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STUDY

2025.9.25

世界と日本の女性画家15選|教科書に載らない女たちの軌跡を徹底解説

突然ですが、知っている画家を5人挙げてみてください。

女性画家15選01メアリー・カサット《浜辺の子供》, Public domain, via Wikimedia Commons.

西洋美術や日本美術、そのほかどんな国や地域にルーツを持つ画家でもOKです。昔の画家でも、現代の画家でも構いません。

さて、皆さまの頭の中には、どんな画家が浮かんだでしょうか?

私の勝手な想像で、日本人がよく知る有名な画家を5人挙げるなら、

・レオナルド・ダ・ヴィンチ
・モネ
・ファン・ゴッホ
・ピカソ
・葛飾北斎

あたりでしょうか。生まれた時代も国も異なる画家たちですが、彼らにはある共通点が。それは、「男性」という属性です。皆さまが思い浮かべた画家も、5人ないし4人は男性だったのではないでしょうか?

女性画家15選02ベルト・モリゾ《舞踏会で》, Public domain, via Wikimedia Commons.

西洋美術でも日本美術でも、広く知られた画家は全員男性です。どうして女性画家は目立たないのでしょうか? そもそも存在しなかった?

存在しなかった、なんてことはまったくなく、画家を志した女性たちは洋の東西を問わず大勢います。さまざまな理由によって歴史に埋もれ、際立って有名な人がいない…というのが現状です。

女性画家15選03上村松園《楊貴妃》, Public domain, via Wikimedia Commons.

しかし、女性画家が男性に比べて劣っていたわけではありません。十分な評価を得られなかっただけなのです。近年では女性画家を見直す動きがあり、女性画家や女性アーティストに注目した展覧会も増えています。

そこで、国内外の女性画家・女性アーティストのうち、必ず押さえておきたい15名をピックアップ。もっと大勢紹介したいのですが、まずは入門編として、15名の女性芸術家とその豊かな作品世界に触れてみましょう。

【西洋美術編】18世紀〜20世紀の女性画家

女性画家15選04マリー=ドニーズ・ヴィレール《窓辺に座る若い女の習作》, Public domain, via Wikimedia Commons.

レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロなどが活躍した16世紀頃のルネサンス期から、実は女性の画家も数多く存在していました。

しかし、型にはまった世間の価値観や美術教育を受ける機会の不均衡から、女性画家は家庭の外に出にくい状況が長く続いたのも事実。そんな逆境を力強く跳ね返し、ときには柔軟に受け流し、西洋美術史に名を刻んだ海外の女性たちを紹介していきます。

女性画家①エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン(1755-1842)

女性画家15選05エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン《モスリンのシュミーズ・ドレスを着た王妃マリー・アントワネット》, Public domain, via Wikimedia Commons.

ヴィジェ=ルブランは、フランス王妃マリー・アントワネットのお抱え宮廷画家として活躍した18世紀の女性画家。アントワネットとは同い年で意気投合したらしく、仲良しの友人のような関係を築きました。

ヴィジェ=ルブランは優美で甘いロココ趣味を広めた画家のひとりでもあり、肖像画では愛嬌たっぷりな女性の魅力を引き出して表現。肖像画を依頼してきた女性たちの「こんな風に描いてほしい!」を感覚で理解できていたのかもしれません。

女性画家15選06エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン《麦藁帽子をかぶった自画像》, Public domain, via Wikimedia Commons.

フランス革命後はヨーロッパ各地を転々としますが、その画力ゆえか亡命先でも歓迎されます。エルミタージュ美術館を生んだロシアの女帝エカチェリーナ2世のお気に入りでもあったようです。

女性画家②マリー=ガブリエル・カペ(1761-1818)

女性画家15選07マリー=ガブリエル・カペ《1800年のラビーユ=ギアール・ヴァンサンのアトリエで》, Public domain, via Wikimedia Commons.

