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2025.7.7
描かれたのは5人の娼婦?ピカソの『アヴィニョンの娘たち』を簡単に解説!
スペインの巨匠ピカソの作品といえば、何を思い浮かべますか?
スペイン内戦の悲惨さを描いた『ゲルニカ』は、世界的に有名ですよね。次のよく名前を聞くピカソの代表作といえば、『アヴィニョンの娘たち』でしょうか。
衝撃的な内容を描いた『ゲルニカ』に比べると『アヴィニョンの娘たち』は比較的平和で、明るい色彩が目を引きます。しかしこの作品、実は売春婦を描いた作品なのです。
裸の娼婦をこんなに堂々と作品にするなんて…!と思われるかもしれませんが、当時の芸術界もまさに同じ反応を示しました。この記事では、ピカソの代表作の1つ『アヴィニョンの娘たち』について、作品の背景や特徴について詳しく紹介します!
目次
ピカソ『アヴィニョンの娘たち』, Les Demoiselles d'Avignon, Public domain, via Wikimedia Commons.
パブロ・ピカソの生涯
ピカソ, Pablo picasso 1, Public domain, via Wikimedia Commons.
ピカソは本名が非常に長く(クイズ番組でも出題されることがありますね)パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・フアン・ネポムセノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・シプリアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダッド・ルイス・イ・ピカソ(1881年10月25日 – 1973年4月8日)と言います。
スペインの画家、彫刻家であり、ときには版画、陶芸も残しました。スペイン人ですが、大人になってからのほとんんどの時間をフランスで過ごした芸術家です。20世紀でもっとも影響力があった芸術家と称されることもありますが、それは決して過言ではないでしょう。
ピカソは幼い頃から父の元で絵画教育を受け、卓越した芸術的才能を発揮していました。抽象的で強烈な作風で知られていますが、幼少期には自然主義的な作品が得意だったそうです。
徐々に独自の芸術路線を追求するようになり、次第にキュービズム運動の共同創設者として芸術界に名をとどろかすようになります。構築彫刻やコラージュの発明など、常識にとらわれない自由で型破りな作風で、ときには革命を、ときには波紋を呼んできました。
『アヴィニョンの娘たち』に描かれているのは売春婦
『アヴィニョンの娘たち』は、ピカソが1907年に制作した大型の油彩画です。作品の大きさはなんと243.9cm×233.7cm。前面に色を塗りつけるだけでも時間がかかるような、非常に大きな作品です。
カクカクと描かれた5人の女性
『アヴィニョンの娘たち』には、5人の裸の女性が描かれています。ピカソ作品の特徴でもある遠近法を無視した平面的な表現のおかげで、女性が裸であることの生々しさは軽減されているようです。
西洋では伝統的に、女性の身体を丸く優しく描くことが一般的でした。男性との対比として、強い輪郭よりもむしろ柔らかな曲線美が重視されたのです。
しかし、ピカソの『アヴィニョンの娘たち』はどうでしょう。女性の体は、カクカクとしたいびつな形で描かれていますね。しかもそのカクカクに均一性はなく、おのおのにことなる角ばり方が与えられています。
中央の2人の女性はまだ女性的な乳房やウエストのラインを感知できますが、残りの3人は明らかにデフォルメされており、体というよりは、「形」がただ描かれているようにさえ思われます。
よく見ると民族的な表現を含む『アヴィニョンの娘たち』
右側にいる2人の女性は、他の女性たちに比べると顔のパーツが誇張されており、より象徴的な印象を受けますね。これらの顔の表現は、アフリカのマスクのような特徴を備えています。
マスクから見られるような民族の原始性が「圧倒的な力強さ、甚至いは野蛮な力を持つ、完全にオリジナルな芸術スタイルを解放する」きっかけを作り、シャーマニズム的要素を加えるきっかけになったと、のちにピカソは述べました。
西洋の伝統的な芸術の要素(たとえば遠近法など)をなるべく排除し、部族の原始主義から着想を得た―――いわれてみれば、右下の女性のまなざしはシンプルながらグッと惹きつけられる力強さがあります。
『アヴィニョンの娘たち』は波紋を呼んだ問題作だった
ピカソはこの作品を『Le Bordel d’Avignon(アヴィニョンの娼館)』と名付けていましたが、あまりに直接的で不道徳なタイトルはもちろん芸術界に拒絶され、より一般的な『Les Demoiselles d'Avignon (アヴィニョンの娘たち)』に変更されました。
『アヴィニョンの娘たち』革命的で挑戦的であった分、議論を呼ぶ作品でもありました。画家の一番の友人や仲間たちさえも広範な怒りと不一致を引き起こしたほどです。当時芸術界で切磋琢磨していたアンリ・マティスやジョルジョ・ブラックも、初めは嫌悪感を示しました。
『アヴィニョンの娘たち』が評価された美術的な理由
ピカソ『アヴィニョンの娘たち』, Les Demoiselles d'Avignon, Public domain, via Wikimedia Commons.
