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2025.4.24
《富嶽三十六景》の場所はどこ?美術もおでかけも楽しくなる北斎の聖地10選
江戸時代の画家・葛飾北斎の代表作《富嶽三十六景》は、富士山のある景色を描いた版画シリーズです。当初は36図でしたが、評判が良かったからか、10図が追加されて「46景」になりました。
目次
作品を見ていて、「北斎はどこから富士山を見ていたんだろう?」と気になったことはありませんか?北斎の立った場所に行けるなら行ってみたい、という方も多いのでは。
《富嶽三十六景》の46の作品は、どこから富士山を見た絵画なのでしょうか?今回は10作品を取り上げて、作品と場所について紹介します。
モデルはどこ?《富嶽三十六景》の場所10選
《富嶽三十六景》の中でも特に有名な『神奈川沖浪裏』をはじめ、「この場所を知っていたら美術鑑賞も旅行もさらに楽しくなりそう!」と感じた作品を10点、僭越ながら独断でピックアップしました。
中には、観光やおでかけのついでに立ち寄れそうな場所も。意外と身近な場所がモデルになっているかもしれないので、ぜひ最後までお付き合いくださいませ。
富嶽三十六景①神奈川沖浪裏(かながわおきなみうら)
葛飾北斎《富嶽三十六景》『神奈川沖浪裏』, Public domain, via Wikimedia Commons.
北斎といったらコレ!というくらい有名な『神奈川沖浪裏』。「神奈川ってことは、相模湾の荒波と富士山を描いたんだろう」と理解した気分になりがちですが、いったい「どこ」から見た景色なのか、実は議論が交わされています。
タイトルにある「神奈川」は、東海道の宿場町「神奈川」のことで、現在の神奈川県横浜市神奈川区。その沖合なので、相模湾ではなく東京湾から見た景色と考えるのが、今のところ有力です。
描かれている船は「押送船(おしおくりぶね)」といい、獲れたばかりの新鮮な魚を大急ぎで江戸に運ぶ船。『神奈川沖浪裏』は、江戸へ魚を運ぶ途中、大きな波に遭遇した一場面と考えられます。
しかし船は画面の右から左へ、つまり北から南へ進んでいるように見えます。江戸に向かっているのではなく、離れているのでは?という見方もでき、真相は謎に包まれています。
富嶽三十六景②凱風快晴(がいふうかいせい)
葛飾北斎《富嶽三十六景》『凱風快晴』, Public domain, via Wikimedia Commons.
「赤富士」とも呼ばれ、『神奈川沖浪裏』と並んで人気のある『凱風快晴』。夏から秋にかけての晴れた早朝に、朝日を浴びた富士山が赤く輝くことがあるそうで、その瞬間を切り取った作品とされています。
『凱風快晴』はタイトルに地名が含まれていません。それもあって場所の特定は難しく、どこから見た景色なのかは諸説あります。
一説には、富士山の北にある河口湖のあたりから見た景色とされています。理由としては、富士山が赤く見えるとしたら山梨側と考えられること、朝日が画面の左上から富士山を照らしているように見えることなどが挙げられます。
他に、富士山の南側である静岡県富士市から描いたのでは、とする説も。絵に描かれているのと同じように、「Y」を逆さまにしたような残雪が見られるといった理由があります。富士山の北か南か、正反対の場所が候補に挙がる、興味深い作品です。
富嶽三十六景③山下白雨(さんかはくう)
葛飾北斎《富嶽三十六景》『山下白雨』, Public domain, via Wikimedia Commons.
「黒富士」とも呼ばれる『山下白雨』は、「赤富士」の『凱風快晴』としばしば対比される作品です。構図はよく似ていますが、すっきりとした青空で清々しい景色の『凱風快晴』に対し、『山下白雨』に描かれるのは雷が落ちる白雨(夕立)の場面です。
本作もタイトルに地名が含まれておらず、どこから見た景色なのか正確には特定されていません。山頂や稜線の形から、山梨側の御坂山塊、静岡側の富士宮市や富士市などが候補に挙がっています。
他には、上空約2500mから見た風景が『山下白雨』と一致する、という説も。飛行機の無かった時代、上空からの景色をほぼ正確に思い描けたことになるので、さすがに無理では……と思う反面、凡人には理解できない能力を持っていても、北斎ならおかしくないかも?
