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2026.6.5

【取材レポート!】東京都美術館 アンドリュー・ワイエス展。自分の身近な人々と風景を描き続けた芸術家

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20世紀半ば以降、美術の中心地となったアメリカでは、抽象表現主義やポップ・アートなど前衛的な表現様式が次々と生み出されていた。
そうした潮流の中で、徹底して「リアリズム」を追求し続けたのがアンドリュー・ワイエスである。

アンドリュー・ワイエス〈クリスティーナ・オルソン〉アンドリュー・ワイエス〈クリスティーナ・オルソン〉 1947年 テンペラ、パネル 83.8×63.5㎝ マイロン・クニン・コレクション、ミネアポリス Myron Kunin Collection of American Art, Minneapolis, MN photo: Curtis Galleries, Inc. ©2026 Wyeth Foundation for American Art / ARS, New York / JASPAR, Tokyo

彼は故郷ペンシルヴェニア州や夏を過ごしたメイン州などの身近な風景や人々を精緻に描き出し、さらにそこに孤独や記憶など自らの内面を重ねていったのである。

そんなワイエスの没後初となる国内での大規模な回顧展が、4月28日から7月5日まで東京都美術館で開催されている。今回は、展覧会の様子と見どころを紹介しよう。

①アンドリュー・ワイエス

アンドリュー・ワイエスは、1917年、ペンシルヴァニア州の田舎町チャッズ・フォードで5人兄弟の末っ子として生まれた。体が弱かったために学校には行かずに家で教育を受けていた彼は、9歳頃から自宅近辺の自然などを題材に水彩画を描くようになる。

15歳頃からは挿絵画家である父から指導を受けるようになり、デッサンや解剖学などの基礎と共に、観察することの重要性を学んだ。

見たままを描くだけでなく、これまでに描いた記憶によって描くという教えは、ワイエスの「表現」を単なるモチーフの緻密な再現だけに留めなかった。周囲の空気の重さや流れを捉え、内面をも反映させる独自の手法へと昇華させていったのである。

さらに、17歳〜19歳にかけて、義兄からテンペラ画技法も教わった。西洋絵画で長く主流だった油彩に重さを感じていたワイエスは、テンペラ画の乾いた質感や緻密に塗り重ねていく技法にたちまち魅了された。

以来、テンペラ画と、水彩画の技法の一種「ドライブラッシュ」(筆に含ませる水分を極力減らし、絵の具をかすれさせて描く手法)は、ワイエス絵画の2本柱となっていく。

展覧会場の冒頭には、そんな彼の〈自画像〉が飾られている。

アンドリュー・ワイエス 〈自画像〉アンドリュー・ワイエス 〈自画像〉 1945年 テンペラ、パネル 63.5×76.2cm ナショナル・アカデミー・オブ・デザイン、ニューヨーク National Academy of Design, New York, USA/Bridgeman Images. ©2026 Wyeth Foundation for American Art / ARS, New York / JASPAR, Tokyo

脇にスケッチブックを抱え、喉元まで上着のチャックを閉めた画家が自宅の周囲に広がる荒野を一人歩く姿が描かれている。その眼差しはやや神経質で、思いつめたような緊張が漂う。

周囲の草のしなりによって吹き抜ける風の存在がほのめかされ、背景の上半分を占める曇り空とも相まって見る者に静かな不安を抱かせる。遠景で翼を広げる鳥は、一人荒野を行くワイエスの内面と呼応しているようにも見える。

この〈自画像〉が描かれた年、ワイエスの父が甥と共に踏切事故で亡くなった。出来事はワイエスの心に深い影を落とした。

父はワイエスにとって偉大な庇護者であると同時に、越えるべき存在でもあった。しかし、その機会は唐突に断ち切られてしまう。まさに標のない荒野に一人残されてしまったのと似ているのではないだろうか。

自画像には珍しい横長のフォーマットを採用することで、ワイエスは画家としての自分だけではなく、自分を取り巻く荒野や孤独、創造の源泉となる「世界」をも描き出そうとしたのだろう。

ワイエス自身のマニフェストとも言うべき作品であり、この展覧会の冒頭を飾るにふさわしい一枚と言える。

②「境界」というテーマ

この展覧会のキーワードとなっているのは、「境界」である。ワイエスの作品には、窓や扉など「境界」を表すモチーフが繰り返し描き込まれる。それらはワイエスにとって自身の精神世界と外の世界、生と死をつなぐ象徴だったとされる。

