Facebook X Instagram Youtube

STUDY

2024.12.20

【オルセー美術館】印象派の芸術家7人を解説! モネやルノワール など作品も

印象派は日本でも人気があり、多くの展覧会が開催されています。耳にする機会の多い「印象派」という言葉ですが、実は印象派は分類される芸術家は多くはありません。

実際、印象派の芸術家と交流し、印象派の影響を強く受けたにもかかわらず、「印象派画家」と呼ばれることを拒絶した芸術家も…。

オルセー美術館, Visitors of the Musée d'Orsay, Public domain, via Wikimedia Commons.

オルセー美術館は世界有数の印象派作品の宝庫として知られており、2025年10月25日から2026年2月15日まで国立西洋美術館で、『オルセー美術館所蔵 印象派―室内をめぐる物語』が開催されます。

本記事は、展覧会の開催に先駆け、オルセー美術館に所蔵されている「印象派の芸術家」7人を紹介します。それぞれの芸術家の作風や代表作もわかりやすく解説するので、アート初心者の方もぜひ目を通してみてくださいね。

なお、ここで紹介する作品が2025年の展覧会に来るわけではなく、あくまでオルセー美術館の所蔵作品紹介記事です。公式情報については、『オルセー美術館所蔵 印象派―室内をめぐる物語』からご確認ください。

オルセー美術館の印象派芸術家①:モネ

モネ『睡蓮』(1916-1919年), Claude Monet - Blue Water Lilies - Google Art Project, Public domain, via Wikimedia Commons.

印象派の創始者の一人であるモネの作品は、オルセー美術館に数多く展示されています。 印象派といえばモネ!と考える人も多いかもしれません。

モネが1872年に残した『印象・日の出』は、「印象派」の名前の由来になりました。『印象・日の出』は現在、オルセー美術館と同じくパリにあるマルモッタン・モネ美術館に所蔵されています。

モネが印象派の創始者と考えられるのは、『印象・日の出』が呼称の由来になったためだけではなく、彼が「印象派展」の主催者だったためでもあります。

「印象派展」とは、審査も報奨もない展覧会で、これまでの伝統的なサロン文化とは全くことなる趣を持っていました。サロンに落選しつづけていたモネは、ピサロやドガなど周囲の画家たちと一緒に、自分たちの展覧会「印象派展」を開催したのです。「印象派展」はその後も第2回、第3回…と継続して開催されます。

当時、芸術の価値を決めるために大きな影響力を持っていたサロンは、伝統的な芸術を重んじ、格式が高く前衛的な作品が評価されづらい環境でした。新しい芸術を模索した印象派画家たちにとって、「印象派展」は自らの芸術をあきらめずに続けられる希望にもなったのです。

モネ作品で有名なのは、やはり「睡蓮」シリーズでしょう。オルセー美術館には、「睡蓮」作品がいくつか展示されています。モネは晩年自宅にこもり、庭に作った池を観ながら作品制作に耽っていました。

1890年代に購入したジヴェルニーの土地には、睡蓮の咲く池があり、池には日本風の太鼓橋があります。モネはこの橋と睡蓮のある池の景色を心から愛でており、季節や時間帯によって微妙に変化する光を捉えることに夢中になっていました。

オルセー美術館には『睡蓮の池、バラ色の調和』(1900年)や『ジヴェルニーのモネの庭』(1900年)が所蔵されています。

オルセー美術館の印象派芸術家②:マネ

マネ『草上の昼食』(1862-1863年), Edouard Manet - Luncheon on the Grass - Google Art Project, Public domain, via Wikimedia Commons.

