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STUDY

2025.11.11

画家のパレットの進化を知ろう—制作を支えた道具たちとは?

美術館で名画を鑑賞するとき、私たちはつい完成した作品だけに目を奪われがちです。しかし、その背後には画家が日々手にしていた道具たちの物語があります。
今回取り上げるのは「パレット」、絵の具を混ぜ合わせるための板です。控えめな存在でありながらも、この道具は数千年もの間、画家たちの創作活動を支え続けてきました。

Webysther 20190718121610 - Santana de Parnaíba, Public domain, via Wikimedia Commons.

パレットの進化を追うことは、絵画技法そのものの発展史を辿ることに他なりません。古代の洞窟画家が使っていた貝殻から、現代アーティストが愛用する高機能素材まで、この小さな道具の変遷は、人類の創造性と技術革新の歴史を雄弁に物語っているのです。

古代から中世へ、自然素材から専用道具へ

人類の最初のパレット

人類が顔料を使って絵を描き始めたのは、遥か昔の旧石器時代にまで遡ります。スペインのアルタミラ洞窟やフランスのラスコー洞窟などに残された壁画は、約15,000年以上前に制作されたと考えられています。

当時の画家たちは、おそらく貝殻や動物の骨、平らな石などを「パレット」として使用していました。これらの自然素材に顔料(主に赤い酸化鉄や黒い木炭、白い粘土など)を置き、動物の脂肪や水と混ぜ合わせていたのです。

古代エジプトのパレット

ナルメル王のパレット, Public domain, via Wikimedia Commons.

古代エジプト文明では、絵画技術がさらに洗練されました。考古学的な発掘調査によって、古代エジプトの芸術家たちが使っていたパレットが数多く発見されています。大英博物館やメトロポリタン美術館には、石灰岩や木材で作られた長方形のパレットが収蔵されており、そこには複数の顔料を置くための窪みが彫られています。

これらのパレットは単なる道具以上の存在でした。古代エジプトでは芸術家の地位が高く、彼らの道具には職人の名前や奉納の言葉が刻まれることもあったからです。

中世ヨーロッパのパレット

中世ヨーロッパに入ると、絵画制作の形態が変化し、それに伴ってパレットの役割も変容します。この時期、絵画制作の中心は教会のフレスコ画や写本の装飾(ミニアチュール)でした。

フレスコ画では、まだ乾いていない漆喰の壁に顔料を塗り込むため、素早い作業が求められました。画家たちは小さな石板や陶器の皿を使い、限られた色数で効率的に作業を進めていたようです。

一方、写本装飾では、顔料を少量の糊や卵白と練り混ぜ、パレットというよりも小さな容器や皿で都度準備する方法が一般的でした。つまり、この時代における「パレット」の概念は、現代のそれとは異なり、色を混ぜ合わせる専用の道具というよりも、顔料を一時的に置く場所としての意味合いが強かったのです。

この時代の絵画を見ると、色彩が比較的単純で金箔が多用されているのが特徴的ですが、これは使用できる顔料の種類が限られていたことや、パレット上で複雑な混色を行う習慣がまだ確立していなかったことを反映しています。

ルネサンス期の技術革新と木製パレットの確立

イーゼルのある自画像-カタリーナ・ファン・ヘメッセン, Self-Portrait with easel–Catharina van Hemessen, Public domain, via Wikimedia Commons.

15世紀から16世紀にかけてのルネサンス期は、パレットの歴史においても画期的な転換点となりました。この時期に油彩画の技法が確立され、絵画表現の可能性が飛躍的に拡大したのです。

油彩画とは、顔料を乾性油(リンシードオイルなど)と混ぜて描く技法で、テンペラ画(卵黄などを結合材とする技法)に比べて乾燥が遅く、色の混ぜ合わせや重ね塗りがしやすいという特徴があります。油彩による繊細な混色の必要性が、携帯可能な木製パレットの普及を促したと考えられています。

オランダの画家Jan van Eyck(ヤン・ファン・エイク、1390年頃-1441)は、油彩技法の発展に大きく貢献した人物として知られています。彼の代表作《Arnolfini Portrait》(アルノルフィーニ夫妻の肖像、1434)には驚くほど細密な描写と透明感のある色彩が表現されていますが、これは油絵の具を薄く重ねる技法によって実現されました。こうした技法の発展に伴い、パレット上で微妙な色合いを作り出す必要性が高まったのです。

