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2025.7.29
松方コレクションとは?国立西洋美術館の誕生ストーリーを紹介
「松方コレクション」という言葉をご存じですか。
東京都台東区にある「国立西洋美術館」には、松方幸次郎(1866-1950)が世界中から蒐集(しゅうしゅう)した多くの名画が所蔵されています。この作品群が「松方コレクション」です。
目次
ピエール・オーギュスト・ルノワール『アルジェリア風のパリの女たち(ハーレム)』, Public domain, via Wikimedia Commons.
松方は、かつて日本人のごく一部しか触れることのできなかった西洋画をひとりでも多くの日本人に鑑賞してもらおうと、私財を投じて名画を集めました。
本記事では、そんな松方コレクションがどのように生まれたのか、そしてどのような歴史を辿ったのかを解説します。
松方コレクションのはじまり
1913年の松方幸次郎, Public domain, via Wikimedia Commons.
松方は、明治期に総理大臣や大蔵卿(現在の財務大臣)などを務めた松方正義の三男として生まれました。
アメリカやイギリス、フランスでの留学を経験した彼は、31歳で川崎造船所(現在の川崎重工業)の社長に就任しました。
松方が西洋の絵画・美術品を蒐集し始めたのは、1916年頃のこと。当初はさほど美術品に興味がなかったものの、イギリスの画家であるフランク・ブラングィン(1867-1956)と意気投合したことで、蒐集は本格的なものになっていきました。
ブラングィンは自分の作品に、海や船、造船所やそこで働く労働者たちを多く題材にしていました。造船所の社長という立場にいた松方は、ブラングィンの作品を大いに気に入っていたのです。
西洋美術についての詳しい知識を持たない松方は、画家であるブラングィンの審美眼を頼りに、優れた作品を買い集めるようになりました。
美術館建設の思いとその背景
ギュスターヴ・クールベ『波』, Public domain, via Wikimedia Commons.
やがて松方は、その膨大な数のコレクションを収蔵した美術館を作ろうと考えます。
彼が私財を投げ打ってたくさんの名作を集めた背景には、日本の文化の発展を促したいという思いがありました。
当時の日本では、岸田劉生(1891-1929)や竹久夢二(1884-1934)など、才能あふれる画家たちが多く活躍していたものの、美術館と呼ばれる施設はひとつもありませんでした。
また、海外旅行も一般的ではなかったことから、当時の日本人が西洋画に触れる機会はほぼなかったのです。
ポール・ゴーガン『画家スレヴィンスキーの肖像 』, Public domain, via Wikimedia Commons.
さらにその頃、日本政府は「富国強兵」を掲げており、文化に国家予算を回す余力がありませんでした。
そのため、松方は日本の画家、そして一般の人々に、より多くの西洋画を鑑賞する機会を提供し、西洋の文化を学んでほしいと考えたのです。
これらの思いから、松方は自身の趣味や好みで作品を集めるのではなく、あらゆる時代、あらゆる種類の美術品を蒐集することにしました。その行動の裏には、度重なる留学、そして仕事での海外渡航の経験から、国家にとっての文化の重要性を理解していたと考えられています。
クロード・モネとの交流
クロード・モネ『舟遊び』, Public domain, via Wikimedia Commons.
松方が特に関心を寄せたのが、クロード・モネ(1840-1926)でした。
モネといえば、印象派の巨匠として知られ、若い頃から日本の浮世絵や工芸品に憧れて、自身の作品にも日本の文化的要素を取り入れていた画家です。
松方はそんなモネの自宅を訪れ、18点もの絵画を売ってくれるよう、モネに頼み込みました。
クロード・モネ『睡蓮』, Public domain, via Wikimedia Commons.
当時モネの自宅にあった絵画は、彼にとって特に愛着のあるものばかりでした。
しかし、松方の作品に対する情熱に感激したモネは、快くそれらを売りました。
数々の優れた作品を誇る松方コレクションですが、そのなかでも『睡蓮』や『舟遊び』
など、モネの作品は特に魅力的な作品として知られています。
焼失や売却、松方コレクションの直面した試練とは
関東大震災と世界恐慌による打撃
エミール=オーギュスト・カロリュス=デュラン『母と子(フェドー夫人と子供たち)』, Public domain, via Wikimedia Commons.
偉大な志を持って世界中から集められた松方コレクションは、その後、激動の時代のなかで数々の試練に直面しました。
最初の悲劇は、1923年に起きた関東大震災でした。当時、松方は自身のコレクションで構成する「共楽美術館」を建設中でしたが、大震災によって関東全域のインフラ整備が崩壊し、美術館建設の見通しが立たなくなったのです。
さらに1929年頃には、世界恐慌の影響で、松方が国内に保管していた絵画のほとんどが銀行に差し押さえられてしまったのです。
これらのことから「共楽美術館」の建設は、ついに実現することはありませんでした。
葛飾北斎『諸国瀧廻の内・下野黒髪山霧降瀧』, Public domain, via Wikimedia Commons.
