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2025.9.24
【ターナーの人生と代表作】モネと似ている?印象派の先駆け?
目次
近代美術の花形である印象派・ポスト印象派の作品は、現在でも多くの展覧会が催され、その多くは大盛況を収める人気ぶりです。実際筆者も「美術はよくわからないけど、モネやゴッホは美しいと思う。」―――そんな意見を何度か耳にしたことがあります。
おそらくそれは、堅苦しい伝統芸術に対して印象派やポスト印象派の絵画は自由で、どこか親しみやすいイメージを抱く人が多いからではないでしょうか。
しかし、その他の多くの芸術様式と同様に、印象派も全く無の状態から突然変異的に生まれた芸術というわけではありません。いわゆる”伝統的な”絵画潮流の中にも、確実に新しい時代の幕開けにつながるような芸術を目指した人々がいました。
イギリスのロマン主義画家ウィリアム・ターナーは、そんな印象派の先駆けになる作品を残したことで知られます。
ウィリアム・ターナー - ロッテルダムからのドルト便船、風のない海上で, Joseph Mallord William Turner - Dort or Dordrecht- The Dort Packet-Boat from Rotterdam Becalmed - Google Art Project, Public domain, via Wikimedia Commons.
では、一見「優等生的」なターナーが、なぜ伝統的芸術から印象派への橋渡しのような位置づけにあるのでしょうか…?
この記事では、印象派前夜、すなわち新しい芸術が生まれるその直前の18世紀末から19世紀前半にかけて活躍したターナーの作風や代表作について詳しく紹介します。
イギリスロマン主義画家ウィリアム・ターナーの人生
プロクリスとケファロス - 1808年頃 - ウィリアム・ターナー - テート・ブリテン, (Barcelona) Procris and Cephalus - c.1808 - William Turner - Tate Britain, Public domain, via Wikimedia Commons.
ウィリアム・ターナー(1775年4月23日 - 1851年12月19日)は、おそらくイギリスで最も愛されている芸術家です。ロンドンのテート・ブリテン美術館では彼の作品の前にいつも人だかりができており、イギリス国内のみならず諸外国からも高く評価されています。
ターナーはロンドンの中流階級の家庭に生まれ、1789年に14歳で王立芸術アカデミーに入学。アカデミー研修生として古代彫刻やヌードのデッサンを学び、学校が休みの期間にはイギリス中を旅しながら水彩画にも挑戦していました。
地形製図技師として生計を立てたキャリア初期
地形製図技師のトーマス・マルトンから最初の芸術的技術を学んだため、残されている初期のスケッチの多くは建築や遠近法の訓練です。このころの徹底した基礎があったおかげか、1807年にはアカデミーの遠近法教授に就任しています。
地形関連の仕事は、当時若い芸術家が安定した収入を得るのに適していたものの、ターナーは精力的に取り組んだわけではなかったようです。画家を目指していたターナーは、芸術表現以外の方法でお金を稼ぐことがあまり好きではなかったのかもしれませんね。
海と船を描き脚光を浴びる
ウィリアム・ターナー『漁師たち 海上で』, Joseph Mallord William Turner - Fishermen at Sea - Google Art Project, Public domain, via Wikimedia Commons.
1796年にターナーが発表した『漁師たち、海上で』が当時の批評家に評価され、瞬く間に彼の名声を押し上げました。この作品は、「ターナーといえば海景画」という彼の華々しいキャリアの皮切りといえます。
ターナーの描く海は、いつも穏やかで美しいわけではありません。ときには霧に包まれ、ときには朝焼けに照らされ、またときには嵐のなかで船を飲み込もうとしているように描かれていることもあります。彼の芸術的な想像力は、自然現象によって触発されました。
伝統的な風景画のセオリーでは、安定した晴天を牧歌的に描くことが一般的。しかし経済的に比較的安定していたターナーは、誰からも指示を受けることなく独自の探究心に従い、自然の恐ろしくも崇高な姿を描こうとしたのです。
立ち込める暗雲と、今にも荒波に飲まれそうになる船。遠くからは雷鳴が聞こえそうです。この緊張感と臨場感こそが、ターナーが追い求めたロマンだったのでしょう。
不機嫌で悲観的…気難しいターナーの性格
生涯を通して彼は結婚しませんでしたが、未亡人との間に2人の娘がいました。気難しく人付き合いを嫌う性格だったため、ターナーは芸術家としてのキャリアの中でもプライベートでも問題を抱えることが多かったそうです。
父親の死をきっかけにより悲観的になったターナーは、1830年頃からギャラリーを放置するようになりました。晩年のターナーの自暴自棄っぷりを表すエピソードとして、1841年の国勢調査の際にテムズ川にボートで漕ぎだし、住所不定者となった話が挙げられます。不健康な生活のなかで、1851年に76歳で亡くなりました。
ターナーの代表作3選
ターナーの代表作『吹雪:港の沖で難破する蒸気船』『戦艦テメレール号の曳航』そして『雨、蒸気、スピード - グレート・ウェスタン鉄道』を紹介します。
ターナー代表作①『吹雪:港の沖で難破する蒸気船』
ウィリアム・ターナー『吹雪:港の沖で難破する蒸気船』, Joseph Mallord William Turner - Snow Storm - Steam-Boat off a Harbour's Mouth - WGA23178, Public domain, via Wikimedia Commons.
