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2025.4.28
女性画家ベルト・モリゾの軌跡 19世紀の印象派に刻んだ才能と家族愛
ベルト・モリゾは、19世紀フランスに生きた印象派を代表する女性画家です。男性中心の美術界において、自らの才能を信じて絵画の道を切り開いた彼女。その背後には、家族の支えやエドゥアール・マネとの運命的な出会いがありました。
モリゾは繊細な色彩と柔らかな筆致で、家族愛や日常の温かさを描き続け、やがて印象派の中でも異彩を放つ存在となります。しかし、女性が画家として認められにくい時代において、数々の困難を乗り越えなければなりませんでした。
今回は、彼女の生涯や芸術作品、そして絵画に込められた思いをひも解きながら、ベルト・モリゾという画家の魅力に迫ります。
目次
ベルト・モリゾ『ワイト島のウジェーヌ・マネ』:File:Berthe Morisot - Eugène Manet à l'île de Wight.jpg , Public domain, via Wikimedia Commons.
ベルト・モリゾ:自分の芸術と人生を切り開いた彼女の生い立ち
エドュワール・マネ『すみれの花束をつけたベルト・モリゾ』:Edouard Manet - Berthe Morisot With a Bouquet of Violets - Google Art Project.jpg, Public domain, via Wikimedia Commons.
モリゾが絵に出会うまで
1814年1月14日、ベルト・モリゾはフランスのブルージュという町で生まれています。モリゾの父は高級官僚、母はロココ時代の有名画家ジャン・オノレ・フラゴナールの家系。上流階級の家に生まれたモリゾには、画家の血が流れていました。
モリゾの母は、彼女と彼女の姉に、父親の誕生日に絵をプレゼントすることを思いついたことから、二人を絵画教室に連れて行ったそう。これが、モリゾが絵を学びはじめるきっかけでした。この時の絵の先生が、ジョセフ・ギシャールです。
ギシャールから絵の才能を高く評価されましたが、将来彼女たちが画家になることを心配されていました。この頃の女性は、趣味の範囲を超えて絵を描くことをタブーとする雰囲気があったからです。女性というだけで、国立美術学校の入学が許されない時代でした。
彼女たちの絵の才能が伸びたのは、彼女たちの両親が子どもの才能を伸ばすことに理解があったからと言えます。
モリゾは、姉のエドマと一緒にルーヴル美術館に行き、繰り返し模写することで腕を上げていきました。女性が一人で外出することが厳しい時代でも、親が付き合ってくれたおかげで、外でも写生できたのです。
この過程で、後に印象派の仲間となる画家たちと出会います。
モリゾと画家エドゥアール・マネの出会い
1868年、モリゾはルーヴル美術館で運命的な出会いをします。画家エドゥアール・マネです。マネは『草上の昼食』や『オランピア』で、絵画会にスキャンダルを巻き起こしていました。
マネはモリゾの美しさに魅了され、彼女にモデルをするように頼みます。モリゾは彼の絵のモデルになった時点で、かなりマネに惚れ込んでいたようです。妻のいるマネでしたが、彼の思わせぶりな態度が彼女をそうさせたのでしょう…。二人の恋愛関係が噂されたようですが、本当のところはわかっていません。
モリゾはマネの弟子を志願していましたが、マネは「弟子を取るつもりはない」と言って弟子入りを拒否していました。しかしその後、マネはエヴァ・ゴンズザレスを弟子にします。この時のモリゾの気持ちは、憤りでいっぱいだったのではないでしょうか。
彼女の残した記録からは、エヴァをライバル視していた様子が伺えます。かなり嫉妬していたようです。
マネの妻や弟子のゴンザレスはふくよかな体型であり、細身のモリゾはマネの好みではなかったのかもしれません。一方、絵に関しては、モリゾとマネはお互いに影響しあい、自分の作品に反映していきました。
*エドゥアール・マネに関しては、こちらの記事も参考にしてみてください。
マネの反対を押し切り印象派へ
マネとの関係に複雑な気持ちを持っていたモリゾ。彼と出会って6年が経ち、モリゾは30歳を過ぎてしまいます。1874年、モリゾはマネから離れることを決意するのです。それが、4月の印象派展への参加でした。
彼女はマネの反対を押し切り、印象派の創立メンバーの一人として、ルノワールやドガ、セザンヌとともに作品を発表します。
マネの弟と結婚
ベルト・モリゾ『ワイト島のウジェーヌ・マネ』:File:Berthe Morisot - Eugène Manet à l'île de Wight.jpg , Public domain, via Wikimedia Commons.
