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2024.10.29
【前半】「ロシア・アヴァンギャルド」今にも影響!? 100年前の芸術運動
今から1世紀ほど前、1917年のロシア革命の直前から1930年頃までの間、ロシア(ソビエト連邦: ソ連)で「ロシア・アヴァンギャルド」という芸術運動が盛り上がったのをご存知でしょうか?
1世紀前(100年前)というと、私たちの曽祖父母が生まれた頃です。当時活躍していた芸術家は「私たちの曽祖父母の親世代」となりますね。そんなに昔の話は、私たちと縁がないもの…と思いがちですが、そうではありません。
ロシア・アヴァンギャルドは20世紀の芸術に大きな影響を与え、その痕跡は今も見ることができます。
この記事では、ロシア・アヴァンギャルドの歴史を詳しくご紹介します。
目次
そもそも「アバンギャルド」とは?
マレーヴィチの作品『シュプレマティスム』, 1916年-1917年作(Krasnodar Museum of Art、クラスノダール), Supremus 55 (Malevich, 1916), Public domain, via Wikimedia Commons.
「アバンギャルド」という単語を耳にする機会は多くありますが、なんとなく「前衛的」というイメージで使っている方が多いのではないでしょうか?
アバンギャルドという言葉の意味は「前衛的」「革新的」です。フランス語の「前衛」「先鋒」(軍隊用語)に由来します。
・芸術理論を根本から革新する
・過去と伝統を断つ、新しい内容や手法を探求する
・社会と積極的に関わる
…など「実践を伴う芸術活動」などが特徴です。
単なる新手法というよりも、「芸術家としての在り方」も変えるほどのインパクトがある言葉なんですね。
ロシア・アバンギャルドとは? 歴史も解説
静物(卵) - 1915年 - アレクサンドラ・エクスター, Still Life with Eggs - 1915 - Oleksanrda Ekster, Public domain, via Wikimedia Commons.
ロシアにおける「前衛的・革新的な芸術が生み出された活動」という意味のロシア・アバンギャルドですが、シンプルにまとめると「ロシア革命~ソ連誕生初期に起きた、新たな芸術ムーブメント」です。
このパートでは
・ロシア・アバンギャルドが生まれた背景
・当時の社会状況(ソ連誕生)との関係
・ロシア・アバンギャルドが終わった理由
を解説します。
歴史(1) ロシア革命を機に巻き起こった
1910年代のロシア帝国は第一次世界大戦に参戦していました。イギリス・フランスと連合を組み、ドイツ帝国、ハンガリー=オーストリア帝国の「中央同盟国」と戦っていましたが、戦争が長期化したことで多くの戦死者が出て、経済が低迷していました。
王室(ロマノフ王朝)への不満は少しずつ積み重なり、ついに1917年にロシア革命が起こりソビエト連邦(ソ連)が誕生します。
ロシア革命の初期~直後は、ヨーロッパ諸国の芸術を受け入れる自由な空気が流れていました。若い芸術家たちも革命運動に積極的に協力しました。ここで一気にロシア・アバンギャルドが花開いたのです。
歴史(2) 共産主義を広める役割を担った
ロシア革命直後(ソ連初期)の雰囲気は、「刷新、ワクワク、自由、希望」というような言葉がぴったりでした。(それまでのあまりにひどかったロシア帝国時代が終わった喜びが、世の中にあふれていました)
「新しい社会を作る」という政府に協力するため、スローガンやプロパガンダを国民に分かりやすく広めるポスターが多く作られた時代でもあります。
革命直後には、社会主義革命が進んでいることを国内全土に伝える必要がありましたが、当時のロシアは識字率が低く、一目で分かるポスターや看板、ビラなどが重要な役割を果たしました。
芸術家たちにとっても、ロシア革命は「芸術のあり方」が一変する出来事だったようです。ロシア帝国時代は「アート = 一部の富裕層が所有し、鑑賞するもの」でしたが、革命後は「民衆のための芸術、実用性が高いアート」を目指し、芸術の各分野で革新的な作品が次々と生まれました。
歴史(3) 工業化を進める社会情勢が影響
ロシア・アバンギャルドの特徴を当時の社会情勢を絡めて一言で表現すると、「実用的」という表現ができます。(あくまで一つの側面です)
例えばタイポグラフィやコラージュを使用したグラフィックデザインがこの時期に急速に発達しますが、これは共産主義の考えを早く国民に浸透させるための「プロパガンダ・アート」が必要とされていたことと密接に関係しています。
社会主義国家の建設に向けて、ソビエト政府は積極的に「芸術の力」を利用したわけですね。そして、多くの芸術家が新しい社会の建設のために賛同・協力しました。
「実用的な芸術」が広まった背景には、ソビエト政府が社会の工業化を進めたことも関係しています。
建築の分野では「工業化こそが社会の発展」という方針の影響により、それまでの伝統的な設計手法、装飾などは「無駄なもの」と捉えられました。合理的な構造美を追求する「構成主義建築」が一世を風靡し、建築技術が発展しました。
ロシア帝国時代の「芸術は一部の貴族たちのもの」という社会から、ロシア革命後の「芸術は民衆のもの。合理的な工業製品や建築にアートを活かそう」という社会に変わったわけですね。
歴史(4) スターリン政権に変わり終焉
Stalin(スターリン)1942年, ソビエト連邦共産党書記長, JStalin Secretary general CCCP 1942 flipped, Public domain, via Wikimedia Commons.