この時期から、木製の平らな板に親指を通す穴を開けた、現代でもよく見かけるパレットの形が一般的になりました。木材は軽量で持ちやすく、油絵の具の油分を適度に吸収してくれるという利点があるためです。特にクルミ材やマホガニー材などの硬い木材が好まれました。

画家たちは新しいパレットを使い始める前に、亜麻仁油を何度も塗り込んで表面を整える作業を行いました。これにより、絵の具が適度に混ざりやすく、また木材に染み込みすぎない表面が形成されたのです。

イタリアの巨匠Leonardo da Vinci(レオナルド・ダ・ヴィンチ、1452-1519)は、パレットの使い方についても革新的なアプローチを持っていました。彼の残した手稿には、色彩理論に関する詳細な記述があり、パレット上で色を混ぜる際の順序や比率についての考察も含まれています。

《Mona Lisa》(モナ・リザ、1503-1519)で見られる有名なスフマート技法(輪郭線をぼかして柔らかな陰影を作る手法)は、パレット上での繊細な色作りがあってこそ実現できたものでした。

バロックから印象派へ、パレットに刻まれた画家の個性

聖ルカ、絵筆とパレットを持つ姿、レニ作(?), Public domain, via Wikimedia Commons.

17世紀のバロック時代になると、画家たちのパレットの使い方にも個性が現れ始めます。オランダの巨匠Rembrandt van Rijn(レンブラント・ファン・レイン、1606-1669)は、厚塗り技法であるインパスト(絵の具を盛り上げて塗る技法)で知られていますが、研究から明らかになった彼のパレットは比較的限られた色数で構成されていました。

《The Night Watch》(夜警、1642)のような大作でも、実際に使用されている顔料の種類は10色程度だったと考えられています。レンブラントは、パレット上での巧みな混色と、下地の色を活かす技法によって、豊かな色彩表現を実現していたのです。

この時期のパレットについて知る手がかりとなるのが、画家の自画像です。多くの画家が自画像の中でパレットと筆を持った姿を描いており、そこから当時のパレットの形状や色の配置を読み取れることも。

フランスの女性画家Élisabeth Louise Vigée Le Brun(エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン、1755-1842)の自画像には、楕円形の木製パレットが描かれており、その周囲に整然と絵の具が配置されている様子が確認できます。

19世紀に入ると、絵画の世界に革命的な変化が訪れます。それは、チューブ入り絵の具の発明です。1841年、アメリカ人画家John Goffe Rand(ジョン・ゴフ・ランド、1801-1873)が金属チューブに絵の具を密封する特許を取得しました。

それまで画家たちは、顔料と油を自分で混ぜ合わせるか、豚の膀胱に入れた絵の具を購入していましたが、どちらも保存性に難がありました。チューブ入り絵の具の登場により、画家たちは屋外での制作がしやすくなり、より多彩な色を手軽に使えるようになったのです。

この技術革新の恩恵を最も受けたのが、印象派の画家たちでした。Claude Monet(クロード・モネ、1840-1926)、Pierre-Auguste Renoir(ピエール=オーギュスト・ルノワール、1841-1919)、Camille Pissarro(カミーユ・ピサロ、1830-1903)らは、戸外で変化する光の効果を捉えるために、明るく鮮やかな色彩を多用しました。

彼らのパレットは以前の時代に比べて色数が格段に増え、特に純色(混色していない鮮やかな色)を多く含むようになりました。モネの連作《Water Lilies》(睡蓮、1896-1926)では、青や緑の微妙な変化を表現するために、パレット上で無数の色調が作り出されたことでしょう。

印象派画家の中でも、特にパレットの使い方で知られるのがVincent van Gogh(フィンセント・ファン・ゴッホ、1853-1890)です。彼の絵画は、チューブから直接キャンバスに絵の具を塗りつけたかのような大胆な筆触が特徴ですが、実際には彼もパレット上で色を混ぜていました。

ただし、その混ぜ方は控えめで、色の鮮やかさを保つことを重視していたようです。ファン・ゴッホ美術館の研究によれば、彼は黄色系の顔料を特に好み、パレット上では黄色を中心に暖色系の色を配置していたと考えられています。《The Starry Night》(星月夜、1889)で見られる鮮烈な青と黄色の対比は、こうしたパレット配置の工夫から生まれたものかもしれません。

20世紀、素材の多様化とパレット概念の拡張

プラスチックのパレット, Palette en plein air, Public domain, via Wikimedia Commons.

