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STUDY

2022.4.14

西洋美術史を流れで学ぶ(第23回)~象徴主義編~

謎に難しく語られがちな西洋美術史を「おしゃべりする」くらいの感覚で紹介するこの連載企画。前回の第22回では表現が多様化していく、1890年代から1900年代初頭の後期印象派の時代についてご紹介しました。

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第23回の今回は、後期印象派と同時代に生まれた「ポスター美術」「象徴主義」「世紀末芸術」についてご紹介します。画家にとって発表の場が増え、前衛的な表現が活性化していくこの時代、「愛」や「死」といった「なんだかちょっぴりスピリチュアルな思想」を描いた作品が次々に生まれていきます。いったいどうして画家たちは、こうした人間の内面を表現したいと思ったのでしょうか。その理由と作品を一緒にみていきましょう。

象徴主義とは

まずは「象徴主義って何なのか」についてご紹介しましょう。象徴主義とはひと言でいうと「目に見えない神秘的なものを大事にしようぜ」という運動です。印象派とほぼ同時の1800年代の後半ごろから、主にフランスやベルギーでがっつり流行しました。

「目に見えないもの」とは愛、喜び、死、不安、悲しみとかです。つまり自分のなかに存在する感情をキャンバスに落とし込んでいったわけですね。こう、自分の内面と格闘しながら感情をキャンバスにぶつける、みたいな。「これぞアーティスト」っていう感性を大事にした運動でした。象徴主義の主な画家は以下の通りです。

● ギュスターヴ・モロー
● オディロン・ルドン
● エドヴァルド・ムンク
● グスタフ・クリムト
● ポール・ゴーギャン
● ジョン・エヴァレット・ミレー


ちなみに同時代には「印象派」が現れています。前回、前々回の記事でお伝えしましたが、印象派の思想はマジでまったく真逆です。彼らは「目で見たものをそのまま描く」という写実主義に重きを置いていました。

じゃあ何で「目で見たものを描きたい」と「見えないものを描きたい」という両極端な運動が同時に起こったのでしょうか。それを紐解く鍵は「産業革命」にあります。

生活スタイルを大きく変えた第二次産業革命

産業革命は全部で3回に分けられます。一次は1700年代後期~1800年代初期の軽工業、二次は1800年代後期から1900年代初期の電気・化学・出版工業など、三次は1900年代半ばからのコンピュータ産業です。

なかでも第二次産業革命のインパクトは凄まじいものでした。エジソンの時代ですね。飲料や洋服が機械によって大量生産できるようになり、鉄道や蒸気船ができて輸送手段が広がった。また蓄音器ができて、音楽を楽しめるようになったほか、映画やラジオといったエンタメもこの時代に生まれます。

産業革命によって「目に見えるものが大事」という感覚に

そんな産業革命の「機械化による大量生産」ってのはインパクトが大きかった。それまでは手で一つひとつ作っていたんですが、同じ時間で何百倍のものを作れちゃうわけです。すると値段も下がる。作れば作るほど売れていく。世界には「モノ」が溢れるわけですね。

そんな大量生産の時代において、人の感覚も「モノを持つことが大事」「財産を持っておくことが大事」「機械って最高! 機械バンザイ」という感じになっていきます。これは最近の「AI黎明期」とか「SNS黎明期」と同じですよね。「自動化って楽ちん」「近くの友だちより顔も知らないフォロワー」みたいな感覚になってきたはずです。

大量生産の反動で起こった「アーツ・アンド・クラフツ運動」

ただ、一方でさまざまな反動が起こるんです。

例えばイギリス機械化によって「安いけど粗悪なもの」が大量に出回るようになった。例えば「皿の型枠」をつくるときに「とりあえず正円で白だよね」という発想になると思います。すると何の創造性もない正円のお皿が大量に出回る。

これに対して産業革命の中心地・イギリスで異議を唱えたのがウィリアム・モリスさん。彼は「いやいや、ちゃんと創造的でイケてるものを作ろうよ。職人の技術を見直そうぜ」って思い「アーツ・アンド・クラフツ運動」を起こしました。

これによって生活必需品や消費物、ポスターなどにも、ちゃんと技術力の高い画家のデザインが組み込まれていくんですね。結局高くなっちゃうんですけど、アーツ・アンド・クラフツ運動はブルジョワ層に受けまくります。

