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LIFE

2026.8.21

映画『We Margiela マルジェラと私たち』で知る、「型破り」でも愛される理由

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普段わたしたちは何気なく衣服を身につけています。しかし、アート作品のように、ファッションがわたしたちの固定観念を揺るがすこともありますよね。

なかでも、ファッション界の常識を打ち破り、伝説となったブランドが「メゾン・マルタン・マルジェラ」です。この記事では、1本のドキュメンタリー映画を手がかりに、彼らの突き抜けた創造性と、時代を超えて人々を惹きつけてやまない「型破り」について深堀りします。

※映画のネタバレを含みます。

映画『We Margiela マルジェラと私たち』と「型破り」への熱狂

参照:『We Margiela マルジェラと私たち』

2019年に公開された映画『We Margiela マルジェラと私たち』は、ファッションブランド「メゾン・マルタン・マルジェラ」の創設者でデザイナーだったマルタン・マルジェラについて、共同創設者のジェニー・メイレンスをはじめ、数々の関係者が振り返るというドキュメンタリーです。

貴重なアーカイブ映像や証言から、名作の誕生秘話、マルジェラが匿名性を重視した理由、チームを象徴する「私たち」という単語の真意など、ファッション史に革命を起こした舞台裏が明かされていきます。

こちらの記事では、映画『We Margiela マルジェラと私たち』の概要をより詳しくご紹介しています。

映像に刻まれたブランドの歩みは、ファッションという枠を超え、わたしたちの心を揺さぶります。それではなぜ、彼らの生み出す「型破り」は熱狂的に愛されているのでしょうか?

マルジェラのファッションにおけるキーワードは「脱構築」

2005年秋冬 メゾン・マルジェラ「アルティザナル」ジャケット、ヴィンテージ・ツイード地にクレープの包帯風素材をあしらったもの, Public domain, via Wikimedia Commons.

1977年、マルタン・マルジェラはアントワープ王立芸術学院に入学しました。意外かもしれませんが、そこで日本人デザイナーたちに影響を受けたといわれています。川久保玲の「コム・デ・ギャルソン」、山本耀司の「ヨウジヤマモト」、三宅一生の「Issey Miyake」。彼らの精神を継承し、アントワープでは創造性を重視した教育に力を入れていたからです。

1980年に学院を卒業すると、ジャン=ポール・ゴルチエのアシスタントを経て、1988年に「メゾン・マルタン・マルジェラ」を創設しました。その根底には「既成概念にとらわれない」という思想があり、「脱構築(ディコンストラクション)」と評されています。

もともと脱構築とは、フランスの哲学者ジャック・デリダによって提唱されました。簡潔にまとめると「意味は常に再解釈され、決して固定されたものにはならない」という考え方です。ただ、ファッションにおける脱構築は、シンメトリー(左右対称)や均衡を崩した服や、未完成な服など、形状の特徴を指すことが多いとされています。つまり「服とは何か?」を問い直すということです。

マルジェラは流行に対して批判的な視点を持っており、その作風は「アンチモード(反モード)」と呼ばれています。そして、最新の流行を発信し続ける「パリモード」、デザイナーを神聖化することで成立するブランドビジネス、次々に衣服を使い捨てる消費社会から距離をとろうとしてきました。


例えば1991年秋冬に発表された「ミリタリーソックス」は、古着の靴下を解体し、ハイネックニットとして再び蘇らせました。しかし、大量の靴下を買い集めて仕立てるという試みは、アトリエにとって難易度の高いものでした。

リサイクル品を集め、ひとつひとつ手作業で仕立てるため、形が整っていなかったり、ディテールが未完成だったりする上、手間もかかります。それでも生産過剰の既存商品に第二の人生を与えたのは、有効利用だけが目的ではなく、「まだ美しさを秘めている」という考えに基づいていました。

「私たち」は、遊ぶように真剣に仕事を突き詰める

2005年秋冬 メゾン・マルジェラ「アーティザナル」トップス、ナイロンストッキング製 03, Public domain, via Wikimedia Commons.