ヴィジェ=ルブランをはじめ数名の女性画家が名を上げたのを機に、ヨーロッパの女性画家たちは次々に社会へ進出していきました。

そのひとりが、新古典主義の画家、マリー=ガブリエル・カペ。フランス革命後、女性にも門戸が開かれたサロン(官展)に参加した最初の女性画家のひとりで、画家としても成功を収めました。

女性画家15選08マリー=ガブリエル・カペ《自画像》, Public domain, via Wikimedia Commons.

カペの《1783年の自画像》は、東京・上野にある国立西洋美術館で見られる作品です。キャンバスを前にチョークを持って自信ありげに微笑む彼女は、なぜか高級そうなドレスを着用。実際には、絵の具で汚れてもよい服装で作業していたと思われますが…。

「女性は着飾るだけじゃなくて絵も描けるんだぞ、舐めんなよ」と画力を誇示するかのように、布の質感を丁寧に描き分けています。

女性画家③マリー=ドニーズ・ヴィレール(1774-1821)

女性画家15選09マリー=ドニーズ・ヴィレール《マリー・ジョゼフィーヌ・シャルロット・デュ・ヴァル・ドーニュ》, Public domain, via Wikimedia Commons.

同じく新古典主義に軸足を置いた女性画家、マリー=ドニーズ・ヴィレール。画家を志す女性のほとんどが結婚を機にキャリアを諦めるなか、夫が支える側となり芸術活動を続けた、当時としては非常に稀な女性画家です。

ヴィレールが描いた肖像画《マリー・ジョゼフィーヌ・シャルロット・デュ・ヴァル・ドーニュ》は、1801年のサロンに出品された作品です。しかしその後、本作はジャック=ルイ・ダヴィッドという男性画家の作品と誤認されるようになりました。

女性画家15選10ジャック=ルイ・ダヴィッド《サン=ベルナール峠を越えるボナパルト》, Public domain, via Wikimedia Commons.

ダヴィッドは新古典主義の巨匠で、ヴィレールから見ると師匠の師匠に当たる人。優れた女性画家の存在をかき消すかのように、本作は巨匠ダヴィッドの作品としての扱いを受けてきました。

1951年には別の男性画家の名前まで挙がる混乱に陥りますが、1996年にようやくヴィレールの作品と判明。彼女が男性画家でも作品は同じ運命を辿ったのか? 疑問に思うところがあります。

女性画家④ベルト・モリゾ(1841-1895)

女性画家15選11ベルト・モリゾ《ゆりかご》, Public domain, via Wikimedia Commons.

19世紀に突入すると、フランスではサロンを経由せずに作品を発表する画家たちが現れます。モネやドガをはじめとする印象派もそうで、閉鎖的なサロンの外で、女性の画家もメンバーとして活動しました。

モリゾも印象派の女性画家のひとり。母と子などをテーマにした穏やかな絵画が多く、絵本のワンシーンのような作風は見る人の心を癒してくれるように思います。一方、その柔らかさは男性中心の社会では受け入れられにくかったのか、評価が遅れた画家でもありました。

女性画家15選12エドゥアール・マネ《すみれの花束をつけたベルト・モリゾ》, Public domain, via Wikimedia Commons.

ちなみに、写実主義の画家エドゥアール・マネがモリゾを描いた絵画もよく知られています。モリゾはマネの弟ウジェーヌと結婚し、結婚後も画家としての活動を続けました。

女性画家⑤メアリー・カサット(1844-1926)

女性画家15選13メアリー・カサット《お茶》, Public domain, via Wikimedia Commons.

アメリカ出身のカサットは、20代の頃にフランスに渡って活動した画家です。バレリーナの絵画で知られる印象派のエドガー・ドガに誘われ、自身も印象派展に出品。アメリカに印象派を紹介した画家としても代表的な存在です。

カサットも女性や母子をテーマにした作品が多いのですが、柔らかなモリゾの作風と比べると、形をしっかりと描き込んだ写実主義に近い要素も感じます。鮮やかな色彩は人目を引き、日常のささいな出来事もドラマチックな映画のように描き出しました。

女性画家⑥シュザンヌ・ヴァラドン(1865-1938)

女性画家15選14シュザンヌ・ヴァラドン《自画像》, Public domain, via Wikimedia Commons.

