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2025.3.5

【東京国立近代美術館】知られざる抽象画の先駆者、ヒルマ・アフ・クリントの世界が日本初上陸!

東京国立近代美術館で2025年3月4日から6月15日まで、スウェーデン出身の画家、ヒルマ・アフ・クリントのアジア初の大回顧展となる「ヒルマ・アフ・クリント展」が開催されます。本展ではすべて初来日となる約140点の作品が展示されます。

ヒルマ・アフ・クリント展

ヒルマ・アフ・クリントとは?

ヒルマ・アフ・クリント(1862-1944)は、ワシリー・カンディンスキーやピート・モンドリアンに先駆けて抽象絵画を生み出した画家として、近年注目されています。

彼女は、スウェーデンで正統的な美術教育を受けた後、神秘主義思想に傾倒し、交霊術の体験などを通してアカデミックな絵画とは異なる抽象表現を生み出し、1906年から1915年にかけて「神殿のための絵画」全193点を制作しました。しかし、生前にはほとんど作品が公開されず、没後長く限られた人々に知られるばかりでした。

ヒルマ・アフ・クリント,ハムガータン(ストックホルム)のスタジオにて 1902年頃 ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of The Hilma af Klint Foundationヒルマ・アフ・クリント,ハムガータン(ストックホルム)のスタジオにて 1902年頃 ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of The Hilma af Klint Foundation

彼女の作品は1980年代以降に徐々に紹介が始まり、2013年にストックホルム近代美術館からスタートしたヨーロッパ巡回の回顧展や2018年のニューヨークのグッゲンハイム美術館の大規模展覧会で世界的に注目されるようになりました。
特にグッゲンハイム美術館での展示では、同館史上最多の60万人以上を動員するなど、大きな話題となりました。

本展の目玉は、代表的作品群「神殿のための絵画」の中でも異例の巨大なサイズで描かれた〈10の最大物〉(1907年)です。
これは、幼年期・青年期・成人期・老年期の四つの人生の段階を描いた、10点組の大作で、高さは3メートルを超えます。

多彩な抽象的な形、パステルカラーの色彩、そして圧倒的なスケールが特徴で、観る者を一瞬で引き込み、まるで異世界を漂うような没入感をもたらします。この唯一無二の体験が味わえます。

第1章 アカデミーでの教育から、職業画家へ

ヒルマ・アフ・クリントは、1862年10月26日、スウェーデン・ストックホルムの裕福な家庭に生まれました。
父親は海軍士官で、天文学や数学などが身近な環境で育ったことが、後の彼女の創作に影響を与えました。

ヒルマ・アフ・クリント 《ポピー》 制作年不詳 水彩、インク・紙 58×35.5cm ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of The Hilma af Klint Foundationヒルマ・アフ・クリント 《ポピー》 制作年不詳 水彩、インク・紙 58×35.5cm ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of The Hilma af Klint Foundation

1882年に王立芸術アカデミーに入学し、当時まだ少なかった女性画家として正統的な美術教育を受け、人体デッサンや植物の精密なスケッチなど高度な技術を習得。
1887年に優秀な成績で卒業後、肖像画や風景画を描く職業画家として活動しました。

また、児童書や医学書の挿絵を手がけ、1910年に発足したスウェーデン女性芸術家協会の幹事としても活躍するなど、多方面で才能を発揮しました。

第2章 精神世界の探求

ヒルマ・アフ・クリントは、17歳の頃(1879年頃)からスピリチュアリズムに関心を持ち、王立芸術アカデミーでの学びと並行して、その思想に深く影響を受けました。
特に神智学(ヘレナ・ブラヴァツキーが提唱)に傾倒し、瞑想や交霊の集いに頻繁に参加していました。

