STUDY
2025.7.31
禁断の横たわり─ゴヤ『裸のマハ』に秘められた真実と情熱
暗がりの中、白いシーツの上に身を投げ出すように横たわる裸の女性が、まっすぐにこちらを見つめている。媚びるようでも、怯えるようでもない。堂々と、すべてをさらけ出して─。
それが、フランシスコ・デ・ゴヤによる《裸のマハ》だ。
目次
フランシスコ・デ・ゴヤ《裸のマハ》1797年-1800年頃、 プラド美術館, Public domain, via Wikimedia Commons.
18世紀末のスペイン。神話や寓意に託さなければ、女性の裸体などとても描けなかった時代に、この作品はまさに“禁断”を貫いた。画家自身の名声と命運をも左右することになるこの絵には、ただ美術史に残る傑作というだけではない、深く謎めいた物語が潜んでいる。
“マハ”とは誰か──謎に包まれたモデル
《裸のマハ》が描かれたのは、1797年から1800年頃。モデルとなったのは「マハ」と呼ばれる女性だ。“マハ”とは、当時のマドリードで流行の最先端を走る粋な女性たちを指す言葉である。つまり、特定の個人名ではない。
では、この堂々と裸体をさらす“マハ”とは、一体誰なのだろうか?
その正体をめぐっては、二つの有力な説がある。一つは、当時スペインの首相を務めていたマヌエル・デ・ゴドイの愛人ペピータ・トゥド説。そしてもう一つが、ゴヤのパトロンであり、かつて彼の筆によって何度も肖像画を描かれたアルバ公爵夫人マリア・デル・ピラール・テレサ・カイェターナ説だ。
どちらが“マハ”なのか。それは未だに確定されていないが、物語としてより人の心を惹きつけるのは、後者─アルバ公爵夫人である。
宮廷画家ゴヤと、情熱の貴婦人
アルバ公爵夫人は、スペイン貴族屈指の名門の女性であり、その美貌と気位の高さ、奔放な性格で知られていた。黒髪に切れ長の目、燃えるような情熱を宿したその瞳は、宮廷だけでなく庶民のあいだでも絶大な人気を誇った。噂では、彼女の肖像画は絵葉書に刷られ、マドリードの広場で売られていたという。
ゴヤが彼女を描いた肖像画の中には、黒いドレスに身を包み、白い砂の浜辺に佇む作品がある。その足元に視線を落とすと、そこには小さく、だが確かにこう記されている─「Solo Goya(ゴヤだけ)」。
フランシスコ・デ・ゴヤ《黒衣のアルバ女公》1797年、 アメリカ・ヒスパニック協会, Public domain, via Wikimedia Commons.
ゴヤはこの言葉を、彼女の指差す砂の上に刻んだ。彼女の心を奪ったのは、自分ひとりだけなのだと。これはただの署名ではない。むしろ、恋文にも等しい一行だった。
1796年の夏、アルバ公爵夫人の別荘にゴヤが滞在していたことがわかっている。その間にいくつかの作品が制作されたことからも、両者が密接な関係にあったことは間違いない。年齢差20歳、画家と貴婦人という身分の差を超えた情熱の記録 ─それが《裸のマハ》の背景にあると考えると、この絵は一層生々しい輝きを放つ。
着衣と裸体─二つの“マハ”が語るもの
ゴヤは、同じポーズで二枚の絵を描いている。一枚は裸体、もう一枚は服を着た姿の《着衣のマハ》。両者はまるで、表と裏、昼と夜、理性と欲望のように対を成している。
フランシスコ・デ・ゴヤ《着衣のマハ》1800年-1805年頃、 プラド美術館, Public domain, via Wikimedia Commons.
驚くべきことに、この二つの作品はかつて、ゴドイの個人収集用のキャビネットの中で展示されていた。仕掛けはこうだ─《着衣のマハ》が表に置かれ、コードを引くと、その裏から《裸のマハ》が現れる。
この仕掛けには、単なる遊び心やエロティシズムを超えた意図が隠されていた。まず描かれたのは、禁忌ともいえる《裸のマハ》─宗教や神話に仮託せず、現実の女性の裸体をそのまま描いた前代未聞の作品だった。だが、当時のスペイン社会では宗教画以外での裸体表現はきわめて危険とされ、異端審問の対象にもなりかねなかった。
そこでゴヤは後に、《着衣のマハ》を描き足し、同じポーズの“無害な肖像画”を前面に配置することで、《裸のマハ》を隠す仕掛けを設けたのである。これは、見る者の目を欺くためのカモフラージュであり、同時に制度や道徳への痛烈な皮肉でもあった。ゴヤは、ただ裸婦を描いたのではない。抑圧された表現の自由の中で、女性の誇りと官能、その奥に潜む静かな挑発を、密やかにキャンバスに刻みつけたのだ。
異端審問の裁き─“なぜこの絵を描いたのか”
《裸のマハ》はやがて、ゴヤの名声だけでなく、身の安全をも脅かすことになる。スペイン異端審問所によって「非常に猥褻で公共の道徳に反する」とされ、ゴヤは召喚されてしまったのだ。
この絵が描かれた背景、モデルは誰か、なぜあえてこのような絵を描いたのか─厳しい追及が続いた。
Francisco Goya 1907, Public domain, via Wikimedia Commons.