印象派の先駆者と見なされることが多いマネですが、実際、マネは印象派ではないとする考え方もあります。しかし、彼の作品は確実に印象派に多大な影響を与えました。オルセー美術館には、有名な作品『草上の昼食』(1862-63年)や『フォリー・ベルジェールの酒場』(1882年)が収蔵されています。

印象派に近しい哲学のもとに芸術を制作し、他の印象派芸術家との交流もあったものの、マネが印象派画家には分類されないのは、彼自身が「印象派展」に参加しないと決断したことが一因でしょう。

マネは、理想主義に傾倒していた当時のサロンとは異なる方向性の芸術を追求していたものの、サロン入選を重視するという、ある種の矛盾を抱えていました。「印象派展」への参加を拒絶したのは、サロンでの評価に影響が出ると考えたためでした。

1863年に発表した『草上の昼食』では、現代的な衣服に身を包んだ男性と一緒に裸体の女性を並べるという構図がサロンで酷評され、スキャンダルを呼びます。

『草上の昼食』と同じくオルセー美術館に所蔵されている『オリンピア』(1863年)は、娼婦の女性をモデルにしたことから、さらに大きなスキャンダルとなりました。

失意のなかスペインに旅行に出たマネは、そこでベラスケスなどのスペイン絵画の影響を受け、1866年に『笛を吹く少年』(オルセー美術館所蔵)を制作しました。

マネ『笛を吹く少年』(1866年), Manet, Edouard - Young Flautist, or The Fifer, 1866 , Public domain, via Wikimedia Commons.

『笛を吹く少年』の平坦な背景はベラスケスの影響を、単純化された人物画のタッチは日本画の影響を受けたともいわれます。しかし、こちらもサロンで落選してしまいます…。

今では19世紀西洋美術史を代表する芸術家の1人であるマネですが、実は不遇で評価されない芸術家人生を歩んでいたのですね。

オルセー美術館の印象派芸術家③:ルノワール

ルノワール『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』(1876年), Pierre-Auguste Renoir, Le Moulin de la Galette, Public domain, via Wikimedia Commons.

ルノワールの作品は、印象派の象徴的な特徴を兼ね備え、鮮やかな光と色彩で知られています。『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』(1876年)と『ボート遊びの昼食』(1880-1881年)は、オルセー美術館の有名な作品の2つです。

1862年にモネやシスレーなどの印象派画家たちと出会ったルノワールは、光と色彩の効果を重視する作風に傾倒していきます。とくに1870年代以降は、ルノワールは光が色に与える影響に焦点を当て、現代の生活の場面を描くことで知られるようになりました。

この時期のルノワールの最も有名な作品のひとつに『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』(1876年)があります。オルセー美術館に所蔵されている『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』は、パリの人気ダンスホールの屈託のない雰囲気を描いた作品です。

物質ごとの豊かな質感が表現されており、木漏れ日のような光に包まれた動きのある人物の描写には、ルノワールの能力が示されていますね。ルノワールは「光に白や黒はない」という信念のもと、太陽光に照らされた場面の微妙な光の変化を繊細に表現したのです。

ルノワールのキャリアはしばしば、2つの時期に分けられます。印象派グループの中心メンバーとして活躍した初期の時期と、より古典的なスタイルに戻った後期の時期です。

後期では、オルセー美術館に所蔵される『水浴』(1918-1919年)に代表されるような、ある意味ルネッサンス的な裸婦像を多く残しました。ルノワールの人生のさまざまな時期の作品を所蔵しているオルセー美術館は、彼の芸術家としての発展を感じることができる場所です。

オルセー美術館の印象派芸術家④:ドガ

ドガ『バレエ(星)』(1876-1877年), Edgar Degas - Ballet (L'Étoile), Public domain, via Wikimedia Commons.

