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2026.6.22

【名画の舞台を巡る】“100年前の東京”は今どうなった?川瀬巴水の夜景を探そう

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高層ビルが立ち並び、夜遅くまで明るい東京。しかし現在の街並みには、100年ほど前の東京と重なる場所が数多く残されています。そんな100年前の東京の夜を描いていたのが、画家・川瀬巴水です。

当時、巴水が見ていたのは橋や寺院、川辺など、人々の暮らしに寄り添う東京の風景でした。今では大きく姿を変えているところも多いものの、作品と現在の景色を見比べると意外な共通点も見えてきます。

この記事では巴水の名作に描かれた東京の夜景をたどりながら、100年前の東京と現在の街並みを比べてみます。名画の舞台を巡る気分で、夜の東京散歩へ出かけてみましょう。

『東京二十景 新大橋』『東京二十景 新大橋』, Public domain.

川瀬巴水が見ていた、100年前の東京とは

川瀬巴水が東京の風景を描いたのは、大正から昭和初期にかけてのことです。当時の東京は現在のような高層ビルが立ち並ぶ街ではありませんでした。空を見上げれば広く景色が広がり、寺社や橋の姿が遠くからでもよく見えたと考えられます。

特に夜の景色は現在と大きく異なります。ネオンやLED照明のない時代、街は今よりずっと暗く、月明かりや街灯の光が印象的な存在でした。巴水が描く静かな夜景には、そんな時代ならではの空気感が漂っています。

さらに巴水が東京を描いた1920〜30年代は、1923年の関東大震災から復興を進めていた時期でもありました。古い街並みと新しい都市計画が混在するなかで生まれた風景は、まさに変化の途中にあった東京の姿です。

巴水が描いた"100年前の東京"を歩いてみよう

巴水の作品の中に描かれた風景は、今ではすっかり姿を変えてしまったのでしょうか。それとも当時の面影が残っているのでしょうか。実際に巴水が描いた場所をたどってみると、街並みは変わっていても橋や寺院、水辺の景色などに思いがけない共通点を見つけられます。

名画をもとに東京を歩けば、いつもの街も少し違って見えるはず。今回は巴水が愛した風景を巡ってみましょう。

①江東区・深川周辺「東京十二題 深川上の橋」(1920)

佐賀(江東区), Public domain.

最初に訪れたいのが江東区佐賀2丁目周辺。かつてこの場所には、仙台堀川の河口に架かる上之橋(上の橋)がありました。

巴水が1920年に制作した『東京十二題 深川上の橋』は、その上之橋から見た風景を描いた作品です。夕空の黄色と川の青が美しく、静かな時間の流れが表現されています。帆を張った船が行き交う水辺の景色からは、巴水が江戸の面影を残す深川の風情に魅力を感じていたこともうかがえます。

『東京十二題 深川上の橋』, Public domain.

上之橋は江戸時代から地域の交通を支えた橋で、中之橋、下之橋とともに佐賀町を区切る重要な存在でした。しかし震災復興事業によって1930年に架け替えられた後、1984年には清澄排水機場の建設に伴い撤去されています。

現在、巴水が描いた橋そのものを見ることはできませんが、隅田川と運河が交わる風景は今もこの地域の特徴です。

②港区・増上寺周辺「東京二十景 芝増上寺」(1925)

増上寺, Public domain.

続いて訪れたいのが、東京タワーの近くにある港区芝公園周辺です。観光スポットとしても人気の増上寺ですが、大正の頃には巴水も作品の題材にしていました。

『東京二十景 芝増上寺』は震災からの復興が進み、東京が近代都市へと姿を変えつつあった時代に制作されました。絵には雪が降る日の増上寺が描かれており、枝に積もった雪や吹雪、傘を傾けて歩く人物の姿から冬の冷たい風まで伝わってくるようです。

『東京二十景 芝増上寺』, Public domain.