さらに、モリゾはこの年の10月にエドゥアール・マネの弟ウジェーヌ・マネと結婚します。ウジェーヌ・マネは、兄を想うモリゾの様子をずっとそばで見ていました。妻がいながらも複数の女の心を翻弄するエドゥアール。ウジェーヌは兄との恋を諦めるよう、モリゾに言っていたのかもしれません。
モリゾはエドゥアールの弟ウジェーヌと結婚したことで、エドゥアール・マネと6年間続いた関係に終止符を打ちました。
夫ウジェーヌ・マネがモリゾの芸術活動を後押しする
ウジェーヌ・マネも画家でいた時期がありますが、あまり冴えない作品だったようです。
ウジェーヌは、兄エドゥアールの制作活動を間近で見てきた影響もあり、当時としては珍しく、妻モリゾが女性画家として活動することを理解し、サポートしていました。妻の絵画作品のモデルを務めたり、印象派グループ展の企画運営に関わったりしていました。
妻の作品展示を管理したりするだけでなく、戸外で制作を行う際には荷物運びも手伝い、裏方としてモリゾを支えたのです。
女性が画家として生きていくのが難しい時代にモリゾが絵を描き続けられたのは、夫からの全面的な協力があったからでしょう。
印象派を追求するモリゾ
ウジェーヌと結婚してからしばらくは、エドゥアールの影響を受けた作品が多く見受けられますが、印象派として徐々に独自の作風に変化していきます。
この頃、モリゾを心配した母親が、絵の先生だったギシャールに、今後の活動について相談したことがありました。
モリゾは母親から印象派メンバーとの付き合いや、印象派展への参加をやめるよう促されたようですが、「私はこの道でいきます」と返したようです。印象派としての活動を決意していたということですね。
「物の形がわからない」「何が書いてあるかわからない」「色があるだけじゃないか」など、数々の批評を受けていきますが、モリゾは独自の筆使いや色の表現などを追求していきます。
印象派展は12年間の間に8回開かれていますが、モリゾが39歳の時に一人娘のジュリーを産んだ時1度不参加だった以外は、すべての会に参加しています。
印象展が終わった後から人気になるも、54歳で生涯を遂げる
印象派展に出ている頃は批評ばかり受けていたモリゾ。ブレイクしたのは1892年からです。モリゾが51歳の時でした。
この時、ゴッホの弟テオファン・ゴッホがコーディネイトした個展で、ようやくモリゾの作品は受け入れられました。この年、夫が死亡しています。
夫が死亡してから3年後の1895年、モリゾは16歳のジュリーを残し54歳でこの世を去りました。
裕福な家庭・親や夫の理解がモリゾの画家人生を支えた
ルノワールが描いたベルト・モリゾと娘ジュリー:File:Pierre Auguste Renoir - Portrait Berthe Morisot and daughter Julie.jpg , Public domain, via Wikimedia Commons.
女性が絵を本格的に学んだり、画家になったりすることがとても難しい時代に、彼女が認知されるまで描き続けられたのには2つの要因があります。
一つは家族が裕福だったことです。モリゾの家も、結婚相手のウジェーヌ・マネの家もどちらも経済的に豊かでした。作品が売れなくても、生活に困らなかったことは、彼女が安心して絵を描ける要因だったことでしょう。
もう一つは、両家とも女性であるモリゾの才能や時代を先ゆく考え方を理解しようとしていたことです。才能があっても、身内の理解を得られずにいた女性画家もいたことでしょう。
モリゾの画家人生を支えたのは、周りの家族でした。
家族愛・子どもを可愛く描くモリゾは、当時の西洋絵画の先駆けとなった存在
ベルト・モリゾ『Femme et enfant au balcon』:File:Berthe morisot femme et enfant au balcon.jpg, Public domain, via Wikimedia Commons.