1920年代に大きく花開いたロシア・アバンギャルドですが、スターリンに変わったことで終焉を迎えます。
ヨシフ・スターリンは1929年に農業集団化などの変革を開始し、「文化革命」を行いました。この他、ロシア・アバンギャルドが難解なため大衆の支持を長くは得られなかったことも関係して1930年代に活動は終息しました。
デザイン・絵画における特徴
『冬景色』マレーヴィチ, 1930年, Winter Landscape (Malevich, 1930), Public domain, via Wikimedia Commons.
デザイン・絵画におけるロシア・アバンギャルドの特徴は、「シンプルな幾何学図形、タイポグラフィやコラージュを組み合わせた力強いエネルギーに溢れたビジュアル」といわれます。
ロシア・アヴァンギャルドを詳しく見ると、大きく4つのグループが挙げられます。どのグループも過去の様式を断ち切り、ロシア革命以後の新たな生活様式をデザインしようとしました。
未来派
マヤコフスキーのポスター グロス, Plakat mayakowski gross, Public domain, via Wikimedia Commons.
未来派は、これまでの文学や詩を捨てて「機械や産業のスピード・音などが近代の美である」という価値観が特徴です。詩などの文学、演劇がその中心で、そこから舞台芸術やデザインにも広がりました。
革命の理想をうたった詩人、ウラジミール・マヤコフスキー(1893-1930)や、言葉の意味を切り離して音の連なりによる「ザーウミ(超意味言語)」を提唱したヴェリミール・フレーブニコフ(1885-1922)が代表格です。
ロシア構成主義(Конструктивизм)
プロレタリア学生 第2号, Proletarian Student no. 2, Public domain, via Wikimedia Commons.
ロシア構成主義は、1913年にウラジミール・タトリンが鉄板や木片を使ったカウンター・レリーフで構成(コンストラクション)の概念を見出したことから始まり、革命後の急速な工業化の流れを背景に発展しました。
革命政府の工業的経済発展を目指す方針に賛同した芸術家たちは、ブルジョワ的な芸術を否定し、「生活に役立つ芸術」「社会の目的を実現するための芸術」を追求し、グラフィックデザインや工業製品を用いた実用性の高い作品を多く発表しました。
彼らはシュプレマティズムと並びロシア・アヴァンギャルドの一大勢力として、ドイツのバウハウスやオランダのデ・ステイルなど、20世紀の芸術界に大きな影響を与えました。
シュプレマティズム (Супрематизм)
『4つの正方形』, カジミール・マレヴィッチ, ロシア, 1915年, Четыре квадрата (Four square) (Kazimir Malevič, Russia, 1915), Public domain, via Wikimedia Commons.
シュプレマティズムは、1910年代にカジミール・マレーヴィチが提唱した、幾何学モチーフと純粋感性を絶対とする絵画様式です。「suprematism」は「絶対主義」や「至高主義」を意味します。
マレーヴィチは、絵画から現実的なモチーフや意味を徹底的に排除し、円や正方形などの幾何学的形態のみで構成された「無対象の絵画」を創造し、鑑賞者に思考を促すことを目指しました。
シュプレマティズムは過去の芸術を否定することで新たな価値を生み出し、ロシア構成主義とも相互に影響を与え合いながら、ロシア・アヴァンギャルド運動を発展させました。
レイヨニスム(Лучизм)
アレクサンドル・ボゴマゾフ, ラギスト作, 1914年 春, Alexander bogomazov, composizione raggista, primavera, 1914, Public domain, via Wikimedia Commons.
レイヨニスムは物体に反射する光を描くことを追求した絵画様式で、画家ミハイル・ラリオーノフ(1881-1964)が提唱しました。
「絵を単純化していけば、最終的には『物体に反射する光線』を描くことになる」という理論から「光線主義」とも呼ばれます。
現実の物体を対象とするのではなく、光を主題としたこの絵画手法では、線、リズム、色彩の総合的な関係を画面上に表現した作品が発表されました。
他の芸術分野における「ロシア・アバンギャルド」
Ref pfanner14, Public domain, via Wikimedia Commons.
20世紀初頭のロシアでは、文学、建築、音楽、映画・演劇といった様々な芸術分野で新たな潮流が生まれました。
文学では「銀の時代」と呼ばれ、象徴主義や未来派が登場し、マヤコフスキーやフレーブニコフといった詩人たちがロシア・アヴァンギャルド運動を牽引しました。
建築では、革命後の工業化に伴い、ウラジミール・タリトンやコンスタンチン・メーリニコフらが合理的な構造美を追求する構成主義建築を発表し、革新的な技術を導入しました。
音楽においても、日常の音を取り入れた実験的な作曲が行われ、ニコライ・ロスラヴェッツやアレクサンドル・モソロフが注目を集めました。
映画や演劇では、フセヴォロド・メイエルホリドが実験的舞台を創造し、セルゲイ・エイゼンシュテインがモンタージュ理論を確立するなど、映像表現の発展にも大きく貢献しました。
まとめ
ロシア・アバンギャルドは、ロシア革命直後の「新しい社会を作ろう」という社会情勢が大きく影響したことがわかりました。後半編ではロシア・アバンギャルドの代表的なアーティストを掘り下げ、後世への影響をご紹介します。
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このライターの書いた記事
セールスライター。マーケティングの観点から「アーティストが多くの人に知られるようになった背景には、何があるか?」を探るのが大好きです。わかりやすい文章を心がけ、アート初心者の方がアートにもっとハマる話題をお届けしたいと思います。SNS やブログでは「人を動かす伝え方」「資料作りのコツ」を発信。
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