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STUDY

2024.11.6

【後半】 「ロシア・アヴァンギャルド」代表的作家と功績を解説

1917年のロシア革命の直前から1930年頃までの間、ロシア(ソビエト連邦: ソ連)で「ロシア・アヴァンギャルド」という芸術運動が盛り上がりました。

前半の記事では、ロシア・アヴァンギャルドが生まれた時代背景や基本的なコンセプトを解説しました。まだ読んでいない方は、こちらからどうぞ!

後半のこの記事では、ロシア・アヴァンギャルドの代表的な作家と、後世への影響をご紹介します。

ロシア・アバンギャルドの代表的作家

ロシア・アヴァンギャルドの代表的な作家は、以下のとおりです。

● ミハイル・ラリオーノフ
● ウラジミール・タトリン
● アレクサンドル・ロトチェンコ
● エル・リシツキー
● カジミール・マレーヴィチ

ミハイル・ラリオーノフ

ミハイル・ラリョーノフのモーション上のダンサー(1915年), Mikhail Larionov dancer on motion (1915), Public domain, via Wikimedia Commons.

~レイヨニスム(光線主義)を提唱、フランスとロシアの架け橋~

ミハイル・ラリオーノフ(1881-1964)は、ロシア構成主義、シュプレマティスムなどロシア・アバンギャルドにも影響を与えた画家です。早くから印象派の画風に挑戦し、1906年にパリを訪れたのちポスト印象派に移行します。

モスクワに帰国後、「ダイヤのジャック」「ロバの尻尾」といった芸術家グループを立ち上げ、ロシア初の抽象表現主義運動「レイヨニスム(光線主義)」を提唱しました。

レイヨニスム(光線主義)とは、キュビスム、未来派、オルフィスムの芸術傾向を引継ぎ、抽象化が進んだ芸術様式です。「光線」と呼ばれる斜線が多く用いられる特徴があります。

ロシア革命後はパリに移住。そのままパリで一生を終えたミハイル・ラリオーノフは「フランスとロシアの懸け橋」といわれています。

ウラジミール・タトリン

ウラジーミル・タトリン 作、 クレムリンの『スパスカヤ(救世主)門』。グリンカのオペラ『皇帝に捧げた命』のエピローグ場面用に描かれた舞台デザイン。1913年。厚紙、水彩画。国立トレチャコフ美術館所蔵, A Life for the Tsar (Tatlin) 04, Public domain, via Wikimedia Commons.

~ピカソが影響? 実用主義路線の彫刻家~

ウラジーミル・タトリン(1885-1953)は、「構成主義」を提唱したことで知られています。タトリンは、革命後に工業化が進むロシアで一般市民から離れていた芸術作品を、再び生活に近づけようとしました。

1914年にピカソのスタジオを訪れ、キュビズムのコラージュ作品に影響を受けます。ロシアに帰国した後「カウンター・レリーフ」と呼ばれる金属やガラス、木材などを組み合わせたレリーフ彫刻を発表しました。

アレクサンドル・ロトチェンコ

アレクサンドル・ロドチェンコによるN. A. ルサコフの肖像画(1912年), Portrait of N. A. Rusakov by Aleksandr Rodchenko (1912), Public domain, via Wikimedia Commons.

~グラフィック・デザインの父~

アレクサンドル・ロトチェンコ(1891-1956)は、ロシア構成主義の画家、デザイナーです。写真家としても知られています。

ロトチェンコのポイントは「日常生活の中にデザインを」とはじめて提唱したことです。「芸術は一部の特権的な人々が作品を所有するのではなく、日常生活に活かされてこそ意味がある」というわけですね。

ロトチェンコは写真も得意だったため、コラージュ、モンタージュを駆使したポスター、書籍などのデザインを多く発表しました。

彼の作品はシンプルなメッセージと構図が特徴で、広告デザインの手本になるような作品ばかりです。「グラフィック・デザインの父」と言われています。

エル・リシツキー

エル・リシツキー 『Proun」, El Lissitzky I84363, Public domain, via Wikimedia Commons.

~タイポグラフィで後世に影響を与える~

エル・リシツキー(1890-1941)は、カジミール・マレーヴィチとともにシュプレマティズムを代表するデザイナーの1人です。

特にタイポグラフィにおいては、20世紀のグラフィックデザインに最も大きな影響を与えた人物として知られています。

「タイポグラフィ」とは、文字のデザインを指します。伝えたいメッセージに合わせて最適な文字の種類や太さ、レイアウトを選ぶ考え方です。

エル・リシツキーは「20世紀におけるグラフィックデザインの祖」といわれるほど、数多くの革新的なデザインを生み出しました。

その背後には「鑑賞するものに行動を促す 」という思想があり、西欧諸国にも大きな影響を与えて工業デザインの発展に貢献しました。

カジミール・マレーヴィチ

アムステルダム-ステデライク美術館-カジミール・マレーヴィチ(1878-1935)-モスクワのイギリス人(A 7656)1914, Amsterdam - Stedelijk Museum - Kazimir Malevich (1878-1935) - An Englishman in Moscow (A 7656) 1914, Public domain, via Wikimedia Commons.

