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2024.11.28
【だまし絵の魔術師エッシャー】不思議な世界を旅する魅力に迫る
目の錯覚で「不可能」が「可能」に見えるーーだまし絵で有名なエッシャー。中学校の教科書で知った方が多いのではないでしょうか?
彼は、数学的な美しさと芸術的なセンスを融合させた唯一無二の作品で、世界中の人々を魅了しています。
彼の描く不思議な世界には、永遠に続く階段や重力を無視して流れる水、変身する動物たちなどが登場します。
彼のだまし絵の魅力とはなにか?この記事では、エッシャーの生涯、代表作、彼の芸術が生まれた背景を分かりやすくご紹介します。彼の魅力に引き込まれることは間違いなしです!
目次
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エッシャー美術館:Eschermuzeum2.jpg , Public domain, via Wikimedia Commons.
エッシャーとは?錯視を使った「だまし絵」
エッシャーの作品は、数学的・工学的な手法を駆使し、錯視と驚きの要素を中心に据えた想像的な世界を創り出しています。「奇想の版画家」とも称された彼は、世代を超えて多くの人々を魅了する芸術家です。
互いに描き合う2つの手
重力を無視して上に流れる水
別世界への扉を映し出す鏡
…など、彼の版画には独特で奇抜な表現が見られます。
鳥が魚に変わる様子や、終わりのない階段といった作品もその一例です。エッシャーの絵は、目で捉えたものを簡単には理解させず、見る者に不思議な感覚を与えているのです。
エッシャー生い立ちと作品への影響
プリンセスホフ陶器美術館(エッシャーの生家)Leeuwarden - Keramiekmuseum Princessehof.jpg, Public domain, via Wikimedia Commons.
幼少期と共育
エッシャーは、1898年にオランダ北部のレーワルデンで生まれました。彼の父であるジョージ・アーノルド・エッセルは、水利土木の専門家です。
埋立地として有名なオランダは、当時から水利技術が発達していました。とても裕福な家に生まれたエッシャーの生家は、現在「プリンセスホフ陶器美術館」となっています。
1903年、エッシャー家族はアーネムに引っ越しました。幼少時代には「モーキー」と呼ばれていたエッシャー。
幼い頃から身体が弱く、病気で入退院を繰り返していました。8歳くらいまでは、児童療養施設で過ごしていたようです。絵を描くことが好きで、望遠鏡やピアノなど様々な分野に触れました。
1912年にアーネムの中学校へ進学しましたが、勉強が苦手だったようです。特に数学が大嫌いでした。学業成績が芳しくなく、留年してしまいます。卒業試験も不合格でした。
勉強ができないので、大学に進学できるのか心配されましたが、エッシャーの親はお金持ちだったので、そのような心配は不要でした。彼は、父のコネクションでデルフト工科大学に入学できたのです。
しかし、裏口で入学しているので、他の生徒のような学力に追いつけず、大学でも留年してしまいます。エッシャーの親は彼を建築家にしたかったのですが、落第生のエッシャーをみて諦めたようです…。
芸術家への転向
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— M.C. Escher (@artistescher) November 25, 2024
1919年、エッシャーはデルフト工科大学を中退し、ハールレムの建築装飾美術学校に入学します。ここで彼は運命的な出会いをします。
グラフィックアートの教師サミュエル・デ・メスキータです。エッシャーは彼から版画を学びました。木版画からはじめ、その後にリトグラフなども学んでいきました。
リトグラフ:水と油の反発作用を利用した版画の一種。ほかの凹版画、凸版画などに比べると複雑で時間もかかる一方、線の強弱や質感の描写をより忠実に紙に表現できる点が特徴。
エッシャーはメスキータからの助言により、才能を開花させます。版画に専念するようになり、やがて版画家として生きていくことを決めました。
両親の支援で経済面でもサポートを受け、本格的に芸術家としての道を歩むことができたようです。
1922年、美術学校卒業後、エッシャーはイタリアを旅行します。イタリアの風景や自然から深いインスピレーションを受け、そこで見た風景を描いた作品を多数制作し、風景版画家としての道を歩みはじめます。
結婚とヨーロッパ各地
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— M.C. Escher (@artistescher) June 7, 2024
実家がお金持ちだったエッシャーは、年中イタリアへ旅行していました。旅行先でスイス人のウミカーと出会い、1924年に結婚します。その後ローマへ移住し、3階建ての新築の家を建てています。子どもも生まれました。生涯、彼は3人の子どもに恵まれています。
イタリアには10年ほど住んでいましたが、その間「もっと大きな家に」と引っ越しをしているそうです。このお金も親から出資を受けていました。
画家としての最初の頃の作品は、風景版画が多くみられます。有名なのが「カストロヴァルヴァ」「アトラニ」などです。イタリアの古い街並みやアマルフィの海岸などが描かれています。
1930年「カストロバルバ」を制作。風景版画の最高傑作とされるも、風景画家として充分な名声は得られませんでした。
スペインへの旅とテセレーションへの目覚め
1922年頃、エッシャーはスペインに旅行しています。その時に、アルハンブラ宮殿を訪れたことが、彼のその後の作品に大きな影響を与えました。アルハンブラ宮殿はスペインのグラナダに建つ宮殿でイスラム芸術の結晶と言われています。
アルハンブラ宮殿, Public domain, via Wikimedia Commons.