1896年には親しい4人の女性と「5人(De Fem)」というグループを結成し、交霊術を通じて高次の霊的存在からのメッセージを受け取る活動を続けました。彼女たちは、自動書記や自動描画によって、波線や植物、細胞、天体など多様なモチーフを描き、膨大な数のドローイングを制作。
この体験を通じて、アフ・クリントは従来のアカデミックな絵画から離れ、新しい視覚表現を生み出していきました。

第3章 「神殿のための絵画」

1904年、アフ・クリントは交霊の集いで、高次の霊的存在から「神智学的教えについての絵を描くように」と啓示を受け、そこから全193点の「神殿のための絵画」の制作が始まりました。

ヒルマ・アフ・クリント 《エロス・シリーズ,WU/薔薇シリーズ,グループII,No. 5》 1907年 油彩・キャンバス 58×79cm ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of The Hilma af Klint Foundationヒルマ・アフ・クリント 《エロス・シリーズ,WU/薔薇シリーズ,グループII,No. 5》 1907年 油彩・キャンバス 58×79cm ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of The Hilma af Klint Foundation

このシリーズは、1906年から1915年まで約10年かけて制作され、途中4年間の中断を挟みながらも、彼女の画業の中心を成す作品群となりました。

「原初の混沌」「エロス」「10の最大物」「進化」「白鳥」など複数のシリーズやグループで構成され、幾何学図形や植物、細胞、天体を思わせる形態が描かれています。これらの作品は、眼に見えない世界を探求する試みとして生み出されました。

ヒルマ・アフ・クリント 《祭壇画,グループX,No. 1》 1915年 油彩、箔・キャンバス 237.5×179.5cm ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of The Hilma af Klint Foundationヒルマ・アフ・クリント 《祭壇画,グループX,No. 1》 1915年 油彩、箔・キャンバス 237.5×179.5cm ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of The Hilma af Klint Foundation

アフ・クリントが探求した「眼に見えない実在」は、単なる精神世界の問題にとどまらず、当時の科学的発見とも深く関わっていました。

エジソンやテスラの電気技術、レントゲンのX線、キュリー夫妻の放射線研究など、19世紀後半から20世紀初頭にかけての科学の進歩は、肉眼では捉えられない世界の可視化を目指すものでした。

当時のスピリチュアリズムなど神秘主義思想は、こうした科学的探究と共鳴し、20世紀初頭の芸術運動、特に抽象的・象徴的な表現に大きな影響を与えました。

精神的世界と科学的世界への関心を絵画として表現した「神殿のための絵画」は、こうした時代背景の中で生まれたものであり、アフ・クリントが現代美術の最重要作家のひとりとされる理由の一つとなっています。

〈10の最大物〉

1907年、アフ・クリントは人生の4つの段階(幼年期、青年期、成人期、老年期)を描くよう啓示を受けました。彼女はテンペラ技法を用い、わずか2か月で巨大な10枚の作品を完成させました。
その荘厳な構成とスケールは、彼女が敬愛したルネサンス期イタリアの祭壇画を思わせるものとなっています。

ヒルマ・アフ・クリント 《10の最大物,グループIV,No. 3,青年期》 1907年 テンペラ・紙(キャンバスに貼付) 321×240cm ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of The Hilma af Klint Foundationヒルマ・アフ・クリント 《10の最大物,グループIV,No. 3,青年期》 1907年 テンペラ・紙(キャンバスに貼付) 321×240cm ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of The Hilma af Klint Foundation

〈白鳥〉

全24点の作品で、白鳥が具象から抽象、幾何学的な形へと変化し、再び具象へと戻るプロセスが描かれています。
アフ・クリントが探求した具象と抽象、光と闇、生と死、雄と雌といった対立する要素とその融合が、多層的に表現されています。

ヒルマ・アフ・クリント 《白鳥,SUWシリーズ,グループIX:パート1,No. 1》 1914-1915年 油彩・キャンバス 150×150cm ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of The Hilma af Klint Foundationヒルマ・アフ・クリント 《白鳥,SUWシリーズ,グループIX:パート1,No. 1》 1914-1915年 油彩・キャンバス 150×150cm ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of The Hilma af Klint Foundation