ヴァラドンはお針子の私生児として生まれ、はじめは曲芸師を仕事にしていた人物です。曲芸の転落事故で怪我を負って絵のモデルに転身し、のちに自ら絵筆を取る画家としても活動しました。

モリゾやカサットなど当時成功した女性画家の多くは中流以上の家庭に生まれており、美術の教育を受けていました。一方、ヴァラドンはいわゆる下層階級の出身で、十分な教育は受けられなかったものの、自由な表現に特徴があります。

女性画家15選15シュザンヌ・ヴァラドン《赤いソファの上の裸婦》, Public domain, via Wikimedia Commons.

ヴァラドンは女性や男性のヌードも描いた女性画家としても知られています。ヨーロッパの美術学校で女性のヌードデッサンが禁じられていた時代、タブーを打ち破る画題で自己を解放しました。

息子のモーリス・ユトリロとともに、ヴァラドンはエコール・ド・パリの重要な画家に数えられています。ちなみにユトリロの父が誰かはわかっていません。

女性画家⑦マリー・ローランサン(1883-1956)

女性画家15選16マリー・ローランサンの原画によるポスター, Public domain, via Wikimedia Commons.

淡いパステルカラーの女性像で知られるローランサンも、20世紀エコール・ド・パリの重要な画家。お針子の私生児として生まれた点はヴァラドンとよく似ていますが、作風はしなやかで対照的です。

ピカソやブラックなどキュビスムの画家と親交を持ち影響を受けつつも、ローランサンは独自のスタイルを確立。絵本のような柔和な作風は日本でも人気があり、国内の展覧会でも見られる機会に恵まれています。

ローランサンが活躍したのは、美術に限らず女性の社会進出と自立の時代でした。人気画家となった彼女に肖像画を依頼したのが、同い年のココ・シャネル。しかし絵を気に入らなかったシャネルが描き直しを要求すると、「お代はいりません」と言って他の人に売ってしまったそうです。

女性画家⑧タマラ・ド・レンピッカ(1894-1980)

ポーランド出身のタマラ・ド・レンピッカは、20世紀に流行したアール・デコを代表する画家です。

アール・デコとは、直線や幾何学模様のシャープなデザインに特徴があるモダンな様式のこと。レンピッカの絵画にもそのエッセンスが見て取れ、女性のクールな一面をアール・デコ的な美意識に調和させて描き出しました。

上昇志向の強いレンピッカは貴族や著名人と交流し、自身も狂乱の時代のセレブにセレブリティの仲間入りを果たします。「新しい女」として意のままに振る舞った彼女の生き様は、高級車を乗り回す自画像にも表れているように思います(当時はまだ貧しく、ブガッティに乗れるほどではなかった、という説も)。


女性画家⑨ジョージア・オキーフ(1887-1986)

女性画家15選17ジョージア・オキーフ《Blue and Green Music》, Public domain, via Wikimedia Commons.

花の画家として知られるアメリカの画家オキーフは、抽象画に取り組んだ最初期の画家です。28歳の頃、自分が描いた絵を並べ、どれもが他の画家の二番煎じだと感じた彼女はすべてを破棄。自分にしか描けない絵を描くため、抽象画から再出発しました。

オキーフは花や動物の骨など形あるモチーフを選びましたが、対象にぐっと近寄り、画面からモチーフがはみ出すほど大きく描きました。クローズアップによって一部を切り取ると、花や骨さえも抽象画らしく見えます。具象と抽象の境界を探る、示唆に富んだ作品を数多く残しました。

女性画家⑩フリーダ・カーロ(1907-1954)

カーロはメキシコを代表し、世界に知られる女性画家です。彼女の人生が大きく変わったのは、18歳の頃。乗っていたバスが路面電車と衝突する事故に遭って瀕死の重傷を負い、入院生活のなかで絵を描き始めました。

