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2026.10.30

【パナソニック汐留美術館・会場レポート】知られざる「民藝のプロデューサー」吉田璋也とは?東京初の展覧会で足跡をたどる

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「民藝」と聞いて、どんな人の名前が浮かびますか?柳宗悦、河井寬次郎、濱田庄司…。実は河井が「民藝の母」とまで呼んだ人物がいます。鳥取の医師、吉田璋也(よしだしょうや、1898~1972年)です。耳鼻咽喉科の医師でありながら、新しい民藝のデザインから、プロダクトの生産・流通・販売の仕組みづくりまでを手がけて活躍しました。

『吉田璋也のデザイン ― 新作民藝運動がめざした未来』会場入口

『吉田璋也のデザイン ― 新作民藝運動がめざした未来』(会場:パナソニック汐留美術館)は、そんな「吉田璋也」の名を冠した、東京での初の展覧会です。展示の様子とともに、知られざる吉田の足跡をご紹介します。

吉田璋也ってどんな人? 生い立ちから新作民藝まで

「吉田璋也」 撮影:池内廣吉 1965年頃 鳥取民藝美術館蔵

1898年に鳥取市で生まれた吉田は、新潟医学専門学校(現・新潟大学医学部)に入学すると、生涯の友となる式場隆三郎(のちの精神科医)と出会いました。在学中には白樺派の影響を受け、雑誌『アダム』を刊行。1920年には千葉・我孫子に住む柳宗悦を訪ね、以降、柳を生涯の師と仰ぐようになります。

柳や河井、濱田らによって「民藝」という言葉が生まれたのは、1925年のこと。翌年に『日本民藝美術館設立趣意書』が発表されると、この運動に吉田も深く関わっていきました。

1931年、鳥取市に「吉田医院 耳鼻咽喉科」を開業した吉田は、民藝運動の同人たちと交流を重ねながら、地元の工人たちとともに新しい民藝品=新作民藝の試作に取り組みはじめました。

《緑釉黒釉染分小皿》牛ノ戸焼、吉田璋也デザイン 1931年 鳥取民藝美術館蔵

この新作民藝こそが、吉田の仕事の核といえるでしょう。柳が示した「美の標準」を拠り所に、伝統的な手仕事を出発点として、現代の暮らしにふさわしい日用品をデザイン。地元・牛ノ戸焼の再興をはじめ、陶磁器、木工、金工、染織、和紙と、幅広い分野の職人たちと新たな民藝を生み出していきました。

そこにあったのは、「単に古いものが素晴らしい」という考えではなく、「今を生きる人の暮らしを、より豊かにするものをつくる」という思想でした。

鳥取から軍医として中国へ。転機が生んだ「もうひとつの民藝」

《ににぐりネクタイ》 吉田慧代ほか、吉田璋也デザイン 1931年 鳥取民藝美術館蔵

工人たちを集めて新しい民藝品づくりに取り組んだ吉田は、十分な販路が必要だと考え、1932年、鳥取に日本初の民藝品専門店「たくみ工芸店」を開店します。翌年には柳の勧めもあり、東京・銀座にも支店を出しました。

この頃には、リーチや河井らの指導も受けながら、染織では因幡布やににぐりネクタイ、木工では木製の電気スタンドや、イギリスやシェーカーの家具を手本にした椅子など、数々の傑作を生み出しています。

そんな吉田に1938年、転機が訪れました。軍医として応召し、中国北部へ派遣されたのです。各地の町や村を巡って工芸を観察するなかで、「この地にも民衆の工芸が確かに息づいている」と確信しました。

第三章「邯鄲の夢に漂う 中国の地で見たもうひとつの民藝」 会場風景

1940年の除隊後は、中国でも新作民藝運動を進めようと北京に拠点を構え、やがて家族も呼び寄せます。そして民藝の指導者を招き、1943年には生産のための「華北厚生産業指導所」と、販売を担う「華北生活工芸店」を開設します。しかし1945年、敗戦という現実に直面すると、同年12月に京都へ引き揚げました。

《火鍋子(ホーコーズ)》西垣光温デザイン 1950年代 鳥取民藝美術館蔵

この中国での経験にまつわる、興味深いエピソードがあります。中国の人々の暮らしに根ざした美を尊び、自らの生活にも取り入れていた吉田は、戦後、中国の鍋料理で使う火鍋子を持っていた祇園「十二段家」の西垣光温に、その使い方を手ほどきしました。西垣は用途をよく知らないまま火鍋子を飾っていたところ、吉田が中国の鍋だと教えたというのです。

そこからヒントを得て生まれたのが「牛肉水だき料理」。のちに大阪のスエヒロの三宅忠一が「しゃぶしゃぶ」と名づけ、全国へ広まりました。今や誰もが知るあの料理の誕生に、吉田が一役買っていたことに驚かされます。