しかし、ゴヤはこう反論する。自分はただ、ティツィアーノの《ダナエ》や、ベラスケスの《ロケビーのヴィーナス》といった名作に倣ったまでだ、と。実際、これらの作品はヌードでありながら、王侯貴族や教会からも称賛されてきた。
ゴヤの弁明は功を奏し、最終的に彼は罪を免れた。しかし、《裸のマハ》をめぐるこの出来事は、彼にとって心に深い影を落とすことになる。芸術家としての自由と公権力との対立、そして“描いてはならないもの”を描いた者が背負う重圧──。その影響は、やがて彼の筆致にじわじわと現れ始める。
絵に取り憑かれた画家─ゴヤの内なる転落
《裸のマハ》が描かれた数年後、ゴヤは重い病に倒れ、やがて聴力を完全に失う。音のない世界に閉ざされたことで、彼のまなざしは次第に外界から自身の内面へと向かい始めた。
世間の目を欺きながらも、心の底では表現の自由を切実に求めていたゴヤ─その葛藤と孤独が、聴覚喪失という決定的な出来事によってさらに研ぎ澄まされていく。
かつては王侯貴族に仕える宮廷画家だった彼が、後年に描いたのは、幻想と狂気、暴力と絶望に満ちた世界。人間の暗部に取り憑かれたような《黒い絵》と呼ばれる連作は、もはや“見る者のため”の絵ではなかった。
《裸のマハ》は、その道のはじまりに立つ絵だったのかもしれない。美と快楽の背後に漂う危うさ─この作品には、すでに彼の中に芽生えつつあった“沈黙の狂気”の気配が、密やかに息づいている。
光の中で輝く、反逆の裸体
一見すると、柔らかい肌、繊細な色彩、ふくよかな肢体──まるで穏やかな官能を描いたように見える《裸のマハ》。だがその裏には、数々の社会的挑発があった。
・神話の仮面を脱ぎ捨てた、ありのままの女性像
・鑑賞者をまっすぐに見返す、逃げないまなざし
・芸術と道徳の境界を揺さぶる大胆な構図
しかも、その筆致にはゴヤならではの力強さが宿っている。白とピンク、緑の繊細な色使いにより、マハの肌は暗い背景からふわりと浮き上がるように描かれ、まるでその瞬間、呼吸をしているかのように見える。
ゴヤはここで、単なる“裸体画”ではない、魂のこもった“生身の人間”を描こうとしたのだ。
モデルは誰だったのか──その答えの代わりに
では、改めて問おう。《裸のマハ》のモデルは誰だったのか? ペピータ・トゥドか、それともアルバ公爵夫人か?
─ あるいは、それは一人の実在の女性ではなく、ゴヤの心に燃えた“理想の情熱”だったのかもしれない。
真実は、もはや誰にも分からない。けれど、アルバ公爵夫人がモデルだったという説は、私たちにひとつの“読み”を与えてくれる。身分も立場も違う二人が交わした、秘められた情熱。そして、それを永遠に閉じ込めるために描かれた一枚の絵画。
ゴヤの筆が記したのは、単なる裸体ではない。そこには、人間の欲望と尊厳、愛と孤独、見る者を試すまなざしがある。
プラド美術館での2つの絵の展示風景, Public domain, via Wikimedia Commons.
いま、プラド美術館で《裸のマハ》と《着衣のマハ》は並んで展示されている。二枚の“マハ”が語りかけてくる。あなたは、どちらを見つめるのか ─ その答えが、あなた自身の中に眠る情熱を照らし出すかもしれない。
◆参考文献
La maja desnuda
https://en.wikipedia.org/wiki/La_maja_desnuda
La maja vestida
https://en.wikipedia.org/wiki/La_maja_vestida
Francisco Goya
https://en.wikipedia.org/wiki/Francisco_Goya
María Cayetana de Silva,13th
https://en.wikipedia.org/wiki/María_Cayetana_de_Silva,_13th_Duchess_of_Alba
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東京美術館巡りというSNSアカウントの中の人をやっております。サラリーマンのかたわら、お休みの日には、美術館巡りにいそしんでおります。もともとミーハーなので、国内外の古典的なオールドマスターが好きでしたが、去年あたりから現代アートもたしなむようになり、今が割と雑食色が強いです。
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