Facebook X Instagram Youtube

STUDY

2025.1.7

スヌーピー「ピーナッツ」が愛され続ける理由 シュルツの生涯と日常のアイデア

チャールズ・M・シュルツの漫画「ピーナッツ」は、誕生から70年以上の時が経ってもなお、世界中で愛されている作品です。スヌーピーを中心に、登場するキャラクターたちはコミカルながらも身近に感じられるのが特徴で、今でもファンが増え続ける理由のひとつです。

チャールズ・シュルツ、チャーリー・ブラウンの絵と製図台に座る。米国議会図書館, Charles Schulz, half-length portrait, facing front, seated at drawing table with drawing of Charlie Brown, Flickr - The Library of Congress, Public domain, via Wikimedia Commons.

およそ50年にわたって創作された「ピーナッツ」。実は、キャラクターの描き方や漫画のストーリーが、年代によって少しずつ変化しているのをご存知でしょうか?

たとえば、連載がスタートした1950年頃のスヌーピーは、普通のビーグル犬でした。ところが、1960年に近づくにつれ、2本足で歩き、人間のように考えを巡らせる唯一無二のキャラクターとして完成します。

このような変化の背景には、シュルツが人生で経験した出来事や、日常を鋭く観察するまなざしがありました。この記事では、スヌーピーシリーズ「ピーナッツ」に映し出されたシュルツの人生をひも解き、彼が追究した表現を解説します。

チャールズ・M・シュルツの生涯とスヌーピー作品「ピーナッツ」の歩み

チャールズ・シュルツ美術館ラウンジ, Charles Schulz Museum-lounge, Public domain, via Wikimedia Commons.

新聞漫画に夢中だった子ども時代

幼い頃、シュルツは新聞の漫画を夢中で読んでいました。父親のカールは新聞漫画が大好きで、日曜版を4種類も買い、親子で楽しんでいたそうです。

シュルツ少年が過ごした1930年代は、世界大恐慌の波を受け、人々は苦しい生活を送っていました。そんな時に娯楽として親しまれたのが、新聞漫画だったのです。

シュルツはキャラクターやストーリーの作り方を新聞で学びました。そして、18歳になると、漫画を専門的に学ぶため通信教育を受けようと決意します。

幸い、不景気にあっても彼の家庭には経済的なゆとりがあり、学ぶ環境を整えることができました。また、両親が彼の望む道に理解を示したことも、偉大な作家が誕生した要因です。

こうして、漫画好きの少年は、一人の作家へと成長していきます。

漫画家デビューとスヌーピーシリーズ「ピーナッツ」連載スタート

20歳を迎えたシュルツは、第二次世界大戦中に徴兵され、10年以上にわたり軍隊で生活を送ります。シュルツは、この時に味わった寂しさを、「ピーナッツ」の主人公であるチャーリー・ブラウンが背負うことになったと語っています。(参考:朝日新聞社編『スヌーピー展 しあわせは、きみをもっと知ること。』2013年、朝日新聞社、p.15.)

1945年に除隊した後、かつて通信教育を受けたアート・インストラクション・スクールズでインストラクターとして働き始めます。優れた仲間と高い志を持ち教育に携わった経験は、シュルツのさらなる成長につながりました。

彼は仕事をしながらも、新聞や雑誌などに漫画を投稿し、作家としてデビューするための努力を重ねました。そして、ついに地元紙「セント・ポール・パイオニア・プレス」紙や「サタデー・イブニング・ポスト」誌に漫画の掲載が決まります。

「ピーナッツ」の連載が決まったのは、1950年の出来事でした。ユナイテッド・フィーチャー・シンジゲート社と5年契約を結び、毎日作品を描くことになったのです。

シュルツと「ピーナッツ」&スヌーピーが世界中で注目の的に

漫画家を目指して着実に努力を続けてきたシュルツ。「ピーナッツ」とスヌーピーは、1984年に2,000種類もの掲載紙で連載されるほど人気を博し、その驚くべき記録はギネスブックにも載りました。

どのようにして彼の作品が世界中で愛されるようになったのか、見ていきましょう。

シュルツが契約したユナイテッド・フィーチャー・シンジゲート社は、彼の漫画をさらに広めようと戦略を立て、他の新聞にも売り込みます。この計画が功を奏し、1956年初めの時点で、「ピーナッツ」はアメリカ国内の230誌と15カ国で連載されるまでに急成長します。
(参考:前掲書 p.46)

