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2025.1.30
溶けた時計の意味とは?ダリ『記憶の固執』の面白さを3つのポイントで解説
ぐにゃりと歪んだ時計が印象的な『記憶の固執』は、スペインのシュルレアリスムの芸術家ダリの代表作です。ユニークな表現が目を惹くだけではなく、薄暗い色彩になんとなく不安な印象を受ける人も多いのではないでしょうか。
目次
『記憶の固執』 は、ダリの時間・記憶・知覚探求を絵画に落とし込んだ作品として知られます。コンセプトを理解するためにはダリの深い思想を知る必要があり、解釈が難解な作品の1つです。
この記事では、そんなダリの『記憶の固執』を楽しく鑑賞できるよう、なるべくわかりやすい解説をします。
スペインのシュルレアリスムを代表する芸術家ダリ
サルバドール・ダリ 1939年, Salvador Dalí 1939, Public domain, via Wikimedia Commons.
サルバトール・ダリ(1904-1989年)は、スペイン出身の芸術家です。シュルレアリスム運動の代表的な存在で、絵画だけではなく、彫刻や文学作品を残したことでも知られます。
ダリは、スペインのカタルーニャ地方で生まれました。カタルーニャ地方は現在まで続く独立運動をしている地域で、ダリが生きた時代にも独立運動は盛んでした。
1920年代にパリに移ったことをきっかけに、ダリはシュルレアリスムのスタイルを確立させます。この時代はシュルレアリスムが実験的にさまざまなアートを試した頃で、ダリは心理学や科学分野からも影響を受けつつ、アイデアを形に落とし込む方法を模索しました。
とくにダリが強く影響を受けたのが、フロイトの精神分析理論でした。精神分析理論は、「無意識」が人間の行動に影響を与えているという考えに基づいています。フロイトは「夢」にこそ無意識が反映されると考え、夢分析を通して潜在的な欲望を理解できると考えました。
ダリは作品のなかで、フロイトの夢分析をはじめとした人間の深層心理や、幻想的な世界とのつながりを重視しています。一見不思議な彼の作品は、実は深く知的なメッセージが込められていることが多いのです。
シュルレアリスムとは?
イヴァン・ゴル『シュルレアリスム』(Manifeste du surréalisme)第1巻第1号、1924年10月1日、表紙:ロベール・ドローネー, Yvan Goll, Surréalisme, Manifeste du surréalisme, Volume 1, Number 1, October 1, 1924, cover by Robert Delaunay , Public domain, via Wikimedia Commons.
ダリが牽引したシュルレアリスムとは、一体どんな芸術ジャンルでしょうか?
シュルレアリスムは、1920年代、ちょうどダリが滞在していた頃にフランスで誕生した芸術運動です。目に見える現実ではなく、夢や無意識といった超世界を表現することを目的とします。
ダリがそうであったように、多くのシュルレアリスムの芸術家はフロイトの聖人分析理論に影響を受けていました。夢の世界にしばしば秩序がないように、無意識世界には理性の及ばない精神的な象徴があり、芸術における抑圧された欲望の表現を目指したのです。
ダリのほかには、ルネ・マグリットやマックス・エルンストなどの芸術家が代表的です。
ダリの芸術の特徴
ダリの芸術の特徴は、理性的ではないものの表現です。人間の無意識には非現実的だが象徴的なものが潜んでおり、ダリはそれを視覚的に示すためにあえて歪んだ造形を好みました。
たとえば、『記憶の固執』に登場する時計。ぐにゃりと曲がっており、現実ではまず目にしない形ですよね。奇妙さを前面に押し出すことで、芸術が示すものが理性を欠いていることを簡潔に伝えています。
異常な形で描かれているのは、形状だけではありません。ダリは空間や時間も歪めて作品に表現しました。神話的なモチーフや幻覚的な風景が含まれることで、作品の舞台が「現実世界ではない」という前提を鑑賞者に訴えかけます。
『記憶の固執』 はダリの考える「時間の不確実性」を表している
『記憶の固執』は、夢や無意識をダリの解釈で表現した代表作です。ダリの考えのベースにあるのは「時間の不確実性」であり、主役のように並んだ時計を時間の歪みをわかりやすく表現しています。
時間の不確実性は、ダリが抱いていた「時間の絶対性への疑問」に端を発しています。時間は誰にでも同じように過ぎるわけではなく、意識や感覚に大きく依存しているものだと、ダリは考えていました。
楽しい時間はすぐ過ぎるのに、嫌なことをしている間は時間がものすごく長く感じますよね。ダリは、同じ時間であっても、観測する人や状況に応じて長さの感覚が異なることに着目していました。(そしてこれは、アインシュタインの相対性理論にも通じています。)
さらにダリは『記憶の固執』の作品のなかで、記憶の流動性を指摘しています。
過去の記憶を正確に維持することは不可能であり、細かいことは時間経過とともに忘れてしまったり、記憶が変化してしまったりすることがあるでしょう。ダリは、時間と記憶という概念が、いかに正確性を欠く幻想であるかを、作品を通して示したと解釈されています。