差し押さえられたコレクションのなかには、西洋美術だけではなく多くの浮世絵が含まれていました。
8200枚にも及ぶ浮世絵のコレクションは、帝室博物館(現在の東京国立博物館)に所蔵されています。これらには喜多川歌麿の美人画や、葛飾北斎の風景画など、日本が世界に誇る名作が数多くありました。
第二次世界大戦がもたらした更なる試練
カミーユ・ピサロ『立ち話』, Public domain, via Wikimedia Commons.
松方はヨーロッパで蒐集した絵画を、日本、ロンドン、パリの3つに分けて保管していました。
ロンドンには約953点、フランスには約400点の西洋美術が保管されていたのですが、これらのコレクションは、第二次世界大戦の影響を被ることに…。
1939年10月には、コレクションを保管していたロンドンのパンテクニカンという倉庫が、原因不明の火災によって建物の半分以上を失ってしまったのです。
幸いにも怪我人は出なかったものの、倉庫に保管されていた美術品は焼けてしまいました。当時は第二次世界大戦が勃発した直後とあって、大変な騒ぎとなりました。
ピエール=オーギュスト・ルノワール『帽子の女』, Public domain, via Wikimedia Commons.
こうして最後に残ったのが、パリに保管していたコレクション。
これらのコレクションは、空襲による焼失を防ぐためノルマンディー地方に疎開させるなど、関係者による苦労のすえ、なんとか無事に終戦を迎えました。
しかし、終戦後には新たな問題が生じました。日本とフランスが敵対国であったために、
松方コレクションは「敵国資産」としてフランス政府に没収されてしまったのでした。
松方コレクション、復活の道のり
フランスからのコレクション返還
ヴィンセント・ファン・ゴッホ『アルルの寝室』, Public domain, via Wikimedia Commons.
終戦から7年が経った1952年。サンフランシスコで結ばれた平和条約の際、当時の総理大臣・吉田茂(1878-1967)が、フランス政府に松方コレクションの返還を求めました。
その交渉は決して簡単には進みませんでしたが、最終的にはフランス側からの条件を受け入れて、375点の作品が日本に返還されたのでした。
しかし、ヴィンセント・ファン・ゴッホの『アルルの寝室(ゴッホの寝室)』をはじめとしたいくつかの名作は、フランスからの返還が認められませんでした。現在、本作品はフランスのオルセー美術館に所蔵されています。
国立西洋美術館の誕生
国立西洋美術館, Public domain, via Wikimedia Commons.
松方コレクションの返還の際、フランスから出された条件のなかに、次のものがありました。
「松方コレクションや他のフランス文化財を特別の美術館に保管、展覧することを確約すること」(著:石田修大『幻の美術館 蘇る松方コレクション』より引用)
この条件を満たすため、国立西洋美術館が建設されることになったのです。1952年には、ルーブル美術館の当時の館長であったジョルジュ・サール氏の意見で、美術館を建設する場所が東京・上野に決定しました。
さらに、1955年には新しい美術館の建設のために、世界的な建築家ル・コルビュジエが来日しました。
そして、ル・コルビュジエの基本設計を基に、彼に師事した前川國男、坂倉準三、吉阪隆正の3人の弟子が細部を設計したのでした。松方コレクションはもちろんのこと、国立西洋美術館の建物自体が貴重な文化財となっているのです。
こうして国立西洋美術館は1959年6月に開館し、以来多くの人々が松方コレクションを鑑賞しています。一度は美術館建設の道が断たれ、災害や戦争によって散り散りになってしまった松方コレクションでしたが、このようにして美術館に所蔵され、日本の重要な文化財となったのです。
それは松方の死(1950年)から、実に9年後のことでした。
おわりに
国立西洋美術館では、常設展や企画展を通して、いつでも松方コレクションを鑑賞することができます。
しかし、その歴史の裏には、日本人に優れた文化体験を提供したいという松方の思いがありました。そして終戦後には、コレクションを日本に返還するために力を尽くした多くの人々の存在があったのです。
これらの過去を知ってから国立西洋美術館を訪れると、新たな視点から鑑賞できるかもしれません。
参考書籍:
『幻の美術館 甦る松方コレクション』著:石田修大(丸善ライブラリー)
『近代の美術 第2号 松方コレクション』監修:東京国立近代美術館、京都国立近代美術館、国立西洋美術館(至文堂)
画像ギャラリー
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糸崎 舞
元舞台俳優。現役時代、さまざまな演劇作品に出演した経験を通じて、世界中の歴史や文化、芸能への深い理解を培いました。俳優としての経験を活かし、アートの中に息づく文化や歴史を解説します。 好きなアーティストは葛飾北斎とアルフォンス・ミュシャです。
元舞台俳優。現役時代、さまざまな演劇作品に出演した経験を通じて、世界中の歴史や文化、芸能への深い理解を培いました。俳優としての経験を活かし、アートの中に息づく文化や歴史を解説します。 好きなアーティストは葛飾北斎とアルフォンス・ミュシャです。
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