建物内には、イスラムの幾何学装飾がびっしりと詰め込まれています。エッシャーはこれをみてから、イスラムの幾何学模様に強い興味を持つようになりました。
1935年、イタリアにファシズムが入ってきました。べニート・ムッソリーニのファシスト党(ドイツのナチスみたいなもの)がイタリアを統制しようとしていたのです。
ファシズム台頭と次男アーサーの病気を機に、エッシャー一家はスイスへ移住します。しかし、彼は寒いのが苦手でした。スイスに引っ越したら寒さが嫌になったそうです。1936年に2回目のアルハンブラ訪問をしています。
再びアルハンブラ宮殿を訪れたエッシャーは、建物内のムーア装飾に魅了されます。ここでテセレーション(繰り返し模様)に感銘を受け、イスラムの幾何学模様を大研究しはじめます。独自の連続パターンを創作に取り入れるようになりました。
オランダへの帰還と戦時下での活動
1937年、エッシャーはベルギーブリュッセルへ移住します。彼は有名な地質学者の兄から「お前のやっていることは結晶学に通じる。結晶学を勉強したらいいのでは?」と言われ、兄から勧められて文献を読んだようです。しかし、元々勉強嫌いな彼にとっては文献が難しく、彼の学びは長続きしませんでした。
エッシャーは、とても数学的な能力がありそうなのに、数学を使わずに実践で作品を表現しているのです。今ならコンピューターを使えば簡単に作れる模様ですが、彼はアナログで作っているのです。
しかも、その細かい模様を木版画に彫っています。とても細かくて根気のいる作業ができる能力を、エッシャーは持っていたのですね。
時期に制作された「昼と夜」は、変化や循環をテーマにしており、エッシャーの代表作の一つです。
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— M.C. Escher (@artistescher) October 18, 2021
ブリュッセルに2、3年住んだ頃にドイツ軍が攻めてきたため、1940年にはオランダのバーデンに引っ越しました。しかし、すぐにオランダもドイツ軍により占領されてしまいます。
占領時のナチスは、美術や文化も統率しようとしていました。オランダ文化院というのを作って、エッシャーに会員登録するように言ってきたのです。エッシャーはそれを拒否したところ、作品の展示が禁止されてしまいます。
もともとエッシャーは親のお金で生きていて、生活に困ることはありませんでした。仕事も挿絵を描く程度で暮らせたということです。しかし、戦時中にそのお金も尽きてしまいます。とても苦しい生活が続いたため、妻は心を病んでしまったのです。
ユダヤ人だったエッシャーの恩師メスキータは、ナチスに連行されアウスビッツでガス室へ送り込まれ死亡しています。非常に義理堅いエッシャーは、恩師が亡くなった後、その恩師の作品を集めて回顧展を開催しました。
国際的な評価と晩年
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— M.C. Escher (@artistescher) November 22, 2024
1951年、エッシャーの作品がアメリカの「Time」「Life」に取り上げられたことで、彼の国際的な認知度が高まります。
1954年、アムステルダム市立美術館で初の回顧展を、アメリカで初の個展を開きました。アメリカの個展では、作品が100枚も売れる経験をしました。親の財産がなくなり「もうダメか」となって、ようやく作品が売れるようになります。
生活はよくなったにもかかわらず、妻の具合は悪くなる一方でした。もともと身体の弱いエッシャーも、1962年に結腸がんを患い手術しています。
ここからどんどん体調が悪くなっていきました。何度も手術したようです。奥さんはスイスの精神病院へ行ってしまい、彼は病の中を一人孤独に過ごしていたのでした。
1970年、エッシャーは健康が悪化し、ユトレヒト州の芸術家用老人ホームに入居します。その後も健康が悪化し、1972年、74歳の時に病院で亡くなりました。
エッシャーの代表作
モーリッツ・コーネリス・エッシャー:Maurits Cornelis Escher.jpg , Public domain, via Wikimedia Commons.
