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2025.8.8

フランス漫画の父、ギュスターヴ・ドレってどんな人? ~現代アートにも大きく影響~

19世紀にフランスで活躍した画家、ギュスターヴ・ドレをご存知でしょうか。

ギュスターヴ・ドレは『神曲』をはじめとする名作の挿絵で世界的な名声を得た、「イラストレーションの巨匠」と呼べる人物です。また、「フランスの漫画の父」ともいえる存在として知られています。

ギュスターヴ・ドレ 肖像画ギュスターヴ・ドレ 肖像画, Public domain, via Wikimedia Commons.

ドレは12歳で初の画集を出版し、15歳から本格的な画家活動を始め、51歳で亡くなるまでに1万点以上もの作品を残しました。緻密で幻想的な作風は、現在のフランス語圏漫画「バンドデシネ」の原点ともなっています。

この記事では、ドレの波瀾万丈な人生と、現代アートにも影響を与えている彼の芸術的遺産について、アート初心者の方にもわかりやすく解説します。

「フランスの漫画の父」の知られざる魅力を知り、19世紀ヨーロッパの文化的背景についても学べます。

ギュスターヴ・ドレの生涯:19世紀フランスが生んだ早熟な天才画家

ダンテの神曲内挿絵ダンテの神曲内挿絵『Paradiso Canto 31』, Public domain, via Wikimedia Commons.

ポール・ギュスターヴ・ドレ(1832年1月6日~1888年1月23日)は、フランス・アルザス地方のストラスブールに生まれました。

幼少期から並外れた才能を発揮したドレは、12歳で地元の印刷業者から自身のリトグラフ画集を出版しました。12歳なので、小学6年生が出版するような感じでしょうか。

この作品が注目を集め、パリの出版者シャルル・フィリポンに見初められたことで、ドレの運命は大きく変わります。

15歳でパリに移住したドレは、すぐに画家として活動を始めました。風刺雑誌『Journal pour rire』(嗤う新聞)で風刺画を描きながら他の作品も制作し、着実にキャリアを積み上げていきました。19歳からは油絵や彫刻にも挑戦しています。多才としか言いようがない…!

挿絵で有名になった! ~ダンテの神曲から聖書まで~

ダンテ『神曲』の表紙。ドレの挿絵。ダンテ『神曲』の表紙。ドレの挿絵。, Public domain, via Wikimedia Commons.

ドレが活躍した場は、挿絵画家としての活動でした。ドレの作品は歴史に残る名作ばかりです。

最も有名なのは、13〜14世紀の詩人ダンテ・アリギエーリの『神曲』の挿絵です。『神曲』は聖書に次ぐ世界最大の古典とも言われる超有名作品で、主人公ダンテが地獄・煉獄・天国を巡る壮大な物語です。ドレはこの複雑で深遠な作品世界を、緻密で幻想的な挿絵で見事に表現しました。

また、フランソワ・ラブレーやジョージ・ゴードン・バイロンの著書のほか、エドガー・アラン・ポーの『大鴉』など、文学作品の挿絵も多く手がけています。

1865年に出版された彼の挿絵入り聖書は大好評を博し、ヨーロッパ全土でその名が知られるようになりました。

ドレの挿絵の特徴は、なんといってもその圧倒的な細かさと表現力です。光と影の使い方、構図の巧みさ、そして幻想的でありながらリアリティを持った描写は、多くの人々を魅了しました。

バンドデシネの原点:風刺画を「芸術」にレベルアップさせた

美しい、ドラマチックで風刺的な聖ロシアの歴史,美しい、ドラマチックで風刺的な聖ロシアの歴史, Мальовнича, драматична та карикатурна історія Святої Русі, Public domain, via Wikimedia Commons.

現代のフランス語圏漫画「バンドデシネ」の原点として、ドレの風刺作品は特に重要な位置に立っています。

クリミア戦争の際、ドレは『神聖ロシア帝国の歴史』という作品を発表しました。これはロシアを風刺した画集で、残虐なシーンでありながらどこかコミカルな表現が特徴的でした。

この作品は、テキストとイラストを巧妙に組み合わせており、視覚的な機転を効かせた表現を実現しています。

この手法こそが、現在のバンドデシネの原型となったのです。日本の漫画とは異なる系譜を持つヨーロッパの漫画文化の出発点に、ドレの存在があるということになります。ドレが「フランス漫画の父」と呼ばれるのも納得できますね。

驚異的な作品数。36年間で1万点!

Gustave Doré - Crucifixion of Jesus, Public domain, via Wikimedia Commons.

