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STUDY

2021.9.17

パブロ・ピカソの楽しみ方!世界一多くの作品をつくった天才のおもしろエピソード

芸術家はみんな「変」です。みんな天才で、みんな奇人です。

皆さんは考えたことないでしょうか。彼らは天才だから奇人なのか、それとも奇人だから天才なのか。

この企画ではそんな有名アーティストのちょっとおかしなエピソードを紹介します。第1回は歴史上最も成功した画家、パブロ・ピカソを取り上げましょう。

パブロ・ピカソのここが天才!

パブロ・ピカソArgentina. Revista Vea y Lea, Public domain, via Wikimedia Commons

「世界一有名な画家といえば?」と問われたら「ピカソ」と答える方も多いでしょう。それほどまでにパブロ・ピカソは1900年代以降のアートに革命を起こしました。

では、いったい何がすごいのか。これが意外と説明できないんです。私たちはピカソの作品のどこを観て「おー!これは紛れもなく天才や!」と感動すべきなのでしょうか。それをお伝えするために、まずはピカソのすごいところを紹介します。

① 画家の父親が絵をやめるほどの才能

ピカソは1881年10月25日にスペインのマラガという海に面した地方に生まれます。父親は学芸員で美術の先生……として紹介されることが多いですが、ぶっちゃけ売れない画家志望の男で奥さんのヒモです。そんな絵と近い距離で育ったピカソは言葉を覚えるより先に絵を描いていました。

そんな彼は8歳ごろに、もう一発で芸大に受かっちゃいそうなほど美しいリンゴや石膏像をデッサンできるまでに絵が上達します。

それを見た父親は「あ、もう俺よりうまいわこれ。描けねぇわこれ。俺の役目はこの子の才能を応援することだ」と画材をすべて渡したんだそうです。悲しいといえば悲しい、なんとも哀愁漂うエピソードですが、早くから我が子の才能を見抜いた父親の審美眼にも拍手ですね。

② 10代で古典的表現を極め、新しい絵を目指して中退

ピカソは言葉を覚えるより先に絵を描いていた

幼いころのピカソはお父さんから絵を学び、メキメキと上達します。14歳で美術学校に入学すると、1カ月の猶予がある課題を1日(1週間という説も)で提出し、しかもトップの評価という、もう少年ジャンプのマンガみたいな天才っぷりを発揮するわけです。

その後、なんと16歳にして国立美術展で佳作に選ばれます。「全国青少年夏休みの思い出コンクール」とはわけが違いますよこれ。大人も出品できるコンテストで見事に賞を獲得したんです。

まさに順風満帆に天才画家として歩んでいたピカソですが、天才過ぎて学校を中退します。ピカソは昔ながらの技法ばっかり教える学校に嫌気がさしてしまうんですね。

③ 異常なほどの好奇心

フアン・グリスフアン・グリス 「パブロ・ピカソの肖像」 (1912)

ピカソは10代で学校を辞めてから、18歳のときに初の個展を開催。これが新聞にも取り沙汰されるなどしてピカソの絵はだんだんと評判になります。

ここからピカソはころころと作風を変えるんです。親友を亡くしたショックを患い、さらにお金がなく青い絵の具しか買えなかった「青の時代」、その後のカラフルな絵ばかり描くようになった「バラ色の時代」そして「キュビスム」「ダダイズム」「シュルレアリスム」と絵画だけでなく造型や版画を含めて、あらゆる作品をつくるようになります。

なかでもキュビスムは彼の偉大な発明の一つ。1つの対象をあらゆる角度から描く斬新な技法で「アビニヨンの女たち」「ゲルニカ」などの傑作を生みました。

キュビスムはピカソの代名詞ですが、これに固執したわけじゃないのがポイント。彼は友だちのジョルジュ・ブラックにキュビズムを託して、あっさりシュルレアリスムに興味を移しています。

個人的にはこの作風の変化具合のほうがすごいと思っています。

作風がころっと変わるアーティストはもちろんいますが、ピカソのサイクルはすごいです。彼自身の好奇心が半端じゃないのは確かでしょう。

ただ旺盛過ぎる好奇心だけじゃなく、西洋美術史自体が長年続いた写実主義の時代からだんだんと前衛的な時代に移ろっていたのも背景として重要です。より新しい表現を求めるピカソにとっては「あれもこれも状態」だったんですね。

④ 作品点数がギネス記録

ピカソ美術館ピカソ美術館 Pol, Public domain, via Wikimedia Commons

そんなピカソは生涯で1万3,500点の絵画作品、10万点の版画作品、3万4,000点の本の挿絵など、300点の彫刻と陶器作品で、計14万7,800点もの作品をつくったとされています。

多すぎてピンときませんよね。ざっくりいうと365日毎日作っても404年かかります。ピカソの享年である91で割ると1,624。おぎゃーからぽっくりまでずーっと作品をつくり続けたとしても1日5個くらい作らなければ間に合わない数なんです。

パブロ・ピカソのここが奇人!

