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STUDY

2026.5.7

【かわいい縄文芸術の動物たち】多様なフィギュアはなぜ作られた?縄文人の世界観を紐解く

躍動感溢れる縄文土器や神秘的な土偶……

これこそまさに縄文芸術の醍醐味ですが、その傍らでは、粘土でできた小さな動物たちに命が吹き込まれていました。 イノシシ、クマ、イヌ、サル、トリ、カメ、フクロウ、シャチ、マキガイ、そして何であるかわからない不思議な生き物たち。

思わず笑みがこぼれてしまう可愛らしい動物たちは、どのような背景のもとで、なぜ作られたのでしょうか。縄文人と動物たちのかかわりから見えてくる、その豊かな造形を追ってみましょう。

小さな動物たちが作られた時代とは

小さな土の動物たちのほとんどは、東日本の縄文遺跡から見つかります。これらは「動物形土製品(どうぶつがたどせいひん)」と呼ばれ、土の人形である「土偶」と同じように、祭祀などの道具であったと考えられています。

1イヌ形土製品(複製)、宇都宮市藤岡神社遺跡出土 出典:Wikimedia Commons_①イヌ形土製品(複製)、宇都宮市藤岡神社遺跡出土 出典:Wikimedia Commons

けれども、動物形土製品の数はとても少なく、全国で確認されているのはわずかに数十点ほど。一方で土偶の数は約2万点にのぼるとされ、その数には歴然とした差があります。

土製品のモデルになった動物の割合はイノシシが約半数と最も多く、トリ、イヌ、クマなどが続きます。興味深いのは、北海道ではクマが最も多く作られており、その地域にゆかりのある動物が選ばれたという特性が見て取れることです。

動物形土製品はその希少さから、土偶の「動物版」とも、あるいは粘土を捏ねていた時の「思いつき」で作られたようにも思えます。ですがその細部を観察すると、そこには縄文人の動物に対する並々ならぬ想いが込められていることがわかります。

初めて「動物」がかたどられたのは、今からおよそ7000年前。最初に現れたのはイノシシでした。山梨県の遺跡から出土した土器の口縁部に、親指ほどの小さなイノシシの「顔」が付いたのです。

2動物装飾付把手 、北斗市茂辺地出土 出典:ColBase②動物装飾付把手 、北斗市茂辺地出土 出典:ColBase

それは、誕生してから数千年もの間、顔の表現がなかった土偶にようやく目鼻口が描かれるようになり、シンプルだった縄文土器に創造性豊かな造形が施されるようになる時期と重なります。

なぜ、この時期にこれほど多様な造形が生み出されたのでしょうか。

当時は、縄文時代の始まりから徐々に進んできた温暖化がピークを迎え、陸地の奥まで海が入り込む縄文海進(じょうもんかいしん)と呼ばれる現象がおこっていました。

海や川の恵みに加え、森には木の実が豊富になり、それに伴い狩りの対象である獣も増えていきました。人々は安定した食生活を送るようになり、人口が増え、大きな集落を作り生活するようになります。

コミュニティが形成されると、そこには豊かな文化が芽生えます。人々の輪を保つための祭祀が盛んに行われるようになり、そのための道具も発展していきました。

縄文土器も、調理道具としてだけでなく、装飾を加えた祭具としての役割を持つものが作られるようになり、用途による使い分けが始まります。その一例が、イノシシの顔が付いた深鉢形の土器だったと考えられています。

最重要な食料!?特別な動物「イノシシ」

土器にちょこんと付いていたイノシシは、やがて全身をかたどった「イノシシ形土製品」へと発展します。

3猪形土製品、つがる市木造亀ヶ岡出土 出典:ColBase③猪形土製品、つがる市木造亀ヶ岡出土 出典:ColBase

では数ある動物の中で、なぜイノシシが作られるようになったのでしょうか。

縄文人のゴミ捨て場とされる貝塚からは、彼らが食べたさまざまな動物の骨が見つかります。その中で特に多いのがイノシシとシカで、食料となった獣の80%近くを占めていました。