後遺症に苦しむ彼女に追い討ちをかけたのが、夫とカーロの妹の不倫です。また、子どもを望んで妊娠するも、事故で骨盤や子宮に損傷を受けていたため、3度もの流産を経験し授かることはありませんでした。

そんな心身の苦痛を自己表現に昇華したカーロの絵画は、見た人に忘れられない鮮烈な印象を残します。メキシコの文化を背景とする鮮やかな色彩は、カーロの生々しい痛みに変わって叫び続けています。

【日本美術編】近世・近代の女性画家

女性画家15選18池玉瀾《秋景山水扇面図》, Public domain, via Wikimedia Commons.

日本もヨーロッパと同じで、画壇は男性で占められ、女性が画家として世に出られない時代は長く続きました。女性の画力は素人の域を出ないと見なされ、正当な評価を得られた人は多くありません。

しかし、こちらも海外と同様ですが、実際には十分な実力を蓄えた女性画家たちが存在していました。そんな日本の女性画家たちの作品を紹介していきます。

女性画家⑪池玉瀾(いけの ぎょくらん、1727-1784)

女性画家15選19池玉瀾《牡丹に竹図》, Public domain, via Wikimedia Commons.

江戸時代、京都の茶屋に生まれた玉瀾は、幼い頃から和歌や書画を学んだ文化人です。夫となった池大雅(いけの たいが)から中国の絵画を学び、文人画を描くようになりました。

文人画を確立した大雅のエッセンスを取り入れ、玉瀾も見事な作品を生み出しましたが、ふたりともあまり欲がなかったようです。絵の制作は安く請け負い、紙の散らかった部屋で描き、生活にもお金をかけなかったとか。

女性画家15選20池大雅《楼閣山水図》(左隻), Public domain, via Wikimedia Commons.

価値観が合っていたのか、幸せな夫婦生活を営んだ様子。合作も手がけた玉瀾と大雅は、ともに琴とお酒も楽しむ暮らしを続けました。

女性画家⑫葛飾応為(かつしか おうい、生没年不詳)

女性画家15選21葛飾応為《吉原格子先之図》, Public domain, via Wikimedia Commons.

同じく江戸時代の画家である応為は葛飾北斎の娘で、北斎ゆずりの飛び抜けた画才を誇りました。気の強い性格だったのか、結婚後に夫の絵が下手だとバカにしたらしく、離縁されています。

北斎の工房で学んだ応為は特に美人画が得意で、晩年の北斎に「美人画では応為に敵わない」と言わしめたほどの実力者です。《夜桜美人図》のように、光と闇のドラマチックな表現も得意としました。

女性画家15選22葛飾応為《夜桜美人図》, Public domain, via Wikimedia Commons.

しかし現在、彼女の作品と判明しているものはわずか十数点。応為が描いて北斎の名前で世に出た作品もあるらしく、研究と再評価が望まれています。

女性画家⑬上村松園(うえむら しょうえん、1875-1949)

女性画家15選23上村松園《母子》, Public domain, via Wikimedia Commons.

明治の京都画壇で頭角を現し、美人画の第一人者となった近代の画家、上村松園。東京で活動していた美人画の巨匠、鏑木清方と並び、「東の清方、西の松園」と称されるほど、存在感を示しました。

松園が関心を寄せたのは、女性の表面的な美しさより、複雑な内面でした。身なりを整えて澄ました表情を浮かべる女性は人形ではなく、心を持った人間です。松園が描く女性には、どこか血の通った美しさを感じられないでしょうか。

女性画家15選24上村松園《牡丹雪》, Public domain, via Wikimedia Commons.

