LIFE
2026.5.25
【名画の舞台を巡る】幻想的な庭はどこにある?サージェントが描いた夕暮れの庭園『カーネーション、リリー、リリー、ローズ』
夕暮れの庭でランタンを灯す少女たちを描いた、サージェントの『カーネーション、リリー、リリー、ローズ』。まるで夢の中のような美しい作品ですが、実はこの風景には実在するモデルがあります。
舞台となったのは、イギリス・コッツウォルズ地方の村ブロードウェイにあった庭園です。
今回は、画家・サージェントが愛した風景を“名画の舞台”として巡ります。
目次
ジョン・シンガー・サージェント 「カーネーション、リリー、リリー、ローズ」 (1885), Public domain.
サージェントの『カーネーション、リリー、リリー、ローズ』とは
サージェントの『カーネーション、リリー、リリー、ローズ』は、現実の風景を描いているはずなのに、どこか夢のような空気をまとった作品です。
柔らかな花々に囲まれた夕暮れの庭、淡く揺れるランタンの灯り。サージェントは昼と夜の間の一瞬を描きました。実はこの作品が生まれた背景には、サージェント自身の転機も関係しています。
夕暮れに浮かぶ少女たち
『カーネーション、リリー、リリー、ローズ』では、夕暮れ時に二人の少女がそっとランタンに明かりを灯しています。
静かな森に咲く白い山百合, Public domain.
庭には淡いピンク色のバラが咲き、その間に鮮やかな黄色のカーネーションが顔をのぞかせています。奥に大きく伸びた白い花はユリです。このユリは、日本のヤマユリではないかともいわれています。
ジョン・シンガー・サージェント 「カーネーション、リリー、リリー、ローズ」 (1885), Public domain.
また、少女たちが手にしている丸いランタンにも注目しましょう。このランタンは蛇腹が描かれていることから、日本から輸入された提灯と考えられています。ヤマユリと合わせて、当時ヨーロッパで広がっていた“ジャポニズム”の流行が感じられるポイントのひとつです。西洋の庭園風景のなかに、日本文化の影響がさりげなく溶け込んでいます。
フレッド・バーナード, Public domain.
中央に描かれた2人のモデルはサージェントの友人であったイラストレーター、フレッド・バーナードの娘たち。幼い姉妹が夢中になって灯りをともす姿はどこか無邪気で、静かな夏の夕暮れの時間が描かれています。
代表作がきっかけ?パリを追われたサージェント
1885年の夏、サージェントはちょうどパリで起こった大きな騒動から離れるようにしてイギリスへ移り住んだばかりでした。
騒動のきっかけとなったのが、1884年に発表された『マダムXの肖像』。モデルとなったのは、美しくも悪名高いことで有名なヴィルジニー・ゴートロー夫人です。彼女の黒いドレス姿を描いた肖像画は、今ではサージェントの代表作として知られています。
マダムXの肖像, Public domain.
しかし『マダムXの肖像』は、当時のパリで大きな批判を浴びます。サロンに出品された当初、ドレスの肩紐が片方ずり落ちた姿で描かれていました。また作品名は「***夫人の肖像」と伏せられていたものの、人々はすぐにモデルがヴィルジニーだと気づきました。
絵の挑発的な雰囲気は「不道徳」「下品」とされ、批評家たちはサージェントを激しく非難します。画家として順調に名声を築いていたサージェントにとって、この騒動は大きな打撃となりました。彼はやがてパリを離れ、イギリスへ拠点を移します。その後はロンドンやアメリカで肖像画家として大きな成功を収めていくことになるのです。
そんな転機の時期に描かれたのが、『カーネーション、リリー、リリー、ローズ』でした。華やかな社交界から離れ、サージェントはやっと心を落ち着かせられたようにも感じられます。
作品の舞台は「コッツウォルズ」のブロードウェイ
『カーネーション、リリー、リリー、ローズ』の舞台となったのは、イギリス・コッツウォルズ地方の村、ブロードウェイにあるファームハウスの庭園です。
コッツウォルズは“イギリスで最も美しい村”とも呼ばれており、サージェントはこの土地で夏を過ごしながら、夕暮れの光に包まれた美しい庭を描きました。
イギリスで一番美しい村「コッツウォルズ」
コッツウォルズ地方はロンドンから北西へ約200km離れた場所に広がる、なだらかな丘陵地帯です。コッツウォルズとは「羊のいる丘」という意味で、牧草地や田園風景が続いています。
コッツウォルズ ブロードウェイの街並み, Public domain.
村には蜂蜜色をした石造りの家が並び、イギリス特有の曇り空さえ絵になるような風景は、“イギリスで最も美しい村”と呼ばれるのも納得です。
サージェントが滞在したブロードウェイも、そんなコッツウォルズを代表する村のひとつ。ブロードウェイ塔を初めとした芸術的な建造物が有名で、物語の中に入り込んだような気分になります。
また、コッツウォルズは映画『ハリー・ポッター』シリーズのロケ地としても知られており、人気の観光地です。映画のような景色を味わえる場所として、今も多くの人を惹きつけています。
花に囲まれた静かなファームハウス
『マダムXの肖像』の一件による喧騒から逃れるため、コッツウォルズ・ブロードウェイに移り住んだサージェントはファームハウスで1885年の夏を過ごします。
イギリスは南東部の田舎の景色, Public domain.