踊り子、水浴、競馬場の情景を描いたことで有名なドガは、印象派の中心的人物の一人でしたが、自身の作品を「印象派」と表現することにはしばしば抵抗を示していました。

実際、ドガが好んだのは印象派という括りではなく、「リアリスト」もしくは「独立派」と呼ばれることでした。伝統的なアカデミアでの芸術訓練を受けたため、初期にはラファエロなどのルネッサンス芸術家に影響を受けています。

1860年代からモネやマネと交流を持ち始め、光の繊細な変化を捉え、日常生活をテーマにする印象派に興味を持ち始めました。しかし、他の印象派が屋外で瞬間的なシーンを描いたのに対し、ドガは落ち着いた構図や動きを描写することに重きを置いた点が特徴です。

ドガはとくにバレリーナを多く題材にしたことで知られます。彼の作品『バレエのレッスン』(1874年)や『リハーサル』(1874-1875年)は、オルセー美術館のコレクションに展示されています。

バレリーナ作品の多くは室内での様子が多いものの、人体の一瞬の動きの変化を見逃さない感性は印象派的といえるでしょう。

バレリーナの美しくも厳しい現状を、絵画を通して表現した点において、ドガの主題選択には感覚的な光陰描写以上の意図があります。当時のバレリーナが裕福なパトロンに“養ってもらう”必要がある現状を、ドガは絵画を通じて告発しようとしたのでしょう。

ドガによって描かれたバレリーナたちは、舞い踊ったり、ゆったりと休憩したり、さまざまです。鍛錬にとって生み出される繊細な舞の一瞬だけではなく、そんな彼女たちがふと少女の顔に戻る瞬間も見られます。

複数の作品を所蔵していることから、ドガの幅広いバレリーナ関連作品を鑑賞するには、オルセー美術館は最適な場所です。

オルセー美術館の印象派芸術家⑤:ピサロ

ピサロ『赤い屋根の村』(1894年), Pissarro Red roofs, Public domain, via Wikimedia Commons.

印象派のパイオニアであるピサロは、田園生活の場面や都市の風景を描きました。 ピサロの作品、例えば『収穫』(1882年)や『赤い屋根の村』(1894年)などは、オルセー美術館でよく展示されています。

ピサロはキャリアの初期からポスト印象派のセザンヌやゴーギャンなど、彼のキャリアにとって重要な芸術家たちと交流していました。同時にクールベのリアリズムに影響を受けており、労働階級の苦しみを描いていた特徴があります。

ピサロは1874年の第1回印象派展に参加していた画家の1人です。ピサロの作品は革新的な色使いがあり、注目を集めるようになりました。

風景や田園風景を多く描くようになったのは、1870年代にパリ郊外のポントワーズ村に移住したことが関係しています。自然の光の変化を正確に描写したいと考えていたピサロにとって、田舎での生活はぴったりの場所でした。

1880年代後半以降は点描画の傾向を強めます。点描画とは、色を小さな点や線でカンバスに載せる技法です。点描画は、同時代に活躍したスーラやシニャックが挑戦していたジャンルであり、ピサロは独自性を保ちつつも彼らと協力して画法を模索しました。

オルセー美術館では、ピサロが田園風景を描いた代表作『収穫』(1882年)や田舎生活で制作された『赤い屋根の村』(1894年)を鑑賞できます。いずれも柔らかな色使いと鮮やかな色使いが組み合わされており、ピサロ独特の色彩感覚を感じられる作品です。

オルセー美術館の印象派芸術家⑥:モリゾ

モリゾ『ゆりかご』(1872年), Berthe Morisot - The Cradle - Google Art Project, Public domain, via Wikimedia Commons.

数少ない著名な女性印象派画家の一人であるモリゾの作品は、繊細な筆使いと家庭生活の親密な描写が特徴です。『ゆりかご』(1872年)と『夏の一日』(1879年)は、オルセー美術館コレクションの主要作品です。

モリゾは印象派グループ結成当時から唯一の女性画家として展覧会に参加していました。モリゾは初期の芸術教育でクールベなどの伝統的な芸術を重視する芸術家の指導を受けていましたが、マネの作品の影響を受けスタイルが徐々に変化しました。

