STUDY
2025.1.29
【浮世絵をカラフルにした鈴木春信】ラノベ風の春画から、高尚なパロディ、純愛まで江戸風俗を多彩に描く!
みなさん、江戸時代の絵師・鈴木春信をご存知ですか?
浮世絵版画界に彗星の如く現れた1760年から、1770年までのわずか10年ほどの活動期間に、なんと1000点以上の浮世絵を残したそうです。平均して、3日に1枚のペースで新作を描き続けていたなんて、なんたる創作力。
鈴木春信は版画技法を開発し、浮世絵をカラフルにしたとして評価が高く、上品で雅な画を多く残しています。しかし、彼の魅力はそれだけではありません。シナリオ作家かと思うほど、ストーリー性のある作品も多く残しています。
今回は、鈴木春信の浮世絵版画界に残した功績や代表作をご紹介するとともに、シナリオ作家気質(?)の側面もご紹介してまいります!
目次
謎に包まれた鈴木春信の一生
着物を着たシュタンデ ヴロウ-西川祐信-Public domain, via Wikimedia Commons.
鈴木春信について文献が少ないようで、彼の詳細は不明な点が多いようです。現在までの研究では、1725年に生まれ、1770年に生涯を終えたとされています。春信は最初に京都の西川祐信(にしかわ すけのぶ)に師事し、その後、江戸の神田白壁町(現在の千代田区)に居を構え、浮世絵師として活動を始めました。彼の作品は、35歳から45歳までに10年間に描かれ、45歳で江戸の地で生涯を閉じました。
師匠の西川は、浮世絵の中心地である江戸の作風とは異なっていました。江戸では、当時の市井の風俗をそのまま描くスタイルが一般的でしたが、西川は浮世絵に古典の知識を引用して当時の風俗に置き換える、知的な構成を用いています。古典をメタファーにして浮世絵を描く、みたいな感じでしょうか。
江戸の本流とは違うスタイルの西川ですが、後世の浮世絵師に大きな影響を与えています。そのひとりが春信なのです。
浮世絵版画界へのデビュー
鈴木春信が浮世絵界にデビューした1760年当時、版画の技法はまだ発展途上でした。当時は、墨だけの版画から3色程度の版画である紅摺絵(べにずりえ)に発展した時代でした。当初、春信が手掛けていたのは役者絵でしたが、現存する役者絵は世界でも1点ずつしか確認されていないようです。
その後、7作品ひと揃いの紅摺絵〈風流やつし七小町〉に代表されるような、雅な品のある美人画風の作風が確立されていきます。
小野小町七物語 八つ子(パロディ) 天恋 鈴木春信作 江戸時代 18 世紀 - 東京国立博物館 - Public domain, via Wikimedia Commons.
浮世絵には〈風流やつし七小町〉以外にも、画題(タイトル)に「やつし」という語が含まれる作品があります。これは、日本や中国の古典で出てくる人物を、当世風にアレンジした人物画のときに使われます。
「七小町」とは、平安時代の女流歌人・小野小町を題にした7つの謡曲の総称で、「関寺小町」「鸚鵡小町」「卒塔婆小町」「草紙洗小町」「雨乞小町」「清水小町」のこと。
〈風流やつし七小町〉は、この「七小町」を題材にして当世風にアレンジした浮世絵ということになり、7つの謡曲それぞれの画を描いています。
また、春信は同時期に、水絵(みずえ)と呼ばれる技法も使っています。水絵とは、輪郭に墨の線を使わずに、緑色や黄色などの淡い色だけの色版で擦る浮世絵の技法で、柔らかい印象の版画に仕上がります。春信の浮世絵の中で紅摺絵と水絵は、あわせて30点ほど残っています。
色鮮やかな絵暦(えごよみ)の版画でブレイク!