エッシャーの作品は著作権で守られているため、この記事では作品の下にエッシャー美術館のリンクを載せてあります。ぜひ、リンク先のエッシャー作品を楽しんでください。
昼と夜(1938年)
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繰り返し模様と風景が融合した作品です。イタリアでの経験から着想を得ています。昼と夜が連続するような表現を通じて、日常と幻想が交差する独自の世界観を描いています。
描く手(1948年)
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お互いの手が書き合う構図で「無限」の概念を描写。エッシャーの「不可能な構造物」への探究が色濃く反映されています。
婚姻の絆(1956年)
Bond of Union pic.twitter.com/gg9xjClJao
— M.C. Escher (@artistescher) August 9, 2024
妻の心がどんどん病んでいくのを辛く感じていた頃に書いた作品です。右がエッシャー、左が妻が描かれていると言われています。2人の愛を「終わりのない帯で結ばれた象徴的なイメージ」として表現したものだそうです。
円の極限(蝶)(1950年)
Circle Limit with Butterflies pic.twitter.com/b2TnQIsce0
— M.C. Escher (@artistescher) August 6, 2024
テセレーションの研究から発展した作品で、無限の追求が顕著となって表れています。中心に向かうほど図形が小さくなる様子は、彼の数学的感性と視覚表現の一体化を象徴しています。
蛇(1969年)
Snakes #artbots #escher pic.twitter.com/3QuhGVhqjC
— M.C. Escher (@artistescher) October 3, 2024
遺作となった作品。エッシャーが晩年に見据えた「無限」というテーマが深く反映されています。
日本で公開中のエッシャー展
長崎県のハウステンボス美術館で大規模なエッシャー展が開催されています。
展覧会では、エッシャーの作品を初期から晩年までテーマごとに分けて紹介し、彼を育んだオランダの文化や時代背景にも焦点を当てます。
それらがどのように彼の作品に影響を与え、また作品がどのように変化していったのかを紐解きます。
ハウステンボスが所有する約9,000点の収蔵品の中から厳選された作品を、ぜひ楽しんでください。
※展覧会は3期に分けて開催されます(第Ⅰ期は終了済)。Ⅱ期は2024年11月16日(土)~2025年1月6日(月)、Ⅲ期は2025年1月11日(土)~3月2日(日)となっています。
各期の展示作品については公式HPをご確認ください。
ハウステンボス美術館「大エッシャー展」特設サイト
大エッシャー展
エッシャーの作品が収蔵されている主な美術館
次の美術館にエッシャーの作品が収蔵されています。
Escher in Het Paleis
オランダのハーグにある美術館で、エッシャーの作品を専門に展示しています。2002年11月、ランゲ・フォールハウト宮殿の中に開館しました。美術館のホームページは、日本語で翻訳されて見れるようになっていて、とてもわかりやすいです。訪問の前にはぜひチェックしてみてください。
120点以上もの作品が常設されています。
Escher in Het Paleis公式HP
三重県
三重県立美術館:メタモルフォースⅡ(1939年-1940年)、秩序とカオス(1950年)、物見の塔(1958年)
三重県立美術館公式HP
エッシャーを深く理解するためにオススメの書籍・DVDなど
エッシャーの生涯と作品に迫る、厳選された書籍とDVDをご紹介します。彼の芸術世界を深く探求するのにオススメです。
エッシャー完全解読――なぜ不可能が可能に見えるのか
150点におよぶ図版を通じてだまし絵の制作過程を細かく解析し、エッシャーが語らなかったそのトリックを解き明かしていきます。謎解きの魅力にあふれた一冊です。
エッシャー完全解読――なぜ不可能が可能に見えるのか
エッシャー 不思議のヒミツ
エッシャーが師匠メスキータのもとで学んでいた時期にアール・ヌーヴォーから影響を受けた作品を皮切りに、イタリア滞在時代に制作された作品を中心に紹介しています。
エッシャー 不思議のヒミツ
M.C.エッシャーと楽しむ算数・数学パズル
敷き詰め模様(テセレーション)を楽しめるパズルを紹介した一冊です。小・中学校の算数や数学の図形学習や探究学習などに活用できます。コピーして使えるワークシート付きです。
M.C.エッシャーと楽しむ算数・数学パズル
まとめ
エッシャーの作品は、数学的な構造と芸術的な感性が見事に融合した「不思議な世界」そのものです。彼の人生や文化的背景を知り、だまし絵の奥深さに触れることができたのではないでしょうか?
本記事でご紹介した美術館や展覧会、書籍を通じて、エッシャーの世界をさらに深く楽しんでみてください!
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本の執筆をメインに活動中。イロハニアートでは「難しい言葉をわかりやすく。アートの入り口を広げたい」と奮闘する。幼い頃から作品を作るのも見るのも好き。40代の現在も、自然にある素材や家庭から出る廃材を使って作品を作ることも。美術館から小規模のギャラリーまで足を運んで、アート空間を堪能している。
本の執筆をメインに活動中。イロハニアートでは「難しい言葉をわかりやすく。アートの入り口を広げたい」と奮闘する。幼い頃から作品を作るのも見るのも好き。40代の現在も、自然にある素材や家庭から出る廃材を使って作品を作ることも。美術館から小規模のギャラリーまで足を運んで、アート空間を堪能している。
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