20世紀に入ると、絵画の世界はさらに多様化し、それに伴ってパレットの形態や素材も大きく変化しました。まず注目すべきは、アクリル絵の具の登場です。1950年代に商業化されたアクリル絵の具は、水で薄めることができ、乾燥が速く、乾いた後は耐水性を持つという特徴があります。

この新しい画材の登場により、従来の木製パレットだけでは対応できない状況が生まれました。アクリル絵の具は乾燥すると固まってしまうため、木材に染み込んで取れなくなってしまうのです。

そこで開発されたのが、プラスチック製やガラス製、さらには使い捨ての紙製パレットです。プラスチック製パレットは軽量で安価、そして何より洗いやすいという利点がありました。

ガラス製パレットは表面が滑らかで、絵の具の色が見やすく、混色の具合を正確に確認できるため、スタジオでの制作に適していました。紙製パレットは、何枚もの紙を重ねたパッドのような形状で、使用後は上の一枚を剥がして捨てられるという便利さから、特にアメリカで普及しました。

抽象表現主義の巨匠Jackson Pollock(ジャクソン・ポロック、1912-1956)は、従来の意味でのパレットをほとんど使用しませんでした。彼の有名なドリッピング技法(絵の具をキャンバスに垂らしたり飛び散らせたりする手法)では、缶から直接絵の具を使ったり、床に置いた容器に絵の具を入れたりしていました。

《No. 5, 1948》(ナンバー5、1948)のような作品は、パレット上での混色ではなく、キャンバス上での絵の具の偶然の混ざり合いによって色彩効果が生まれています。ポロックのアプローチは、「パレット」という概念そのものを拡張したと言えるでしょう。

一方、具象絵画の伝統を重んじる画家たちは、依然として木製パレットを愛用し続けました。イギリスの画家Lucian Freud(ルシアン・フロイド、1922-2011)は、厚塗りの油彩技法で知られ、大きな木製パレットを使用していました。彼のスタジオの写真を見ると、使い込まれて絵の具が何層にも重なったパレットが確認できます。

フロイドにとって、パレットは単なる道具ではなく、長年の制作活動を共にしてきた相棒のような存在だったのです。

現代のポップアートを代表するAndy Warhol(アンディ・ウォーホル、1928-1987)は、シルクスクリーン技法を主に使用したため、伝統的なパレットとは異なる色彩管理の方法を採用していました。彼の工房「The Factory」(ファクトリー)では、あらかじめ調色されたインクが容器に入れられ、まるで工場のような体制で作品が制作されていました。

《Campbell's Soup Cans》(キャンベルのスープ缶、1962)のような作品では、均一で鮮やかな色面が特徴ですが、これは従来の「画家がパレット上で色を混ぜる」というプロセスを経ていません。ウォーホルの制作方法は、20世紀の大量生産社会を反映するものであり、同時にパレットの役割を再考させるものでもありました。

つまり、伝統的な絵画制作というアプローチから逸脱することにより、平面絵画とはなにか、ひいては美術作品とは何かという大きなテーマを投げかけることに成功しています。

現代、デジタル技術と伝統素材の共存

21世紀に入り、デジタル技術の発展は絵画制作の現場にも大きな影響を与えています。多くのアーティストがiPadやペンタブレットなどのデジタルツールを使用するようになり、そこでは物理的なパレットではなく、画面上のデジタルパレットが使われています。

Adobe Photoshop(アドビ・フォトショップ)やProcreate(プロクリエイト)などのソフトウェアでは、無限の色から選択でき、過去に使用した色を保存しておくことも可能です。これは、限られた数の顔料しか持てなかった古代の画家たちからすれば、まさに夢のような環境でしょう。

しかし同時に、伝統的な物理的パレットへの回帰や再評価の動きも見られます。イギリスのGolden Paints(ゴールデン・ペインツ)社やオランダのRoyal Talens(ロイヤル・ターレンス)社などの絵の具メーカーは、歴史的な顔料を再現した高品質な絵の具を製造しており、伝統技法に興味を持つ現代のアーティストたちに支持されています。