例えば1986年の〈ヒトデ〉を見てみよう。

アンドリュー・ワイエス 〈ヒトデ〉アンドリュー・ワイエス 〈ヒトデ〉 1986年 水彩、紙 72.7×54.0cm フィルブルック美術館、タルサ Philbrook Museum of Art, Tulsa, Oklahoma. Bequest of Marylouise Cowan, 2010.9.14. ©2026 Wyeth Foundation for American Art / ARS, New York / JASPAR, Tokyo

簡素な室内の窓越しに、画家の妻ベッツィが双眼鏡を手にはるか彼方の海を見つめている。何を見ているの、と思わず話しかけたくなる。

窓の外に明るく爽やかな世界が広がる一方で、室内は薄暗く、窓枠の上に乗せられた乾燥したヒトデの存在が、生と死、内と外という二つの世界の隔たりを静かに際立たせている。

部屋そのものがワイエス自身の象徴だとするならば、窓は彼の目なのだろう。そう考えると、この〈ヒトデ〉自体が絵の形をとった私小説の一場面のようにも見えてくる。

アンドリュー・ワイエス 〈薄氷〉アンドリュー・ワイエス 〈薄氷〉 1969年 テンペラ、パネル 110.2x121.9㎝ 株式会社三井住友銀行 ©2026 Wyeth Foundation for American Art / ARS, New York / JASPAR, Tokyo

一方こちらの〈薄氷〉は、冬に凍結した水路を真上からクローズアップして描いている。氷の下には枯れ葉が幾重にも折り重なって沈み、ところどころに見える小さな気泡が水の流れを暗示する。

よく見ると、葉の一部がこちら側へとはみ出しているものもある。実はこの作品には、ワイエス独自の死生観が反映されていると解釈されている。確かに凍った水面の向こう側は、時の止まった死の世界のようにも見える。分厚く積もった木の葉はこれまでにワイエスが出会い、モデルとして描いた人々の姿とも重なる。


しかし、死と生とは明確に二元化されるものではない。常に隣にあり、戸口を風が通り抜けるように行き来するものである。それは、生と死とを切り離さず、自然の流れの中で捉える日本的な見方と通じるものがあるかもしれない。

③ライフ・ワーク―――オルソン・ハウスの住人達

メイン州は、アンドリュー・ワイエスにとって、故郷ペンシルヴェニア州と並ぶ重要な作品の舞台である。毎年夏を過ごすこの場所で、地元の人々と交流しながら、ワイエスは人々の姿や自然を描き続けた。

その重要なモデルの一人が、クリスティーナ・オルソンである。クリスティーナ・オルソンは、もともとスウェーデン系移民の家系に生まれ、海を見下ろす丘の上に立つオルソン・ハウスで弟アルヴァロと暮らしていた。

強い独立心の持ち主であり、幼少期に患った病気のために足が不自由でありながらも、車いすは使わずにいつも自分の腕で体を支え、地面や床を這うようにして、家や農場の周辺を動き回っていた。

また、人を招き会話を楽しむなど社交的な面も持っていたという。

妻の紹介でオルソン・ハウスとそこに住む姉弟の存在を知ったワイエスは、古い家の持つ佇まいだけでなく、姉クリスティーナの誇り高い生きざまと、そんな姉を献身的に支える弟アルヴァロの姿にひきつけられた。

そんな彼らとオルソン・ハウスを題材にした絵が、第三章「ニューイングランドの家―――オルソン・ハウス」に集められている。

その一つ〈クリスティーナ・オルソン〉を見てみよう。

アンドリュー・ワイエス〈クリスティーナ・オルソン〉アンドリュー・ワイエス〈クリスティーナ・オルソン〉 1947年 テンペラ、パネル 83.8×63.5㎝ マイロン・クニン・コレクション、ミネアポリス Myron Kunin Collection of American Art, Minneapolis, MN photo: Curtis Galleries, Inc. ©2026 Wyeth Foundation for American Art / ARS, New York / JASPAR, Tokyo