ファームハウスとは農場を営む家族や働く人々が暮らすための家を指し、広い土地と庭を持つことも多くありました。サージェントが描いた庭園も、そんな暮らしの風景の延長にあったものです。花々が自然に揺れ、少女たちを包み込むように広がっています。
空が輝くマジックアワーを追い求めたサージェント―制作秘話
サージェントが『カーネーション、リリー、リリー、ローズ』を描いたのは、日没後も空に淡い明るさが残る夕暮れ時。いわゆる“マジックアワー”と呼ばれる時間帯です。青い空に、ピンクや紫がゆっくり滲んでいくその瞬間は、風景を幻想的に演出する効果があります。
夕日 マジックアワーな空, Public domain.
サージェントはこの一瞬の光を逃さないため、1885年9月から11月にかけて毎日のように庭へ向かいました。庭が夕暮れの紫色に包まれ、理想的な光になるほんの数分間を狙って筆を動かしていたといわれています。
しかも本作は自然光のもとで描かれました。現在のように照明設備が整っていた時代ではなく、空の色やランタンの灯りが最も美しく見える瞬間を待つ必要があります。
一瞬を大切に描いたからこそ、写真では残しきれないような、夏の終わりの空気や静かな時間の流れが表れているのかもしれません。
舞台となった風景を検証してみよう
『カーネーション、リリー、リリー、ローズ』が今も多くの人を惹きつける理由は、単なる美しさだけではありません。庭に差し込む夕暮れの光や、ぼんやり浮かぶランタンの灯りには「本当にこんな景色があったのだろうか」と確かめたくなる不思議な魅力があります。
実際に舞台となったコッツウォルズの風景や、イギリス式庭園の特徴を知ると、サージェントが描こうとしていた日常が少しずつ見えてきます。
ここからは、絵の中の風景と現実の景色を検証してみましょう。
ー なぜ幻想的?ランタンの灯りに隠された工夫
作品のなかで特に印象的に描かれているのが、少女たちの手にしているランタンです。現在ではランタンというとインテリアやアウトドア用品のイメージもありますが、もともとは夜を照らすための実用的な明かりとして使われていました。
あふれる提灯, Public domain.
本作のランタンはいわゆる西洋の金属製のものではなく、日本から輸入された提灯。紙を通して光が広がるため、強く照らすのではなく、ふんわりと周囲を包み込むような明るさになるのが特徴です。
サージェントは、その繊細な光を夕暮れの空と一緒に描きました。マジックアワーの青やピンク、紫が混ざった光に、提灯の淡いオレンジ色が合わさることで、夢のような雰囲気が生まれています。
少女たちの白い服や花びらにも灯りがやさしく反射しており、強いコントラストではない点が幻想的な空気をつくっているのかもしれません。
自然を活かすイギリス式庭園の魅力
本作で描かれている庭はイギリス式となっています。幾何学的に配置されたフランス式庭園とは異なり、イギリス式庭園は「自然の美しさをそのまま楽しむ」のが特徴です。
フォンテーヌブロー城 イギリス庭園, Public domain.
草花や木々を風景の一部として自然に見せることが重視され、花壇をきっちり区切るというよりも植物が自由に広がります。庭そのものがひとつのアートです。
『カーネーション、リリー、リリー、ローズ』でも白いユリやピンクのバラ、黄色のカーネーションなど、さまざまな花が咲いています。タイトルにも使われている花々が庭いっぱいに広がり、整えすぎられていないからこそ日常になじんで見えます。
サージェントが見た景色は今も残っている?
サージェントが過ごしたコッツウォルズの風景は、100年以上経った今もどこか当時の空気を残しています。
コッツウォルズ, Public domain.
実はコッツウォルズが昔の景観を保つことになった背景には、少し皮肉な歴史もありました。18世紀に産業革命が進むと、地域を支えていた毛織物産業は次第に衰退していきます。
時代は綿製品、さらに大量生産される化学繊維へと移り変わり、コッツウォルズは経済の中心から取り残されていきました。しかし発展から取り残されたことが結果的に、古い街並みや自然風景を守ることにつながったともいわれています。
そして19世紀になると、今度はその穏やかな田園風景が再び注目を集めるようになります。産業革命によって都市生活に疲れた人々にとって、コッツウォルズの自然は癒やしの風景となりました。
20世紀以降は景観を活かした観光地として人気です。特に初夏から夏にかけては美しく咲き誇るバラを目当てに訪れる観光客が多くなっています。
【まとめ】夕暮れの庭に今も残る、サージェントの見た景色
『カーネーション、リリー、リリー、ローズ』に描かれた幻想的な庭は、サージェントの空想ではなく、コッツウォルズに実在した風景でした。夕暮れのわずかな光を追いかけ、自然に寄り添う庭や淡いランタンの灯りを描いたからこそ、特別な空気が漂っています。
舞台となった土地を知ることで一枚の絵はただの名画ではなく、画家が実際に見つめた景色として、身近に感じられるでしょう。
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アートの美しさや面白さを身近な視点で分かりやすく伝えます。お気に入りの絵画はミレーの『オフィーリア』。フリーランスのライターとして幅広いジャンルで執筆経験あり。趣味は観劇と洋画/海外ドラマ鑑賞。ヴァイオリンを習っています。
アートの美しさや面白さを身近な視点で分かりやすく伝えます。お気に入りの絵画はミレーの『オフィーリア』。フリーランスのライターとして幅広いジャンルで執筆経験あり。趣味は観劇と洋画/海外ドラマ鑑賞。ヴァイオリンを習っています。
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