巴水が描いたのは、江戸時代から徳川家の菩提寺として栄えた増上寺・三解脱門の前。当時も現在も、このシンボルは変わりません。作品の中心に描かれた三解脱門は今も変わらず立っています。

三解脱門は江戸時代初期に建てられたもので、戦災や災害を乗り越えながら受け継がれてきました。重厚な朱色の柱は、巴水が見た風景とも重なる部分が多くあります。

もちろん周囲の景色は大きく変わりました。巴水の時代には存在しなかった東京タワーがすぐ近くにそびえ立ち、周辺には高層ビルも並びます。それでも三解脱門の前に立つと、100年前の人々も見上げたであろう景色を想像できるでしょう。

③中央区〜江東区・隅田川周辺「東京二十景 新大橋」(1926)

新大橋, Public domain.

隅田川に架かる新大橋も巴水が作品に残した東京の風景のひとつです。現在の新大橋は中央区日本橋浜町と江東区新大橋を結び、通勤や観光で多くの人が行き交う橋となっています。

巴水の『東京二十景 新大橋』に描かれているのは、雨が降る夜の新大橋です。絵には人力車を引く人が暗い橋の上を進み、わずかな街灯の光が濡れた路面に映り込んでいます。

『東京二十景 新大橋』『東京二十景 新大橋』, Public domain.

当時の新大橋は、1912年に架け替えられた鉄橋でした。橋の上には都電が走り、隅田川を渡る重要な交通路として利用されていました。1923年の関東大震災では、隅田川に架かる多くの橋が被害を受けるなか、大きな損傷を免れています。避難路として多くの人々に利用され「人助け橋」や「お助け橋」と呼ばれるようになったといわれています。

現在の橋は巴水が描いた頃とは姿が異なりますが、橋の上から眺める隅田川のロケーションは今も変わりません。周辺には高層ビルが建ち並び、夜には無数の明かりが川面を照らしています。

巴水の版画と見比べると、東京がどれほど大きく変化したのかを実感できる一方で、隅田川が今も街の中心に流れ続けていることも分かります。

④北区・滝野川周辺「東京二十景 滝之川」(1929)

石神井川, Public domain.

現在の東京都北区を流れる石神井川周辺も、巴水が描いた東京の風景のひとつです。滝野川(滝之川)は現在の石神井川の別名で、川が大きく蛇行して起伏のある地形を流れていたことから「滝のような川」と呼ばれるようになりました。

『東京二十景 滝之川』, Public domain.

『東京二十景 滝之川』はそんな滝野川の夜の風景を描いた作品です。絵には細い川に架かる橋や大きくそびえ立つ木が描かれ、空には三日月が静かに浮かんでいます。

和服の女性と子どもが橋を歩く姿が描かれており、遅い時間ではないようです。家々のほのかな明かりが川面に映り込む様子からは、当時の東京の夜がいかに静かであったかが伝わってきます。

静かな夜の滝野川ですが、当時の周辺には渓谷のような景観も見られ、四季折々の自然を楽しめる場所として親しまれていたそうです。現在の石神井川沿いにも緑が残されており、当時の面影を感じられます。

⑤千代田区・皇居平川門周辺「東京二十景 平河門」(1930)

平川門, Public domain.

次に訪れたいのが、皇居東側に位置する平川門(平河門)周辺です。オフィス街の印象が強い千代田区ですが、江戸城の歴史を今に伝える風景も残されています。

巴水の『東京二十景 平河門』は夕暮れ時の平川門を描いた作品です。堀の上をカモメが飛び、沈みゆく夕日の光が水面に映り込む様子が印象的に表現されています。青く染まり始めた空と川の静けさが重なり、落ち着いた空気が漂っています。

『東京二十景 平河門』, Public domain.