『アヴィニョンの娘たち』は発表当時、不道徳なテーマが原因で非難されたものの、結果的に芸術界の視線はピカソに強く注がれることになりました。
vsマティス?『アヴィニョンの娘たち』がピカソを現代絵画界のリーダーに押し上げた
ピカソは20世紀初頭、同じくフランスで活用していたアンリ・マティスと現代絵画界の牽引者の座を争っていました。『アヴィニョンの娘たち』が芸術界に与えた影響は凄まじく、マティスとフォーヴィズムをほぼ一掃し、ピカソの絵画界での地位を確立させる結果に。
1992年のエッセイ『Reflections on Matisse』で、美術批評家のヒルトン・クラマーはマティスとピカソの争いについて、次のように残しています。
『アヴィニョンの娘たち』の衝撃後、マティスは二度と前衛の扇動者と間違えられることはなかった。…これにより、ピカソは前衛の「野獣」の役割を効果的に奪取した——この役割は、世論の観点からは、彼が決して手放すことはなかった。
…マティスは、…長い伝統を引用して『Le bonheur de vivre』で牧歌的な楽園の現代版を創造したのに対し、ピカソは異質な伝統である原始芸術に依拠し、『アヴィニョンの娘たち』で奇妙な神々と暴力的な感情の暗黒世界を創造した。
…ピカソは、現代の芸術と文化に巨大な影響を与える感情の潮流を解き放ったのに対し、マティスの野心は、彼が『画家のノート』で述べたように、より「限定的」——つまり、美学的快楽の領域に限定されたもの——と見なされるようになった。そのため、20世紀の最初の10年間に、その時代の最も偉大な2人の芸術家の作品において、現代美術を分断し続ける裂け目が開かれた。
(参考:Kramer, Hilton. "The Triumph of Modernism: The Art World, 1985–2005, 2006". Reflections on Matisse.)
民族的、原始的なものへの依拠?
ピカソは、『アヴィニョンの娘たち』がスペイン美術とイベリア彫刻の影響を受けた作品であることを認めています。一方で、アフリカやオセアニア美術との関連性は否定しました。(とはいえ、多くの美術家はピカソの返答に懐疑的な意見を持っているようです)
ピカソが「影響を受けていない」と言ったらもう、それはそこまでなのでしょうが、右側の2人の女性は欧州的というよりはアフリカ芸術っぽさがあると言いたくなる研究者たちの気持ちもわかります。
作品のテーマが挑戦的だっただけではなく、表現においてもなにかと議論を呼ぶのがピカソという男なのかもしれません。
『アヴィニョンの娘たち』を理解するポイント
ピカソ『アヴィニョンの娘たち』, Les Demoiselles d'Avignon, Public domain, via Wikimedia Commons.
①描かれ方の異なる女性たち
『アヴィニョンの娘たち』5人は、それぞれが異なるポジションをとっているだけではなく、異なる表現方法で描かれている点が特徴です。とくにこの作品に歪な印象を与えている右側の2人に注目してみましょう。
右上のカーテンを引きあげる女性は、幾何学的な形状で頭部が構成されています。胸は四角く、顔は暗く、男性的な特徴を備えているようにも見えるかもしれません。その下のしゃがんだ女性は、キュビズムの頭部のなかに2つの視点を同時に備えており、1人の人物の中に「ねじれ」が発生しています。
「女性であること」がギリギリ理解できる程度の形状でありながら、何かもの言いたげな表情はメッセージ性があります。いわゆる写実的な”上手い”絵から距離をとり抽象表現を選択したことで、見る人の感性に直接訴えかけるパワフルさを得た感じです。
②「娼館」というテーマ
ピカソは当初『アヴィニョンの娼館』というタイトルをつけたほど、明確に「娼館」であることを提示して作品を発表しました。娼館といえばなまめかしい女性や後ろめたいニュアンスが含まれそうなものですが、それはあくまで男性自身の目線。ピカソの描いた作品の主役は、娼婦たち自身です。
美術批評家ジョン・バーガーは、1965年の伝記『ピカソの成功と失敗』で、『アヴィニョンの娘たち』を次のように評価しました。
彼のスタジオで見た友人たちは皆、最初はその作品に衝撃を受けた。そして、それは衝撃を与えるために作られたものだった…
娼館そのものは衝撃的ではないかもしれない。しかし、魅力や悲しみ、皮肉や社会批判なしに描かれた女性たち——死を見つめるような目で描かれた柵の板のような女性たち——それは衝撃的だ。
…ここではピカソの引用は単純で直接的かつ感情的だ。彼は形式的な問題には全く関心を示していない。この絵の歪みは美学ではなく攻撃性の結果である。
(参考:Berger, John (1965). The Success and Failure of Picasso. Penguin Books, Ltd. pp. 73–77.)
まとめ:『アヴィニョンの娘たち』はピカソの表現的な挑戦だった
ピカソはこの作品の制作に至るまで、貧困や不遇に焦点を当てた「青の時代」(1901-1904年)から、官能性や性的表現に焦点を当てた「ローズ期」(1904-1906年)を経ています。『アヴィニョンの娘たち』が制作されたのは、「プロト・キュビズム期」と言われ、その後の彼の芸術の代名詞となるキュビズムが確立しつつあった時期でした。
『アヴィニョンの娘たち』は、ピカソの「青の時代」における弱者に向けられた視線と、「ローズ期」の官能性が、キュビズムという方法で表現された作品なのではないかなと筆者は思っています。
なにかとスキャンダラスなピカソですが、だからこそ芸術的な面白さは知れば知るほど深まっていきますね。以上、『アヴィニョンの娘たち』についてでした!
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イタリア・ローマ在住美術ライター。2024年にローマ第二大学で美術史の修士を取得し、2026年からは2つめの修士・文化遺産法学に挑戦。専攻は中世キリスト教美術。イタリアの前はスペインに住んでいました。趣味は旅行で、訪れた国は45カ国以上。世界中の行く先々で美術館や宗教建築を巡っています。
イタリア・ローマ在住美術ライター。2024年にローマ第二大学で美術史の修士を取得し、2026年からは2つめの修士・文化遺産法学に挑戦。専攻は中世キリスト教美術。イタリアの前はスペインに住んでいました。趣味は旅行で、訪れた国は45カ国以上。世界中の行く先々で美術館や宗教建築を巡っています。
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