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2025.7.9
ゴヤ『1808年5月3日、マドリード』恐ろしさの裏に隠された背景を読み解く
『1808年5月3日、マドリード』(別名『1808年5月3日のマドリード』『プリンシペ・ピオの丘での虐殺』または『5月3日の銃殺』)は、スペインの画家フランシスコ・デ・ゴヤが1814年に完成した絵画です。
虐殺や銃殺という言葉がタイトルに直接的に使われることもあるため、少しびっくりするかもしれません。作品をよく見ると、描かれている内容はタイトル以上に衝撃的なシーンです。
目次
ゴヤ『1808年5月3日、マドリード』, El tres de mayo de 1808 en Madrid, Public domain, via Wikimedia Commons.
この作品は、ゴヤの政治的な思惑が込められています。作品の恐ろしさにばかり目がいきがちですが、ゴヤがなぜこの絵を描いたのか、伝えたかったメッセージはなにか、知ってみると作品の深みがわかるかも。
この記事では、ゴヤの『1808年5月3日、マドリード』について紹介します!
ゴヤはどんな画家だった?
ビセンテ・ロペス・ポルターニャ 『画家フランシスコ・デ・ゴヤの肖像』, Vicente López Portaña - el pintor Francisco de Goya, Public domain, via Wikimedia Commons.
フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス(1746‐1828年)はスペインの画家兼版画家です。芸術様式の区分としては、ゴヤはロココから新古典主義に移行し、徐々にロマン主義の傾向に進んでいきました。
ゴヤ作品には常に独創的な解釈が含まれていた特徴があります。神話主題であれ、日常的な主題であれ、そこに一歩踏み込んだ奥行きを忘れないのが彼の芸術スタイル。一方で、現実をありのままに描く傾向があるため、主題によっては怖い印象を与えることも少なくありません。
ポジティブにもネガティブにも作品がショッキングに映りやすいのは、ゴヤが作品に倫理的なメッセージを込めていたためでしょう。ゴヤにとって芸術は単純な「美的対象」というよりは、道徳的な教訓を伝達するための方法の1つでした。
ゴヤが芸術にメッセージ性を込めていたのは、明らかに彼が生きた激動の時代にそれが求められていたからです。たとえば、『1808年5月3日、マドリード』がそうであったように、スペイン独立戦争をテーマにした作品をゴヤはいくつか残しています。
一方で彼は、もう1つの代表作である「裸のマハ」のように平和的な肖像画(さまざまな議論はあるものの…)や、社会風刺を含んだ版画なども制作しました。芸術家としての美的な才能を活かしつつ、常に社会情勢に目を光らせていた人物だったと言えます。
ゴヤの『1808年5月3日、マドリード』は対フランスのスペイン独立戦争の絵
ゴヤ『1808年5月3日、マドリード』, El tres de mayo de 1808 en Madrid, Public domain, via Wikimedia Commons.
『1808年5月3日、マドリード』は、現在プラド美術館に所蔵されています。作中でゴヤは、スペイン独立戦争の始まりである5月2日の蜂起における、スペイン国民の闘争を描きました。
スペイン独立戦争の背景
スペイン独立戦争とは、1808年から1814年にかけてスペイン・イギリス・ポルトガル連合軍と、ナポレオン率いるフランス軍が戦った戦争です。ナポレオンはスペイン王フェルナンド7世を退位させて代わりに自分の弟を就かせ、スペインをフランス帝国の衛星国家にしようと企んでいました。
これに対し、スペインの民衆が反発し1808年5月2日にマドリードで蜂起したため、民衆の圧力に押される形で戦争が勃発。スペインの正規軍の戦いに加え、非正規の民衆によるゲリラ戦がスペイン全土で展開されました。
スペインの人々の怒りはフランス軍を消耗させ、結果的には1814年にスペイン国王フェルナンド7世が復位し、独立戦争は集結へ。ナポレオン主導のもと多くの侵略戦争に成功していたフランス帝国の前途に、影を落とした戦争になりました。
対になる作品「1808年5月2日のマドリード」とは?
ゴヤ『1808年5月2日のマドリード』, The Second of May 1808, Francisco de Goya, Public domain, via Wikimedia Commons.
