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2026.7.31

これは英国史の絵か、それともフランス革命の記憶か—ドラローシュ《レディ・ジェーン・グレイの処刑》を読む

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目隠しをされた少女が、両手を前に伸ばしています。

彼女のすぐ前にあるのは、首を置くための処刑用の木の台です。しかし、彼女にはそれが見えていません。白い衣をまとった少女は、暗い空間のなかで手探りをしながら、自分がこれから死ぬ場所を探しています。

ポール・ドラローシュ《レディ・ジェーン・グレイの処刑》 1833年、ナショナル・ギャラリー、ロンドン, Public domain, via Wikimedia Commons.

そばには、彼女を導こうとする男性。床には血を吸わせるための藁が敷かれ、後ろでは侍女たちが悲しみに崩れています。右側には大きな斧を手にした処刑人が、静かにその時を待っています。

この絵は、フランスの画家ポール・ドラローシュが1833年に描いた《レディ・ジェーン・グレイの処刑》。現在は、ロンドンのナショナル・ギャラリーが所蔵しています。

「9日間の女王」の最期

描かれているレディ・ジェーン・グレイは、「9日間の女王」と呼ばれるイングランドの歴史上の人物です。

1553年、少年王エドワード6世が亡くなると、王位継承をめぐる政治的な思惑のなかで、ジェーンは女王として擁立されました。しかし、ヘンリー8世の娘メアリーを支持する勢力が巻き返し、その在位はわずか9日ほどで終わります。

ジェーンはロンドン塔に幽閉され、反逆罪で有罪となりました。そして1554年2月12日、塔内のタワー・グリーンで処刑され、処刑時の年齢は17歳とも言われます。

この作品は、若くして命を奪われた少女の悲劇を描いた絵として知られています。しかし、その魅力は、題材の悲惨さだけにあるのではありません。

注目したいのは、ドラローシュが史実を忠実に記録するよりも、観客が立ち止まらずにはいられない「見せ場」を選んだことです。

「処刑台はどこですか」

ドラローシュは、斧が振り下ろされる瞬間を描きませんでした。血が流れる場面もありません。

画家が選んだのは、その直前です。

目隠しをされたジェーンが、首を置く台の位置を見失い、両手を伸ばして探している一瞬。彼女はまだ生きています。しかし、もう逃げることはできません。

ポール・ドラローシュ《レディ・ジェーン・グレイの処刑》 1833年、ナショナル・ギャラリー、ロンドン。首を置く台を、両手を伸ばして探すされたジェーン, Public domain, via Wikimedia Commons.

この場面には、1834年のパリ・サロンで作品を見た観客を、物語の中へ引き込む仕掛けがありました。

当時のサロンのカタログには、1558年に刊行されたプロテスタントの殉教者に関する文献から、ジェーンの最期を伝える文章が引用されていました。そこには、目隠しをされた彼女が「どうすればよいのですか。処刑台はどこですか」と訴える場面が記されていたのです。

つまり、当時の観客は、彼女が何をしているのかを知ったうえで絵を見ていました。

ただ白い衣の少女を眺めるのではありません。「彼女は死ぬための台を探している」という言葉を頭に浮かべながら、その伸ばされた手を見る。すると、何げない手の動きが、突然、恐ろしい意味を帯びてきます。

ドラローシュは絵だけでなく、カタログに記された言葉まで含めて、観客の感情を作品へ導いていたのです。

英国の少女に重ねられた革命の記憶

なぜフランス人画家のドラローシュは、16世紀イングランドの少女王を題材に選んだのでしょうか。

作品が描かれた1833年は、フランス革命から半世紀もたっていない時代です。フランスでは、革命によって国王ルイ16世や王妃マリー・アントワネットが処刑され、政治の名のもとに多くの血が流れました。その記憶は、まだ遠い歴史ではありませんでした。

ナショナル・ギャラリーは、当時のフランスの観客が、チューダー朝の王族たちの運命と、フランス革命で処刑された王族との類似に気づいたはずだと解説しています。

ドラローシュがフランス革命そのものを描いたと断定することはできません。しかし、イギリス史の処刑場面を通して、フランスの観客が自国の革命と王族処刑の記憶を重ねた可能性は十分にあります。