富嶽三十六景④諸人登山(もろびととざん)
葛飾北斎《富嶽三十六景》『諸人登山』, Public domain, via Wikimedia Commons.
《富嶽三十六景》の中で唯一、富士山の形が描かれていない作品です。富士山を信仰し登山する人々と、山肌が描かれています。
言わずもがな、『諸人登山』の場所は富士山、それも山頂付近です。岩にしがみつくようにしながら前進する人や、岩室で身を寄せ合う人などが描かれ、登頂の喜びというより登山の厳しさを感じられるように思います。
本作は《富嶽三十六景》46番目の作品。富士山の美しい風景をひと通り見せたあと、あえて山頂の険しさで締めくくる……北斎からのメッセージが隠されているように思えてなりません。
富嶽三十六景⑤江戸日本橋(えどにほんばし)
葛飾北斎《富嶽三十六景》『江戸日本橋』, Public domain, via Wikimedia Commons.
現在の日本橋から西方向を見た風景です。遠くの物ほど小さく見える遠近法が用いれ、川に沿って並ぶ建物が描かれています。建物の輪郭線が視線を誘導する先に江戸城があり、はるか遠くには富士山が見えます。
手前には橋から溢れんばかりの人混みが描かれ、江戸の中心地として栄えた日本橋の活気が感じられます。富士山と江戸城の静かな佇まいと、江戸の賑わいが対比された一枚です。
富嶽三十六景⑥東都浅艸本願寺(とうとあさくさほんがんじ)
葛飾北斎《富嶽三十六景》『東都浅艸本願寺』, Public domain, via Wikimedia Commons.
『東都浅艸本願寺』が描かれた場所は、浅草にある東本願寺です。1657年の江戸の大火のあと浅草へ移転され、本堂の巨大な屋根に当時の人々は衝撃を受けたのだとか。
北斎は作業する職人たちを小さく描き、屋根の大きさを誇張。破風と富士山がよく似た三角でリズムを作っています。
現在も立派な大屋根を見ることができるので、浅草寺や東京スカイツリーの観光とあわせて、東本願寺を訪れてみてはいかがでしょうか。
富嶽三十六景⑦隠田の水車(おんでんのすいしゃ)
葛飾北斎《富嶽三十六景》『隠田の水車』, Public domain, via Wikimedia Commons.
本作の舞台となった青山穏田村は、現在の渋谷区原宿あたり。かつては田園地帯で、渋谷川(隠田川)が流れていました。作中に描かれたような水車が数多く見られたそうです。
遠くにそびえ立つ富士山の静けさと、激しい水流や働く人々の活気の対比が印象的な作品です。水車を回す水は高さによって描き方が異なり、北斎が水の動きを描き分けようとしていたことがわかります。
原宿といえば、浮世絵専門の美術館「太田記念美術館」があります。『穏田の水車』ゆかりの地で、浮世絵を鑑賞してみては。
富嶽三十六景⑧東海道品川御殿山ノ不二(とうかいどうしながわごてんやまのふじ)
葛飾北斎《富嶽三十六景》『東海道品川御殿山ノ不二』, Public domain, via Wikimedia Commons.
本作が描かれたのは品川区北品川町三丁目のあたりとされています。品川駅の南側に位置します。
江戸時代、この地には徳川将軍の館が建てられました。そのあと桜が植樹され、お花見の人気スポットになったようです。海岸では潮干狩りも楽しめたとのと。
残念ながら御殿山は幕末に切り崩されて景観が変わり、『東海道品川御殿山ノ不二』と同じ風景を見ることはできません。「御殿山」という名前の町も今は無いそうですが、近くの学校やビルの名前に使われ、面影を残しています。
富嶽三十六景⑨常州牛掘(じょうしゅううしぼり)
葛飾北斎《富嶽三十六景》『常州牛掘』, Public domain, via Wikimedia Commons.