ここでは、日課の家事を終えたクリスティーナが、戸口に腰掛け、外を見ている。薄暗い室内に対し、外からの光を浴びた彼女の顔はほの白い。一陣の風が彼女の髪を優しく揺らし、その影は背後の古びた扉に映っている。

ワイエス自身は、この彼女の姿と扉に映る影を見た時に、「傷ついたカモメを連想した」と語っている。

病気で自由に歩き回ることもかなわず、弟の介護を受ける日々。そのような状況の中でも顔を上げ、自分にできる家事をこなし、生きることを決してあきらめない。「これが私」と胸を張って言うことができる。

そんなクリスティーナへのワイエスの敬意と深い親愛の情が、髪一本に至るまで緻密に描きこまれた画面からは浮かび上がってくるようである。

オルソン姉弟との交流は30年以上にわたって続き、その間クリスティーナがモデルを務めた作品は200点以上にものぼる。ワイエスの代名詞ともいえる〈クリスティーナの世界〉も、その中から生まれた一枚である。

しかし、やがて別れの時がやってくる。1967年の暮れに弟アルヴァロが、そして1968年に姉クリスティーナもあとを追うように亡くなったのである。

その1年後、無人となった家を訪れたワイエスは3階の窓から、1階の台所を見下ろす構図で〈オルソン家の終焉〉を描いた。

1969年 テンペラ、パネル1969年 テンペラ、パネル 46.5×49.5㎝ クリーブランド美術館 The Cleveland Museum of Art, Promised Gift of Nancy F. and Joseph P. Keithley ©2026 Wyeth Foundation for American Art / ARS, New York / JASPAR, Tokyo

屋根の下には、姉弟の主な生活空間だった台所があり、手前の煙突から立ちのぼる煙はいつもワイエスに彼らの存在を教えてくれていた。

二人はもういないが、彼らが生きていたという確かな事実と、過ごした時間の積み重ねは家に染み込んでいる。今でも煙突からは、姉弟の話し声が聞こえてきそうな気さえする、とワイエス自身が語るほどだった。

そして遠景には、若い頃のアルヴァロが漁をすることを好んだ入り江が見える。二人にまつわる記憶は、ワイエスの絵筆を通して「永遠」のものとなったのである。

2つの大戦後、覇権国として急速に変わりゆくアメリカにあって、ワイエスは身近で愛着のある土地や人々を見つめ、ひたすら描き続けた。

荒野の自然やそこに住まう家族や親しい人々を通して、このアメリカ大陸に移民としてわたり、人生を切り開いてきた人々の記憶というものに触れていたのかもしれない。だからこそ、ワイエスの作品は、見る者の心に深く忘れがたい記憶となって焼き付くのだろう。

そんな彼の静かな絵画世界と、ぜひ会場で向き合ってみてほしい。

展覧会情報

展覧会名:東京都美術館開館100周年記念 アンドリュー・ワイエス展
会場:東京都美術館(東京都台東区上野公園8-36)
会期:2026年4月28日(火)〜 7月5日(日)
開室時間:9:30〜17:30(金曜日は20:00まで、入室は閉室の30分前まで)
休室日:月曜日(ただし6月29日は開室)
主催:東京都美術館(公益財団法人東京都歴史文化財団)、東京新聞、フジテレビジョン
協賛:DNP大日本印刷
特別協力:丸沼芸術の森、ユニマットグループ
協力:ワイエス財団、日本航空 
後援:アメリカ大使館、ビーエスフジ
公式サイト:東京都美術館開館100周年記念アンドリュー・ワイエス展

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ヴェルデ

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アート・ライター。大学ではイタリア美術を専攻し、学部3年の時に、交換留学制度を利用し、ヴェネツィア大学へ1年間留学。作品を見る楽しみだけではなく、作者の内面や作品にこめられた物語を紐解き、「生きた物語」として蘇らせる記事を目標として、『Web版美術手帖』など複数のWebメディアに、コラム記事を執筆。

アート・ライター。大学ではイタリア美術を専攻し、学部3年の時に、交換留学制度を利用し、ヴェネツィア大学へ1年間留学。作品を見る楽しみだけではなく、作者の内面や作品にこめられた物語を紐解き、「生きた物語」として蘇らせる記事を目標として、『Web版美術手帖』など複数のWebメディアに、コラム記事を執筆。

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