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STUDY

2023.7.13

モノの価値と美術の価値の違いとは?現代美術家の視点で考察

今回は、美術ってなんであんなに高価なのか?という疑問から派生して、モノの価値と美術的価値の違いについてお話ししようと思います。

多くが資本主義である以上、そのものの価値というのは多くの場合お金に換算される傾向にあります。なので多くの場合このモノの価値と、美術の価値は混合されてしまいがちなので、なんであんな作品があんなに高額なのか?という疑問が浮かぶのかなと思います。

カタカナのアートとクリエイションとハンドメイドというワード

Photo by Peter Olexa on Unsplash

カタカナで書く「アート」っていうワードが日本では普遍化していて、本来の西洋美術から来る「ART」とは実際は意味合いが違う、和製英語だよー!っていうことは他の記事でも話していますね。

▼関連記事:「アート」と「ART」と「芸術」と「美術」の違いとは?現代美術家が解説
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このカタカナの「アート」、つまり日本人が一般的に認識している「アート」というものは、「手作業で作ったもの」全般に当てはめられるかなと思います。これはどっちかっていうと「クリエイション」っていうワードの方が近くて、アーティストよりも「クリエイター」の方がしっくりくると言えるかなと思います。

似たようなワードで「ハンドメイド」っていうものがあって、これはアクセサリーとか、工業(機械)製品が一般的なんだけれど、それをわざわざ手作業で一つ一つ丁寧に作ったことでプレミア感が出てる、っていう意味が強いのかなと思います。

モノの価値と値段の関係

Photo by Jason Leung on Unsplash

捉え方は色々とあると思いますが、今回は話をまとめるためにクリエイションはARTと同意義ではないということを前提にして話を進めようと思います。(クリエイションっていう大枠の中に、ARTっていう学術的な分野がある、という認識)

まずはモノの価値の話をしましょう。いろいろなファクターがあると思いますが…「モノの価値の高さ」というのは、必ずしもそのモノのクオリティなど、「クリエイションとしての(物体的な)価値」で決まらないということが大切です。つまり、個人的な価値観(主観)で良い悪いをある程度決められる余白があるということです。

モノというのは基本的に資本主義な世界では、その価値観念はお金に置き換えられます。つまりそれを手に入れるためにはお金で売買や取引が行われて、そして「良いモノは高い」ということが一般的に成り立っています。そして難解な部分はこの「良い」という部分。

良いということは様々な指標があります。「クオリティが高い」「丈夫」「素材が貴重」「ヴィンテージ」etc… 数え始めたらキリがないほど、人それぞれで、ケースバイケースなことが多いでしょう。例えば上で挙げた「丈夫」が価値になる場合もあれば、「割れやすい」ことが逆に繊細、貴重だとして価値があったりします。古いというだけでは安いけれど、ヴィンテージっていう価値がつけば高額になる。このようにモノの価値の付け方は、もちろん一定ではなく、変動的なことがわかると思います。

さらに言えば、他人からでは理解ができなかったとしても、誰も共感を得ることはなかったとしても、その人が「欲しい!」と思えばそれに100億円払うこともあるでしょう。思い出の品は、売ったら1円にもならないけれど、その人にとっては100億円以上の価値があったりします。

有名人のサインとかがそう。サインって「色紙にペンで名前が書いてある」だけで、物体作品として芸術性の価値は0に近いけれど、欲しい人がたくさんいるので価値があります。オークションなんかでは高く売れます。でも自分の名前付きのサインで「〇〇さんへ」とかって書いてあるサインは多分0円。

他には「資産価値がある」ということも価値になります。モノの外観などはどうでもいいけれど、資産としての価値があるかどうかも、もちろんそのモノを買う理由になります。金の延べ棒とか。延べ棒のデザイン性とかクオリティがカッコよくてほしい!!!って人は多分いないはず。


これとは逆に「需要と供給」のバランスで、値段が変わったりもします。みんながいいな、欲しいなと思うものは基本的には値段が高くなります。オークションとかがわかりやすい。でもみんな欲しいけれど、供給がたくさんあれば値段は下がります。トレンドとかでこの価値は動いたりする不思議なもの。

今流行りのVIP戦略とかラグジュアリー度っていう価値の基準は、「認知度 − 普及度」 と言われたりします。つまり「みんなが知っててみんなが欲しいんだけど、なかなか手に入らない」を作り出すと価値が上がっていきます。エルメスのバーキンとかがそう。

まとめというか抽出すると、モノの価値とは

・お金で置き換えられることが多い。
・価値のあり方は一定ではない。
・資産価値が影響することもある。
・需要と供給など、欲しい人の人数や、モノの数で変動する。

つまりモノの価値基準は、学問的な価値基準など定義化された基準などはあまりなくて、自分だけ主観や、業界などの共通認識などで価値を決めて良い、決めてしまう、決めるべき、決まる傾向があり、また、需要と供給、トレンドなど、多くの他人の影響で価値が変動するということがわかります。