鈴木春信が一躍有名になったのは絵暦(またの名を大小暦)でした。江戸時代、幕府は暦の自由売買を禁止していました。なぜなら、当時の暦の計算は一般人には困難だったためです。
月の動きを基準に作る太陰暦は毎年、ひと月が30日ある「大の月」とひと月が29日の「小の月」が変わり、かつ、数年おきに一年が13ヶ月になるという、アクロバティックなカレンダー。
この計算が非常に大変で、江戸の天文方と京都の陰陽師が何度もやりとりして完成するという煩雑さ。素人が作ってうっかり間違えば、世間は大混乱になるでしょう。ということで、幕府が厳重に暦を管理し、公的に認められた暦だけが販売を許可されました。
ところが、月の大小や、12ヶ月か13ヶ月だけでもぱっとわかる暦がほしいというニーズが起き、そこで生まれたのが、画の中に月の大小を組み込む「絵暦」というユニークな方法でした。必要に迫られて生まれた絵暦はやがて、頓知を効かせたものや、贅を凝らしたものなど、創意工夫が施され、どんどん手が込んでいきます。特に富裕層の間で作られた絵暦は豪華になっていきました。
この絵暦、もちろん販売はできませんので、旧暦中に作ってお正月の贈り物として仲間と交換しあったり、得意先に配ったりしていました。庶民から藩主まで絵暦の交換はブームとなりますが、富裕層の趣味人たちは、絵暦の図柄を浮世絵師に依頼するようになります。1765年には、絵暦の出来栄えを競う「大小取替会」というコンテストが開かれるほど、ブームは最高潮に。
こうした時代背景の中、富裕層から依頼を受け、素晴らしい絵暦を発表するのが春信だったのです。絵暦ブームによって版画は、紅摺絵から多色摺りの技術が開発されました。春信もこの多色摺りを取り入れて、錦織のように美しい図柄の絵暦を世に出していきます。
鈴木春信(1724-1770)「夏の雨に水浴する若い女性」(1765年)。オランダ、マーストリヒト陶芸センターの日本版画コレクション。Public domain, via Wikimedia Commons.
春信の絵暦の中で代表作と言えるのが下の〈夕立図〉です。夕立が来たので、慌てて洗濯物を取り込もうとして、思わず下駄を飛ばしてしまう華奢な女性。洗濯物の模様には「大、二、三、五、六、八、十、メ、イ、ワ、二」と書かれ、帯には「乙、ト、リ」と書かれているらしく、これにより明和2年(1765年)の大の月を示した絵暦ということがわかるそうなのですが(えっ、わかりますか?)……。
江戸の人たちって、すごいですよね。この画の中のどこに、文字や数字が隠れているか探し当てるのですから。なんか、「ウォーリーを探せ」的な、知恵の輪をくねくねしている的な気分になります(汗)
絵暦のリメイク版として誕生した錦絵(にしきえ)
絵暦の成り立ちとブームが面白くて、つい、詳しく書いてしまいました(笑)
さて、そんなフィーバーぶりの絵暦交換ですが、1765年を境に徐々に熱が冷めていきます。しかし、富裕層の尽きぬ資金提供のもと、春信は浮世絵師として技術の向上に余念がありません。さらに色鮮やかな浮世絵を求めて多色摺りの技法を発達させていきました。
鈴木春信 - 夜梅図Public domain, via Wikimedia Commons.
これに目をつけたのが版元です。版元は、春信の描いた富裕層向けの絵暦をリメイクして、一般大衆向けに販売しようと目論みました。まずは春信から版木を譲り受け、暦の部分や依頼主の名前を削り取ってその部分だけアレンジして増刷。「吾妻錦絵」と名付けて販売します。
江戸の民衆はカラフルな錦織のような浮世絵に夢中になりました。これ以降、錦絵は色鮮やかな浮世絵として民衆の間で流行し、江戸の新たな名物になっていくのです。
木馬に乗った子供と傘を持った美人図 - 鈴木春信作 - 東京国立博物館Public domain, via Wikimedia Commons.
