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STUDY

2026.4.27

「夜は昼より色彩が豊か」ゴッホが見た星空は何色?《ローヌ川の星月夜》を読み解く

一心不乱に筆を動かし、何かに取り憑かれたように次々と絵を描き上げた画家。《ひまわり》で知られるフィンセント・ファン・ゴッホには、そんな「炎の画家」のイメージがつきまといますが、その印象はあまり正しくないようです。

たしかにファン・ゴッホは速筆で、わずか10年の画業で800点以上の油彩画を残すという驚異のスピードで絵を描きました。しかし、実は同じモチーフを何度も描いて研究するなど、「あーでもないこーでもない」と試行錯誤を重ねる難産タイプでもあったよう。

ファン・ゴッホの代表作のひとつ《ローヌ川の星月夜》は、とりわけ深く構想を練った作品でした。彼は《ひまわり》のような鮮やかな色彩の絵画で知られていますが、《ローヌ川の星月夜》は少し違うテイスト。鮮やかではあるものの、しっとりとロマンティックな詩情にあふれた絵画です。

フィンセント・ファン・ゴッホ《ローヌ川の星月夜》フィンセント・ファン・ゴッホ《ローヌ川の星月夜》

《ローヌ川の星月夜》制作の裏側を追いかけていくと、星空が彼にとっていかに大切なモチーフだったかが見えてきます。さらには、「夜の方が昼よりもずっと色彩が豊か」と語るとおり、ファン・ゴッホ独自の色彩感覚を垣間見ることも。

星空に魅了されたファン・ゴッホが《ローヌ川の星月夜》を完成させるまでには、何があったのでしょうか。彼が家族や友人に送った手紙を読みながら、解きほぐしていきましょう。

きっかけは移住先アルルの星空

フィンセント・ファン・ゴッホ《ひまわり》フィンセント・ファン・ゴッホ《ひまわり》, Public domain, via Wikimedia Commons.

1853年、オランダに生まれたファン・ゴッホが画家を志したのは27歳のとき。最初は暗く重厚感のある画風でしたが、1886年にパリに移ると、印象派などの影響を受けてとたんに鮮やかな色を使い始めます。

大都会パリでの生活が合わなかったファン・ゴッホは、1888年に南仏アルルへ移住。そこは彼が憧れたイマジナリー日本よろしく、太陽の光が降り注ぐ明るい土地でした。

フィンセント・ファン・ゴッホ《夜のカフェテラス》フィンセント・ファン・ゴッホ《夜のカフェテラス》, Public domain, via Wikimedia Commons.

アルルの地にインスピレーションを受けたファン・ゴッホの制作は順調だったようです。実際、《ひまわり》《夜のカフェテラス》など代表作の多くがアルル時代に生まれています。

あるとき、ファン・ゴッホはアルルからさらに南へ向かい、地中海に面した港町に旅行しました。

サント=マリー=ド=ラ=メール(Jean-Louis Vandevivère • CC BY-SA 2.0)サント=マリー=ド=ラ=メール(Jean-Louis Vandevivère • CC BY-SA 2.0), Public domain, via Wikimedia Commons.

夜に散歩したときのことを、弟テオへの手紙でこう語っています。

ある晩、人気のない浜を散歩したことがあった。陽気ではないが、かといって淋しくもなく、とても美しかった。

深い青の空には強いコバルトの原色の青より深い青のまだら雲や、また青い白い銀河のような、もっと明るい青雲が浮んでいた。青い空の奥には、星々が明るくきらめき、緑がかった星や黄色や白や、故郷はもちろん――パリの空――よりも明るい薔薇色の星々が、宝石のようにちりばめられていた。

海は非常に深いウルトラマリンで――浜は紫がかった焦茶の調子を帯び、砂丘(高さが五メートルある砂丘)の上の藪はプルシャン・ブルーに見えた。

(1888年6月3日か4日頃)

ファン・ゴッホが絵画のモチーフとして星空を意識し始めたのは、おそらくこの頃です。

サント=マリー=ド=ラ=メール 朝焼けのビーチと街並み(Draupnir3 • CC BY-SA 3.0)サント=マリー=ド=ラ=メール 朝焼けのビーチと街並み(Draupnir3 • CC BY-SA 3.0), Public domain, via Wikimedia Commons.

