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STUDY

2025.10.23

映画『グレート・ミュージアム ハプスブルク家からの招待状』ウィーン美術史美術館の名画ブリューゲル《バベルの塔》を味わう

ヨーロッパ三大美術館の1つ、ウィーン美術史美術館。ウィーン美術史美術館の大規模改装に着目したのが、映画『グレート・ミュージアム ハプスブルク家からの招待状』です。絶大な権力を誇ったハプスブルク家の華麗なコレクションの重みが、スクリーン越しからでもひしひしと伝わってきます。

この記事では、『グレート・ミュージアム ハプスブルク家からの招待状』の映画としての魅力を解説。合わせて、同美術館の代表作であるピーテル・ブリューゲル《バベルの塔》の特徴と背景をわかりやすく紹介します。

映画『グレート・ミュージアム ハプスブルク家からの招待状』(2016)

ウィーン美術史美術館は、オーストリアの首都に位置し、ハプスブルク家の王家コレクションに由来します。約700年間ヨーロッパで権力を持った名門だけあり、ヨーロッパ三大美術館に数えられています。

カメラが大規模改装に密着し、芸術への愛、スタッフとしての誇り、伝統を守るという責任を胸に、プロフェッショナルたちが奮闘する姿を収めました。インタビューや音楽は一切ないため、本当に美術館の舞台裏へ紛れ込んでしまったように感じられるでしょう。

ウィーン美術史美術館は、芸術を愛する風土で育まれ、2026年に創立135周年を迎えます。今回はその「伝統」に注目し、同美術館の目玉、ピーテル・ブリューゲル《バベルの塔》を解説したいと思います。

《バベルの塔》を描いたピーテル・ブリューゲル

1024px-Wierix,_Johannes_(attributed_to)_-_Portrait_of_Pieter_Brueghel_(I)_-_1572_-_RP-P-1907-593_croppedヨハネス・ウィーリクス《ピーテル・ブリューゲル1世の肖像》(1582)/アムステルダム国立美術館, Public domain, via Wikimedia Commons.

ピーテル・ブリューゲルの生年月日は不確定で、1526年〜1530年と推測されています。この記事では参考文献に基づき、1526年と仮定しました。また、ネーデルラント(※)で生まれたとされていますが、出生地も不明です。
※ネーデルラント:現在のベルギー、オランダ、ルクセンブルクにまたがる地域。ブリューゲルが暮らしたアントワープとブリュッセルは、現在のベルギーに位置する。

ブリューゲルのアントワープ時代

1024px-Pieter_Bruegel_the_Elder_-_1554_-_Wooded_Landscape_with_a_Distant_View_toward_the_Seaピーテル・ブリューゲル《海の遠景を望む林間風景》(1554)/ハーバード大学フォッグ美術館, Public domain, via Wikimedia Commons.

1540年、ブリューゲルはピーテル・クック・ヴァン・アールストに弟子入りします。クックは、イタリアでルネサンス絵画を学んだ、ネーデルラントを代表するロマニストでした。神聖ローマ皇帝カール5世に宮廷画家として仕え、建築理論書の翻訳もする知識人だったそうです。

クックが亡くなった後、ピーテル・バルテンスの助手として、ブリューゲルはシント・ロンバウト大聖堂の祭壇画を手伝いました。26歳から28歳まではイタリアへ旅行し、古代ローマの遺跡やルネサンスの宮殿を見学したと考えられています。そこで見た景色が《バベルの塔》にも活かされたのでしょう。

1554年に帰国すると、大手版画出版業者のヒエロニムス・コックで下絵画家として活動します。彼によるアルプスの大風景画シリーズは大人気でした。版画は彼にとって、油彩画制作の「着想源」や「原動力」になっていたのではないか、と注目されています。

ブリューゲルのブリュッセル時代

1563年、ブリューゲルはクックの娘と結婚し、ブリュッセルへ移住します。彼を招聘したのは、アントワーヌ・ペルト・ド・グランヴェルという枢機卿(ローマ・カトリック教皇の最高顧問)でした。芸術家のパトロンとして有名だった枢機卿は、ブリューゲルを高く評価し、《エジプトへの逃避途上の風景》などを注文しました。

1024px-Pieter_Bruegel_der_Ältere_-_Landschaft_mit_der_Flucht_nach_Ägyptenピーテル・ブリューゲル《エジプトへの逃避途上の風景》(1562)/コートールド美術館, Public domain, via Wikimedia Commons.

