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2024.7.22
ルノワールの代表作を徹底解説!印象派の巨匠の魅力と国内で見られる名画をご紹介
ピエール=オーギュスト・ルノワールは、19世紀から20世紀初頭にかけて活躍したフランスの画家です。モネと並び印象派の一員として広く知られています。彼の絵画は、光と色彩に対する独自のアプローチで、美しい女性や子供たち、日常の風景を繊細かつ華やかに描いたことで有名です。日常生活の美しさや親しみやすさを描き続けたルノワールの絵は、見る人を温かい気持ちにさせ、時には現実を忘れさせるような魅力があります。
この記事では、多くの人々に愛されているルノワールの人物像と彼の代表作を、時代ごとに解説。日本国内で見られる彼の作品についてもご紹介します。
目次
ルノワールの人物紹介
ピエール=オーギュスト・ルノワールPublic domain, via Wikimedia Commons.
ルノワールの幼少期と初期教育
ピエール=オーギュスト・ルノワールは1841年2月25日にフランスのリモージュで生まれました。彼の父親は仕立て屋でした。職工階級であったルノワールの家族は、芸術とは無縁の生活を送っていたのです。
ルノワールの家族は、彼が3歳の時にパリに移住します。パリは当時のフランスの文化と芸術の中心地であり、多くの芸術的な刺激を受ける環境でした。この新しい環境が、彼の興味を引き出す一因といえます。
ルノワールは幼い頃から絵に興味を持ち始めたようですが、歌の方で才能を発揮していました。9歳の頃、作曲家グノーが率いる聖歌隊に入ります。歌手としての才能を感じたグノーは、ルノワールの両親にオペラ座の合唱団に入るように勧めたそうです。しかし、経済的事情で、彼は音楽を続けられませんでした。
貧しい家庭に育ったため、早くから働かなければならなかったルノワール。14歳の時に絵付け工房に見習いとして入り、陶器に装飾を施す仕事をはじめます。この経験が、彼の色彩感覚やデザインの基礎を築きました。また、彼は独学で絵画技術を磨き、パリのルーヴル美術館を頻繁に訪れて古典作品を研究しました。
ルノワール、本格的に絵の世界へ:21歳でエコール・デ・ボザールへ入学。
ルノワールは、より高度な芸術教育を受けることで自身の才能を伸ばしたいと考えます。そして、1862年にエコール・デ・ボザール(国立美術学校)に入学。正式な美術教育を受け始めました。ここで彼は、アカデミックな絵画技術や古典的なデッサンを学びます。
この時期のルノワールは、古典主義の影響を強く受けており、ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングルやルーベンス・ラファエロなどの巨匠たちを模範としました。
ラ・グルヌイエールPublic domain, via Wikimedia Commons.
ルノワールは、豊かな感受性と優れた美的感覚をもつ
ルノワールは非常に感受性が豊かで、美的感覚に優れていました。彼は日常の美しさや人々の幸福感を捉えることに長けており、その感性は彼の作品に豊かに表現されています。彼の色彩や光の使い方は、彼の独特な感受性を反映していると言えるでしょう。
時代別に見るルノワールの画風変化と代表作
ルノワールは生涯にわたり、美しさと幸福感を追求し続け、多くの名作を生み出しました。
初期(~1873年)
芸術橋Public domain, via Wikimedia Commons.
初期のルノワールの作品は、主に肖像画や風景画が中心です。この時期の彼の作品は、まだ伝統的なアカデミズムの影響を受けていますが、すでに彼特有の明るい色彩感覚が見られます。代表的な作品には「エスメラルダ」や「ロメーヌ・ラコー嬢」があります。
1864年に制作された「エスメラルダ」で、彼はサロンで初めて入選しました。しかし、サロン終了後にルノワール自身が作品を塗りつぶしてしまいました。現在、作品は残っていません。
「ロメーヌ・ラコー嬢」(1864年)は、ルノワールが初めて注文を受けた肖像画です。絵付け師の見習い時代に出会ったラコー夫妻からの依頼を受けて描きました。娘は、まっすぐ前を向き、椅子に腰掛け、手は膝の上で組んでいます。これは、古典的な作品でよく見られるポーズです。同時に、滑らかな肌の表し方と落ち着いた感じの色彩の使い方からは、新古典主義の影響を受けていると言えます。
ルノワールは23歳という若さで、少女の可愛らしさだけではなく、彼女がもつ気品と知性をも絵に表せる才能を持っていました。
印象派時代(1874年~1881年)
ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会Public domain, via Wikimedia Commons.
印象派(いんしょうは)とは、19世紀後半にフランスを中心に起こった美術運動で、伝統的なアカデミック絵画に対する反発として生まれます。印象派の画家たちは、現実の瞬間的な印象を捉えることを重視し、光と色彩の効果を追求しました。
印象派の技法の一つに「筆触分割」があります。これは、混ぜると濁ってしまう色を極力混ぜないようにして、鮮やかさを残すために小さな筆触で色を残していく技法です。遠くから見ると、目がそれらの色を混ぜ合わせて認識します。
ルノワールは日常の情景を柔らかな色彩で描いていました。しかし、風景画で印象的な技法を使うことに疑問を感じるようになります。「人物像の画家」と言われた彼は、作品の中でも人物に焦点をあてて技法を試すようになります。代表的な作品には「アルジェリア風のパリの女たち」「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」や「シャルパンティエ婦人とその子供たち」があります。
「アルジェリア風のパリの女たち」(1872年)からは、ルノワールがオリエンタリズムの影響を受けていたことが伺えます。鮮やかな色彩、光の効果、異国風の装飾、そして女性たちの優雅な表情とポーズが美しく描かれています。
「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」(1876年)は、第3回印象派展に出展した時の作品です。彼は、パリのモンマルトル地区にあった、人気のダンスホール「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」での、賑やかな舞踏会の様子を描きました。
音楽、ダンス、お酒やお茶を飲む姿など、19世紀後半のパリの庶民の生活がうかがえます。人々は生き生きと、木漏れ日は光と色彩で巧みに表現されています。ルノワールの技術と美的感覚が見事に融合した作品と言えるでしょう。
「シャルパンティエ婦人とその子供たち」(1878年)は、彼が名声を得るきっかけとなった作品と言われています。ルノワールはサロンを意識し、とても大きなキャンパスに、伝統的な構図で婦人と子どもたちを描きます。作品はサロンで絶賛されました。シャルパンティエ婦人はルノワールの強い支持者となり、彼に経営者や小説家などの知人を紹介したと言われています。
アングル様式時代(1882年~1889年)
都会のダンスPublic domain, via Wikimedia Commons.