第4章 「神殿のための絵画」以降:人智学への旅

1915年に「神殿のための絵画」を完結させた後、アフ・クリントの作品は新たな展開を見せました。
1917年の「原子シリーズ」や1920年の「穀物についての作品」では、引き続き自然科学と精神世界の融合をテーマにしながらも、表現はより幾何学的・図式的なものへと変化しました。

1920年に母親を亡くしたことをきっかけに、彼女は神智学から派生した人智学(ルドルフ・シュタイナーが創始)に傾倒し、1920年から30年にかけてスイスのドルナッハに長期滞在。
シュタイナーの思想や芸術理論の影響を受け、幾何学的表現から、水彩のにじみを活かした偶然性のある表現へと移行し、色そのものが主題を生み出すような作品へ変化していきました。

第5章 体系の完成へ向けて

1920年代以降、アフ・クリントは水彩を中心とした制作を続け、人智学や宗教、神話をテーマにした具体的モチーフを晩年まで回帰させるようになりました。
なかには《地図:グレートブリテン》のように、第二次世界大戦を予見するような作品も残しています。

ヒルマ・アフ・クリント 《無題》 1934年 水彩・紙 50×35cm ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of The Hilma af Klint Foundationヒルマ・アフ・クリント 《無題》 1934年 水彩・紙 50×35cm ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of The Hilma af Klint Foundation

また、1920年代半ばからは過去のノートを編集・改訂する作業にも注力。特に注目すべきは、「神殿のための絵画」を収めるための理想の螺旋状の建築物を構想し、作品の配置計画まで検討していたことです。
この神殿は実現しませんでしたが、彼女の仕事全体が厳密な体系性を追求していたことを示しています。

1944年、アフ・クリントは1,000点を超える作品や資料を甥に託し、81歳の生涯を閉じました。

まとめ

アフ・クリントは、カンディンスキーやモンドリアンよりも早く1906年に抽象絵画を創案した画家です。
彼女はスピリチュアリズムや神智学の影響を受け、科学と精神世界を融合させた独自の表現を追求し、眼に見えない世界を描き出しました。

ヒルマ・アフ・クリント展

展覧会では、代表的作品群「神殿のための絵画」をはじめとする約140点の作品と貴重な資料を展示し、モダン・アート史上、きわめて重要な存在として評価される彼女の革新性と創造の軌跡を追体験できる内容になりそうです。

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締切は2025年3月7日(金)まで。
当選者にはDMにてお知らせいたします。
たくさんのご応募をお待ちしております。

イロハニアート公式X:https://x.com/irohani_art

開催概要

ヒルマ・アフ・クリント展
東京国立近代美術館 1F 企画展ギャラリー
開催期間:2025年3月4日(火)~6月15日(日)
所在地:東京都千代田区北の丸公園3-1
アクセス:東京メトロ東西線竹橋駅 1b出口より徒歩3分
開館時間:10:00-17:00
 ※金曜・土曜は20:00まで
 ※入館は閉館の30分前まで
休館日:月曜日(ただし3月31日、5月5日は開館)、5月7日
料金:一般2,300円、大学生1,200円、高校生700円、中学生以下無料
公式サイト:ヒルマ・アフ・クリント展

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つくだゆき

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東京美術館巡りというSNSアカウントの中の人をやっております。サラリーマンのかたわら、お休みの日には、美術館巡りにいそしんでおります。もともとミーハーなので、国内外の古典的なオールドマスターが好きでしたが、去年あたりから現代アートもたしなむようになり、今が割と雑食色が強いです。

東京美術館巡りというSNSアカウントの中の人をやっております。サラリーマンのかたわら、お休みの日には、美術館巡りにいそしんでおります。もともとミーハーなので、国内外の古典的なオールドマスターが好きでしたが、去年あたりから現代アートもたしなむようになり、今が割と雑食色が強いです。

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