平川門は、江戸城三の丸の正門として築かれた門です。仙台藩主・伊達政宗をはじめとする東北の大名たちによって整備されたと伝えられ、江戸城の重要な出入口のひとつでした。巴水が描いた時点で、すでに長い歴史を刻んでいます。

現在も平川門とその周辺の堀は残されており、作品に描かれた風景との共通点を見つけられます。現在の平川門の周囲には高層ビルが立ち並び、交通量も増えました。しかし堀や石垣、門の佇まいは今も変わらず、皇居周辺ならではの落ち着いた雰囲気を感じられます。

また現存する橋は改修を経て、木材や石材、鉄骨が用いられていますが、堀を渡って門へ向かう景観そのものは大きく変わっていません。

⑥新宿区・戸山公園周辺「東京十二題 冬の月(戸山の原)」(1931)

都立戸山公園, Public domain.

現在の戸山公園周辺は新宿駅から近い場所にありながら、豊かな緑が残る憩いのスポットです。園内には新宿区で一番高い山として知られる「箱根山」があり、季節ごとに異なる自然を楽しめます。

戸山公園一帯は、かつて「戸山ヶ原」と呼ばれていました。巴水の『東京十二題 冬の月(戸山の原)』は戸山ヶ原に広がっていた雑木林を題材にした作品です。絵には枯れた木々が並び、空には青白い満月。月明かりに照らされた地面と黒い木々の対比が美しく、冬の夜の冷たさまで伝わってきます。

『東京十二題 冬の月(戸山の原)』, Public domain.

現在の戸山公園は整備された都市公園となり、周辺には住宅や大学、高層ビルも立ち並んでいます。その一方で、公園内を歩くと大きな木々や起伏のある地形が残されており、巴水が描いた戸山ヶ原の面影を想像できます。

夕方から夜にかけて訪れると、都心にいることを忘れるような静かな空気を感じられるかもしれません。

⑦中央区・日本橋周辺「東海道風景選集 日本橋(夜明)」(1940)

日本橋, Public domain.

最後に訪れたいのは、日本橋です。現在の日本橋周辺は百貨店やオフィスビルが集まる東京有数のビジネス街として、国内外から多くの人が訪れています。

巴水が1940年に制作した『東海道風景選集 日本橋(夜明)』には、夜明け前のやわらかな光に包まれた日本橋の姿が描かれています。三越側から京橋方面を望む構図で、行き交う人も数人。一日の始まりを静かに告げるような風景です。

『東海道風景選集 日本橋(夜明)』, Public domain.

日本橋は江戸時代から五街道の始まりの地点として栄え、日本の交通や商業の中心地として発展してきました。巴水が描いた頃も東京を代表する場所でしたが、作品からは都会の喧騒よりも、朝の澄んだ空気や穏やかな時間が伝わってきます。

現在も橋そのものは残されており、巴水が見た日本橋と同じ場所に立つことができます。しかし1963年には橋の真上に首都高速道路が建設されました。日本橋の上に広がっていた大きな空はほとんど見えなくなりましたが、橋そのものや装飾は当時のものが残されています。

【まとめ】東京の夜を歩けば、巴水の風景に出会えるかも

高層ビルが立ち並び、昼夜を問わず人でにぎわう現代の東京。しかし街を歩いてみると、川瀬巴水が描いた100年前の風景の面影は、意外な場所に残されています。変わってしまった場所もあれば、時を超えて受け継がれてきた景色もあります。その違いを見つけることも、街歩きの楽しみのひとつです。

次に東京の夜を歩くときはぜひ、巴水が見つめた風景を探してみてください。

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纏まりあ M.Matoi

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アートの美しさや面白さを身近な視点で分かりやすく伝えます。お気に入りの絵画はミレーの『オフィーリア』。フリーランスのライターとして幅広いジャンルで執筆経験あり。趣味は観劇と洋画/海外ドラマ鑑賞。ヴァイオリンを習っています。

アートの美しさや面白さを身近な視点で分かりやすく伝えます。お気に入りの絵画はミレーの『オフィーリア』。フリーランスのライターとして幅広いジャンルで執筆経験あり。趣味は観劇と洋画/海外ドラマ鑑賞。ヴァイオリンを習っています。

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