西洋美術史を流れで学ぶ(第23回)~象徴主義編~アーツ・アンド・クラフツ運動の代表的なデザイナー、アーチボルド・ノックスのティーセット, Daderot, CC0, via Wikimedia Commons

ポスター美術

アーツ・アンド・クラフツ運動のなかで盛り上がったものの一つが「ポスター美術」です。このジャンルではアンリ・ド・トゥールーズ・ロートレックやアルフォンス・ミュシャといった人気画家が出てくるんですね。今でいうと中村佑介とか、長場雄みたいな感じで人気イラストレーターが現れるわけです。

西洋美術史を流れで学ぶ(第23回)~象徴主義編~アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック『ディヴァン・ジャポネ』, Public domain, via Wikimedia Commons

西洋美術史を流れで学ぶ(第23回)~象徴主義編~アルフォンス・ミュシャ『モード・アダムス演じるジャンヌ・ダルク』, Public domain, via Wikimedia Commons

上はロートレックによるパリの音楽喫茶「ディヴァン・ジャポネ」、下はミュシャによる名女優、モード・アダムス主演の舞台「ジャンヌ・ダルク」のポスター(一点もの)です。

これらのポスター美術では「アール・ヌーヴォー(新しい芸術)」といった様式が生まれます。さっきのアーツ・アンド・クラフツ運動に端を発したもので、ざっくりいうと「創造性が高くてお洒落なデザインをやろう」という考えです。例えば新しい素材(ガラス、鋼、鉄)をよく使ってインテリアや日用品を作りました。

西洋美術史を流れで学ぶ(第23回)~象徴主義編~エミール・ガレ『ユリとヒナギクの花瓶』, Petit Palais, Public domain, via Wikimedia Commons

また「植物とか昆虫みたいな“自然物”って美しいよね」と思い、よく作品にあしらうようになった。先ほどのミュシャの「ジャンヌ・ダルク」では植物が装飾されていますが、これはまさにアール・ヌーヴォーの特徴です。自然的なものに美しさを見出したのも「機械化への反発」が含まれているのは間違いないでしょう。

ちなみにこの後1910~30年代になると「アール・ヌーヴォーのゴテゴテな装飾ってうざくね?」となり、安価で装飾の少ない「アール・デコ」が流行します。ただ、その後の1960年代に「装飾あったほうがお洒落やん」と、またアール・ヌーヴォーが流行ったり、最近では「ミニマリスト」が増えましたが、あれは思想的にアール・デコ寄りでしょう。こんな感じで、ヌーヴォーとデコは時代によって行ったり来たりしつつ、共存しています。

産業革命の「モノ最高!」に反対した象徴主義

さて、長いこと脱線しちゃいましたが、話を象徴主義に戻します。そんなこんなで産業革命によって世間は「大量生産最高!」ってなっていたんですね。象徴主義ではそんな「モノ至上主義」に対してカウンターパンチを入れました。「目に見えないものを表現することが大事だろ」って自分の精神世界を描くようになるんですね。それが先述した「愛」とか「死」とか「不安」とかなんです。

象徴主義はフランス、ドイツ、イギリス、ノルウェー、オーストリアなどで同時多発的に発生したのがおもしろいところ。当時のヨーロッパの人画家はみんな同じことを考えていたんですね。テーマは同じですが、作風は画家によって大きく違います。

例えば日本人にはもはやキャラクターとしてなじみ深い、ノルウェー出身のエドヴァルド・ムンクの「叫び」は代表的な作品でしょう。「ムンクの叫び」じゃないですよ。ムンクの「叫び」です。

西洋美術史を流れで学ぶ(第23回)~象徴主義編~エドヴァルド・ムンク『叫び』, Public domain, via Wikimedia Commons

ムンクは幼いころから母や姉を亡くしています。他の人より死との距離が近く、常に「死の不安」を感じていた。ものすごくメンタルをやられていた方です。そんなムンクはノルウェーの山々の叫びを橋の上で聞き、思わず耳を塞いだ。その光景を描いたのが「叫び」です。なので、叫んでるのはムンクじゃなくて、向こうの夕日に染まった山なんですね。