また、松園は社会に進出した日本女性のパイオニアとしても知られています。女子に良妻賢母教育が行われた時代、松園は画家を目指す若い女性たちの憧れでもありました。

【現代美術編】押さえておきたい女性アーティスト

20世紀以降、 絵画や彫刻のみならず、映像やインスタレーション、パフォーマンスなど、美術の守備範囲は多方面に広がっていきました。もはや「画家」や「彫刻家」という枠に収まらない彼ら彼女らを、ここでは「アーティスト」と呼びましょう。

また、アーティストたちの国境を超えた活動も盛んになり、「西洋美術」「日本美術」のように場所で切り分けるのもそぐわなくなってきました。世界を舞台に活躍した現代の女性アーティストについても見ていきましょう。

女性画家⑭ニキ・ド・サンファル(1930-2002)

女性画家15選25《ナナ》の前に立つニキ(アムステルダム市立美術館で行われた個展、1967年8月23日), Public domain, via Wikimedia Commons.

ファッションモデルとして活動したあと、23歳で神経衰弱を患ったことを機に、絵を描き始めたニキ・ド・サンファル。アーティストとして転機を迎えたのは31歳のときで、液体の絵の具を埋め込んだ石膏のレリーフを離れたところから銃で撃ち、内側から溢れる絵の具によってレリーフを彩色する「射撃絵画」を発明しました。

衝撃的なパフォーマンスで注目を浴びたニキは、その後は女性をテーマにした作品に取り組みます。型にはまった女性の役割を批判的に捉えた作品から始まりますが、作風は徐々に変化し、やがて巨大でカラフルな女性像「ナナ」シリーズへと到達しました。

女性画家15選26ニキ・ド・サンファル《ナナ》, Public domain, via Wikimedia Commons.

ニキは11歳の頃に父親から性的な被害を受けており、射撃絵画などには激しい攻撃性や復讐心すら見て取ることができます。しかし「ナナ」シリーズでは、女性であることを肯定的に捉えているように感じられるのではないでしょうか。生来の女性が持つ自由な姿を、開放的に表現するようになりました。

女性画家⑮草間彌生(くさま やよい、1929-)

現代の日本を代表する前衛芸術家、草間彌生。水玉模様やかぼちゃのモチーフで知られる「水玉の女王」です。絵画のみならず、立体作品やパフォーマンスでも高く評価されています。

長野県に生まれた彼女は、幼い頃から幻覚や幻聴に悩まされていました。絵を描いている間だけはそれらを忘れられるため、夢中で絵に取り組んだそうです。

1957年、28歳でアメリカに渡り、ニューヨークで作品を発表。細かい網目の模様を描いてキャンバスを埋め尽くした「無限の網の目」はその斬新さでアートシーンを揺るがし、前衛芸術家として世界から注目される存在となりました。

彼女が見ていた幻覚は、目に映るものが水玉に覆われるというもの。草間さんの絵に水玉がよく登場するのは、彼女にとって水玉は克服すべきものだったからです。

しかし表現を深めるにつれ、草間さんは水玉と和解できたように思えます。永遠の愛や希望、平和への祈りを込めた作品にも水玉が登場するのは、無限の広がりに明るいイメージを重ねているからではないでしょうか。

なぜ有名な「女性画家」は少ないのか?

たしかに存在したにも関わらず、美術史における存在感が弱い女性画家たち。そもそも人数が少ないようにも見えるのですが、一体なぜ女性画家は目立たないのでしょうか?

その理由のうち、代表的なものを3つ挙げてみましょう。

①美術教育へのアクセス制限
②社会的にはびこっていた偏見
③姓が変わることによる研究の難しさ

理由①美術教育へのアクセス制限

女性画家15選28メアリー・カサット《麦藁帽子の子供》, Public domain, via Wikimedia Commons.

現代では男子も女子も同じ教育を受けてしかるべし、と考えられていますが、そうではない時代が長く続きました。これはヨーロッパでも日本でも同様です。

フランスでは17世紀に美術アカデミーが設立され、画家志望の若者は美術を学問として体系的に学べるようになりましたが、これは男性に限った話。長らく女性の入学は認められず、19世紀に認められてからも、ヌードデッサンは女性には禁じられてきました。

女性画家15選29シュザンヌ・ヴァラドン《アダムとイヴ》, Public domain, via Wikimedia Commons.