実は『1808年5月3日、マドリード』には対となる作品があり、『1808年5月2日のマドリード』(別名『プエルタ・デル・ソルでのマムルーク騎兵の突撃』)と呼ばれます。
別名に含まれているプエルタ・デル・ソルとは、現在でもマドリードの中心地にあるエリアです。街頭で繰り広げられた戦いでは、馬に乗るマムルーク兵と民衆が入り乱れ、混沌としています。
マムルーク兵とはナポレオンの近衛兵部隊で、もとはエジプト出身の奴隷たちです。マムルーク兵は馬術と湾曲した剣の扱いに長けており、スペインの民衆と熾烈かつ凄惨な戦いをしました。
スペインでは中世のオスマン帝国支配の記憶から、伝統的にムーア人(全般的にイスラム教徒を指す)を敵対視する傾向があったはずです。そんななか「フランスとの戦争」に現れたエジプト人マムルーク兵たちは、「ムーア人の亡霊」のように映り、スペイン人にとって強い憎悪の対象になりました。
『1808年5月3日、マドリード』の作品解説
『1808年5月3日、マドリード』にゴヤが描いたものを、詳しく観察してみましょう。
銃口を向けられた人々の様々なリアクション
ゴヤ『1808年5月3日、マドリード』詳細, El tres de mayo de 1808 en Madrid (detalle), Francisco de Goya, Public domain, via Wikimedia Commons.
白いシャツの男性が主人公のようにすぐに視線を引き付けるものの、よく作品を見てみると銃口を向けられているのは彼だけではないことに気づきます。
足元にはいくつかの遺体が倒れていることからも、この処刑が今この場で実行されることは、疑いようがなさそうです。自分がこれから殺される直前の時間は、どれほど恐ろしいでしょう。
処刑直前に壁の前に立たされている人々のリアクションは、さまざまです。前景で天に手を上げる男。運命を諦めて待つ帽子をかぶった男。祈る姿勢の修道士…。
処刑されそうになっている男たちのなかに修道士(もしくは神父?)が含まれいる点は、ゴヤの史実への忠実さを示すと考えられています。この場所プリンシペ・ピオの丘は、その夜マドリードで唯一、神職者フランシスコ・ガジェゴ・イ・ダビラが処刑された場所だったからです。
ではなぜ神に仕える神職者までもが処刑の対象になったのか?それはフランス軍が、スペインの抵抗を鎮圧するため、宗教者や下層階級のメンバーを処刑することを決めたから。国家の正規軍の抵抗というよりは「民衆の蜂起」により始まったスペイン独立戦争では、戦略的にスペインの人々の士気を下げることが最優先事項だったのかもしれません。
闇の中の光?緊張感とドラマのゴヤ
ゴヤ『1808年5月3日、マドリード』詳細, El Tres de Mayo, by Francisco de Goya, from Prado in Google Earth-x1-y1, Public domain, via Wikimedia Commons.
『1808年5月3日、マドリード』は、5月3日の未明、つまり明け方のシーンです。まだ薄暗い屋外で、処刑される人々を照らすのは、足元におかれたランタン。だから兵士の姿は暗くてよく見えないのに、処刑者たちはこんなにもはっきりと表情が見えるのですね。
兵士たちは複数いることはわかるものの、特徴にかけており無機的な印象です。個々の動きが明確で表情がよくわかる画面に左半分と比べると、兵士たちの「人間らしさ」は極限まで抑えられており、1つの大きな道具のような役割を担っています。
今わの際にそれぞれの反応を示す人々と、機械的に冷たい銃口を向ける人々。明暗と動静の対比が、作品の緊張感を引き立てています。
あいまいな背景
目の前で繰り広げられるあまりに衝撃的なシーンに目を取られてしまいますが、少し背景に目を向けて見ましょう。教会のような建物と、それに連なる町が見えますね。しかし、暗いせいか背景はぼんやりしていてあいまいです。
美術史研究者のなかでは、ゴヤは銃殺の直前の恐ろしさや心理的衝撃を和らげるためにあえて背景をあいまいにしたのではないかと主張する人もいます。たしかに、背景まで精密に描かれていたら、作品全体の緊張感がより高まっていたかもしれませんね。
ゴヤ『1808年5月3日、マドリード』の芸術的な価値とは?
ゴヤ『1808年5月3日、マドリード』, El tres de mayo de 1808 en Madrid, Public domain, via Wikimedia Commons.