しかし、美しく発展していく錦絵の起こりが絵暦のリメイクだなんて、ちょっと驚きというか拍子抜けというか。板木のそんな二次利用ありなんですね。現代だったら、いろいろな権利問題がくっついてきそうです(苦笑)
教養高いパロディ? 見立絵(みたてえ)
鈴木春信は、「見立絵」の世界でも代表作となる浮世絵を残しています。見立絵とは、歴史上の出来事や故事古典を、当世の風俗に置き換えて表現する絵のことです。前述した「やつし」と似ているように思いますが、手法が異なります。
「やつし」は古典を当世の風俗にアレンジした人物画で、描かれる人物は姿形や時代設定が変わっても、あくまでも描こうとした古典の人物です。一方、「見立」は描きたい対象(人以外でもOK)を別のものを使って表現し、連想によって絵と対象とを結びつける手法なので、描きたい対象と描いているものは、同一ではありません。見立絵はメタファーや一種のパロディという感じでしょうか。
見立絵は、鑑賞しながら原典を当てたり、メタファーの機知に感心したりしながら楽しむもの。しかし、春信の作品は、画の見立の原典を示す画題が記されることはほぼないので、春信の意向を解明するには、当時でも難解だったのではないかという意見もあります。また、現在、見立絵であると推測できても、その原典やテーマがわからない作品も多くそうです。春信は、相当教養が高かったのでしょうね。
日本浮世絵 提灯と傘 1770 鈴木春信Public domain, via Wikimedia Commons.
こちらの〈雨中夜詣〉は、江戸の町娘・お仙をモデルに、謡曲「蟻通明神」の情景を描いた見立絵(みたてえ)と考えられています。
古典への憧憬。江戸風俗を描いた鈴木春信の揃物(そろいもの)
鈴木春信は、当時の庶民のなにげない日常を描いているものが多いのですが、平安時代の雅な雰囲気を感じさせる格調の高さがあります。実際のところ、画の発想や構図の多くを古典に求めています。これは、西川に師事した影響でもあるでしょう。
中でも画面を雲形や短冊・色紙形で区切ったり囲んだりして、そこに古典和歌を綴り、その歌の意味になぞらえた江戸の風俗を描く作品群は、彼の古典志向の最たるものかもしれません。このような作品はシリーズものが多く、〈六玉川〉や〈三十六歌仙〉、〈風俗四季哥仙〉など、上品な揃物(そろいもの)が多く生まれました。
設定が奇想天外すぎて思わず続きが見たくなる、鈴木春信のラノベ風春画
有名な浮世絵師は誰もが春画を描いていると言っても過言ではありませんが、鈴木晴信もたくさん手掛けています。江戸時代の春画を見ていると、「デフォルメが過ぎるだろ」とか「こんなシチュエーションってある?」と思うこともしばしば(笑)。
でも、どこかあっけらかんとしているというか、性を明るいところに持ってきて見せている印象を受けます。明治以降の文学や芸術における性とは、ある意味真逆な気がします。
鈴木春信 - 風流艶色真似ゑもんPublic domain, via Wikimedia Commons.
ユーモアすら感じる春画ですが、その中でも春信の春画はなかなか奇想天外です。彼の春画の代表作ともいえる〈風流艶色真似ゑもん(ふうりゅうえんしょくまねえもん)〉シリーズは、仙薬を飲んで小人になった「まねえもん」という男性が、好色修行のために全国行脚し、各地で男女の夜の営みを覗き見するというツッコミを入れたくなる設定です。
まねえもん、なかなかキャラ立ちしています。上の画は縁側で、有名な歌舞伎俳優の瀬川菊之丞(二世)が新造の着物の裾に手を入れ、まさぐっている状況を花魁がしれっと見ているところです。まねえもんは木の上から覗きつつ、おならをしているという、お笑いのようなシーン。次はどんなことをやらかしてくれるのか、と続きが気になってしまいます。
青春の浮世絵師・鈴木春信、ガラスの十代の恋愛を描く
鈴木春信は春画とは真逆の繊細でピュアな男女の恋もたくさん描いています。男性も女性も華奢で線が細く、どこか儚げで、浮世離れしている空気を纏っています。それが、鈴木春信の繊細な筆運びと、素晴らしい色彩センスによって、見事に表現されていて甘美ですね。
鈴木春信-雪中相合傘Public domain, via Wikimedia Commons.