そんな天才、パブロ・ピカソは天才ゆえにちょっとおかしなエピソードも多々あります。ここからは彼の奇人っぷりを紹介しましょう。

① 初めて発した言葉が「えんぴつ」

ピカソが最初に発した言葉はえんぴつ

ピカソの父が画家で、生まれながら絵を描いていたことは先述した通りです。

そんな彼が最初に発した言葉は「ママ」でも「パパ」でもなく「ピス(えんぴつ)」。それほどまでに家族が「えんぴつ」という単語を発していたんですね。両親はどんな顔をしたんでしょうかね。「おぉ!喋った!」「赤飯炊きましょうあなた!」とはなりませんよね。「……えんぴつ……えんぴつって言ったな、いま」「ええ、常人じゃないわねこの子」みたいな、何とも言えない空気になりそうです。

② 本名が激長

ピカソの本名は凄まじく長い

ピカソの本名は以下の通り、凄まじく長いです。もしサラリーマンだったら、A4くらいの名刺が要ります。

「パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ホアン・ネポムセーノ・チプリアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・ピカソ」

ちなみに洗礼名はもっと長いです。

「パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ホアン・ネポムセーノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・クリスピーン・クリスピアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソ」

画家やキリスト教の聖人たち、親戚の名前を入れまくった結果、こんなことになったようです。これもどっちかというと両親の奇人っぷりがすごいです。彼の地元・マラガでは名前が長くなりがちだそうですが、それにしても異常なレベルだといわれます。

日本で宝塚好きの親が「大地天海真矢黒木紫吹檀紺野真琴寿美八千草」と名付けるようなものですからね。

③ しっかり若い女が好き

ピカソはしっかり助平です。2回結婚し、3人の女性との間に4人の子どもをもうけました。どのくらい女好きかといますと、ピカソの元カノのドラ・マールが「ピカソは妻や恋人を変えるたびに芸術作品が変化する」といったぐらいです。

彼の最初の奥さんは帝政ロシア時代の将軍の娘でバレエダンサーのオルガ・コクローヴァ。ピカソが36歳のときにできた26歳の奥さんでした。上流階級のオルガと結婚したことでピカソのパトロンが増えたのも重要なポイントです。

しかし結婚して10年経つと関係が冷えてきて、45歳のピカソは17歳のマリー・テレーズをナンパします。しかもオルガとの婚姻関係を維持したままマリーとの間に子どもを作っちゃうんです。そしてその子が生まれるころに写真家のドラ・マールといい感じになり、普通に付き合います。

さらにさらに、ドラと一緒に行きつけのレストランにいったときに61歳のピカソは40歳年下のフランソワーズ・ジローと出会って、こっちとも付き合い、2人の子どもをもうけるも独占欲が強いピカソのメンヘラっぷりにフランソワーズはドン引きして子どもを連れて分かれます。そしてなんとピカソの泥沼っぷりを書いた暴露本を出すんです。

しかしそれでも止まらないのがピカソ。72歳のときに27歳のジャクリーヌ・ロックと付き合い、最初の奥さん・オルガが亡くなった後に結婚します。

と、1加トちゃんにとどまらず2加トちゃん、3加トちゃんと年の差愛を繰り返したピカソ。やはりすさまじい魅力があったのでしょう。彼が亡くなったあと、マリーとジャクリーヌは後を追うように自死をしています。

彼が女性からインスピレーションを得たのと同じように、女性たちもピカソから生命力を得ていたのかもしれません。

ピカソの進化し続けた作風の変化を楽しむ

さて、今回は天才パブロ(略)ピカソの天才的エピソードを紹介しました。一般的に「ピカソの絵」といえば、鼻は左から見た構図で描いているのに、目は真正面……みたいなあべこべなキュビスムです。

しかしがっつり写真みたいな絵を描いていた時代もありましたし、青ばかり使う時代もあった。一転してめちゃ華やかな絵ばっかりの時期があり、アフリカの原始的な作品にズッポリだったこともありました。

そのうえでキュビスムにたどり着いて、晩期には小学生が描いたようなプリミティブな自画像を描きます。権利の関係でここには掲載できませんが、ぜひ調べてみてください。「え? マジで?いろいろあって最後どうしたん?」と絶句します。

この変遷こそが、ピカソのおもしろポイントでしょう。天才的一面も奇人的一面も知ると、彼の絵がもっと面白く見えてくるに違いありません。

ジュウ・ショ

ジュウ・ショ

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アート・カルチャーライター。サブカル系・アート系Webメディアの運営、美術館の専属ライターなどを経験。堅苦しく書かれがちなアートを「深くたのしく」伝えていきます。週刊女性PRIMEでも執筆中です。noteではマンガ、アニメ、文学、音楽なども紹介しています。

アート・カルチャーライター。サブカル系・アート系Webメディアの運営、美術館の専属ライターなどを経験。堅苦しく書かれがちなアートを「深くたのしく」伝えていきます。週刊女性PRIMEでも執筆中です。noteではマンガ、アニメ、文学、音楽なども紹介しています。