ゴヤが独立戦争を描いたこの作品は、その芸術的な表現力はもちろんのこと、主題選択や芸術スタイルの点においても歴史的価値が認められています。
「戦争」をテーマにする斬新さ
『1808年5月3日、マドリード』は、武器を持たず両手を挙げている非武装(に見える)男性に向かって、武装した複数の兵士たちが銃口を向けているショッキングな構造が基本です。このように直接的に戦争のシーンを描いた絵画は、それまでにほとんど前例がありませんでした。
「戦争」で血が流れるまさにその瞬間を視覚的に記録した点において、ゴヤの『1808年5月3日、マドリード』には歴史的に価値があると言えます。作品を目にした鑑賞者がハッと息を飲むような恐怖は、戦争の本質を理解するための重要な要素です。
本作は戦争の記憶を視覚的に伝達するための明確かつリアルなメッセージが込められており、それが歴史的な価値につながっています。
新古典主義からの脱却
『1808年5月3日、マドリード』では、処刑される者が画面の左に強い光源に照らされて描かれています。一方、右半分を占めている処刑者たちの顔はまったく見えず、彼らの背中を照らす光がないためにほとんど存在感がありません。鑑賞者の視線は、瞬時に白いシャツの男性に引っ張られるはずです。
この作品が制作された19世紀初頭の西欧芸術界では、新古典主義が台頭していました。新古典主義とは、古代ギリシャ芸術を模範とした形式美や写実性を当時なりに再解釈した芸術様式です。
ゴヤの『1808年5月3日、マドリード』には、新古典主義の要素はほとんど見られません。むしろ、ヒーローとして戦争の指導者を理想化して描く傾向にあった新古典主義(ナポレオンの肖像画が有名ですね)とは、真逆の方向に進んでいるといってもいいでしょう。
ゴヤは「芸術的な価値」より戦争の記憶にまつわるメッセージを重視していた?
ゴヤ『1808年5月3日、マドリード』3人の男, Goya 3may men, Public domain, via Wikimedia Commons.
ゴヤの『1808年5月3日、マドリード』は様々な観点において衝撃的な内容を描いた作品であることは間違いなく、美術界の反応は多様でした。
それまで戦争を主題にした作品は登場人物に英雄的性質を付加することが多かったのに対し、ゴヤの作品に”英雄”はいません。兵士たちの立ち位置や画一的な表現は、古典主義とも現実主義ともかけ離れています。
『1808年5月3日、マドリード』は、1808年の5月3日に起きた出来事を、ただゴヤの解釈に基づいて表現したまでです。どちらかというとゴヤは、この作品を戦争の記憶として残すことを目的としており、芸術的な評価を得ることを目指してはいなかったのではないかと指摘する声があります。
現在の日本に住む私たちが受ける衝撃がこれほどなのだから、戦争の記憶がまだ生々しく残っていた19世紀のスペインの人にとっての衝撃はどれほどだったでしょう…。社会や政治に対する自らの視点を芸術で表現してきたゴヤにとっては、『1808年5月3日、マドリード』がまさに代表作という位置づけにふさわしいのかもしれません。
まとめ:『1808年5月3日、マドリード』は左右の対比に注目
ゴヤの『1808年5月3日、マドリード』は、左右に配置された「処刑される人たち」と「処刑する人たち」の対比を考えるとより深い視点が得られるはず。戦争の作品は怖いから苦手な方も多いと思いますが、後世の人が戦争の痛みを忘れてしまわないように!という思いを込めてゴヤはこの作品を作ったのではないかな、とも思ったりします。
以上、ゴヤの『1808年5月3日、マドリード』の作品解説でした!
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イタリア・ローマ在住美術ライター。2024年にローマ第二大学で美術史の修士を取得し、2026年からは2つめの修士・文化遺産法学に挑戦。専攻は中世キリスト教美術。イタリアの前はスペインに住んでいました。趣味は旅行で、訪れた国は45カ国以上。世界中の行く先々で美術館や宗教建築を巡っています。
イタリア・ローマ在住美術ライター。2024年にローマ第二大学で美術史の修士を取得し、2026年からは2つめの修士・文化遺産法学に挑戦。専攻は中世キリスト教美術。イタリアの前はスペインに住んでいました。趣味は旅行で、訪れた国は45カ国以上。世界中の行く先々で美術館や宗教建築を巡っています。
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