東京都内の作品が続いたので、遠方の作品も見てみましょう。『常州牛掘』が描かれたのは、現在の茨城県潮来(いたこ)市。《富嶽三十六景》の中で最も富士山から遠く、約170kmも離れています。
利根川水運の要である霞ヶ浦の牛堀には、多くの船が停泊していました。本作には、凍えるように寒く静かな朝、船頭が米のとぎ汁を流す音と、それに驚いたのか飛び立つ白鷺が描かれています。
江戸時代には富士山が見える景勝地として知られた霞ヶ関。今は環境が違うし富士山は見えないでしょ……と思ったのですが、調べてみると今も見えることがわかりました!ただし東京や埼玉ごしに富士山を望むので、空気の澄んだ冬の時期、天候に恵まれれば、とのことです。
富嶽三十六景⑩登戸浦(のぼとうら、のぶとうら)
葛飾北斎《富嶽三十六景》『登戸浦』, Public domain, via Wikimedia Commons.
最後に、千葉県千葉市から富士山を望む『登戸浦』を。千葉駅の近くで、「登戸(のぶと)」という地名は今も残っています。
なぜこの作品を取り上げたかというと、私が生まれ育った場所のすぐ近くだからです。9作品の紹介をしたご褒美に、10個目は地元を紹介してもいいかな……?(いいよ◎)
浅瀬に立つ鳥居はおそらく登渡神社(とわたりじんじゃ、通称のぶとじんじゃ)のもの。大きな鳥居に富士山が切り取られるフレーム構図に、北斎らしさを感じる作品です。手前には潮干狩りを楽しむ人々が描かれています。
葛飾北斎《富嶽三十六景》『登戸浦』(部分), Public domain, via Wikimedia Commons.
今は埋め立てが進んで高いビルも建ったので、登渡神社から富士山を見るのは難しいと思います。潮干狩りもできないですし……。
富士山を見るなら、海沿いの埋立地に建つ千葉ポートタワーの展望室がおすすめです。令和版《富嶽三十六景》を作るなら、私はポートタワーからの眺望を推します。
そういえば私が小学生の頃、夏といえば登渡神社の夏祭りというくらい賑わっていたのですが、今はどうなのかなあ。江戸時代を生きた北斎の絵画が、不意に平成の思い出を連れてきてくれました。
北斎は現実の風景を描かなかった?
葛飾北斎《富嶽三十六景》『東海道程ヶ谷』, Public domain, via Wikimedia Commons.
《富嶽三十六景》46図から10図を取り上げ、どこが描かれたのか紹介してきました。「あの絵に描かれた場所を見に行きたい!」と、美術作品をきっかけに旅行のプランを立てるのも楽しいですよね。千葉にもぜひ!
絵に描かれた風景を前にしたとき、私たちはどんなふうに思うのでしょうか。北斎の時代から数百年が経っており、大なり小なり景観が変わるのは必然としても、「絵とそっくり!」なのか、「ぜんぜん違う!」なのか。
葛飾北斎《富嶽三十六景》『信州諏訪湖』, Public domain, via Wikimedia Commons.
北斎は現実の風景を基に絵を描きましたが、ありのままを描いたわけではありません。モチーフをデフォルメして誇張したり、配置を変えたりして、見応えのある絵画に仕上げました。(そのため場所の特定が難しい作品が複数ある)
絵から受け取るもの、実際にその場所に立ったときに感じるもの。どちらも体験できたら最高じゃないかなあ〜……と、背中を丸めてパソコンに向かい、キーボードを叩きながら想像しています。
えっ、あと36図の場所も知りたい?そうですね……もし続編を書けることになったら私も嬉しいです。これからも美術と楽しく触れ合える記事を書いていきたいので、また次の記事でお会いしましょう!

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