また、環境意識の高まりから、サステナブルな素材で作られたパレットや、再利用可能なシリコン製パレットなども開発されています。シリコン製パレットは、絵の具を乾燥させた後に簡単に剥がして再利用できるため、廃棄物を削減できるという点で、現代の環境意識に適合した道具として注目されています。

また、科学技術の発展により、過去の巨匠たちがどのような顔料を使用していたかを解明する研究も進んでいます。X線蛍光分析やラマン分光法などの非破壊検査技術を用いることで、完成した絵画そのものに使用された顔料の種類を特定できるようになりました。

The National Gallery(ナショナル・ギャラリー、ロンドン)やThe Rijksmuseum(国立美術館、アムステルダム)などの主要美術館では、所蔵作品の科学的分析プロジェクトが進行中です。こうした研究から、例えばレンブラントが実際に使っていた顔料の組み合わせや、モネが《睡蓮》の制作時に使用した青色顔料の正確な種類などが明らかになっています。

これらの分析結果から、画家たちがパレット上でどのような色を準備し、どのように混色していたかを推測することが可能になっているのです。

おわりに

古代の貝殻や石板から、ルネサンス期の木製パレット、20世紀の合成素材、そして現代のデジタルパレットまで、パレットは絵画技法の発展と共に進化を遂げてきました。この小さな道具の歴史は、人類の創造性の歴史そのものと言えるでしょう。素材が変わり、形が変わり、使い方が変わっても、画家がパレットの上で色を混ぜ、試行錯誤しながら理想の色を探し求める営みは変わりません。

次に美術館を訪れたとき、作品を見ながら「この色はどんなパレットから生まれたのだろう」と想像してみてください。画家が工房で、あるいは野外で、パレットを手に色を混ぜ合わせている姿を思い浮かべてみてください。そうすることで、完成した作品の向こうに、制作の瞬間の緊張感や喜びが見えてくるかもしれません。パレットという道具を通して、私たちは何世紀も前の画家たちと、時間を超えてつながることができるのです。

参考文献・リンク

1)Casey Bell - "Exploring the History of the Artist's Palette: From Ancient Tools to Modern Innovations" (Medium, 2024)
Exploring the History of the Artist’s Palette: From Ancient Tools to Modern Innovations | by Casey Bell | Medium

2)Colossal - "Behold the Messy Creative Process of 50 Celebrated Painters in 'The Artist's Palette'" (2024)
Behold the Messy Creative Process of 50 Celebrated Painters in 'The Artist's Palette' — Colossal

3)Golden Artist Colors - "The Ever-Changing Artist's Palette" (Just Paint, 2021)
The Ever-Changing Artist's Palette | Just Paint

4)My Modern Met - "Unearth the Colorful History of Paint: From Natural Pigments to Synthetic Hues" (2022)
The Colorful History of Paint: From Natural Pigments to Synthetic Hues

5)Essential Vermeer - "The Traditional Wooden Palette"
Vermeer's Palette

6)Jackson's Art Blog - "Recreating Rembrandt's Colour Palette with Modern Pigments" (2024)
Recreating Rembrandt’s Colour Palette with Modern Pigments - Jackson's Art Blog

7)Jackson's Art Blog - "Recreating Van Gogh's Colour Palette with Modern Pigments" (2024)
Recreating Van Gogh's Colour Palette -  Jackson's Art Blog Jackson's Art Blog

8)Natural Pigments - "Revealing the Colors of Van Gogh's Art: The Fascinating World of Pigments and Color Techniques" (2024)
Revealing the Colors of Van Gogh's Art: The Fascinating World of Pigments and Color Techniques | Natural Pigments

9)Heritage Science Journal - "Artificial orpiment, a new pigment in Rembrandt's palette" (2017)
Artificial orpiment, a new pigment in Rembrandt’s palette | npj Heritage Science

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Masaki Hagino

Masaki Hagino

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Contemporary Artist / 現代美術家。 Diploma(MA) at Burg Giebichenstein University of Arts Halle(2019、ドイツ)現在は日本とドイツを中心に世界中で活動を行う。

Contemporary Artist / 現代美術家。 Diploma(MA) at Burg Giebichenstein University of Arts Halle(2019、ドイツ)現在は日本とドイツを中心に世界中で活動を行う。

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