そしてその価値の指数が、お金であることがほぼほぼ決まっています。繰り返しになりますが、つまり「価値が高いものは、値段が高い」が成り立ちます。資本主義の基本な部分。

このことはカタカナの「アート」に当てはまることも多くあります。

「アートは自己表現だ」
「多くの人に認められなくても良い、たった一人に届けばいい」
「アートの考えや感じ方は、みんな違ってみんないい」

みなさんが聞いたことがあるようなセリフ。主観か、他者の影響変動などに当てはまることが分かりますね。

美術における価値基準

Photo by Jessica Pamp on Unsplash

一方、美術における価値基準は、モノの基準とは離れたところにあります。(ここではART≒美術として話を進めますが、ART≒芸術として読み進めていただいても大丈夫なはず)

ただややこしいところは、美術の価値基準の上に、モノの価値基準が後で乗っかることです。これが多くの日本人が「アート」と「ART」を混乱・混在させてしまう理由のひとつかなと思います。

まずは先に美術の価値基準について話をまとめましょう。美術は歴史が数千年ある西洋で育った西洋美術というものがベースにある、ひとつの「学問」です。

この美術の価値判断の大きな要素を担うのが、学術的な価値です。学問なので、価値基準のなんとなくは体系化されています。つまりこれまでの数千年で、この学問を理解できる・判断できる・評価できる人達が培ってきた判断基準のようなものが存在します。この判断基準のようなものの大きな要素を占めるのが、美術史を基にした「史学的価値」な訳です。

史学的価値っていうのは、分かりやすく言えば「パクっちゃダメだよね」っていう新しい価値の部分(コンテンポラリー)か「昔のもの、もしくは昔からのものをどう自分なりにアレンジ・表現するか」(クラシック)っていう2つに分かれます。どちらも過去のものをどう扱うかということを行なっています。過去に一つもなかった作品は新しいし、過去の楽譜や過去に作られたオペラとかを用いるのがクラシックですね。

そして美術の歴史はざっくり大きな変革があったのが古代ギリシャ時代(紀元前4000年とか)以降。そこから美術を扱える人というのは、時代や要素用途は変われど、皇帝・教会・王族・貴族・ブルジョワなどなど… ハイカルチャーと呼ばれる、美術を扱うための教養を持っている人達の中で扱われていました。18世紀後半にフランスイギリスで産業革命があったり、宗教改革とかなんだかんだあって美術館・ギャラリーっていうのができて、美術が庶民に、そしてメインカルチャーに流れてきました。そして教育が庶民に浸透したことによって、美術教養が庶民にも。

つまり美術の価値っていうのは、学問なので、学問的な価値を扱うことができる教養が必要だということがわかります。

美術作品の中には、超巨大なものだったり、概念だけのものだったり、パフォーマンスとか、インスタレーションだったり、一般家庭に飾られるようなものだけではありません。つまり所有が可能な「モノ」として形を持っていないこともあります。それはつまり、中には「モノ」としての価値を保有していないケースもあります。例えばジョン・ケージの『4分33秒』とか。

ただそういう作品だって、世界中で評価を受けたりします。美術史に名を残すかもしれない。個人宅に飾られたり、オークションなんかで個人が買ったりするようなことはないかも知れないけれど、コンクールで審査員(美術を扱える人)からの評価を得て受賞するかも知れない。

つまりartistというのは本質的な部分では、上に挙げたように美術を扱える人達から、自分の作品が評価を受けることに価値を感じる、それを目指すんだと思います。(この部分は他の意見もあると思うけれど、少なくとも私はそう)

例えば「賞金は一切出ないけれど、そのコンクールの審査員はルーブル美術館の館長で、優勝の副賞としてルーブル美術館で個展ができる」なんてことがあれば、きっとartistとして大成したと言えるだろうし、歴史に名を残すし、世界中で評価を受けますね。(芸術に話が広がるけれど)バレエとかピアノとか、世界的有名なコンクールっていうのは存在していて、世界中の人が毎年それを目指したりします。

つまり賞金がいくらだというようなお金で価値を讃えるだけではなく、名誉や栄誉、「賞を取ったという事実」というような部分で価値が存在することも非常に多いことがわかります。

最初に説明した「モノの価値」では、お金の価値がずっとついて回りました。そしてそれが体系化されていない、いろんな要素で変化しました。

ですが、美術は長い歴史の中で体系化された、ある程度固定された判断基準・価値基準の上で判断されるので、「素晴らしい作品」かどうかの判断の振れ幅が、「モノの価値」よりも圧倒的に狭いです。もちろん審査員によって判断基準が違ったり、個人的な好みとかそういうものがあるので、振れ幅0で判断基準がバッチリ決まってるなんてことはあり得ません。100m何秒で世界新記録!素晴らしい!みたいなことはあり得ない。

