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2024.7.16
アウトサイダー・アートとは?アール・ブリュット(Art Brut)との違い
アウトサイダー・アートは20世紀後半に生まれた言葉で、“アウトサイダー(部外者)”の芸術を指すために生まれました。
いい芸術を作るためには、芸術の勉強が必要。社会的に認められて芸術活動を行うものだけが芸術家。―アウトサイダー・アートは、そんな固定概念を打ち破る発想でした。
WolfiBandHainLargePublic domain, via Wikimedia Commons.
この記事では、アウトサイダー・アートの概要と、アール・ブリュットとの違いについて紹介します。
アウトサイダー・アートとは?
Palais idéal du facteur Cheval, HauterivesPublic domain, via Wikimedia Commons.
アウトサイダー・アートとは、美術教育を受けたわけではない芸術家が生み出した芸術を指す言葉です。1972年にイギリス美術史家ロジャー・カーディナルがこの言葉を作りました。
伝統的な西洋芸術界では、芸術の基礎教育を受けた者だけが芸術家として活躍する場を得てきました。そのため、所属するアカデミーや師事する工房が芸術家の作風に与える影響が大きかった特徴があります。
20世紀以降になると、従来の芸術界の枠組みの外で、生まれながらの才能を発揮するケースに目を向ける人が増えていきました。伝統的な芸術活動とは異なるアプローチを総称するために生まれたコンセプトが、「アウトサイダー・アート」です。
アウトサイダー・アートとフランス語の「アール・ブリュット(Art Brut)」の違い
原則的に、アウトサイダー・アートとフランス語の「アール・ブリュット(Art Brut)」は同じ事柄を指す言葉です。アール・ブリュットは1945年にジャン・デュビュッフェが発表しました。
フランス語の「アール・ブリュット(Art Brut)」をもとに、のちにカーディナルがデュビュッフェの言葉に相当する英語として、「アウトサイダー・アート」の言葉を作ったのです。
そのため、一般的なコンテクストではアール・ブリュットとアウトサイダー・アートには違いがありませんが、厳密にいえば、「アウトサイダー・アート」は、「アール・ブリュット」という歴史的な概念よりも柔軟で中立的な用語です。
いずれももともとはヨーロッパで生まれた言葉ですが、20世紀後半以降は広くアメリカに根付きました。ときを経るにつれカーディナルとデュビュッフェが生み出した言葉は意味を広げ、特定のグループのみならず個人の芸術までも含む言葉になりました。
アウトサイダー・アートの歴史:周縁化された幅広い芸術
20170811 064 lausannePublic domain, via Wikimedia Commons.
アウトサイダー・アートが意味する範囲は、時代を追うごとに広くなっていきました。言葉が生まれた最初の段階では、「芸術教育のバックグラウンドを持っていない芸術家の芸術」に近い意味合いでしたが、現在では公的なシステムに含まれない芸術を全般的に指します。
アウトサイダー・アート(アール・ブリュット)のコンセプトの生みの親であるデュビュッフェは、20世紀半ばにはすでにこのような多様な芸術の在り方を予測していたようです。
デュビュッフェは、芸術文化にまったく無知な独学者や精神病者、奇人などの生み出す芸術に関心を寄せていました。芸術家を自認していない人の自由で無法な表現は、彼には独創的に見えたのでしょう。
実はアウトサイダー・アートの始まりは、19世紀にヨーロッパの精神病院でおこなわれた医療行為にあります。精神病を患っている患者によって制作された芸術作品は、病気の特性や治療法理解のために整理・分析されました。
デュビュッフェは、アール・ブリュットの生々しく力強い感性が芸術的実践の刺激になると考えたようです。当時の支配的な芸術文化のもとで活動していたアカデミックな芸術家たちの表現に比べると、アール・ブリュットはデュビュッフェの目に純粋で誠実に映りました。
社会適合や世間の評価から逸脱した場所で、本物の感情表現を目指す芸術。
自己確認や自己顕示のためではなく、純粋な欲求から生み出される作品。
アール・ブリュットやアウトサイダー・アートなどの言葉を与えることで、これまで存在しなかった/存在を無視されてきた芸術の形が徐々に浸透していきました。
意識的にもしくは無意識的に芸術界との距離を置くアウトサイダー・アートは、アメリカではとくに周縁化された幅広い芸術を抱合するコンセプトとしてどんどん存在感を増していきます。
アウトサイダー・アートの特徴
20170811 065 lausannePublic domain, via Wikimedia Commons.
長い西洋美術の歴史において、アートは格式高く正統性が求められるものとして、貴族や教会が主導して作成されてきました。アウトサイダー・アートは、芸術権威とはまったく無関係に、型破りな性質をもって生み出される特徴があります。
アウトサイダー・アートは、芸術制作は特権的に行われるものではなく、一般化された人間の活動であるという考えを基本にしています。そのためアウトサイダー・アートには、芸術的規範や一般的な美術経験は必要ありません。
芸術を通じた立身出世や社会的評価を求めるわけではないため、感情表現は自由なうえに直接的です。デュビュッフェが「純粋で誠実」と考えたのは、このためでしょう。
現在では、アウトサイダー・アートをテーマにした美術館やギャラリーがいくつも登場しています。芸術とはなにか?を考えるには、アウトサイダー・アートは非常に重要なコンセプトですね。
以上、アウトサイダー・アートの解説でした!
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イタリア・ローマ在住美術ライター。2024年にローマ第二大学で美術史の修士を取得し、2026年からは2つめの修士・文化遺産法学に挑戦。専攻は中世キリスト教美術。イタリアの前はスペインに住んでいました。趣味は旅行で、訪れた国は45カ国以上。世界中の行く先々で美術館や宗教建築を巡っています。
イタリア・ローマ在住美術ライター。2024年にローマ第二大学で美術史の修士を取得し、2026年からは2つめの修士・文化遺産法学に挑戦。専攻は中世キリスト教美術。イタリアの前はスペインに住んでいました。趣味は旅行で、訪れた国は45カ国以上。世界中の行く先々で美術館や宗教建築を巡っています。
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