~戦前に抽象絵画を手掛けた最初の人物~

カジミール・マレーヴィチ(1879-1935)は、「シュプレマティズム(絶対主義)」を提唱した芸術家、画家です。

例えば、『黒の正方形』 は「ただの黒い四角」といえばそれまでですが、見た人に「考えさせる 」ことを意図しています。

黒い四角は何を意味するのか? カジミール・マレーヴィチは何を伝えたかったのか? など色々考えることが「シュプレマティズム」の一つのゴールであるといえるでしょう。

そのほか、次のような画家がロシア・アバンギャルドの代表的芸術家とされています。

● ワルワーラ・ステパーノワ
● パーヴェル・フィローノフ
● ナタリア・ゴンチャロワ
● ワシリー・カンディンスキー
● リュボーフィ・ポポーワ
● アレクサンドル・ニコラエヴィチ・ヴォルコフ
● ミハイル・クルジン

ロシア・アバンギャルドの教育機関

モスクワ絵画・彫刻・建築学校 ヴフテマス, Moscow School of Painting, Sculpture and Architecture, Public domain, via Wikimedia Commons.

ロシア・アバンギャルドは、当初は自然発生的に始まりましたが、1920年には美術教育機関であるヴフテマス(高等芸術技術工房)が設立されたことで、発展が加速しました。

教師陣は、後にバウハウスでも教鞭をとったワシリー・カンディンスキー、ウラジール・タトリン、アレクサンドル・ロトチェンコといったロシア・アヴァンギャルド運動の中心となった人物たちが集められました。

建築、彫刻、グラフィック・デザイン、テキスタイル・デザイン、木工芸など幅広い学科が設置されたのですが、政府が美術学校を創る目的は何だったのでしょうか?

ヴフテマスの目的は、実用的な美術が学べる場をつくることで、近代的な建築や産業を支える人材育成でした。当時のソビエト連邦では「工業化による経済発展のための芸術」であった様子がうかがえます。

ロシア・アバンギャルドが終わった理由

スターリン, Stalin Full Image, Public domain, via Wikimedia Commons.

1917年のロシア革命を機に花開いたロシア・アバンギャルド。そのピークは、1920年の美術教育機関であるヴフテマス(高等芸術技術工房)設立から、1924年のスターリン登場まででした。

前衛的すぎて、大衆の理解を得られなかった面も

ロシア・アバンギャルドの前衛的な表現方法を国民全員が受け入れたかというと…そうではありませんでした。特に労働者階級の人々にとっては難解だったようです。

ロシア革命直後は政府の方針と合っていたのですが、1924年に政権を握ったスターリンは違う考えを持っていました。

スターリンは、労働者階級が理解できるような「わかりやすい芸術」が大切で、それにより人々を鼓舞し、生産性を高める表現であるべきだと考えました。そして、「社会主義リアリズム」に一気に舵を切ります。

それまで自主・自律の価値観を大切にしてきたロシア・アヴァンギャルドの芸術家たちは自由な芸術表現を禁じられ、スターリン政権下で厳しい弾圧を受けるようになりました。

その結果、弾圧から逃れるため多くの芸術家が亡命しました。国内に留まった芸術家も収監、強制労働など激しい弾劾を受け、ロシア・アヴァンギャルド運動は1930年代に終焉を迎えます。

1920年に設立されたヴフテマスも1930年に解体され、教員や生徒たちは分散してしまいました。

ロシア・アバンギャルドが後世に残したもの

エル・リシツキー『構成』, El Lissitzky Komposition, Public domain, via Wikimedia Commons.

ロシア・アバンギャルドが盛んだったのは100年近く前ですが、現代にもその影響は残っています。


例えばアレクサンドル・ロトチェンコはコラージュ、モンタージュを駆使したポスター、書籍などのデザインを多く発表し、広告デザインの手本になるような作品を数多く残しました。

また、タイポグラフィーで有名なエル・リシツキーは「20世紀におけるグラフィックデザインの祖」といわれるほど、数多くの革新的なデザインを生み出しました。

カジミール・マレーヴィチは第二次世界大戦前に抽象絵画を手掛けた最初の人物として知られ、後の芸術に大きな影響を与えています。


ロシア・アバンギャルド時代の作品をオマージュした作品は数多くあります。私たちが今まで目にしたデザインの中にもあるかもしれませんね。

まとめ

ロシア・アヴァンギャルドはロシア革命・ソビエト連邦成立と密接に関係し、「新しい社会を作る」という新時代の雰囲気の中で大きく花開きました。

当時の政府や芸術家たちは「芸術を経済発展に活かす」という考えをもっていました。その時代の社会情勢を知った上で作品を鑑賞すると、また違った魅力が見えてくるかもしれません。

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中森学

中森学

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セールスライター。マーケティングの観点から「アーティストが多くの人に知られるようになった背景には、何があるか?」を探るのが大好きです。わかりやすい文章を心がけ、アート初心者の方がアートにもっとハマる話題をお届けしたいと思います。SNS やブログでは「人を動かす伝え方」「資料作りのコツ」を発信。

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