当時の主食は森の木の実でしたが、春から夏にかけてはほとんど収穫できません。夏の到来は過ごしやすい反面、実は食料不足の時期でもありました。これをカバーするために冬に獲物を多く確保し、備える必要がありました。

狩猟で得た肉は、燻製や干し肉にして保存食としました。なかでもイノシシとシカは、高たんぱくでビタミン豊富という極めて優秀な食材です。

ただ、両者には大きな違いがあります。シカは低脂質・低カロリーなのに対し、イノシシはたっぷりの脂肪を含んだ高カロリー食材です。 脂肪が摂れるイノシシは健康維持に役立ち、さらにその脂身の美味しさは、特に寒い冬に体を温めるご馳走として、縄文人たちに大いに好まれたことでしょう。

こうした背景から、狩猟に対する感謝の形としてイノシシがかたどられたのではないかと考えられそうです。また、一度に4〜5頭の子を産む多産な特性にあやかり、安産や子孫繁栄を願って作られたという説もあります。

イノシシ形土製品の造形に目を向けると、写実的な描写から大胆にデフォルメされたものまで実にバリエーション豊かで、胴体に土器と同じその地域独特の文様が刻まれているものもあります。

4猪形土製品、市原市能満上小貝塚出土 出典:Wikimedia Commons④猪形土製品、市原市能満上小貝塚出土 出典:Wikimedia Commons

また成獣ばかりでなく、子どもの「うりぼう」も作られています。こうした造形の幅広さからも、イノシシが特別な存在であったことがうかがえます。

ところで、同じように縄文人の胃袋を満たしていた「シカ」ですが、土器に文様として刻まれることはあっても、独立した立体物になった例はほとんど見られません。

シカは角が毎年生え変わるため、古来から「再生の象徴」とされています。しかし、イノシシの突進する力強さや多産という「目に見える生命エネルギー」の前には、造形の欲求を掻き立てられるには至らなかったのでしょうか。あるいは、後の時代のように「神の使い」として神聖化され、安易に形にできなかったという想像も膨らみます。

受け継がれる「クマ」への想い

今では恐ろしい存在の代名詞であるクマですが、北国の縄文人にとっては、肉・毛皮・牙・骨のすべてを余すことなく利用できる、かけがえのない存在でした。その証拠に、愛らしい「クマ形土製品」がいくつも見つかっています。

5クマ形土製品、弘前市尾上山遺跡(撮影者:田中義道)青森県立郷土館 出典:JOMON ARCHIVES⑤クマ形土製品、弘前市尾上山遺跡(撮影者:田中義道)青森県立郷土館 出典:JOMON ARCHIVES

クマ形土製品は墓の周辺や祭祀場と思われる場所から出土することもあり、神から授かった恵みとして、憧れと畏怖を抱く対象であったとされています。

縄文時代は銃はおろか金属の武器も無く、クマは今以上に恐ろしい存在で、クマによる被害も当然あったはずです。それでも縄文人たちはクマを愛らしくかたどり、儀式に用い、墓に供えました。縄文人がクマに込めた想いは、今の私たちには計り知れないものがあるようです。

クマとの関わりが多かったと思われる北海道では、縄文時代に続く続縄文時代(本州の弥生時代)にはクマを彫刻した祭具用のスプーンが作られ、さらにその後の時代にはクマの像が登場します。

そして近代アイヌは、捕獲したクマや飼育したクマを神に捧げる「クマ送り」という儀礼をおこなってきました。

6クマ形土製品 、青森市三内丸山(5)遺跡他出土(撮影者:田中義道)青森県埋蔵文化財調査センター 出典:JOMON ARCHIVES写真挿入 ⑥クマ形土製品 、青森市三内丸山(5)遺跡他出土(撮影者:田中義道)青森県埋蔵文化財調査センター 出典:JOMON ARCHIVES

こうした歴史の連続性を見ても、縄文人はクマを単なる獲物ではなく、常に畏敬の念を持って接してきたことがうかがえます。だからこそ、恐ろしい存在としてではなく、あえて親しみを感じさせる愛らしい姿を作り出したのかもしれません。

