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2026.2.10

この絵知ってる?ルノワール《イレーヌ》がたどった数奇な旅路—使用人部屋から世界的名画へ

ルノワール《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢》──。

日本では「可愛いイレーヌ」として親しまれている一枚です。淡いブルーのドレスをまとった少女が、画面の右側にそっと腰かけ、横顔をこちらに見せている。肩から背中へと流れ落ちる、信じられないほど長い赤みがかった髪。頬はほんのりと上気し、光を含んだような瞳が、どこか遠くを見つめているようでもあります。

ピエール=オーギュスト・ルノワール《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢》1880年、チューリッヒ美術館(ビュールレ・コレクション), Public domain, via Wikimedia Commons.

一見すると、それはただの「天使のような美少女の肖像」にすぎないように見えるかもしれません。けれど、この絵のモデルとなった少女イレーヌの人生、そして絵がたどった運命を知ると、この柔らかな筆触の奥から、20世紀ヨーロッパの激しいざわめきが聞こえてくるように思えてきます。

銀行家一族の「完璧な令嬢」として

1880年、まだ8歳だったイレーヌ・カーン・ダンヴェールは、パリでも屈指のユダヤ系銀行家の令嬢でした。父ルイ・カーン・ダンヴェールは、第三共和政フランスを支える金融エリートであり、芸術への支援を通じて、自らの地位と洗練を世に示そうとしていました。

レオン・ボナ《ルイ・カーン・ダンヴェール》1901年、国立記念碑センター Public domain, via Wikimedia Commons.

その一家が招いた画家が、当時三十代半ばのピエール=オーギュスト・ルノワールです。印象派としての実験的な制作から、サロン向けの肖像画へと舵を切ろうとしていた時期で、ルノワールにとっても、裕福なパトロンを得ることは大きなチャンスでした。

ルノワールは、まず長女イレーヌの肖像を描き、その後、妹たちを描いた《ピンクとブルー》へと続いていきます。しかし、完成した《イレーヌ・カーン・ダンヴェールの肖像》に対して、父ルイはあまり満足しなかったと言われています。支払いを渋り、やがてこの絵は使用人部屋の片隅に掛けられていた──そんなエピソードが残されています。

ピエール=オーギュスト・ルノワール《ピンクとブルー:カーン・ダンヴェール家のアリスとエリザベート》1881年、サンパウロ美術館 Public domain, via Wikimedia Commons.

今では「絵画史上、もっとも有名な少女像のひとつ」とまで言われるこの一枚が、当初はそれほど高く評価されていなかったという事実自体が、すでにドラマです。

光に包まれた横顔に潜む、ささやかな緊張

あらためて画面を見つめてみましょう。

背景は、緑の茂みがゆらめくような、印象派らしい曖昧さで塗り込められています。細部は描きこまず、色と光の気配だけで空気を表現するやり方です。その前に座るイレーヌのドレスの水色と、髪を結ぶリボンの青が、画面に静かなアクセントを添えています。

ピエール=オーギュスト・ルノワール《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢》1880年、チューリッヒ美術館(ビュールレ・コレクション), Public domain, via Wikimedia Commons.

けれど、よく見ると、この肖像画には小さな違和感が潜んでいます。完璧に整えられた髪、きちんと揃えられた両手──にもかかわらず、少女の視線は観る者をまっすぐに見返してはきません。どこか遠く、目の前にはいない誰かを探るような、かすかな緊張が宿っているのです。

ここには、社交界にふさわしい「理想の令嬢像」を求める家族の期待と、画家としての個性を貫きたいルノワールの思い、そして、まだ何者でもない幼いイレーヌの不安と戸惑いが、目に見えない層となって折り重なっているように感じられます。

のちにルノワールは、より古典的で装飾的な作風へと向かい、“甘美なルノワール”のイメージを確立していきますが、その転換点のひとつに、この《イレーヌ》が位置づけられていると考えることもできるでしょう。

おとぎ話の続きは、決して甘くはなかった

では、キャンバスのなかに閉じ込められた8歳の少女は、その後どのような人生を歩んだのでしょうか。

イレーヌ・カーン・ダンヴェール(1872–1963)は、19歳で同じくユダヤ系銀行家のモイーズ・ド・カモンドと結婚します。パリの高級住宅街モンソー通りに建てられた邸宅には、18世紀フランス美術の名品が集められ、「カモンド家の栄光」を象徴する空間が築かれました。

