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2025.3.14
『モーリス・ユトリロ』世界で一番売れた画家の寂しさに包まれた生涯と、特別な魅力が宿る風景画にこめられた思い
フランスのモンマルトルで生まれたモーリス・ユトリロ。身近な景色を、情緒あふれる表現で描いた風景画が彼の作品の魅力です。
母親の育児放棄の寂しさから、精神を病んでいきます。そんな彼は、祖母から与えられたアルコールを幼少期から飲むようになり、依存症へ。
医師の勧めではじめた「絵を描く」ことで、絵画の世界へ一歩踏み出すこととなります。
ユトリロの作品は、世界で一番売れたと言われるほど人気が高いのです。お土産として買っていく日本人も多いのだとか。
しかし、彼の人生はとても寂しさに包まれていました。いったいなぜでしょうか。
この記事では、
・ユトリロの生い立ちと、それがどのように作品に影響しているのか
・ユトリロの代表作品(5選)
・ユトリロの作品を所蔵している日本の美術館
・日本で開催予定のモーリス・ユトリロ展情報
についてご紹介します。
記事を読むことで、彼のもの寂しげな作品にこめられた思いを感じ、深く作品を味わえるようになります。
ぜひ、最後まで読んでみてくださいね。
目次
モーリス・ユトリロの生涯
モーリスユトリロ(彼の母による作品):Maurice Utrillo, par Suzanne Valadon.jpg, Public domain, via Wikimedia Commons.
非嫡出子として生まれ、育児放棄された幼少期
ユトリロは1883年、フランスのモンマルトル丘のふもとの町で、非嫡出子として生まれました。
生まれつき体が弱く、2歳の頃はてんかんの発作に見舞われています。この時の後遺症が以降も残っていました。
ユトリロの母シュザンヌ・ヴァラドンは、ユトリロと同じように、非嫡出子として生まれいます。18歳でユトリロを産んだシュザンヌは、針子をしながら多くの有名なアーティストのモデルとしても活躍していました。アーティストには、ルノワールやロートレック、エリックサティなどがあげられます。
シュザンヌは仕事とモデルをした画家などとの男性関係に忙しく、ユトリロをほったらかしにしていました。母親に目をかけてもらえないユトリロは、孤独を感じ、精神不安定になります。
7歳の時に、スペインの評論家に認知され、ユトリロを名乗る
ユトリロと母シュザンヌ:File:M Utrillo et sa mère S Valadon vers 1890.jpg, Public domain, via Wikimedia Commons.
ユトリロが7歳の頃、スペイン人の画家評論家ミゲル・ユトリロがユトリロを認知し、法律上の父となります。この時から、ユトリロを名乗るようになりました。ユトリロは法律上の父に会うことはなかったそうです。
彼の本当の父親には諸説あります。本当の父親が誰なのかは、今でもわかっていません。
アルコール依存症、精神病院へ
ユトリロの母シュザンヌには、絵の才能がありました。ドガに高い評価を受けるほどです。彼女は画家を目指し、祖母マドレーヌにユトリロを預け、彼と離れてしまいます。
酒好きの祖母マドレーヌは、ユトリロの残したスープの中にワインを入れて飲ませていたそうです。幼い頃からワインを飲むようになったユトリロは、酒が心の支えとなっていきます。
母シュザンヌが資産家のポール・ムージスと結婚したのは、ユトリロが13歳の時です。資産家の父のおかげで生活は安定しましたが、ユトリロは中学校で問題を起こし中退。その後に就いた職も長続きしませんでした。
ユトリロはアルコール依存症で暴力が増えるようになります。16歳の時には、完全に中毒へ。パリの精神病院に入院します。この入院に関して母シュザンヌと父ムージスとの間で意見が合わず、二人は破局を迎えます。
医師より絵画療法を勧められ絵の世界へ
ユトリロは、入院した病院の医師から絵を描くことを勧められます。「絵画療法」という治療法です。彼は、治療の一環として絵を描くようになります。
親譲りの才能を発揮。人物のいないもの寂しい絵が売れる
ユトリロは独学で絵を学びます。母シュザンヌの才能が受け継がれていたのか、彼の作品は高い評価を受けます。絵を認められるようになったことで、彼の精神が落ち着くことが増えていきました。
3歳年下の継父と母の離婚と年上の女性とユトリロの結婚
ユトリロ・母シュザンヌ・継父:File:Henri Martinie, Portrait de Suzanne Valadon, André Utter et Maurice Utrillo, 1920, musée de Montmartre, coll. le Vieux Montmartre.jpg, Public domain, via Wikimedia Commons.