「メゾン・マルタン・マルジェラ」は、天才デザイナーのカリスマ性だけで唯一無二になったわけではありません。まだアンダーグラウンドで知名度が低かった時期、創業者2人のビジョンとアイデアに共鳴した仲間たちがいたからこそ、メゾンの基盤は築かれました。

最初のショーに向けて費やした約1年。夜のストリートキャスティング。翌日の支払いすらままならない破産寸前の危機。そうした日々を、彼らは熱狂的な連帯感で乗り越えていったそうです。

現在「ドリス ヴァン ノッテン」の社長を務めているアクセル・ケラー氏は、コマーシャル・ディレクターだった当時を振り返り、「半端な気持ちで働くことはあり得なかった」と語ります。その現場はまるで、アンディ・ウォーホルの「ファクトリー」のようだったかもしれません。スタッフたちが誇りを持って仕事場を守り、マルジェラのアイデアを実現した結果、伝説的な熱狂を生み出すことができたのでしょう。

マルジェラの型破りなアイコン「タビ」

そんなチームの努力が結実したものとして、スプリットトゥシューズ「タビ」があります。1989年の初コレクションで登場して以来、今なお愛され続けている名作です。日本の足袋からインスピレーションを得て制作され、コレクションごとに素材や形を変えながら再解釈され続けています。

伝統的なワークウェアにシリンダーのヒールを組み合わせたブーツは、当時のファッション界に衝撃を与えました。ソールを赤く塗り、モデルが白いランウェイを歩くたびに足跡が残るという演出も面白かったようです。しかし、あまりに前衛的なデザインだったため、感動で涙を流す人がいた一方、激しく嫌う人もいたといわれています。

しかし、この独創性こそがマルジェラらしさになったのではないでしょうか。美しさの固定観念に縛られないタビは、既成概念に囚われない生き方を象徴する、メゾンきっての名作になっています。

マルジェラのファッションデザインは、新しい女性像を示した

ファッション界が極端な美しさばかりを追求していた時代、マルジェラは「女性は常に完璧なわけではない」と考え、新しい女性像を提示しようと考えました。ときにはモデルの顔を隠したり、少し不格好ともいえる状態のままランウェイに送り出すこともあったそうです。

1997年 メゾン・マルタン・マルジェラ ホワイトのドレスと赤いコート、1997-98年冬コレクション 2, Public domain, via Wikimedia Commons.

その姿勢を象徴するのが、年齢を重ねた女性たちをモデルに起用した「セブン・ウィメン」コレクションです。既存の枠組みにとらわれず、ありのままのリアルな個性を肯定するアプローチは、多くの人々に気づきを与えたことでしょう。

劇中で、ブティック・ジャナのオーナーであるアルダ・ファリネッラ氏が「見た目に不安を抱えがちな多くの女性をマルジェラはデザインで変え、自信を持たせた」と熱弁するシーンがあります。「服が人を作るのではなく、人が服を作る」というメゾンの哲学。それこそが、彼らの「型破り」がただの奇抜さで終わらず、今なお人々に愛され続ける理由なのかもしれません。

参考

・メンナ・ラウラ・メイール 監督『We Margiela マルジェラと私たち』(2019)
・ライナー・ホルツェマー 監督『マルジェラが語る"マルタン・マルジェラ"』(2021)
・成実 弘至 著(2007)『20世紀ファッションの文化史 時代をつくった10人』河出書房新社
・キャリー・ブラックマン 著(2020)『ウィメンズウェア100年史』トゥーヴァージンズ
メゾン マルジェラについて
「タビ」のストーリー


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神谷小夜子

神谷小夜子

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ライター。若手社会人応援メディアや演劇紹介メディアを中心に活動中。ぬいぐるみと本をこよなく愛しています。アート作品では特に、クロード・モネ《桃の入った瓶》がお気に入りです。

ライター。若手社会人応援メディアや演劇紹介メディアを中心に活動中。ぬいぐるみと本をこよなく愛しています。アート作品では特に、クロード・モネ《桃の入った瓶》がお気に入りです。

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