医院も自邸も自らの手で。「民藝建築」を体感する

第四章「美の王国を築く 暮らしの中に息づく民藝の実験」 会場風景

1947年に鳥取へ帰郷した吉田は、翌年自宅にて吉田医院を再開。鳥取民藝協会や鳥取民藝美術館といった組織や施設を整え、民藝運動を推し進めていきます。若い世代の工人たちも新たに加わり、生産体制もいっそう充実していきました。

ところが1952年の鳥取大火で、医院や自邸の書斎などが焼失し、日頃親しんでいた調度や文献を失ってしまいます。それでも同年に医院を、翌年には自邸を再建しました。

特別展示「民藝と生活 旧吉田璋也自邸」 会場風景 ※本来、茶の間にはローテーブル(円卓)が置かれていましたが、今回は展覧会用のしつらえとなっています。

特別展示「民藝と生活 旧吉田璋也自邸」では、その大火後に建てられた自邸の一部を擬似的に原寸で再現しています。吉田がデザインしたテーブルや椅子などが並ぶ茶の間には食卓がしつらえられ、和風を基調に多様な様式を重ね合わせた暮らしぶりをイメージできます。

特別展示「民藝と医療 旧吉田医院」 会場風景

会場冒頭で紹介される「旧吉田医院」の一部再現も大きな見どころです。建築はもちろん、診察椅子や薬瓶台、家具類から屑入れに至るまでを自ら設計しています。

《患者用診察椅子》 吉田璋也デザイン 1952年 個人蔵

なかでも《患者用診察椅子》は、患者の座高に合わせて高さを調整でき、頭部を安定させるためにハイバックにして、額帯鏡に光を反射させる照明を組み込んだものです。診察のための機能を突き詰めた結果、自然と生まれた一つの美しい形。その佇まいには、機能美が宿っているといえるかもしれません。

「私の生活は如何にも、医者と民藝と二兎を追うように見える…(中略)だが私にとっては、民藝の心で医者の生活をしているので、二兎でもなく一つなのです」。そう語った吉田の姿勢は、診察室に置かれた一脚の椅子にまで貫かれているのではないでしょうか。

民藝は、暮らしから社会へ。砂丘と景観を守った吉田璋也

序章「美の標準 鳥取民藝美術館」会場風景

吉田は、民藝運動を「美による社会改革運動の一つ」と捉え、「世の中を美しい社会にし、住み心地の良いものにしようという運動」と位置づけていました。その理念は、農地に変わろうとしていた鳥取砂丘の天然記念物指定運動や、開発で失われかけた湖山池の景観保護など、自然や文化を守る活動へと広がっていきます。個人の暮らしの次元を超えて、社会のありようにも深く関わるようになったのです。

1964年には、民藝の思想を体現する集大成として、湖山池湖畔に鳥取民藝美術館別館「阿弥陀堂」を建築。医師として、民藝の担い手として、そして地域の自然と文化を守る人として、多方面に大きな足跡を残した吉田は、1972年、74歳で生涯を閉じました。

本展では、吉田が収集した工芸品や、指導・デザインした新作民藝、さらに写真や出版物などの関連資料を含めて約300点を展示。民藝やデザインをめぐる吉田の活動と人物像に、最新の研究成果も踏まえて、かつてないほど深く迫っています。コンパクトな会場ながら、見どころがぎゅっと凝縮された、密度の濃い展覧会です。

もう「吉田璋也って誰?」とは言わせません。鳥取のローカルから戦後日本のライフスタイルを彩った「民藝のプロデューサー」の魅力を、ぜひ会場でたっぷりと味わってください。

※写真はプレス内覧会の際に主催者の許可を得て撮影しました。

展覧会情報

吉田璋也のデザイン ― 新作民藝運動がめざした未来

開催場所:パナソニック汐留美術館
開催期間:2026年10月15日(木)~12月20日(日)
所在地:東京都港区東新橋1-5-1 パナソニック東京汐留ビル4階
アクセス:JR「新橋」駅より徒歩約8分、東京メトロ銀座線・都営浅草線・ゆりかもめ「新橋」駅徒歩約6分、都営大江戸線「汐留」駅より徒歩約5分
開館時間:10:00~18:00(入館は17:30まで)
※11月6日(金)・12月4日(金)・18日(金)・19日(土)は20:00まで開館(入館は19:30まで)
休館日:水曜日(ただし12月16日は開館)
入館料:一般1200円、65歳以上1100円、大学生・高校生700円、中学生以下無料

美術館HP:吉田璋也のデザイン ― 新作民藝運動がめざした未来

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千葉県在住。美術ブログ「はろるど」管理人。主に都内の美術館や博物館に出かけては、日々、展覧会の感想をブログに書いています。過去に「いまトピ」や「楽活」などへ寄稿。雑誌「pen」オンラインのアートニュースの一部を担当しています。

千葉県在住。美術ブログ「はろるど」管理人。主に都内の美術館や博物館に出かけては、日々、展覧会の感想をブログに書いています。過去に「いまトピ」や「楽活」などへ寄稿。雑誌「pen」オンラインのアートニュースの一部を担当しています。

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