ドレの創作活動は、量も質も共に驚異的でした。15歳から51歳で亡くなるまで活動期間は36年間で、決して長くはありません。しかし、その間に1万点以上もの作品を残しています。

1931年の調査によると、ドレの作品目録は以下のような内訳でした。
・イラストレーション:9,850枚
・音楽作品:68曲
・油絵:133枚
・水彩画:283枚
・素描:526枚
・彫刻:45体

数字を見るだけでも、ドレがいかに多才でエネルギッシュなアーティストだったかがわかりますね。しかも、それぞれの作品は単なる量産品ではなく、一つひとつが緻密で高品質な仕上がりを誇っていました。

これだけの活動量・作品数でしたから、ドレはフランス国外でも評判をよびました。特に、1869年にロンドンに開いたドレ画廊は大成功を収めました。彼の作品は、後世の多くのイラストレーターたちに強い影響を与え続けています。

社会派画家としての一面も ~産業革命の様子を描いた~

ドレは幻想的な挿絵だけでなく、同時代の社会情勢を描いた作品でも知られています。産業革命後のロンドンの貧民街を描いた作品は、当時の都市化やそれに伴う問題をリアルな描写で伝える貴重な記録となっています。

長屋形式の家々の前に座り込む人々、家畜、這いつくばって何かをしている人たち。
これらの描写は、産業革命によって急激に変化した都市生活の現実を物語っています。ドレの観察眼の鋭さと社会への関心の深さが伺えます。

ギュスターヴ・ドレの代表作

法廷から退場するキリスト

法廷から退場するキリスト法廷から退場するキリスト, Christ leaving the praetorium LCCN2003680648, Public domain, via Wikimedia Commons.

1867年から1872年にかけて制作された宗教画で、幅6メートル・高さ9メートルという巨大なサイズが圧倒的な作品です。

キリストがピラトの法廷から退場する新約聖書の場面を描いたもので、ドレが挿絵画家として名声を得た後に手がけた大型絵画作品の代表作の一つです。ドレの特徴である荘厳で劇的な表現が表れています。
(フランス、ストラスブール現代美術館に所蔵)

ダンテ『神曲』の挿絵

ダンテの14世紀の傑作『神曲』(地獄篇・煉獄篇・天国篇)を、19世紀のドレが140点近い木版画で視覚化した挿絵本です。1861年から1868年にかけて制作されました。

それぞれの挿絵はロマン主義的な情念を感じさせるドラマを壮大な背景の中に描き込んでいます。多数の挿絵により細かな場面をわかりやすくにビジュアル化した手法は美術史上画期的と評価されています。

『神聖ロシア帝国の歴史』

ギュスターヴ・ドレの『神聖ロシア帝国の歴史』の挿絵は、クリミア戦争の最中である1854年に制作されました。

戦端を開いたロシアをフランスとイギリスが風刺した政治的な画集で、ロシアの歴史を詳細に描写しています。

風刺的でありながらコミカルな表現が特徴で、バンド・デシネ(フランス語圏の漫画)の原型となる画集として美術史上重要な位置を占めています。

ロンドンの貧民街セブンダイアルズ

1869年から1873年にわたってロンドン市内のスラム街やアヘン窟などにも出向いて描いた180点の版画による『London: A Pilgrimage』の一部です。

長屋形式の住宅の前に座り込む人々、山羊のような家畜、這いつくばって何かしている人々など、産業革命によって都市化が起こった大都市の貧民街の実情を描いています。

写実的で社会的な視点による表現により、ヴィクトリア朝ロンドンにおける貧困問題が鮮烈に描かれています。

エドガー・アラン・ポーの『大鴉』の挿絵

1884年にニューヨークのHarper & Brothersから出版された挿絵本で制作です。

恋人レノアを失い嘆き悲しむ主人公のもとに大鴉が現れ、「Nevermore(もう二度とない)」という言葉を繰り返すことで主人公を絶望に追い込むというストーリーを、 ドレは26点の木版画で表現しました。

ドレの幻想的で劇的な表現力により、ポーの詩の超自然的な雰囲気と音楽性が見事に視覚化されています。前年1883年にドレは他界しているため、最後の作品となりました。

国内で見られるギュスターヴ・ドレの作品

生涯で1万点もの作品を残したドレですが、日本国内で見られる作品は2点のみです。
(ちょっと寂しいですよね)

『スコットランド風景』
島根県立美術館

『ラ・シエスタ、スペインの思い出』
国立西洋美術館

ドレの挿絵が入った書籍は、図書館や書店で探すことができます。
次のようなものがあります。

● セルバンテス『ドン・キホーテ物語』
● ダンテ『神曲』:

まとめ

ギュスターヴ・ドレは、産業革命により社会が大きく変わった19世紀という激動の時代に、伝統的でアカデミックな絵画とは異なる新しい表現の可能性を切り開いた革新的な画家でした。

12歳での画集出版から始まった彼の画家人生は、短くも濃く、現代に至るまで多方面にわたって影響を与え続けています。

彼の最大の功績は、文学作品と視覚芸術を見事に融合させ、物語の世界観を豊かに表現する「挿絵」という分野を芸術の高みまで押し上げたことです。また、風刺画を通じて現代のバンドデシネの基礎を築いたことも見逃せません。

日本でドレの作品を鑑賞できる機会は限られていますが、国立西洋美術館には『ラ・シエスタ スペインの思い出』が常設展示されています。海外に行かれる際は現地の美術館で作品をご覧になってくださいね。

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中森学

中森学

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セールスライター。マーケティングの観点から「アーティストが多くの人に知られるようになった背景には、何があるか?」を探るのが大好きです。わかりやすい文章を心がけ、アート初心者の方がアートにもっとハマる話題をお届けしたいと思います。SNS やブログでは「人を動かす伝え方」「資料作りのコツ」を発信。

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