また、別の絵を描いていても星月夜への想いが頭の中を占めていたようで、画家仲間のエミール・ベルナールには手紙で以下のように伝えました。

だが、いったいいつになったら星月夜が描けるのだろう。

この絵がいつもぼくの心を占めている。ああ全く、J・K・ユイスマンスの『世帯もち』のなかで同じ絵描き仲間の優秀なシプリーンが言っているように、一番美しい絵は寝床のなかでパイプをくゆらせながら夢にえがいて、実際に描かぬ絵だ。自然の何とも言えぬ完璧さ、輝く壮麗さを前にすると何か手が出ない感じを抱くけれども、しかし何とかやっつけなければいけない。

(1888年6月19日頃)

特に「一番美しい絵は寝床のなかでパイプをくゆらせながら夢にえがいて、実際に描かぬ絵だ」という部分、本質を突き過ぎて筆者にも刺さってしまいました…。

こうした言葉の数々から、ファン・ゴッホにとって星空は特別なモチーフだったことが読み取れます。安易に手を出してはいけない神聖さを感じていたのかもしれません。

ゴッホを夢中にさせた夜の色彩とは?

《ローヌ川の星月夜》のモデルとなった場所(Rolf Süssbrich • CC BY-SA 3.0)《ローヌ川の星月夜》のモデルとなった場所(Rolf Süssbrich • CC BY-SA 3.0), Public domain, via Wikimedia Commons.

星空に夢中になったファン・ゴッホは、妹ヴィレミーナへの手紙でこんなことを語っています。

このごろぼくは星月夜をどうしても描きたいと思っている。

ぼくにはよく夜の方が昼よりもずっと色彩が豊かであり、もっとも強い菫(すみれ)や青や緑の色合があるように思えることがある。ちょっと注意をしてみたら、ある星たちはレモン・イエローで、また別な星は燃えるようなピンク、あるいは緑、青、ワスレナグサ色の光輝をもっているのがわかるはずだ。

それに青黒い色の上に小さな白い点々をおいただけでは足りぬことはあえていうまでもなくわかりきった話だ。

(1888年9月9日か14日頃)

ウジェーヌ・ボック宛ての手紙に同封されていたスケッチウジェーヌ・ボック宛ての手紙に同封されていたスケッチ, Public domain, via Wikimedia Commons.

私たちも、夜空をずっと見つめていると目が慣れるのか、見える星の数が増えたり星が大きく見えたりします。それこそ、赤っぽい・青っぽいという色の違いにも気づけたり。空に夢中になるあまり足元の感覚がなくなって、地面が抜ける錯覚に襲われたりもします。

「夜の方が昼よりもずっと色彩が豊か」と言ったファン・ゴッホも、そんな体験をしたのではないでしょうか? レモン・イエローやワスレナグサ色など、細かな描写はさすがの色彩感覚。別の手紙では赤系の星を「ばら色」と表現したこともあり、花の色にたとえる感性もまたロマンティックです。

見つめるほどに美しさを増し、私たちに迫ってくるような星空。地上に存在しない美を描くためファン・ゴッホは試行錯誤し、スケッチや習作を重ねました。

ついに完成した《ローヌ川の星月夜》

フィンセント・ファン・ゴッホ《ローヌ川の星月夜》フィンセント・ファン・ゴッホ《ローヌ川の星月夜》, Public domain, via Wikimedia Commons.

ヴィレミーナに上述の手紙を送ってから1ヶ月も経たないうちに、ファン・ゴッホは《ローヌ川の星月夜》を描き上げました。

夜の色彩の豊かさについて語っていたのに、最終的には青と黄色の2色でまとまっているのも見逃せない展開(褪色の可能性は否定できませんが)。ですが、それぞれの星の光に強弱があったり、星の光とガス灯のオレンジがかった光の違いが描き分けられていたり、よく見ると豊富な色味が見えてきます。

フィンセント・ファン・ゴッホ《ローヌ川の星月夜》(部分)フィンセント・ファン・ゴッホ《ローヌ川の星月夜》(部分), Public domain, via Wikimedia Commons.