ルノワールはイタリアやアルジェリアを旅行し、そこで出会った作品に大きく影響を受けます。この時期、彼は印象主義的な表現に、古典的な技法と構成を採用しました。人物や物体の輪郭を明確に描くことを重視し、形の正確さに重点を置いています。彼の作品は、アングル様式や変調と言われました。
代表的な作品には「都会のダンス」「大水浴」があります。
「都会のダンス」(1883年)は、男女がエレガントに踊る姿を描いています。明確な輪郭と優雅なポーズが特徴的です。色彩は柔らかく、しかし形態はしっかりとしています。印象派の技法に限界を感じていた頃です。
「大水浴」(1884年-1887年)は、ルノワールが3年間かけて制作した作品です。明らかにこれまでの作品とは違います。デッサンを強調し、滑らかな肌の表現を大胆に取り入れています。彼の新たな挑戦は、残念ながら当時のファンのみならず、保守的な人からも、作品を受け入れてもらえませんでした。
円熟期(1890年~1919年)
ピアノに寄る娘たちPublic domain, via Wikimedia Commons.
ルノワールは、印象派の技法とアングル様式で学んだ古典的な技法を統合しようとしました。彼は、柔らかな色彩と光の効果を保ちつつ、明確な形態と構図を取り入れることで、より洗練された表現を追求します。
ルノワールの円熟期は、彼の独自の美学が最高潮に達した時期です。この時期の代表作には「ピアノに寄る娘たち」があります。彼の作品は、柔らかな光と色彩で描かれ、ギャラリーに深い感動を与えてきました。
「ピアノに寄る娘たち」(1892年)は、フランス国家に買い上げられた一枚です。家庭の温かさと親密さが感じられる場面が描かれており、家族の日常と信頼しあう二人の心の奥を捉え、絵に反映させています。
彼は印象派の技法を基盤にしながらも、より古典的なアプローチを取り入れることで、作品に深みと洗練を加えました。
この作品は、彼が家庭の幸福感と日常の美しさを追求し続けた結果として生まれたと言えるでしょう。
晩年はリウマチを患いながらも、絵を描き続け生涯を遂げたそうです。
ルノワールは「美しさ」を追求し続けた画家
ルノワールは、生涯を通じて「美しさ」を追求し続けた画家でした。彼の作品は、美しいものへの愛情と情熱にあふれており、観る者に深い感動を与えてきました。彼の生み出した絵画は、その温かみと柔らかさで、今もなお多くの人々に愛され続けています。
国内のルノワール作品 所蔵美術館情報
レースの帽子の少女Public domain, via Wikimedia Commons.
日本国内でもさまざまな美術館で、ルノワールの作品を鑑賞できます。ここでは、代表的な所蔵作品とともに鑑賞できる美術館をご紹介します。
東京都
国立西洋美術館:「アルジェリア風のパリの女たち」(1872年)、「帽子の女」(1891年)他、多数所蔵あり
国立西洋美術館 公式ウェブサイト
アーディンゾン美術館:「すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢」(1876年)、「すわる水浴の女」(1914年)他、多数所蔵あり
アーティゾン美術館 公式ウェブサイト
神奈川県
ポーラ美術館:「レースの帽子の少女」(1891年)、「ムール貝採り」(1888-1889年頃)他、多数所蔵あり
ポーラ美術館 公式ウェブサイト
京都府
京都国立近代美術館:「母子像」(1916年)
京都国立近代美術館 公式ウェブサイト
岡山県
大原美術館:「泉による女」(1914年)
大原美術館 公式ウェブサイト
広島県
ひろしま美術館:「パリ、トリニテ広場」(1875年)、「パリスの審判」(1913-1914年頃)など
ひろしま美術館 公式ウェブサイト
展示スケジュールや特別展の情報は、美術館の公式ウェブサイトで確認することをお勧めします。これらの美術館を訪れて、ルノワールの美しい作品を直接肌で感じてみてください!!
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このライターの書いた記事
本の執筆をメインに活動中。イロハニアートでは「難しい言葉をわかりやすく。アートの入り口を広げたい」と奮闘する。幼い頃から作品を作るのも見るのも好き。40代の現在も、自然にある素材や家庭から出る廃材を使って作品を作ることも。美術館から小規模のギャラリーまで足を運んで、アート空間を堪能している。
本の執筆をメインに活動中。イロハニアートでは「難しい言葉をわかりやすく。アートの入り口を広げたい」と奮闘する。幼い頃から作品を作るのも見るのも好き。40代の現在も、自然にある素材や家庭から出る廃材を使って作品を作ることも。美術館から小規模のギャラリーまで足を運んで、アート空間を堪能している。
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