1842年に描かれた『吹雪:港の沖で難破する蒸気船』は、ターナー作品のなかでももっとも大胆な作品といえます。吹雪に直面した蒸気船は、黒い煙をあげて傾いており、まるで渦のなかに飲み込まれていくよう…
中心にある蒸気船を囲むように描かれた無数の白や黒の線は、船を襲う吹雪なのか波なのか、もはやはっきりした区別はつきません。薄暗がりと悪天候のなか、世界がほんとうに渦巻いているような恐怖を船乗りたちは味わっていたのでしょう。
ターナーは、この作品を制作するにあたり、「船員たちに、4時間もの間、嵐を観察するために、私をマストに縛り付けてもらった」と述べています。この逸話が真実かどうかはわかりませんが、本当なのではないかと思えるほどの臨場感がありますよね。
批評家たちの「石鹸の泡や白亜の塗料」という批判に対してもターナーは、「理解されるために描いたのではなく、その光景がどのようなものかを表現したのだ」と反論したそうです。確かに、これは海上で感じる自然の恐怖を追体験させるための作品だ!と聞けば、なるほどと首を振って納得してしまいます。
ターナー代表作②『戦艦テメレール号の曳航』
ウィリアム・ターナー『戦艦テメレール号の曳航』, The Fighting Temeraire, JMW Turner, National Gallery, Public domain, via Wikimedia Commons.
1839年に描かれた『戦艦テメレール号の曳航』は、ターナー自身がもっとも愛した作品の1つであり、「金銭や恩恵など、いかなる理由があっても、私の最愛の作品を再び貸し出すことは決してないだろう」とコメントを残すほどでした。
本作は、1805年のトラファルガーの戦いで英雄的な活躍をしたテメレール号の最後の瞬間を描いています。役目を終えた戦艦は、テムズ川から造船所に運ばれ、解体されるのです。かつて偉大だったイギリス海軍に対する、ターナーの痛切な追悼を表するために描かれた作品でした。
左側に配置された戦艦は、少し悲しそうに、でも誇らしげに見えます。右側には燃えるような太陽が静かに沈んでいくところで、まるで戦艦のこれまでの功績を称え、その終焉を見守るようです。まさに「ロマン」主義!ですね。
技術的にも、ターナーの真骨頂といえるコントラストが存分に発揮されています。船体を描く緻密さと太陽を描く大胆さ。クールな色調と熱い色調。この作品の大胆な筆致や絵の具の厚塗りは、その後の印象派の技法と共通しています。
ターナー代表作③『雨、蒸気、スピード - グレート・ウェスタン鉄道』
ウィリアム・ターナー『雨、蒸気、スピード - グレート・ウェスタン鉄道』, Rain Steam and Speed the Great Western Railway, Public domain, via Wikimedia Commons.