さらに作品が世界中に周知されたきっかけとして、スヌーピーがNASAの公式マスコットに採用されたことが挙げられます。スヌーピーは、1969年に宇宙飛行士たちとアポロ10号に乗り込み、話題となりました。

その後、スヌーピーを中心にキャラクターグッズが次々に登場したほか、アニメや映画、舞台作品が制作されます。シュルツにとっては漫画を描くことが最優先でしたが、すべての制作物が作品に忠実であるよう気を配りました。

周囲の人々もまた、作品のイメージを守り、質の高いものを提供したいと考えた結果、多くの人々が様々な形で「ピーナッツ」に触れられるようになったと言えます。

こうして、「ピーナッツ」そしてスヌーピーは世界各地で注目を集めるようになりました。シュルツは、オリジナリティ溢れる作品が高く評価され、栄誉ある賞をいくつも得るほどの偉大な漫画家になったのです。

「ピーナッツ」の表現の移り変わり

スヌーピーミュージアム東京, Snoopy, Public domain, via Wikimedia Commons.

シュルツは、シリーズの最終回を迎えるまで約50年もの間、毎日作品を描き続けました。その間、彼が大事にしていたのは、絵の表現を磨くことはもちろん、新鮮さと面白さを失わないことでした。

連載が始まった当初は「1日1ギャグ」を自身のスタイルとしていましたが、その後、何気ない出来事を描き出す才能を発揮します。

ここでは、初期・中期・後期に分けて、シュルツの表現の移り変わりを解説します。

初期(1950〜1960):「ピーナッツ」おなじみのエピソードが誕生

「ピーナッツ」には、ファンに親しまれているおなじみのエピソードがあります。負けてばかりの野球チーム、ライナスの毛布、ベートーヴェンを敬愛するシュローダーなどのお話です。

たとえば、チャーリー・ブラウンは、自分のチームを結成するほど野球が大好きです。しかし、気持ちとは裏腹に好プレーができず、チームの士気も下がり、いつも試合に負けてしまいます。

特筆したいのは、「好きだけどうまくいかない」という苦い経験を、シュルツがユーモラスな一コマに変身させている点です。誰もが味わう悔しさや悲しみの感情を、微笑ましいエピソードとして描くことで、読者が共感できる不変のテーマが出来上がりました。

シュルツのアイデアの源は、自身の体験や子どもたちとの生活です。日常の出来事をありきたりに描くのではなく、シュルツのユーモアが加わることで、「ピーナッツ」独自の世界観が作られました。

中期(1961〜1980):スヌーピーが中心的な存在に

初期の「ピーナッツ」は、主人公のチャーリー・ブラウンをはじめ子どもたちが作品の根幹です。今では「ピーナッツ」の代名詞とも言えるスヌーピーは、初期は愛らしい子犬として登場しました。

しかし、1960年頃になると、2本足で歩いたり思考を巡らせたり、まるで人間かのように振る舞う姿が表現されています。この変化は、シリーズの大きなターニングポイントとなりました。

スヌーピーが普通の犬から逸脱するにつれ、シュルツの表現も柔軟になっていきました。
そして、スヌーピーが英雄になりきる「フライング・エース(撃墜王)」「ジョー・クール」などの大人気のエピソードが生まれます。

スヌーピーの描かれ方が変わったのは、シュルツが近所の飼い犬に着想を得たのがきっかけでした。その犬は、飼い主の子どもたちよりも賢そうで、彼らの他愛ない行動にじっと耐えているように見えたそうです。

このように、シュルツは日常から不変のテーマを見出すだけでなく、キャラクターに変化を与えるアイデアも発見しました。彼の鋭い観察眼は作品に新鮮さをもたらし、「ピーナッツ」を、時代を超えて愛される漫画にしたのです。

後期(1981〜2000):哲学的なストーリーに発展

「1日1ギャグ」のスタイルでスタートした「ピーナッツ」は、後期に入るとストーリー性よりも瞬間を描き出す方向に移り変わります。

もともとは4コマ漫画でしたが、後期のデイリー版では3コマや2コマ、そして1コマで表現するパターンが出てきます。決定的なワンシーンを描写し、読者の想像力を掻き立てる作風は、後期の特徴です。

1コマの作品では、セリフすらないものも登場します。「しあわせはこの瞬間」というエピソードでは、チャーリー・ブラウン、スヌーピー、ウッドストックが落ち葉の山にダイブする瞬間が1コマで描かれています。