トーテムとしての可能性

最初に述べたように、動物形土製品のモデルとなった動物は10種類近くが確認されていますが、今から約4000年前以降の東日本では、特定の動物(イノシシ、クマ、イヌ、サル、トリ、マキガイ)だけが目立つようになります。

7猿形土製品、さいたま市真福寺貝塚出土 出典:ColBase⑦猿形土製品、さいたま市真福寺貝塚出土 出典:ColBase

それらは一つの遺跡からほぼ一種類だけが出土し、異なる時期に同じ動物が作られることもありました。人間の墓の近くに祭具と一緒に埋められたり、時には首をはねるなどの供養の痕が見られるものもあります。

また動物の胸あたりに、人間の女性と同じような乳房が表現されることもあり、人間と動物が「共通の母」から生まれたという世界観を表わしているとも言われます。

こうした状況から、これらの動物はトーテム(特定の集団を結びつける象徴)であった可能性が高いと考えられています。自分たちの集団のシンボルとして動物を掲げ、共通の先祖を敬うことで、一族の絆を深めていたというものです。

8異形土製品、東京都大田区下沼部貝塚出土 出典:ColBase⑧異形土製品、東京都大田区下沼部貝塚出土 出典:ColBase

この頃、気候の寒冷化によって山の恵みが減り、かつてのような大集落を維持することが難しくなりました。人々は分散して生活するようになり、時に同じトーテムを持つ集団同士が協力して、食料の確保や葬送の儀礼などをおこなっていたと考えられています。こうしたシステムは、厳しい環境を生き延びるための知恵だったと言えるのかもしれません。

また当時は列島各地を結ぶ道ができ、遠く離れた人々と物資の交換をするなど、縄文人の行動範囲は広がっていきました。そうしたときに、動物形土製品が自分の属する集団を示す「身分証」としての役割を果たしたとも考えられています。

深い観察眼から生まれた造形

動物形土製品は写実的なものからデフォルメされたものまでと幅広い造形が見られるように、本物そっくりに作ることが目的ではなかったようです。しかし縄文人たちは、驚くほど鋭い観察眼で、その動物の「本質」を造形に落とし込んでいます。

例えば、イノシシにはお尻の穴を作り、サルには頬袋(ほおぶくろ)を表現するなど、動物の身体的特徴を的確に把握していました。

なかでも北海道函館市で見つかった「シャチ形土製品」は、わずか6cmほどですが、シャチ独特のフォルムが見事に再現されています。特に、尾びれが水平に表現されている点は驚きです。魚の尾びれは垂直ですが、哺乳類であるシャチは水平。縄文人はその違いを熟知していました。

精悍な顔つきと天を突く背びれ。彼らにとってシャチは、海の幸をもたらす神か、あるいは人智を超えた力を振るう神だったのでしょうか。

9シャチ形土製品、函館市桔梗2遺跡出土 出典:Wikimedia Commons⑨シャチ形土製品、函館市桔梗2遺跡出土 出典:Wikimedia Commons

かわいらしい動物形土製品には、厳しい自然のなかで生きた縄文人の切実な祈りが込められています。しかしそれと同時に、単なる儀式の道具を超えた、現代の私たちがペットに向けるような「親愛」の眼差しも感じずにはいられません。

小さな動物たちは、今の私たちにも通じる心暖まる造形となって、縄文人の心を伝えてくれているようです。

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のんてり

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縄文ライター。10数年前に偶然出会った縄文土器の美しさに魅了され、以来全国の博物館や遺跡を廻っています。堅苦しく思われがちな縄文時代の土器や土偶、装飾品などを、ちょっと斜めから、アートの1つとして楽しんでいただけるように紹介していきます。

縄文ライター。10数年前に偶然出会った縄文土器の美しさに魅了され、以来全国の博物館や遺跡を廻っています。堅苦しく思われがちな縄文時代の土器や土偶、装飾品などを、ちょっと斜めから、アートの1つとして楽しんでいただけるように紹介していきます。

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