をつくった自然主義者たち、通称・バルビゾン派についてご紹介しましょう。

バルビゾン派とは

バルビゾン派とは1830年ごろからフランスのバルビゾン村に現れた「イーゼルにキャンバスを入れて風景画や風俗画を描く」集団です。彼らの特徴はとにかくあるがまま、見たままの姿を描くということでした。これを「自然主義」といいます。

とにかく「無理に誇張したりせず自然な形で作品を作ろうぜ!」と考えたから「自然主義」です。例えば超絶カッコつけて盛り付けられた“映えっ映えなフランス料理”を見て「いやいや……普通でええわ。味変わらんから」と言っちゃうのが自然主義の精神性になります。

バルビゾン派の当時、まだまだ風景画や風俗画の世間的な評価は高まっていませんでした。というのもこれは第17回で紹介したんですが、当時はアカデミー(王立の美大)が設けた「絵画のモチーフヒエラルキー」がまだ残っていたんです。1位から「歴史画」「肖像画」「風俗画」「風景画」「静物画」というランク付けでした。

ただ、ちょっとずつヒエラルキーが見直されていた。それが分かるのが「ジョン・コンスタブルのサロン・ド・パリ金賞受賞」というニュースです。

バルビゾン派ブームの火付け役、イギリスのコンスタブル

ジョン・コンスタブルの肖像画ジョン・コンスタブルの肖像画 Stephencdickson, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

「ジョン・コンスタブルって急に誰よ」って感じですので、彼のことをざっくり紹介しましょう。コンスタブルは1776年、イギリスで生まれた画家です。ゴリゴリの田舎育ちでお父さんがトウモロコシ商人で製粉所とか持っていた。って感じののどかなところで育ちます。

彼は先ほど紹介したアカデミーで勉強をするわけですが、そのなかで新古典主義に対して「現代の大きな悪癖は、真実を超えた何かをしようとする華麗さです」といっています。つまり「神話・宗教画」全盛のアカデミーで「みんなかっこつけすぎやろ。もっと真実を描くべきだろ」とおもったわけですね。

そこで彼は、当時は超絶珍しかった「風景画家」になることを決意するんです。もちろん、当時は風景画で飯食うなんて考えられないことですので、たまに肖像画とか神話画も描いていますが、主にのどかな田園風景や畜産農家の絵を描き続けました。

ジョン・コンスタブル『ワイブンホー・パーク』ジョン・コンスタブル『ワイブンホー・パーク』, Public domain, via Wikimedia Commons

初期の彼のスタイルは「屋外でスケッチしてから室内で記憶を辿りつつ色を塗る」というものでしたが、1814年以降はスタイルを変更。完全に屋外で油彩を描ききるようになるんですね。これは「あるがままの真実を嘘偽りなくそのまま描く」という熱量があったからです。

そんな彼の作品は新古典主義の面々からは「なに、このふわっとした絵」みたいな感じで冷ややかにみられていましたが、ロマン主義の面々からは「すげぇ。この絶妙な色合い。高い技術力……これはすごい」と評価を受けるようになります。

そして1824年にはアカデミー主催の展覧会「サロン・ド・パリ」に「乾草の車」を出品し、なんと金賞を取るんですね。

ジョン・コンスタブル『乾草の車』ジョン・コンスタブル『乾草の車』, Public domain, via Wikimedia Commons

で、この展示を観たのが、主にフランスのロマン主義の画家たち。「おい、イギリスにヤバい風景画家がおる」と話題になるわけです。ドラクロワにいたってはこの絵を見て自分の代表作『キオス島の虐殺』の背景を塗り直しています。

現場で衝撃を受けまくったコロー

ジャン=バティスト・カミーユ・コローの肖像写真(ナダールにより撮影)ジャン=バティスト・カミーユ・コローの肖像写真(ナダールにより撮影), Public domain, via Wikimedia Commons

そんな現場で衝撃を受けた1人がジャン=バティスト・カミーユ・コローという画家でした。コローはこの展示のあと、1829年から早速、バルビゾン村のフォンテーヌブローの森にいってイーゼルを立てて、戸外制作をしています。

ジャン=バティスト・カミーユ・コロー『フォンテーヌブローの森の眺め』ジャン=バティスト・カミーユ・コロー『フォンテーヌブローの森の眺め』, Public domain, via Wikimedia Commons

ちなみにコンスタブルしかり、この当時の戸外制作って実はシンプルな課題がありました。それが「絵の具がすぐ乾いちゃう」っていう……。当時の油絵具は今みたいなチューブ型のものじゃありません。だから、顔料の粉を油で混ぜて、乾かないように動物の膀胱に入れて持ち運ばなきゃいけなかったんですね。今考えたらヤバいですが、当時の戸外制作の風景画家たちは、みんな動物の膀胱を持ち歩いてました。