王位をめぐる争い。政治に翻弄される若い命。そして、国家の判断によって執行される処刑。

白い衣のジェーンを見た19世紀フランスの人々は、遠いイングランドの物語だけでなく、自分たちの社会が経験した革命の傷も思い起こしたのかもしれません。

史実を、観客のための舞台へ

ドラローシュは、この歴史を観客が目の前で体験するような場面へと作り変えました。

実際のジェーンの処刑は、ロンドン塔内の屋外で行われました。しかし、絵の背景は暗く閉ざされ、室内の舞台のように見えます。中央には、強い光を浴びた白い衣のジェーン。左には顔を伏せる侍女たち。右には斧を持つ処刑人が配置されています。

ポール・ドラローシュ《レディ・ジェーン・グレイの処刑》 1833年、ナショナル・ギャラリー、ロンドン。斧を持つ処刑人, Public domain, via Wikimedia Commons.

ポール・ドラローシュ《レディ・ジェーン・グレイの処刑》 1833年、ナショナル・ギャラリー、ロンドン。顔を伏せる侍女たち, Public domain, via Wikimedia Commons.

白い衣も、史実をそのまま再現したものでありませんでした。暗い背景から少女だけを浮かび上がらせ、無垢な犠牲者として印象づけるための演出と考えられます。

19世紀のヨーロッパでは、パノラマやジオラマのような視覚的な見世物が人気を集めていました。また、歴史的な場面を俳優が静止した姿で再現する「タブロー・ヴィヴァン」も親しまれていました。

この絵が、歴史画でありながら映画の一場面のように見えるのは偶然ではありません。ドラローシュは人物と光を舞台のように配置し、次の瞬間に何かが起こるという緊張を作り出しています。

準備素描からも、画家が人物の位置や姿勢を細かく検討していたことが分かります。

本画制作のための準備素描, Public domain, via Wikimedia Commons.

ジェーンの手をどこへ伸ばすのか。身体をどれほど前へ傾けるのか。そばの男性は、彼女を支えているように見せるのか、それとも処刑台へ導いているように見せるのか。

本画制作のための準備素描, Public domain, via Wikimedia Commons.

画面の緊張感は、偶然に生まれたものではありません。観客の感情を動かすために、綿密に組み立てられていたのです。

床をすり減らした処刑画

この絵そのものにも、数奇な運命があります。

19世紀には高く評価されたものの、その後、ドラローシュの歴史画は「感傷的」「芝居がかっている」と見なされるようになり、長く軽んじられました。さらに1928年、テムズ川の氾濫によってテート・ギャラリーの収蔵庫が浸水します。《レディ・ジェーン・グレイの処刑》も損傷し、失われた作品のように扱われました。

ところが1973年、作品はテートの収蔵庫で、巻かれた状態で再発見されます。修復を経てナショナル・ギャラリーで展示されると、再び多くの観客を引きつける人気作となりました。

その人気を伝える、印象的な逸話があります。

人々が絵の前で足を止め続けたため、展示室の床のワニスがすり減ったというのです。さらに、作品を守るために柵を設ける必要もあったと伝えられています。

絵の中で、ジェーンは死へ向かう場所を探しています。その前で、現代の観客たちは足を止めます。床がすり減るほど、何度も、何度も。

「まだ」の数秒を永遠にした絵

ドラローシュが描いたのは、単なる処刑の記録ではありません。

彼はイギリス史を通して、フランス革命後の観客が抱えていた処刑の記憶を呼び起こしました。さらに、サロンのカタログに記された台詞、劇場のような構図、暗闇に浮かぶ白い衣によって、観客を処刑の直前に立ち会わせました。

斧は、まだ振り下ろされていません。

ジェーンも、まだ死んではいません。

ドラローシュは、その「まだ」という数秒間を、絵の中に永遠に閉じ込めました。そして私たちは、彼女が死へ向かう時間の前で、今も足を止め続けているのです。

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つくだゆき

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東京美術館巡りというSNSアカウントの中の人をやっております。サラリーマンのかたわら、お休みの日には、美術館巡りにいそしんでおります。もともとミーハーなので、国内外の古典的なオールドマスターが好きでしたが、去年あたりから現代アートもたしなむようになり、今が割と雑食色が強いです。

東京美術館巡りというSNSアカウントの中の人をやっております。サラリーマンのかたわら、お休みの日には、美術館巡りにいそしんでおります。もともとミーハーなので、国内外の古典的なオールドマスターが好きでしたが、去年あたりから現代アートもたしなむようになり、今が割と雑食色が強いです。

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