ユトリロが21歳のころ、母シュザンヌは自分の息子より3歳も若い男性と付き合いはじめます。
このことは、母の愛を求めていたユトリロにとって相当なショックでした。精神不安定になり、再び酒を飲むようになります。
絵が売れては、儲けたお金で酒を飲む生活
当時のモンマルトルは観光地として栄えていました。観光客はお土産として、ユトリロの作品を購入していきます。
モンマルトルの地に生まれた彼だからこそ描ける風景には、絵葉書では表せない想いが込められています。油絵で描かれた彼の作品を、旅の思い出として、多くの観光客が買っていきました。
想像以上に売れたことにより、ユトリロは多くの収入が得られるようになります。このことが、彼を再びアルコール漬けにしてしまいました。ユトリロは絵を描いて、売って、飲んで暴れて捕まる、を繰り返す日々でした。
療養所から脱走した頃、ユトリロはモンパルナスでモディリアーニに出会います。彼は、ユトリロの唯一の友となりました。お互いが酒好きだったので、飲み明かすことも多かったそうです。しかし、不運なことにモディリアーニは、一年後に亡くなります。
唯一の友人を失ったユトリロは、再び孤独な人生を送ることになるのです。
貨幣製造機扱いの人生
私生活では恵まれないユトリロでしたが、皮肉にも絵が売れなくて困ることはありませんでした。
1929年の世界大恐慌の時、多くの芸術作品は売れなくなりました。しかし、ユトリロの作品だけは、大恐慌の影響を受けなかったと言われています。それほど、彼の作品は人気があったということです。
精神不安定だけれど、作品は売れる。母シュザンヌと継父はそんな彼を、「貨幣製造機」
として扱います。
ユトリロは晩年、美術愛好家で財産家の未亡人であるリシュー・ヴァロールと結婚します。この結婚は、決して幸せなものではありませんでした。彼女は、ユトリロの人格ではなく画家の婦人であるという名声が欲しかったのです。
ユトリロは、ヴァロールの望むままに絵を描き、まるで囚人のような生活を送りました。1955年、ユトリロは風邪をこじらせて、71歳の生涯を閉じます。
ユトリロの全盛期は白の時代(1907-1914)
ユトリロ『Ferme à Ouessant』:File:Farm-on-l-ile-d-ouessant-finistere.jpg , Public domain, via Wikimedia Commons.
ユトリロが生まれたモンマルトルには、レンガや漆喰の階段が多くあります。彼の身近には「白」が多かったのです。ユトリロは「白の画家」と呼ばれるほど、白を多用して絵を描いています。
1907年から1914年ごろまでは、ユトリロの「白の時代」です。1907年には1年に600枚も描いています。後に、この時代の作品は彼の絶頂期として、高く評価されました。
白の時代の作品のもう一つの特徴として、「人物がいない」もしくは「人物がいてもとても小さく描かれている」ということが挙げられます。
観光地として賑わうモンマルトルの風景をユトリロが描くと、美しさの中にもの寂しさを感じる方も多いのではないでしょうか。彼の恵まれない生活環境が反映されているのでしょう。
モーリス・ユトリロの芸術作品(5選)
モーリス・ユトリロの美しい風景画は、世界の美術館や個人のコレクターのもとで、今もなお愛されています。
彼の全盛期「白の時代」の作品は、著作権の関係でリンク先をご紹介しています。晩年の「色彩の時代」の作品は画像とともにお楽しみください。
コッティンの行き詰まり(1910年頃 - 1911年)
(参考)コッティンの行き詰まり
ヴィルターネウス城(1908年頃 - 1909年)
(参考)ヴィルターネウス城
ノートルダム・ド・メルン教会(1910年~1915年頃)
(参考)ノートルダム・ド・メルン教会
ノルヴァン通り(1910年)
(参考) ノルヴァン通り
ラパン・アジール(1913年)
(参考) ラパン・アジール
モンマルトル、ノルヴァン通り(1916年)
モーリス・ユトリロ《モンマルトル、ノルヴァン通り》東京富士美術館蔵, 「東京富士美術館収蔵品データベース」収録, Public domain.
