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2025.1.17

ゴーギャンの『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』を徹底解説!

『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』。このとんでもなく哲学的なタイトルが印象的な作品は、ポール・ゴーギャンが1897年から1898年にかけて描いた傑作です。

ゴーギャンの晩年の大作であり、その人生と哲学を反映した集大成と言われています。

今回は『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』について、作品が生まれた背景、構成、哲学的テーマ、そして現代における意義について解説しましょう。

『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』とは?

Paul Gauguin - D'ou venons-nous, Public domain, via Wikimedia Commons.

『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』は、1897年から1898年にかけてポール・ゴーギャンが制作した絵画作品です。縦139cm、横375cmという巨大なキャンバスに描かれたこの作品は、現在アメリカのボストン美術館に所蔵されています。

右上にはフランス語で「D'où Venons Nous / Que Sommes Nous / Où Allons Nous」と記され、作品タイトルが直接キャンバスに刻まれています。加えて「P. Gauguin 1897」と署名があり、制作年も明記されています。

ゴーギャンの遺書的な意味も?

この絵画は、ゴーギャンが人生の最終章で遺書的な意味を込めて描いたとも言われています。

この作品が「遺書」とされる背景には、ゴーギャン自身が制作後に自殺未遂を図った事実があります。絶望的な健康状態や財政的困窮、娘の死といった個人的な苦悩が重なり、この絵画を「最後の作品」として描いたとされています。

そんな極限状態のなかで描かれたこの作品は、全体的に静的で不気味です。描かれた人々の表情は悲壮感がありつつ、同時に気迫も感じます。

『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』制作の背景

ここからはゴーギャンがなぜこの作品を制作するに至ったのかの背景を紹介します。

パリでゴーギャンが築いた画家のキャリア

ポール・ゴーギャンは1848年にフランスのパリで生まれました。幼少期には母親の故郷であるペルーに移り住みますが、父親を失い、6歳のときにフランスへ戻ります。

成人後、ゴーギャンは株式仲買人として働き始め、経済的に安定した生活を送りました。この時期に結婚し、5人の子どもをもうけています。しかし、余暇で絵を描く中でその魅力に取り憑かれ、1870年代後半から本格的に画家としての道を歩み始めました。

そんななか1882年のパリ株式市場の暴落をきっかけに、ゴーギャンは仲買人としての収入を失います。この時期、彼は画家として生きることを決意し、家族とともにデンマークに移住しました。

しかし、現地での絵画活動は思うように進まず、妻メテが家計を支える一方で、ゴーギャンは家族と距離を置くようになりました。

彼は次第に画家としての活動に専念するため、息子クルヴィルを連れてフランスへ戻ります。この時期、生活費が安いブルターニュ地方のポン=タヴァンに移住し、田舎の風景や住民を題材にした作品を制作しました。この地で彼は「総合主義」と呼ばれる独自の作風を確立していきます。

タヒチでの滞在で衝撃を受ける

1891年、彼は工業化された西洋文明に対する反発と、原始的な生活への憧れから、タヒチ島へ旅立ちます。タヒチでの生活は彼にとって精神的な楽園であり、ヨーロッパの因習や人工的な文化から逃れる場所として理想化されていました。

『マハナ・ノ・アトゥア(イタリア語版)(神の日)』, Public domain, via Wikimedia Commons.

しかし、実際のタヒチ生活は困難の連続でした。現地での生活費は高く、ゴーギャンは健康を害し、梅毒や皮膚病に苦しむことになります。

また、タヒチを植民地支配していたフランスの影響で、彼が夢見た「純粋な楽園」のイメージとは異なる現実を目の当たりにします。それでも彼は、この地で多くの作品を制作し、タヒチの人々や風景を描き続けました。

『ナヴェ・ナヴェ・モエ(ポーランド語版)』, Public domain, via Wikimedia Commons.

そんななか、2度目のタヒチ滞在中の1897年、ゴーギャンは家庭生活の破綻、財政難、そして健康悪化という困難に直面していました。その中でも特に大きな衝撃となったのが、デンマークに住む娘アリーヌの死です。

この知らせは彼の心に深い悲しみを刻み、彼の作品に大きな影響を与えることになります。

ゴーギャンのタヒチ・プナッアウイアでの家(1896年撮影), Public domain, via Wikimedia Commons.

このような状況下で完成したのが『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』です。

この作品は、ゴーギャンにとって「自身の精神的な葛藤」や「哲学的な問い」を表現したものでした。彼はこの作品を完成させた後、絶望の中で自殺を図りますが、未遂に終わりました。

『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』の構成

それでは『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』について、作品の構成を紹介します。

この作品は画面右、中央、左と、大きく3つの構成に分かれていることが特徴です。それぞれに分けて紹介します。

人生の始まり(右側)

Paul Gauguin - D'ou venons-nous, Public domain, via Wikimedia Commons.

右端には、しゃがむ女性と眠る赤ん坊が描かれており、生命の誕生を象徴しています。この部分は「我々はどこから来たのか」という問いに対応しています。

成人期(中央)

Paul Gauguin - D'ou venons-nous, Public domain, via Wikimedia Commons.

中央部分では、人々がリンゴを収穫する場面が描かれています。リンゴはキリスト教のエデンの園を連想させるモチーフであり、ここでは人間の「原罪」を暗示しています。この部分が「我々は何者か」を表しています。

老いと死(左側)

Paul Gauguin - D'ou venons-nous, Public domain, via Wikimedia Commons.

画面左端には老女が描かれ、死を迎える様子を表現しています。老女のそばには奇妙な白い鳥が描かれ、言葉の無力さを象徴しています。この部分は「我々はどこへ行くのか」を象徴するものです。

ゴーギャンが受けたキリスト教と象徴主義の影響

ゴーギャンは幼少期からカトリック教育を受けて育ちました。これが彼ににとって大きな影響を与えています。

その教理問答「人間はどこから来たのか」という問いが、作品全体のテーマに反映されています。

また、鮮やかな色彩と様式化された形は象徴主義の特徴であり、観念的なテーマを視覚的に表現する手法を用いています。

まとめ

ポール・ゴーギャンの『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』は、彼の人生と哲学を反映した集大成であり、人間の存在意義を問いかける作品です。

その哲学的な深さと美術史における重要性は、現代においても色あせることがありません。この作品が持つ普遍性は、私たち自身の生き方を見つめ直すきっかけとなるでしょう。

『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』が提示する問いは、現代社会でもそのまま当てはまるものです。

「私たちは何者なのか」「どこへ向かうのか」というテーマは、時代や文化を超えて共通の関心事であり続けています。

【写真7枚】ゴーギャンの『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』を徹底解説! を詳しく見る

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ジュウ・ショ

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アート・カルチャーライター。サブカル系・アート系Webメディアの運営、美術館の専属ライターなどを経験。堅苦しく書かれがちなアートを「深くたのしく」伝えていきます。週刊女性PRIMEでも執筆中です。noteではマンガ、アニメ、文学、音楽なども紹介しています。

アート・カルチャーライター。サブカル系・アート系Webメディアの運営、美術館の専属ライターなどを経験。堅苦しく書かれがちなアートを「深くたのしく」伝えていきます。週刊女性PRIMEでも執筆中です。noteではマンガ、アニメ、文学、音楽なども紹介しています。

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