「ダイブした後はどうなるのか」など、読者の頭の中でストーリーが展開するのが面白い点です。

シュルツが従来の漫画の枠を外す試みをしたのは、ストーリー性や具体的な表現から自由になろうとしたためです。決められたコマ数や「話にオチをつける」といった制約を外した結果、彼の思想を表す哲学的なエピソードも描けるようになりました。

たとえば、チャーリー・ブラウンの妹サリーは、「サリーの新境地」などのストーリーで自分の哲学を主張します。何気なく「今日は学校どうだった?」と尋ねる兄に、「関係ないでしょ?」と答えます。

サリーはこのフレーズを自分の新しい哲学とし、「もうくよくよするのはやめたわ」と話します。(セリフの翻訳の参考:前掲書p.95)

このように、シュルツの試みはキャラクターにさらに深みを与え、「ピーナッツ」の哲学を作り上げました。

シリアスをユーモアに変身させるシュルツの技術

チャールズ・シュルツ 1993年, Charles Schulz crop 1993, Public domain, via Wikimedia Commons.

およそ50年にわたり創作を続けたシュルツは、病気を患ったため執筆を継続するのが難しくなります。そして、1999年12月に引退を宣言し、2000年2月に息を引き取りました。

その間、「ピーナッツ」の表現は移り変わり、読者に新鮮な驚きを与えてきました。しかし、変化の中でも一貫している特徴があります。それは、シリアスとユーモアのほどよいバランスです。

おなじみのエピソードでは、悔しい経験をユーモラスに描いていると解説しましたが、シュルツは辛い出来事を滑稽なものとして表現しました。

たとえば、チャーリー・ブラウンの家の隣に住む猫は、スヌーピーと激しく争う様子から「第二次世界大戦」と名付けられました。シュルツが従軍していた頃の苦しい体験が、思わず笑ってしまうお話として表現されています。

思い出や日常に潜む過酷な体験をユーモアたっぷりに描いたシュルツ。彼の作品が時代を超えて愛されるのは、人々の様々な感情に寄り添っているからだと言えます。

まとめ

この記事では、「ピーナッツ」に反映されたシュルツの生涯をひも解き、彼が追究した表現を解説しました。

作品の新鮮さと面白さを追い求め、柔軟に表現を変化させてきたシュルツ。作品が発展した背景には、身の周りの出来事を注意深く観察する力と、日常を漫画に昇華させる技術力があったと分かりました。

読者の共感を呼びながらも、シュルツは「ピーナッツ」独自の世界観を作り上げ、唯一無二の作品として国際的な評価を受けています。

また、グッズやアニメ、映画や舞台に発展したことも、世界中にファンを生み出すきっかけになったとご紹介しました。現在でも多数のグッズが作られ、さらには各地にミュージアムやテーマパークが登場するなど、作品が色褪せることはありません。

みなさんも、漫画やグッズを楽しむ時に、シュルツの表現や思想にも注目すると、新たな視点に出会えるでしょう。

アートギャラリーエドムでは、店舗やオンラインショップで「ピーナッツ」のグッズを販売しています。

彫刻家ジム・ショア(Jim Shore)が制作するフィギュアをはじめ、ご自宅に飾れる作品から普段使いできるアイテムまで、取り揃えています。ぜひショップにも訪れてみてくださいね。
『アートギャラリーエドム(edom)』公式HP
『エドムオンラインショップ』

《参考》
・朝日新聞社編『スヌーピー展 しあわせは、きみをもっと知ること。』2013年、朝日新聞社
SNOOPY MUSEUM TOKYO The Life of Charles M. Schulz

【写真4枚】スヌーピー「ピーナッツ」が愛され続ける理由 シュルツの生涯と日常のアイデア を詳しく見る
浜田夏実

浜田夏実

  • instagram
  • twitter
  • note

アートと文化のライター。アーティストのサポートや、行政の文化事業に関わった経験を活かし、インタビューや展覧会レポートを執筆しています。難しく考えがちなアートを解きほぐし、「アートって面白い」と感じていただける記事を作成します。

アートと文化のライター。アーティストのサポートや、行政の文化事業に関わった経験を活かし、インタビューや展覧会レポートを執筆しています。難しく考えがちなアートを解きほぐし、「アートって面白い」と感じていただける記事を作成します。

浜田夏実さんの記事一覧はこちら