星が実景よりも大きいのは、主題が星であることに加え、体感の大きさを反映しているのかもしれません。星空を見つめているときの、星が大きくまぶしく感じられる感覚を描きたかったのでは……なんて思います。

かねてより描きたかった星空を最高の形で完成させたファン・ゴッホ。ひとつの頂点といえる絵画です……が、このあと、彼の芸術はもうひとつの大きな変化を迎えます。果たしてそれは喜ばしいのかどうなのか…。

耳切り事件と心の内を描いた《星月夜》

ポール・ゴーギャン《ひまわりを描くゴッホ》ポール・ゴーギャン《ひまわりを描くゴッホ》, Public domain, via Wikimedia Commons.

ファン・ゴッホはアルルで画家のゴーギャンと共同生活を送っていましたが、徐々に関係が悪化。2人は仲違いし、1888年12月末にファン・ゴッホが自身の耳の一部を切り落とす「耳切り事件」が起きてしまいました。

病院への入退院を繰り返したあと、彼はアルル近郊のサン=レミにある療養所に入所。発作に苦しみながらも絵を描き続けました。

フィンセント・ファン・ゴッホ《星月夜》フィンセント・ファン・ゴッホ《星月夜》, Public domain, via Wikimedia Commons.

《星月夜》はサン=レミ時代を代表する作品。空の渦巻きや近景のくにゃくにゃした糸杉が特徴で、これまたファン・ゴッホの傑作とされています。ですが、なんだか不穏な印象を抱きはしないでしょうか?

本作は療養所の窓から見た風景をベースに、彼が想像や脚色を加えた作品です。画家の不安定な精神をそのまま映したようで、ファン・ゴッホの心の叫びが痛みとともに伝わっています。

フィンセント・ファン・ゴッホ《星月夜》(部分)フィンセント・ファン・ゴッホ《星月夜》(部分), Public domain, via Wikimedia Commons.

《ローヌ川の星月夜》では現実を描いていたのに対し、《星月夜》では風景とともに心情まで描き出せるようになったファン・ゴッホ。ほかの題材でもオンリーワンの描き方で内面を表すことに成功し、自分の芸術を確立しました。

彼が巨匠と称えられるのはそのためですが、絵画のために心と魂を削り出すようなもの。このスタンスで制作を続けるのは、しんどかっただろうと思うのです…。

ゴッホ見た星空はどんな色だったのか?

フィンセント・ファン・ゴッホ《ローヌ川の星月夜》(Adrian Scottow from London, England • CC BY-SA 2.0)フィンセント・ファン・ゴッホ《ローヌ川の星月夜》(Adrian Scottow from London, England • CC BY-SA 2.0), Public domain, via Wikimedia Commons.

星空に花畑のような色彩を見出していたファン・ゴッホ。《ローヌ川の星月夜》をよく見てみると、その色彩感覚の一端を味わえるかもしれません。

本作は展覧会『オルセー美術館所蔵 いまを生きる歓び』に合わせて来日し、展示される予定です。ファン・ゴッホと一緒に夜空を見上げる気持ちで、作品と向き合ってみてはいかがでしょうか?

主な参考文献

Vincent van Gogh The Letters|Van Gogh Museum
https://vangoghletters.org/

小林秀雄 他 監修『ファン・ゴッホ書簡全集 第四〜六巻』みすず書房(1970)
※手紙の文面はこちらから引用しました。

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明菜

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美術ブロガー/ライター。美術ブログ「アートの定理」をはじめ、各種メディアで美術館巡りの楽しさを発信している。西洋美術、日本美術、現代アート、建築や装飾など、多岐にわたるジャンルを紹介。人よりも猫やスズメなど動物に好かれる体質のため、可愛い動物の写真や動画もSNSで発信している。

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