STUDY
2026.1.27
自分の身体を鋳造⁉アントニー・ゴームリー、身体と空間の境界を問う彫刻家
現代美術の中で、彫刻という表現の可能性を大きく広げてきたアーティストのひとりが、アントニー・ゴームリー(1950–)です。
彼は、自らの身体を出発点とする作品で知られています。イングランド北部の高速道路脇に翼を広げて立つ巨大彫刻《Angel of the North》(エンジェル・オブ・ザ・ノース、1998)や、リバプールの海岸線に100体の鉄製の人物像が並ぶ《Another Place》(アナザー・プレイス、1997)は、実際に見たことがなくても、多くの人の記憶に残っている作品でしょう。
目次
Field, Antony Gormley, Public domain, via Wikimedia Commons.
これらの作品に共通しているのは、「人間の身体は空間とどのように関係しているのか」という、とても根本的な問いです。ゴームリーは単に人の形を作る彫刻家ではありません。身体と意識、内側と外側、個人と普遍といった境界そのものを、長年にわたって考え続けてきた思索者でもあります。本稿では、彼の代表作をたどりながら、身体と空間の境界がどのように問い直されてきたのかを見ていきます。
ゴームリーの身体鋳造という手法
Antony Gormley, Public domain, via Wikimedia Commons.
ゴームリーの制作の中心にあるのが、「自分自身の身体から型を取る鋳造」という方法です。これは単なる技術的な選択ではなく、彼の思想と深く結びついた行為でもあります。
制作の際には、まず全身にワセリンを塗り、ラップフィルムで身体を覆います。その上から、アシスタントが石膏を染み込ませた包帯を巻きつけていきます。鼻には呼吸用の穴が残されますが、目や口は完全に覆われた状態となり、石膏が固まるまでの約10分間、じっと静止し続けます。
完成した石膏の型は二つに分割され、内部を補強したのち、鉛や鉄といった金属で鋳造されます。ゴームリーは、溶接の跡や継ぎ目をあえて隠しません。それらは、作品がどのように生まれたのかを示す痕跡であり、制作に伴う緊張や労力を観る者に想起させる要素でもあるからです。
重要なのは、ゴームリーが自分の身体を使いながらも、個人的な肖像を作ろうとしていない点です。鋳造された像には、髪型や表情、性別といった個人的な特徴がほとんど見られません。表面は抽象化され、身体は中性的で、顔も無表情です。彼の身体は「特定の個人」を示すものではなく、「誰もがなりうる人間」という普遍性を指し示すための媒体として使われているのです。
身体を鋳造する「瞑想」と「哲学」
この身体鋳造のプロセスは、ゴームリーにとって瞑想的な体験でもあります。彼は若い頃、インドとスリランカで3年間を過ごし、仏教の瞑想を学びました。暗闇の中で身体を覆われ、動かずにいるという体験は、外界から切り離され、内側の空間へと意識を向ける行為でもあります。
ゴームリーはこの体験について、「身体の境界が崩れ始める。自分がどこから始まり、どこで終わるのかがわからなくなる」と語っています。人間の意識は、身体の内部に固定されたものではなく、分散しうるものだという感覚。この境界の曖昧さこそが、彼の作品の核心にあります。
こうした考え方は、現代哲学とも響き合っています。フランスの哲学者モーリス・メルロ=ポンティは、身体を世界を経験する出発点として捉え、身体そのものが世界を開く媒介であると論じました。
また、社会学者ロジェ・カイヨワは擬態の研究を通じて、自己が周囲の空間に溶け込む体験を分析しています。ゴームリーの作品は、こうした哲学的な洞察を、彫刻というかたちで可視化したものだと言えるでしょう。
ゴームリー作品①《Angel of the North》──産業空間との境界
Angel of the North, Antony Gormley, Public domain, via Wikimedia Commons.
《Angel of the North》が問いかけているのは、産業空間と人間との関係です。1998年にゲーツヘッドに設置されたこの彫刻は、高さ20メートル、翼幅54メートルという圧倒的なスケールを持ち、世界最大級の天使像として知られています。総重量は、なんと208トン!