やがてイレーヌは、長男ニッシム、長女ベアトリスを授かります。一見すると、おとぎ話のような上流階級の人生──しかし現実は、そう単純ではありませんでした。

厳格な夫と家のしきたりに息苦しさを覚えたイレーヌは、やがて馬丁を務めていたイタリア人貴族サンピエリ伯爵との恋に落ち、カトリックに改宗して家を出てしまいます。子どもたちはカモンド家に残され、父モイーズのもとで育てられることになりました。

画面の中に描かれた「完璧な令嬢」と、現実のイレーヌの揺れ動く人生。そのギャップは、19世紀末から20世紀にかけてのヨーロッパ社会が、女性にどんな役割を期待し、どれほど多くの感情をその裏側に押し込めていたのかを、静かに物語っているようにも思えます。

戦争とホロコースト、そして略奪された一枚

第一次世界大戦が始まると、息子ニッシムはフランス空軍のパイロットとして出征し、1917年、戦闘で命を落とします。深い悲しみに沈んだモイーズは、自らの邸宅とコレクションをフランスに遺贈し、「ニッシム・ド・カモンド美術館」として公開することを決めました。モンソー通りの邸宅は、今もパリでその姿を見ることができます。

イレーヌのふたりの子ども。左から娘のベアトリスと息子のニッシム, Public domain, via Wikimedia Commons.

一方、娘ベアトリスは結婚して二人の子どもをもうけますが、第二次世界大戦が始まり、ユダヤ人迫害の波がフランスにも押し寄せると、彼女と家族は逮捕され、アウシュヴィッツへ送られて命を落とします。カモンド家の直系は、ここでほとんど途絶えてしまいました。

そのころ、《イレーヌ》もまた、歴史の荒波にもまれていました。カモンド家から親族の手に渡っていたこの絵は、ナチス・ドイツによる略奪の対象となり、他の多くの美術品と同じようにドイツに運ばれてしまいます。その後、連合軍によって発見され、戦後のパリで「ドイツから戻ったフランスの名作」のひとつとして公開されたのち、かつての所有者であるイレーヌのもとへ返還されました。

イレーヌは、その自分自身の肖像を、やがてスイスの実業家エミール・ゲオルク・ビュールレに売却します。こうして「可愛いイレーヌ」は、ビュールレ・コレクションの代表作として、チューリヒの地で新たな歴史を刻み始めることになりました。

静かな横顔が語りかけてくるもの

戦争を生き延びたイレーヌは、カモンド家の財産の一部を相続し、南仏のカジノなどで散財したと伝えられています。波乱に満ちた91年の生涯のなかで、彼女は宗教も名字も、家族との関係さえも大きく揺さぶられました。

その人生を知ったうえで、あらためて《イレーヌ・カーン・ダンヴェールの肖像》の前に立つとき、私たちの目に映るのは、もはや「可愛い少女の肖像」だけではありません。裕福な銀行家一族の栄光と崩壊、ユダヤ人としてのアイデンティティ、二度の世界大戦とホロコースト、略奪美術と返還をめぐる問題──そうした歴史の層が、彼女の横顔の奥に静かに折りたたまれているように感じられます。

一枚の肖像画が、時代の光と影を証言することがある──。
ルノワールが描いた8歳のイレーヌは、今日も静かに私たちを見つめ返しながら、「あなたはこの歴史を、どう受け取りますか?」と問いかけているのかもしれません。

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つくだゆき

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東京美術館巡りというSNSアカウントの中の人をやっております。サラリーマンのかたわら、お休みの日には、美術館巡りにいそしんでおります。もともとミーハーなので、国内外の古典的なオールドマスターが好きでしたが、去年あたりから現代アートもたしなむようになり、今が割と雑食色が強いです。

東京美術館巡りというSNSアカウントの中の人をやっております。サラリーマンのかたわら、お休みの日には、美術館巡りにいそしんでおります。もともとミーハーなので、国内外の古典的なオールドマスターが好きでしたが、去年あたりから現代アートもたしなむようになり、今が割と雑食色が強いです。

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