だんだん盛り上がるバルビゾン派

テオドール・ルソー『バルビゾン村の風景』テオドール・ルソー『バルビゾン村の風景』, Public domain, via Wikimedia Commons

そんなコローの登場から約10年、1840年ごろバルビゾン派が本格的に形作られていきます。ちなみにコローは1840年までの間に、テオドール・ルソー、ポール・ユエ、コンスタン・トロワイロン、ジャン・フランソワ・ミレー、シャルル・フランソワ・ドービニーなどバルビゾン派のメンバーとコミュニケーションを取っていました。

で、1860年代に入ると、モネやルノワール、シスレーなどが、バルビゾン村までイーゼルと絵の具を担いで、えっほえっほとやってきて、屋外で風景画を描くようになります。こう、だんだんと椅子とイーゼル持ってきて、森で描く画家が増えてくるわけですよ。

それで1870年代になると、なんと100人以上がバルビゾン村、フォンテーヌブローの森で風景を描くようになるんです。もうなんか、鉄道オタク並みの大渋滞というか。「ちょっと前見えないんだけど」みたいなやり取りもありそうですよね。もしくは「サバゲ―」みたいな感じだったのかしら。「森に入ると、やたら画家に出くわす」みたいな。

バルビゾン派ブームの裏にあった「産業革命」や「進化論」

このバルビゾン派の自然主義的な発想の裏にあったのが「産業革命」やら「進化論」です。イギリスでは1830年代ごろから産業革命が起きました。これによって何が起こったのか、というと「大量生産」ができるようになるんですね。すると世間は完全にビジネス思考になっていきます。

またもう1つ大きかった大事件が1859年のダーウィンの「種の起源」の発表でしょう。ヨーロッパでは特に、これまでの期間で「人間は神が創造した」という超ファンタジックな考えが主流だったのが「もともと微生物で、猿から進化したんだよ~」ってのが発表されたわけです。

この2つのニュースによって「ちょっともうファンタジックなことばっか言ってちゃだめだな」と。「もうちょっとあるがままの現実見ないとな」と意識改革が起きるんですね。

ちなみにこの動きは13世紀ごろのイタリアで起きた「ルネサンス」にとってもよく似ています。何かビジネス面で革命が起きると、世間はかなりリアリストになり、現実を超えたこととか、バカバカしいことを受け入れられなくなるんです。

ちなみに、個人的にはこの「地球レベルのビジネス思考化」ってのがAIが発達した始めた今起きているんじゃないかなぁ、とか思ったりすることがあります。

100人以上の画家集団のなかでも特にすごかった「バルビゾンの七星」

ジャン=フランソワ・ミレー『落穂拾い』ジャン=フランソワ・ミレー『落穂拾い』, Public domain, via Wikimedia Commons

そんな「あるがままの自然や風俗を描こうぜ」というバルビゾン派ですが、特に代表的な画家を「バルビゾンの七星」といいます。以下の7人です。

● ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
● テオドール・ルソー
● コンスタン・トロワイヨン
● ジャン・フランソワ・ミレー
● シャルル・フランソワ・ドービニー
● ナルシス・ディアズ・ド・ラ・ペーニャ
● ジュール・デュプレ

なかでもミレーは日本でも「落穂拾い」で有名な画家ですね。バルビゾン派は先述した通り「風景」を書く人が多いんですが、彼は「農民」をはじめとした風俗画を描いています。「晩鐘」とかもそうですね。これは「産業革命」によって機械化が進む世間へのアンチテーゼ的な意味も込められていました。だからミレーの絵は西洋美術だけでなく社会学としても使われることが多い。

そのほか、例えばトロワイヨンはひたすら「動物」ばっかり描いていたり、ドービニーは森よりも水辺が好きでセーヌ川ばっかり描いたりしています。バルビゾンの七星は、同じ村にいたのですが、それぞれ特徴が微妙に違うのもおもしろいところです。

バルビゾンの精神は印象派に引き継がれる

ということで、今回はバルビゾン派についてご紹介しました。実はバルビゾン村で戸外制作をしていた画家のなかには、七星以外にも外せない人物がいます。それが「モネ」「ルノワール」「シスレー」など。そう、のちに印象派として風景画の地位を大幅に高めるスターたちが、この時期に制作をしているんですね。

次回はそんな日本人もみんな大好きな「印象派」について紹介しましょう。

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ジュウ・ショ

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アート・カルチャーライター。サブカル系・アート系Webメディアの運営、美術館の専属ライターなどを経験。堅苦しく書かれがちなアートを「深くたのしく」伝えていきます。週刊女性PRIMEでも執筆中です。noteではマンガ、アニメ、文学、音楽なども紹介しています。

アート・カルチャーライター。サブカル系・アート系Webメディアの運営、美術館の専属ライターなどを経験。堅苦しく書かれがちなアートを「深くたのしく」伝えていきます。週刊女性PRIMEでも執筆中です。noteではマンガ、アニメ、文学、音楽なども紹介しています。

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