学校に入れないので、女性たちは画家の先生から個人指導を受けて画家を目指すことに。また、美術館に通って作品を模写し、独学を通して上達した女性画家もいます。

理由②社会的にはびこっていた偏見

女性画家15選30上村松園《花がたみ》, Public domain, via Wikimedia Commons.

女性に美術教育の機会が与えられなかった背景には、女性を家庭に属する性として扱ってきた社会の構造もあります。趣味として絵を描くだけなら「良い所のお嬢さんなのね」と放任していた"社会"が、画家として家庭の外に出ようとした女性に「ちょっと待った!」を突きつけてくるのです。

女性画家15選31ベルト・モリゾ《ブージヴァルの庭のウジェーヌ・マネと娘》, Public domain, via Wikimedia Commons.

たとえばベルト・モリゾの画作は趣味の延長と見なされがちで、印象派の主要メンバーだったにも関わらず十分な評価を得られていません。日本でも女性を取り巻く状況は似ていて、葛飾応為の絵を北斎の名前で世に出したのも、女性画家への偏見ゆえではないかと思います。

理由③姓が変わることによる研究の難しさ

女性画家15選32

また、女性は結婚で名字が変わることが多く、記録をたどるのが難しいという課題もあります。現代の研究者が女性画家について知りたくても、記録された氏名に一貫性がないため、満足のいく調査ができないことも多々あるそう。

ですが、そもそも画家は本名でない名前でも活動できますし、男性画家で画号がころころ変わった人もいます。問題の本質は名字が変わることではなく、他のところにあるのでは? と思ってしまいますが…。

【まとめ】女性画家たちの歩みとこれから

女性画家15選33

「明菜ちゃんはピンクが好きよね? 青は男の子の色でしょう?」

田舎の幼稚園に通っていた頃、私が大人たちから言われてきたことです。私は青が好きなのに…。

青が好きだと言えば、聞こえなかったことにされる。しかしピンクが好きだと言うのは、負けたみたいで悔しい。そんな私は、5歳児なりに譲歩して「黄色が好き」と答えていました。

当時はたしか平成8年あたり。30年ほどの時が経ち、社会や人の変化を私も肌で感じてはいます。…いますけれども、性別と期待される役割は、男女ともに今も強く結びつけられたままである、とも思います。

女性画家15選34ジョージア・オキーフ《Blue 1》, Public domain, via Wikimedia Commons.

ですが、上記に挙げた国内外の女性画家たちはどうでしょうか? 数多のしがらみに縛られながらも、自由な色彩でそれぞれの美を表現していたはずです。そうした女性画家は上記に挙げた以外にもいますし、これからも発掘されていくでしょう。

女性画家の系譜を見ていくと、何百年もの時間をかけて、女性たちが道を切り開いて自由を手にしていった様子がうかがえます。これからの美術の展開も楽しみであると同時に、絵画から受け取ったメッセージを次の世代に伝えることも、私たちの使命なのかな、なんて。

女性画家15選35エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン《自画像》, Public domain, via Wikimedia Commons.

私も最初から「青が好き!」と言えば良かったのです。私の忖度は大人たちにそのまま受け取られ、与えられる持ち物はすべて黄色に。誰も得をしない結果になりました。

男性中心の社会で割を食うのは女性だけでなく、多くの男性にも当てはまります。あらゆる人がまずまず快適に生きられる世界を目指して、美術はこれからも発展していくのだろうと思います。

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明菜

明菜

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美術ブロガー/ライター。美術ブログ「アートの定理」をはじめ、各種メディアで美術館巡りの楽しさを発信している。西洋美術、日本美術、現代アート、建築や装飾など、多岐にわたるジャンルを紹介。人よりも猫やスズメなど動物に好かれる体質のため、可愛い動物の写真や動画もSNSで発信している。

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