繰り返しちゃうけれど、「モノの価値」は極端な話、自分が気に入ったから100億円。みんなが欲しい1点ものだからプレミアついて100億円。流行ったから100億円。でもブームが過ぎたら0円。感情論で100億円、主観で100億円、世論で100億円。 バラバラの価値観で判断されてしまうし、それがいい。

例えば人気芸能人が趣味で描いた絵画が100億円。これはサインと同じで、その人のファンにとっては価値が高いから100億円。その作品がしょうもない落書きだったとしても、美術としての価値が0だったとしても。極端だけれど、これが「モノとしての価値がついた100億円の絵画作品」です。

一方、例えば上で挙げたように、有名コンクールで最優秀賞を取った、まだ販売価格がついていない作品は「美術的・学術的価値が認められた0円の絵画作品」

この2つの違いはとても大きい。同じ絵画だったとしても。

もちろんこれはアートとARTにだけ当てはまる違いではなく、デザインとDesignというか本質とそうじゃないものとか、プロとアマチュアというかそういう部分にも当てはまることがあると思います。

そして資本主義である以上これも、「美術が扱える人から正しい評価を受けた作品は、値段が高くなる」が成り立ちます。これは言うなれば純粋な価値の値段と言っても良いかなと思います。 でもややこしいのが下に続く話…

モノの価値が上に乗っかる美術作品

Photo by Markus Spiske on Unsplash

冒頭にも言ったように難解な部分は、美術作品もその上に「モノとしての価値」判断が乗っかることが多いです。もちろん大前提として資本主義的な、何かを手に入れるためにお金を払うということで、美術作品を売買するときには値段がつきます。材料費だってかかるし、作家の生活もあるし、美術作品にも物体的な価値の上で成り立っているので、“原価”的な値付けは存在します。ですがその上に足される価値が重要。

例えばレオナルド・ダ・ヴィンチの絵が数十億円でオークションで売れたなんてことはよく聞く話。もちろんレオナルドの作品は美術的価値が高い。だからもちろん値段が高い。

ただこれは「15-16世紀の作品という骨董品的な付加価値」と「レオナルド・ダ・ヴィンチという世界的有名人の作品」としての価値も乗っかっています。もっと言えば、「レオナルドの作品なんて滅多にオークションに出されない」(VIP・ラグジュアリー的レアリティ価値)に、さらには「次回のオークションは話題性でさらに値段が上がるはず」(投資的な価値)とか、美術作品の価値はこういう経緯もあって値段が付きます。

現代美術作品であっても同じで、「この作家はどこどこのコンクールでノミネートされた。将来有望の若手作家だ。今後値段が上がるだろう。作家を応援するためにも買う」または「美術作品としての価値はわかんないけれど、なんとなく気に入ったので家に飾るために買う」とかも多くあります。これは「家具の一部として」のモノの価値だったりするかもしれない。

「作品は美術作品として成り立っていたとしても、買う側が美術作品として評価をせずに、モノとしての評価しかしていない」ことも多くあるということ。

こういうのは上の世界に行くと、ギャラリーやオークションを開催する側(サザビーズとか)が顧客のレベル(美術を理解しているかどうか)なんかを厳選したりするので、上に行けば純度は上がるかも。

ややこしいのがつまり、モノの価値としての値段が表層に出ているので、多くの人はそちらを見てしまいがちという点。「あの作品は100億円するんだから、すごい作品に違いない」これはもしかしたら正解かも知れないけれど、もしかしたらモノの価値の部分が大部分を占めている可能性もあります。

まとめ

要するに、上で挙げたように美術作品もモノとしての価値が乗っかることも自然だし、美術作品を買う側、値段をつける側が美術のやりとりを行なっていないケースもあります。

なので、「作品の値段が高ければ高いほど、良い作品である」は成り立たないことも往々にしてあるということ。そのモノとしての価値があるのが悪いということでもないし、何が間違ってるとかではありません。

「純粋な評価からの価値」を持っている500万円の美術作品。
「モノの価値だけ」の2000万円のアート作品。

資本主義である以上、4倍の価格差があるので、2000万円の作品っていうのは文句なしですごいこと。ただこれまで論じてきた通り、美術作品としての価値は値段だけで測れない可能性もあること、モノとしての価値の値段は、美術作品としての値段とは別の価値であることが多いため、値段だけでは美術作品の価値を判断できないということ。

ここら辺が明確に理解できていないと、ごちゃ混ぜになってしまって、思考が停止してしまったりして、作品の講評をするときに、その2000万円の価値の内訳ができないのは勿体無い。思考停止しないように、いろいろな複雑な要素を理解して、判断できるようにならないとなと思います。

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Masaki Hagino

Masaki Hagino

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Contemporary Artist / 現代美術家。 Diploma(MA) at Burg Giebichenstein University of Arts Halle(2019、ドイツ)現在は日本とドイツを中心に世界中で活動を行う。

Contemporary Artist / 現代美術家。 Diploma(MA) at Burg Giebichenstein University of Arts Halle(2019、ドイツ)現在は日本とドイツを中心に世界中で活動を行う。

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