海景画といえばターナー!ですが、海や川以外の作品も描いています。その1つの例が、1844年の『雨、蒸気、スピード - グレート・ウェスタン鉄道』です。
雨の中、橋の上を高速で通り過ぎる蒸気機関車。地平線に吸い込まれるように消えている線路は、現実的な遠近法のルールからは意図的に外されています。これは、機関車のスピードをより印象付けるために、あえて急な角度に遠近法を誇張”するというターナーのテクニックでした。
ターナーは、産業と技術に高い関心を持っていたと言われます。モダンな都市情景を描くことも多く、単なる風景としてというよりは、機関車を含む新しい交通機関も含めて生活の様子を残したかったのかもしれません。
印象派の先駆けと言われるワケ――モネとターナーを比べて
ターナーは一般的にロマン主義に分類される芸術家ですが、いわゆる「印象派的な」技術を用いた部分もあります。
自然現象を創造の原動力にしていたターナーは、「光」に強いこだわりを持っていました。ターナーにとって光の反射は単に規則的に広がるグラデーションではなく、雲の形や時間帯、湿度によっても表情を変える自由でのびやかな色彩だったのです。
たとえば先ほど触れた『戦艦テメレール号の曳航』のなかで用いられた太陽側の筆致は、のちに印象派の発端として芸術界を驚かせたモネの『印象、日の出』に通じる部分があると思いませんか?
ウィリアム・ターナー『戦艦テメレール号の曳航』, The Fighting Temeraire, JMW Turner, National Gallery, Public domain, via Wikimedia Commons.
モネ『印象、日の出』, Monet - Impression, Sunrise, Public domain, via Wikimedia Commons.
もちろん、ターナーの方が繊細であることは、いうまでもありません。注目すべきは、雲や空気に伝わり広がる太陽の光と、水面に揺れる反射です。
「印象派」の呼び名を生んだ(正確には彼の作品が波紋を呼び批判するために用いられた)モネにとって、世界は光でした。そしてそれは、ある意味ターナーにとっても同じだったのだろうと思います。
”世界は光”とは、どういうことか。この世界で私たちが見ているものは、物体である以前に光の反射である。世の中のすべては、光で認識されている。では光とはなにか?―――光とは、色である。
モネが生涯をかけて追求していたのは、色でした。そしてターナーも同様に、しばしば見えている物体の形よりも、吹雪に渦巻く波や、疾走する機関車がまとう空気にフォーカスして作品を作ってきました。
ターナーが描いた『戦艦テメレール号の曳航』からモネの『印象、日の出』まで約30年の隔たりがあります。とはいえ、ターナーが作品批判に対して述べた「その光景がどのようなものかを表現した」という言葉は、「印象を描いているだけだ」という批判を逆手にとったモネのアプローチと近いものがあるように感じませんか?
個人的には、ターナーの作品はまさに過渡期にあるような気がしています。ギャラリーのなかで伝統的で優等生的な絵画に並んで置かれていれば、それはそれでしっくり来る作品です。(一方、伝統絵画のなかに急にモネの作品があれば、周囲と調和しにくく感じられると思います)
ただ、近づいてじっくり作品を見ようと思うと、急に何がなんだかわからなくなる感覚は、印象派を鑑賞するときに似ています。比較で見ると筆致が大胆すぎるため、遠くから見ないと、形がはっきりとわからないという現象です。
自由で大胆な印象派は、ポッと出てきた特殊な芸術スタイルのように思われることもあります。しかし実は、ターナーのような先人たちが少しずつ築き上げてきた土台があるからこそ、19世紀後半に花開くことができたと考えるのが妥当なのでしょう。
まとめ
ターナーはイギリスで絶大な人気を誇る芸術家ですが、モネやドガなどの印象派芸術家に比べると、国外での知名度はそこまで高くありません。しかし、印象派がどのような芸術潮流のなかで様式を確立していったかを語るためには、彼の存在は欠かせないはずです。
作品を鑑賞する際は、「印象派の先駆け」という視点を持って見てみてください。きっと、作品の見え方が変わるはずです。
以上、印象派の先駆けターナーの人生と作品紹介でした!
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イタリア・ローマ在住美術ライター。2024年にローマ第二大学で美術史の修士を取得し、2026年からは2つめの修士・文化遺産法学に挑戦。専攻は中世キリスト教美術。イタリアの前はスペインに住んでいました。趣味は旅行で、訪れた国は45カ国以上。世界中の行く先々で美術館や宗教建築を巡っています。
イタリア・ローマ在住美術ライター。2024年にローマ第二大学で美術史の修士を取得し、2026年からは2つめの修士・文化遺産法学に挑戦。専攻は中世キリスト教美術。イタリアの前はスペインに住んでいました。趣味は旅行で、訪れた国は45カ国以上。世界中の行く先々で美術館や宗教建築を巡っています。
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