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2022.12.12

エリザベス女王が埋葬された「ウィンザー城」って?歴史と建築様式を解説

2022年9月に行われたエリザベス2世の国葬は、世界中から要人2,000人以上が集まる盛大なものとなりました。葬儀が行われたウェストミンスター寺院から、エリザベス女王の棺はウィンザー城に運ばれ、現在では城内の礼拝堂に埋葬されています。

Diliff, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

ウィンザー城は、英国王家の歴史を語るために重要な役割を担ってきた場所であり、建築史の観点からも興味深いお城です。この記事では、ウィンザー城の歴史や建築様式について紹介します。

エリザベス女王が埋葬されたウィンザー城「聖ジョージ礼拝堂」

Jack Pease, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons

2011年から2022年まで、ウィンザー城はエリザベス女王の主な居住地となっており、国賓訪問などが行われていました。
エリザベス女王が埋葬されたのはウィンザー城内にある「聖ジョージ礼拝堂」で、この礼拝堂も15世紀からの長い歴史があります。聖ジョージ礼拝堂は中世後期の「パーペンディキュラーゴシック様式(イギリス・ゴシック様式とも)」と呼ばれる建築様式で、垂直線を意識する構造が特徴です。これは、フランスなどからゴシック様式の影響を受けつつも、伝統的なアングロ・サクソンの様式を保持していたイングランド特有の建築様式です。

ウィンザー城の歴史は中世にさかのぼる

Michael Coppins, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

ウィンザー城の歴史は11世紀、ノルマン人のウィリアム王がイングランドを侵攻したときまでさかのぼります。もともとはロンドン郊外でノルマン帝国のイングランド支配を誇示する目的があり、戦略的に重要なテムズ川沿いのこの場所が選ばれました。
ウィンザー城はヘンリー1世(在1100-1135年)以降の歴代英国君主に愛用され、現在ではヨーロッパで最も長く使用されている宮殿でもあります。
1992年にウィンザー城で大火事が発生した際は、城内の重要な部屋のうち9部屋が消失し100部屋以上が被害を受けましたが、貴重な調度品は改修工事のために別室に移されていたため無事でした。
火災のあとの修復工事では、火災前のオリジナルの状態を復旧するのか、現代的なデザインを取り入れるのかで意見が分かれましたが、最終的には火災前の建築をほぼ踏襲することになりました。

ウィンザー城の建築は歴史とともに変化した

Joshua Barnett, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons

もともと要塞に近い目的で建築されていたウィンザー城は、戦乱の中でも王家を守るために中世後期には石造りの城壁が加えられました。一方、城内はヘンリー3世(在1216-1272年)やエドワード3世(在1327-1377年)によって豪華な宮殿が建築され、ヘンリー8世(在1509-1547年)やエリザベス1世(在1558-1603年)の時代には、華々しいヨーロッパ社交界の中心地として宮殿が利用されました。
1660年の王政復古の際にチャールズ2世(在1649-1685年)がウィンザー城を大きく改築し、豪華なバロック様式の内装になりました。しかし、18世紀には再び大きく改築が施され、ゴシック様式、バロック様式、ロココ様式といった様々な様式を兼ね備えたお城に変身します。    

まとめ

ウィンザー城は1000年以上の長い歴史を持つお城であり、王家とともに変化してきたため建築様式を一言で語ることはできません。各時代の要素を広く兼ね備えているウィンザー城は、英国王室の長い歴史を感じることのできる興味深いお城ですね。

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はな

はな

3年半勤めた日系メーカーを退職後、2019年から2年半のスペイン生活を経て2021年秋よりイタリアの大学で美術史修士課程に進学予定。フリーライター、日英・日西翻訳として活動するかたわら、スペイン語話者を対象に日本語を教えています。趣味は読書、一人旅、美術館・教会巡り、料理。

3年半勤めた日系メーカーを退職後、2019年から2年半のスペイン生活を経て2021年秋よりイタリアの大学で美術史修士課程に進学予定。フリーライター、日英・日西翻訳として活動するかたわら、スペイン語話者を対象に日本語を教えています。趣味は読書、一人旅、美術館・教会巡り、料理。

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