ダリ『記憶の固執』を理解するためのつ3のポイント
ダリの『記憶の固執』を理解するために、次の3つのポイントに着目してみましょう。
• 溶けた時計
• 背景
• 虫
『記憶の固執』のポイント①:溶けた時計
『記憶の固執』の最大のポイントは、なんといっても溶けた時計です。『記憶の固執』の中心的なメッセージが時間の不確実性・流動性であることからも、作中の時計が時間の寓意であることは明確です。
『記憶の固執』の作品のなかには複数の時計が登場し、それぞれ異なる場所に配置されています。
もっとも印象的な時計は、中央にある木の枝に掛かっているものでしょう。静かに立っている木とは対象的に、時計は柔らかい物体であるかのように溶けています。
時計は一般的に固く、しっかりした物体ですが、それが歪んでいる。つまり、時間は柔軟であり、止まったり、溶けたり、変形したりする。溶けた時計は物理的な時間の束縛からの解放を意味しています。
『記憶の固執』を通してわかるダリの時間に対する考え方の根幹には、フロイトの精神分析のほかにも、アインシュタインが発表した特殊相対性理論があります。特殊相対性理論とは、ニュートン力学で証明できない物体の力学挙動を、時間の経過と空間中の移動速度との関係から説明したものです。
簡単にいえば、一定の条件下において、観測者や観測対象の状況に応じて時間や速度が変化するという考え方です。ダリはこのアイデアを絵画に取り入れ、時間の絶対性を問い直しました。
時計が解けるという現実世界ではありえない現象は、夢や無意識の表現の一環でもあります。常識的には考えられないことが起こり、現実の物理法則は無視される無意識世界の表現は、シュルレアリスムのメインテーマの1つです。
『記憶の固執』のポイント②:背景
『記憶の固執』の面白さを理解するためのポイントの1つに、背景があります。中央で力なく溶ける時計と、背景の荒んだ風景のコントラストは、いわゆる世紀末的な雰囲気ですね。
ただ広がる荒野にはなにもなく、具体的な構造がありません。そのせいか、幻覚を見ているかのような孤独感のような不安を感じます。これは、ダリが現実世界の脆弱性を表していると考えられ、何もない場所にでも時間の影響力が及んでいることを示唆しています。
背景の質感は、全体的にあいまいです。陰影や光源が定かではないため、のっぺらぼうのような不自然さがあります。遠い荒野まで広がる地面は、非現実感を強めています。
実際、作品全体はほのかに明るい日差しがあるようですが、太陽の位置はいまいち掴めません。夕暮れや朝焼けのような彩りはなく、ただどこからか明かりだけが届く…時間帯のあいまいさは、溶けた時計と同じように「時間の不確実性」を示すのでしょう。
遠くに描かれた崖のような岩場は、ダリの故郷のカタルーニャ地方の風景とも言われます。作品のなかに明確な人物や生物は描かれておらず、不気味な明るさも相まって、逆説的に孤独な印象を与えます。
「虚無」という言葉がしっくりくるような寂しさは、時間ととも記憶が薄れていく感覚にも通じています。時間は絶対ではなく、記憶は不確実で、確かなものは死のみ。歪んだ時計のポップで不思議な絵と思いきや、実は深い思考が隠されているのですね。
『記憶の固執』のポイント③:幻想的な虫
ダリの『記憶の固執』には、主人公となるような生物や人物は描かれていません。しかし、左手前には、虫が群がる箇所があり、唯一作中で明らかな活気を感じさせるポイントです。しかし、ダリ作品の虫たちには、活発な意味があるわけではありません。
ダリの作品にはしばしば昆虫が登場しますが、多くの場合は死や腐敗を象徴します。これは、ダリが幼少期に昆虫がアリたちに食べられているシーンを目にした際、「虫」と「死」が強く結びついたためと考えられています。
亡くなった昆虫に群がり、殻のなかまで貪る様子は、幼いダリにはショッキングでした。ハエも死体や腐敗物にたかることから、死を象徴するモチーフとして、ダリはアリとハエを特に好んだようです。
まとめ:『記憶の固執』は意味が深い作品
『記憶の固執』は、実はダリの時間と記憶に関する深い関心が反映された作品です。非現実的でポップな作風からは想像できないほど(失礼?)、ダリは知的で思慮深い人物だったことが想像できます。
背景にある思想を理解すると、作品がより違って見えますね。以上、ダリの『記憶の固執』についてでした!
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イタリア・ローマの大学の美術史修士課程に在籍中。3年半勤めた日系メーカーを退職後、2019年から2年半のスペイン生活を経てフリーライター、日英・日西翻訳として活動するかたわら、スペイン語話者を対象に日本語を教えています。趣味は読書、一人旅、美術館・教会巡り、料理。
イタリア・ローマの大学の美術史修士課程に在籍中。3年半勤めた日系メーカーを退職後、2019年から2年半のスペイン生活を経てフリーライター、日英・日西翻訳として活動するかたわら、スペイン語話者を対象に日本語を教えています。趣味は読書、一人旅、美術館・教会巡り、料理。
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