ムーラン・ド・ラ・ギャレット(1920年)
モーリス・ユトリロ《ムーラン・ド・ラ・ギャレット》東京富士美術館蔵, 「東京富士美術館収蔵品データベース」収録, Public domain.
モーリス・ユトリロの作品を所蔵している日本の美術館
モーリス・ウトリロのサイン:Signatures of Maurice Utrillo.jpg , Public domain, via Wikimedia Commons.
東京都
西山美術館公式(ユトリロ館):ラパン・アジル、白い教会、雪のベッシーヌ・ス・ガルタンプの教会など多数
神奈川県
ポーラ美術館:モンマルトルの風景、モンマニーの風景、ラ・ベル・ガブリエルなど多数
徳島県
徳島県立近代美術館:オルテーズのサン・ピエール教会、モンマルトル、サクレ・クール寺院、サノワの通りなど多数
広島県
ひろしま美術館:モンモランシーの通り、シャラント県アングレム、サン=ピエール大聖堂
日本で開催予定のモーリス・ユトリロ展情報
モーリスユトリロ通:File:Plaque Avenue Maurice Utrillo - Argenteuil (FR95) - 2024-04-11 - 4.jpg, Public domain, via Wikimedia Commons.
2025年9月20日から東京都のSOMPO美術館で『モーリス・ユトリロ展』が開かれます。
彼の全盛期であった「白の時代」から晩年の「色彩の時代」まで、約60作品が展示される予定です。
SOMPO美術館『モーリス・ユトリロ展』
開催期間(予定):2025.09.20(土)- 12.14(日)
SOMPO美術館『モーリス・ユトリロ展』公式サイト
まとめ
フランスの画家モーリス・ユトリロ。母子家庭で育った彼は、仕事と男性に時を費やす母から十分な愛を受け取れませんでした。幼少期から精神が不安定になることが多かったようです。
幼い頃、祖母のもとで暮らしている間にお酒を飲むようになり、アルコール依存症となってしまいました。精神状態が悪化し、精神病院への入退院を繰り返しています。
病院の医師から絵を描くことを勧められ、画家を目指すようになりました。絵は独学でしたが、母譲りの才能を発揮しました。
彼が描くと、風景画に特別な魅力が宿ります。観光地として華やかなモンマルトルとは違う、静かで寂しげな一面が描かれているのです。
アルコールに苦しみながらも素晴らしい作品を描いたモーリス・ユトリロ。その絵をぜひ味わってください。
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本の執筆をメインに活動中。イロハニアートでは「難しい言葉をわかりやすく。アートの入り口を広げたい」と奮闘する。幼い頃から作品を作るのも見るのも好き。40代の現在も、自然にある素材や家庭から出る廃材を使って作品を作ることも。美術館から小規模のギャラリーまで足を運んで、アート空間を堪能している。
本の執筆をメインに活動中。イロハニアートでは「難しい言葉をわかりやすく。アートの入り口を広げたい」と奮闘する。幼い頃から作品を作るのも見るのも好き。40代の現在も、自然にある素材や家庭から出る廃材を使って作品を作ることも。美術館から小規模のギャラリーまで足を運んで、アート空間を堪能している。
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