またフランスのオディロン・ルドンもこの時期の重要な画家です。

西洋美術史を流れで学ぶ(第23回)~象徴主義編~オディロン・ルドン『眼=気球』, Public domain, via Wikimedia Commons

彼もまた生まれてすぐに里子に出されたり、第一子を亡くしたりと、コンプレックスを背負い続けた画家です。初期のころは「ノワール」と呼ばれるモノクロのタッチの石版画をよく描き、キャリア後半は一点カラフルで華々しい絵を描くようになりました。

またオーストリアのウィーンでは「ウィーン分離派」と呼ばれる画家集団ができます。「古き良きサロンから分離しよう」と考えた集団です。フランスで印象派がやっていたことがウィーンでも起きるんですね。

なかでもグスタフ・クリムトと、その弟子、エゴン・シーレが中心人物です。

西洋美術史を流れで学ぶ(第23回)~象徴主義編~グスタフ・クリムト『接吻』, Public domain, via Wikimedia Commons

クリムトもルドンと同様、作風を変えた画家です。特に「金の時代」には金箔を多用するなど、それまでになかった表現にチャレンジしています。彼は長いこと「愛と死(エロスとタナトス)」をテーマに描き続けた画家です。

“超ちなみに”なのですが、彼はモデルと愛人関係になることで知られており、多い時には15人もの女性がクリムトの家で寝泊まりしていたという「モテ男っぷり」。ちなみに弟子のエゴン・シーレも女性問題で知られた画家です。やはり「愛」を追究していただけのことはあります。

「死」や「エロス」のモチーフとして描かれるファムファタルたち

そんな象徴主義のなかでよく用いられるモチーフが「ファムファタル」です。ファムファタルとは「男性を魅了し破滅させる女性」のこと。今だとルパン三世の不二子ちゃんが分かりやすいです。個人的にはアンパンマンのドキンちゃんも、ばいきんまんにとってはかなりのファムファタルだなぁ、と思ったりしています。

象徴主義の画家たちは、そんなファムファタルを「死」や「エロス」の象徴として描きました。例えばイギリスの画家・ウォーターハウスの「オデュッセウスに杯を差し出すキルケ」が有名です。

西洋美術史を流れで学ぶ(第23回)~象徴主義編~ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス『オデュッセウスに杯を差し出すキルケ』, Public domain, via Wikimedia Commons

キルケはギリシャの詩人・ホメーロスの「オデュッセイア」に出てくる魔女です。めっちゃ美人で「薬草や呪文などで人間を家畜に変えて操作する」という少年ジャンプみたいな能力を持っています。ナンパとかしようものなら「ちょっとお茶しな……」くらいのタイミングで豚に変えられちゃいます。めちゃめちゃ怖い女性です。絵のなかにも豚が転がってますが、こいつももとは人間だったのでしょう。

この時代は「チャーチスト運動」という労働者階級が選挙権を求めた運動が起こりました。そのなかには女性チャーティスト協会などの婦人団体も参加しており「女性の参政権」というテーマが盛り上がった時代でもあった。また1850年にはフランスではじめて女子の初等教育が義務化 されました。

女性の社会進出も相まって、ファムファタルは盛り上がったんですね。

「画家の人生」がより重要になっていく象徴主義

こんな感じで象徴主義はみんな内省的な絵を描いています。ただ写実的なだけではなく、だんだんと「その画家の人生」が重要になっていくんですね。そのため、多様化しまくっており、まったく一貫性がないのが特徴の一つでもあります。

そして前回の記事でご紹介した通り、この時代から「サロン」という登竜門が失われたことで、画家は比較的自由に自己表現ができるようになりました。写実性はだんだんと亡くなっていき「いったい何を描いてるんコレ」という、あえていうと“ファンタジックな世界”に入っていきます。


次回はそんな時代における大発明「キュビスム」についてご紹介します。「世界で最も多くの作品を描いた画家」であるパブロ・ピカソが登場しますので、ぜひご覧ください。

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ジュウ・ショ

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アート・カルチャーライター。サブカル系・アート系Webメディアの運営、美術館の専属ライターなどを経験。堅苦しく書かれがちなアートを「深くたのしく」伝えていきます。週刊女性PRIMEでも執筆中です。noteではマンガ、アニメ、文学、音楽なども紹介しています。

アート・カルチャーライター。サブカル系・アート系Webメディアの運営、美術館の専属ライターなどを経験。堅苦しく書かれがちなアートを「深くたのしく」伝えていきます。週刊女性PRIMEでも執筆中です。noteではマンガ、アニメ、文学、音楽なども紹介しています。

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