しかし、パトロンとの関係は約8ヶ月で終了します。枢機卿が過酷な異端裁判を実施したことで、ネーデルラントの民衆から批判を集め、祖国への帰国を命じられたのです。

1565年以降、ブリューゲルは農民画や寓意画を多く制作するようになりました。例えば《怠け者の天国》では、身分や職業に関係なく、人間の貪食や怠惰を追求しています。足の生えたゆで卵、ナイフが刺さったまま走る豚の丸焼きなど、ユーモラスなモチーフを用いることで、多くの人間が夢見る「悦楽の世界」への落とし穴を描きました。

1024px-Pieter_Bruegel_d._Ä._(1525-1569)_-_Das_Schlaraffenland_-_8940_-_Bavarian_State_Painting_Collectionsピーテル・ブリューゲル《怠け者の天国》(1567)/アルテ・ピナコテーク, Public domain, via Wikimedia Commons.

《バベルの塔》と3つの特徴

ブリューゲルは生涯に3枚の《バベルの塔》を描いたと考えられています。イタリア旅行で見たコロッセオがモデルとされ、1枚目はイタリア旅行中に制作されましたが、現存しません。残り2枚は「大バベル」「小バベル」と区別され、前者がウィーン美術史美術館に所蔵されています。

1024px-Pieter_Bruegel_the_Elder_-_The_Tower_of_Babel_(Vienna)_-_Google_Art_Project (1)ピーテル・ブリューゲル《バベルの塔》(1563)/ウィーン美術史美術館, Public domain, via Wikimedia Commons.

作品の主題は、旧約聖書の「創世記」に登場する物語です。天まで届く塔を作ろうとした人間を罰するため、神は、建設中の職人たちの言葉を通じなくしてしまいました。《バベルの塔》は「神の怒り」を表現しているのです。

特徴①最先端の建設風景

ブリューゲルunnamed『バベルの塔』拡大, Public domain, IIP image.

絵をよく見ると、高層建築に必要な巻き上げ機や滑車など、様々な機材が描かれています。塔の各層に取り付けられたクレーンは、当時の建設現場で使用されたものです。ブリューゲルが暮らしていた時期、アントワープは建設ラッシュでした。現場を訪れ、最新の機材や道具、作業方法などをスケッチし、制作に活用したと考えられます。

特徴②細かい筆致

ブリューゲルunnamed (1)『バベルの塔』拡大, Public domain, IIP image.

職人や家畜、帆船、住宅が細かく描き分けられているのも驚きです。労働者の作業の様子だけでなく、洗濯物や料理中の鍋など、人々の日常生活まで伺えます。

特徴③複雑な構造

特徴③複雑な構造『バベルの塔』拡大, Public domain, IIP image.

塔は8階まで建設中ですが、構造がとても複雑です。どこまで建てようとしているのか分かりません。螺旋状の周歩廊(キリスト教会建築における半円状の通路)は岩山のままで、通行できない場所もあります。

中世においても、《バベルの塔》はステンドグラス、フレスコ、板絵などで表現されてきました。しかしブリューゲルは、それまでにない規模で塔の建設を描き、人間の尊大さや神への愚かな挑戦を風刺的に表現したのです。だからこそ建物の構造も矛盾が多く、「永遠に塔は完成しない」と示唆しているのではないでしょうか。

《バベルの塔》とハプスブルク家

もともと「大バベル」は、当時のスペイン王で、ネーデルラントの統治者フェリーペ2世について、圧政政治を批判していると解釈されていました。一方、「小バベル」にはローマ・カトリック教会への批判があると読まれてきました。

ただ、2枚の《バベルの塔》は、どちらも敬虔なキリスト教徒だったハプスブルク家のコレクションに入っていたため、当時の状況と矛盾します。ブリューゲルが枢機卿の支援を受けていたことも踏まえると、その意図はなかったとも考えられるのです。

そこで《バベルの塔》に「不可能を可能にする」という意味を見出す研究者もいます。ユートピアを建設するため、人々は挑戦します。しかし、神の目には虚しく、傲慢な行為と映るため、人間は懲罰を受けるのです。絵画で教訓を共有する。当時の人々が画家に求めていた役割は、ここにあったのではないでしょうか。

「人間の挑戦」と「神の怒り」を描いた名画

《バベルの塔》は、聖書の物語をもとに、人間の理想と限界を描いた傑作です。建築のリアリティや細やかな筆づかい、矛盾をはらんだ構造が、完成することのない夢を象徴しています。こうした背景を少し知るだけで、もっと好奇心の踊る鑑賞体験ができますよ。

◆参考文献

● 森洋子(2017年)『ブリューゲルの世界』新潮社

● 小池寿子・廣川暁生(監修)(2017年)『ブリューゲルへの招待』朝日新聞出版

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神谷小夜子

神谷小夜子

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ライター。若手社会人応援メディアや演劇紹介メディアを中心に活動中。ぬいぐるみと本をこよなく愛しています。アート作品では特に、クロード・モネ《桃の入った瓶》がお気に入りです。

ライター。若手社会人応援メディアや演劇紹介メディアを中心に活動中。ぬいぐるみと本をこよなく愛しています。アート作品では特に、クロード・モネ《桃の入った瓶》がお気に入りです。

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