〈雪中相合傘〉はその代表作と言えるでしょう。雪の中、男女が相合傘で歩いています。男性は黒、女性は真っ白の着物姿でコントラストが強いのに、全体の雰囲気は柔らか。愛し合う二人の想いが、錦絵全体を包み込み、まるで純愛映画のワンシーンのようです。
高嶺の花の遊女から、会いに行ける町娘まで江戸の美人画を手がけた鈴木春信
1768年頃、鈴木春信は江戸で人気の町娘や、吉原の遊女など、実在の題材を描くようになります。笠森稲荷の水茶屋鍵屋のお仙や、浅草奥山の楊枝店本柳屋のお藤という評判の娘を数々描きました。
するとそれが爆発的な人気となり、お仙とお藤をひとめ見ようと、鍵屋と柳屋にお客が殺到。二つのお店は繁盛したようで、特にお仙に関しては、お仙の人形や手拭い、双六などのグッズまで販売されたそうです。推し活は、江戸も現代も変わらないですね。
春信の傑作のひとつである色摺りの豪華な絵本『青楼美人合』は、1770年に出版されました。これは、吉原の遊女166名の姿を名前と店名を入れて描き出しています。そして、この作品でしか見られない貴重な色、のちの浮世絵に欠かせない色を完成させています。
まとめ
鈴木春信の魅力をぎゅっとダイジェストでお届けしましたが、いかがだったでしょうか。
実は、彼の作品の多くは海外に保管されています。明治に入り、浮世絵が国外に流出してしまったため、国内ではごく限られた美術館でのみ所蔵されています。
春信の浮世絵が海を渡ったことで、欧米の芸術に大きな影響を与えたことが確かですが、国内に現存する作品が少ないことは残念です。
ですが、機会があればぜひ、国内の美術館に見に行ってみてください。きっと、雅なオムニバスや可憐な純愛ドラマから、奇想小説のようなアダルトもの(?)まで、彼の才能あふれる映画のような世界を五感で感じることができると思います!
以下は、国内で鈴木春信の作品を所蔵している主な美術館です。展示などの情報については、各美術館にお尋ねください。
千葉市美術館
〒260-0013千葉県千葉市中央区中央3-10-8
TEL:043-221-2311
開館時間:10時〜18時 (金・土曜日は、20時まで)
※入場受付は閉館の30分前まで
休館日:毎月第1月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始(12月29日~1月3日)、メンテナンス日
※上記の休館日以外にも、展示替え等のため各展示室が閉室となる場合がございます。
展覧会スケジュール等をご確認のうえご来場ください。
東京国立博物館
〒110-8712 東京都台東区上野公園13-9
TEL:050-5541-8600(ハローダイヤル)
開館時間:9時30分~17時00分
毎週金・土曜日、2025年1月12日(日)、2月23日(日・祝)は~20時
(入館は閉館の30分前まで)
休館日:月曜日(ただし月曜日が祝日または休日の場合は開館し、翌平日に休館)
2024年12月17日(火)、年末年始(2024年12月23日(月)~2025年1月1日(水・祝))
その他、臨時休館・臨時開館あり。
太田記念美術館
〒150-0001 東京都渋谷区神宮前1-10-10
TEL:050-5541-8600
開館時間:10時30分~17時30分(入館は午後5時まで)
休館日:ご来館前に開館カレンダーページをご覧下さい。
休館日:毎週月曜日(祝日の場合は開館、翌日休館)、展示替え期間(開館カレンダー 参照)、年末年始
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建築出身のコピーライター、エディター。アートをそのまま楽しむのも好きだが、作品誕生の背景(社会的背景、作者の人生や思想、作品の意図…)の探究に楽しさを感じるタイプ。イロハニアートでは、アートの魅力を多角的にお届けできるよう、楽しみながら奮闘中。その他、企業理念策定、ブランディングブックなども手がける。
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