マネとモリゾが仕事上だけのつながりではなく、私的な恋愛関係にあったのではないかという憶測は定かではありません。なにはともあれ、モリゾは第1回をのぞくすべての印象派展に出展しており、他の印象派画家たちと影響し合って芸術を発展させました。

モリゾは家庭生活に焦点を当てた芸術家として知られます。印象派が屋外の光に目を向けたのに対し、モリゾは室内の場面や肖像画、家族のふれあいを多く残しています。

女性の家庭内での経験に焦点を当てたモリゾの視点は、この時代には珍しいものでした。物思いに耽る女性を描くなど、受動的で補佐的な役割しか与えられなかった女性に、主体性を与えた点が革新的です。

モリゾのパレットはパステルカラーなど繊細な色味を重視していました。“女性的”な優しい色彩の絵具をサッと広げ、素早い筆跡で描くことで、瞬間的な場面を残したのです。

モリゾの代表作である『ゆりかご』(1872年)はオルセー美術館に所蔵されています。ゆりかごの中の我が子を見守る母親の姿は、親密な愛情を映していますね。

オルセー美術館の印象派芸術家⑦:シスレー

シスレー『ポート・マリーの洪水』(1876年), Alfred Sisley, Public domain, via Wikimedia Commons.

シスレーは、パリの郊外の田園風景を描いた、雰囲気のある風景画で知られています。 『ポート・マリーの洪水』(1876年)と『モレ・シュル・ロワン橋』(1893年)は、この美術館のシスレー作品のハイライトです。

シスレーはイギリス人の両親のもとに生まれましたが、主にパリで活動した印象派画家です。モネやルノワールほどの知名度はないものの、パリ周辺の田園風景や自然を描き、シスレーの調和のとれた構図や光の繊細な描写は印象派の発展に大いに貢献しました。

シスレーは1874年の第1回印象派展から参加しており、その後も続いた印象派展に出展し続けました。自然の儚い一瞬を描くことを重視しており、屋外をテーマにした絵が得意です。

作品の多くは牧歌的な雰囲気があり、落ち着いた色調と不思議な質感がある点は、シスレーの大きな特徴でしょう。パリの風景だけではなく、周辺の田舎地域でほのぼのとした作品を残すこともありました。

とくにシスレーが着目したのは、まだ人間の介入を受けていない自然のありのままの姿でした。他の印象派芸術家に比べると人物が登場することが少なく、自然を儚く尊いものとして描いた画家です。

オルセー美術館には『アルジャントゥイユの歩道橋』(1872年)などのいくつかのシスレー作品があります。

まとめ:オルセー美術館は印象派の歴史を感じられる場所

ここまで紹介したように、印象派芸術家の作品の多くが所蔵されているオルセー美術館は、印象派の歴史や発展を学ぶために最適な場所です。

印象派は芸術ムーブメントとして非常に重要なものでしたが、「印象派」と自ら好んで名乗っていた芸術家は実はそう多くはありません。現代でこそ大きな人気を誇る印象派も、当時は社会的に受け入れられづらい環境だったためでしょう。

以上、オルセー美術館で鑑賞できる印象派芸術家7選でした。

【写真9枚】【オルセー美術館】印象派の芸術家7人を解説! モネやルノワール など作品も を詳しく見る
はな

はな

イタリア・ローマの大学の美術史修士課程に在籍中。3年半勤めた日系メーカーを退職後、2019年から2年半のスペイン生活を経てフリーライター、日英・日西翻訳として活動するかたわら、スペイン語話者を対象に日本語を教えています。趣味は読書、一人旅、美術館・教会巡り、料理。

イタリア・ローマの大学の美術史修士課程に在籍中。3年半勤めた日系メーカーを退職後、2019年から2年半のスペイン生活を経てフリーライター、日英・日西翻訳として活動するかたわら、スペイン語話者を対象に日本語を教えています。趣味は読書、一人旅、美術館・教会巡り、料理。

はなさんの記事一覧はこちら