この作品が立つ場所は、かつて炭鉱の浴場があった土地でした。地下深くで200年以上にわたり働いてきた労働者たちの歴史が、この場所には刻まれています。
ゴームリーは天使という形を選んだ理由として、以下の3つを挙げています。
・炭鉱労働者への追悼
・産業時代から情報時代への移行
・人々の希望と不安の象徴
この天使は宗教的な存在というよりも、想像の余地を持つ象徴として構想されています。翼は水平ではなく、3.5度前方に傾けられており、訪れる人を包み込むような感覚を生み出します。このわずかな角度によって、彫刻は静的な記念碑ではなく、周囲と関係を結ぶ存在となっています。
設置当初は費用や安全面をめぐって批判もありましたが、現在では地域の象徴として広く受け入れられています。年間数千万人の目に触れ、経済的・文化的な影響ももたらしました。この作品は、過去と未来、個人と集団をつなぐ場として機能しているのです。
ゴームリー作品②《Another Place》──自然との境界で試される存在
Another Place, Antony Gormley, Public domain, via Wikimedia Commons.
《Another Place》では、ゴームリーの関心は自然環境へと向かいます。クロスビー・ビーチに設置された100体の鉄製彫刻は、すべて海を見つめ、潮の満ち引きによって姿を現したり消えたりします。この変化そのものが、作品の一部です。
像が水没する様子は、人間の存在が自然の前ではいかに脆いかを示します。しかし、再び姿を現すとき、その変わらぬ形は持続する存在の強さを感じさせます。ゴームリーは、この作品を「人間の生が惑星の時間にさらされている状態」と表現しています。
また、この作品には移動や移民といったテーマも重ねられています。故郷を離れる不安と、新しい場所への希望。海を見つめる像は、観る者それぞれの内面的な旅を静かに映し出します。地元住民に親しまれ、生活の一部として受け入れられている点も、この作品の重要な側面です。
ゴームリー作品③《Event Horizon》──都市における意識の境界
Event Horizon, Antony Gormley, Public domain, via Wikimedia Commons.
《Event Horizon》(2007–2016)は、都市空間を舞台にしたインスタレーション作品です。等身大の人物像がビルの屋上や縁に配置され、日常の風景の中に非日常的な緊張を生み出します。タイトルは、ブラックホールの境界を示す物理学用語に由来しています。
ゴームリーはこの言葉を、人と人との間に存在する見えない距離として捉えました。都市における孤立や匿名性、野心と不安。人物像が観察者なのか、危機にある存在なのか判然としない点が、見る者の意識を揺さぶります。
誤解や混乱も生じましたが、それこそが作品の力を示しています。都市という日常的な空間に人間の形を置くことで、私たちの認識は大きく変化するのです。
ゴームリー作品④《Field》シリーズ──集団としての境界
Field for the British Isles, Antony Gormley, Public domain, via Wikimedia Commons.
《Field》シリーズでは、ゴームリーは個人から集団へと視点を広げます。数万体に及ぶ小さな人形は、地域の人々と協働して制作されました。最小限の指示だけが与えられ、それぞれが微妙に異なる表情を持つ存在となっています。
展示空間では、人形たちが入口を向き、観客を見つめます。この視線の逆転によって、「見る」「見られる」という関係が問い直されます。過密化する世界の中で、無数の個が集まりながらも、それぞれが固有の存在であることを、この作品は示しています。
まとめ:身体・空間・意識の哲学
ゴームリーの芸術は、「身体とは何か」という問いを中心に展開されています。身体は単なる物体ではなく、意識を宿し、世界と関わる場である。瞑想と彫刻、東洋思想と西洋美術。その融合によって、彼の作品は深い思索の場となっています。
彼の彫刻は答えを提示しません。ただ、立ち止まり、見上げ、内側を見つめるきっかけを与えてくれます。身体と空間の境界で、ゴームリーの作品は静かに、しかし確かに、私たちに問いかけ続けているのです。
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Contemporary Artist / 現代美術家。 Diploma(MA) at Burg Giebichenstein University of Arts Halle(2019、ドイツ)現在は日本とドイツを中心に世界中で活動を行う。
Contemporary Artist / 現代美術家。 Diploma(MA) at Burg Giebichenstein University of Arts Halle(2019、ドイツ)現在は日本とドイツを中心に世界中で活動を行う。
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