モリゾは、心が通いあう家族のひとときを描くのがとても上手な画家です。ウジェーヌ・マネと結婚し娘のジュリーが生まれてから、さらに多くの家族の絵を描きました。
娘が椅子にちょこんと座っている様子や、夢中になっておもちゃで遊んでいる様子など、子どもの可愛らしさを抜群にうまく捉えています。
この頃の西洋絵画は、子どもを可愛らしく描くという概念がほぼありませんでした。モリゾは時代に先駆けて、新しい表現法を世に伝えたのです。
ベルト・モリゾの代表的な芸術作品
ゆりかご(1872年)
ベルト・モリゾ『ゆりかご』:File:Berthe Morisot, Le berceau (The Cradle), 1872.jpg, Public domain, via Wikimedia Commons.
『ゆりかご』は、1874年の第1回印象派展に出品された作品です。結婚によって画家の道を断たれた姉エドマとその娘ブランシュが描かれています。黒の縦縞の衣装を纏ったエドマが我が子を慈しむ姿が印象的です。
ブランシュは薄いヴェールに包まれ、穏やかに眠っています。母性を強調する構図や透明感を持つ画面表現が特徴で、母と子の存在感に差をつけた構成は、当時としては斬新だったようです。
ベランダにて(1884年)
【今日は #こどもの日】ベルト・モリゾ《ベランダにて》でこちらに背中を向けているのは画家の娘ジュリー。わが子に向ける親密なまなざしが感じられる一枚です。素早い筆致からは、樹々の清々しさや、そこから差し込む陽の光のきらめきや温かさまで感じられるかのようです🌳✨#ポーラ美術館 #箱根 pic.twitter.com/75rvU198Pi
— ポーラ美術館【公式】 (@polamuseumofart) May 5, 2024
柔らかな陽光が差し込むサンルーム。机に向かっているモリゾの娘ジュリーが、白い花のようなものを手にしていますね。ふっくらとした頬がとても印象的です。
化粧をする後向きの若い娘(1880年)
ベルト・モリゾ『化粧をする後向きの若い娘』:File:Berthe Morisot - Woman at Her Toilette - 1924.127 - Art Institute of Chicago.jpg, Public domain, via Wikimedia Commons.
1876年の第2回印象派展に出品された作品です。鏡の前で化粧を整える若い娘の後ろ姿を描き、女性特有の視点で当時の流行や日常を映し出しています。鋭利で大胆な筆致や淡彩の色彩が印象性を強調。ロココ美術の影響も指摘されています。
日本でベルト・モリゾの作品が見られる美術館
東京富士美術館(東京都)
『テラスにて』(1874年)、『バラ色の服の少女』(1888年)を所蔵しています。
東京富士美術館HP
国立西洋美術館(東京都)
『黒いドレスの女性』(1875年)を所蔵しています。
国立西洋美術館HP
ポーラ美術館(神奈川県)
『ベランダにて』(1884年)を所蔵しています。
ポーラ美術館公式HP
まとめ
女性が画家を目指すのが難しい時代に生まれたベルト・モリゾ。裕福で理解のある家庭環境のおかげで、彼女は才能を伸ばすことができました。
妻のいるエドゥアール・マネに恋をしていたのかは謎に包まれていますが、彼の弟子になることを望んでいたようです。マネに弟子にしてもらえず、複雑な間柄で6年ほど過ごした後、モリゾは彼と距離をおく決意をします。
そして彼女はエドゥアールの反対を押し切り印象派展へ参加し、さらにエドゥアールの弟と結婚をするのです。結婚後は夫の支援を受けながら絵を描き続けました。家族愛を表現することに長けていたモリゾは、夫や一人娘のジュリーなどの作品を多く残しています。
印象派として表現を追求し続けた女性画家、ベルト・モリゾ。日本での作品数はあまり多くありませんが、ぜひ直接足を運んで、その繊細な色彩を体感してください!

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本の執筆をメインに活動中。イロハニアートでは「難しい言葉をわかりやすく。アートの入り口を広げたい」と奮闘する。幼い頃から作品を作るのも見るのも好き。40代の現在も、自然にある素材や家庭から出る廃材を使って作品を作ることも。美術館から小規模のギャラリーまで足を運んで、アート空間を堪能している。
本の執筆をメインに活動中。イロハニアートでは「難しい言葉をわかりやすく。アートの入り口を広げたい」と奮闘する。幼い頃から作品を作るのも見るのも好き。40代の現在も、自然にある素材や家庭から出る廃材を使って作品を作ることも。美術館から小規模のギャラリーまで足を運んで、アート空間を堪能している。
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