STUDY
2025.9.19
はじめての真剣、二度目の居眠り──ミレイと娘の小さな物語
ロンドン近郊、サリー州キングストン=オン=テムズの古いオールセインツ教会。日曜日の礼拝が始まり、人々の視線が牧師へ注がれる中、背の高い椅子に小さく腰掛ける少女がいました。まだ幼い体をめいっぱい伸ばして大人に混じり、真剣な顔で説教を聞いています。
鮮やかな赤いケープは暗い背景の中でひときわ目立ち、両手はふかふかのマフに収められています。小脇には聖書と手袋が置かれ、子どもながらに礼拝へ臨もうとする健気さが漂っています。
目次
ジョン・エヴァレット・ミレイ《初めての説教(My First Sermon)》1863年、ギルドホール・アート・ギャラリー, Public domain, via Wikimedia Commons.
この場面を描いたのが、ラファエル前派を代表する画家ジョン・エヴァレット・ミレイの《初めての説教(My First Sermon)》です。
モデルとなったのは長女エフィーで、当時わずか5歳でした。
「初めて」に込められた意味
《初めての説教》というタイトルには二重の意味が込められています。娘エフィーが人生で初めて説教を経験したという事実と、ミレイ自身が自分の子どもを初めてモデルに描いたという芸術的挑戦です。
それまでミレイは《オフィーリア》など重厚な歴史・宗教画を手がけ、ラファエル前派の中心的存在でした。しかしこの作品では、家庭のささやかな日常を題材に据えました。赤いケープや帽子といった写実的な細部描写の背後には、父が娘を慈しむまなざしが宿っています。
また画面の構図にも工夫があります。背景は暗く抑えられ、赤いケープだけが鮮烈に浮かび上がることで、少女の存在が神聖な光に包まれているように見えるのです。信仰と幼さが同居するその姿は、宗教的厳粛さと家庭的温かさを同時に感じさせます。
《二度目の説教》──退屈のリアル
翌1864年、ミレイは続編《二度目の説教(My Second Sermon)》を発表します。同じ教会、同じ娘ですが、様子は一変しました。
椅子に身を沈めた少女は、瞼を閉じて静かに眠りに落ちています。帽子は横に置かれ、両手は毛皮のマフの中に収められたまま。前作で背筋を伸ばし必死に堪えていた緊張感は消え、慣れと退屈に抗えず夢の中へと沈んでいく姿です。
ジョン・エヴァレット・ミレイ《二度目の説教(My Second Sermon)》1864年、ギルドホール・アート・ギャラリー, Public domain, via Wikimedia Commons.
「初めて」は背筋を伸ばし、「二度目」は気が緩んで眠ってしまう。誰もが経験する心理の揺れを、ミレイはユーモラスに描き分けました。観る者は思わず微笑み、「わかる、うちの子もそうだ」と共感します。
さらにこの絵には「説教は長くすべきではない」という暗黙の風刺が込められているとも解釈されます。大人が真剣に耳を傾ける一方で、子どもは率直に退屈さを態度に示す──その姿に、時代を超えたユーモアと批評性が宿っているのです。
タイトルの仕掛け
二枚を一層印象深くしているのが、タイトルです。《My First Sermon》《My Second Sermon》──説教する牧師の立場ではなく、聞かされる子どもの体験を主語にしています。
「私の初めての説教」「私の二度目の説教」というタイトルに触れた瞬間、観る者は自然と少女の視点に立ち、彼女の緊張や退屈を追体験することになります。荘厳な宗教画に見えて、同時に親しみやすい物語性を帯びているのは、このタイトルの力によるところが大きいのです。
展覧会での反響 ― 大主教の賛辞
1863年、ロイヤル・アカデミー展で《初めての説教》が公開されると大きな話題を呼びました。カンタベリー大主教ジョン・バード・サンプソンは展覧会の晩餐会でこの作品に触れ、
「この小さな子どもの顔には、説教を聞く者の敬虔さが余すことなく表れている」
と称賛しました。宗教的権威が公の場で作品を評価したことにより、絵の人気はさらに高まりました。翌年の《二度目の説教》も「説教の長さへの風刺」として話題にされ、観客の共感を得ました。
ファンシーピクチャーと家庭の理想 制作裏話 ― 二日で描いた複製画
当時の人気はあまりに高く、ミレイ自身が油彩による複製を二日で仕上げたという記録が残っています。その絵はすぐに売れ、彼は180ポンドを得ました。これは当時としては大きな額で、作品の商業的成功を示しています。
このエピソードは、芸術が市場と直結していたことを物語ります。ファンシーピクチャーは家庭に親しまれるだけでなく、芸術家の生活を支える収入源ともなっていたのです。
普遍的な共感と現代的な価値
この二枚が今なお人々を魅了するのは、「初めて」と「二度目」の心理に誰もが共感できるからです。
初めての授業、初めての舞台、初めての出勤──緊張して背筋を伸ばすあの感覚。そして二度目に訪れる慣れと退屈。子どもだけでなく大人も経験する普遍的な心理の揺れを、ミレイはユーモラスに描き出しました。
この連作は「芸術が生活に寄り添う」ことを証明しました。宗教画の荘厳さと家庭画の親しみやすさを両立させたからこそ、150年以上経った今も、観客はそこに自分自身や家族を重ね、温かい共感を抱くのです。
さらに、版画や複製を通じて家庭に広まり、絵画が特権階級だけでなく市民に届いたという点で、美術史的にも重要な位置を占めています。
芸術は生活の隣に
《初めての説教》と《二度目の説教》の成功によって、ミレイはロイヤル・アカデミーでの地位を確固たるものとしました。宗教画や歴史画の巨匠から「家庭の画家」へと幅を広げた彼の歩みは、芸術が時代の需要に応じて変化していく姿を象徴しています。
観客はこの二枚に「我が家の子ども」を見出し、美術館の壁に飾られる芸術作品でありながら、家庭の延長のような親近感を抱いたのです。ラファエル前派の画家として重厚な作品を手がけてきたミレイは、芸術を日常に引き寄せ、家庭に共感と笑いを届けることに成功しました。
今もなお、この二枚を前にすると、私たちは人生のさまざまな「初めて」と「二度目」を思い出します。そこに流れる人間らしいリズムを、ミレイは温かいまなざしで描き留めました。
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東京美術館巡りというSNSアカウントの中の人をやっております。サラリーマンのかたわら、お休みの日には、美術館巡りにいそしんでおります。もともとミーハーなので、国内外の古典的なオールドマスターが好きでしたが、去年あたりから現代アートもたしなむようになり、今が割と雑食色が強いです。
東京美術館巡りというSNSアカウントの中の人をやっております。サラリーマンのかたわら、お休みの日には、美術館巡りにいそしんでおります。もともとミーハーなので、国内外の古典的なオールドマスターが好きでしたが、去年あたりから現代アートもたしなむようになり、今が割と雑食色が強いです。
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