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2024.11.14
【パウル・クレー】色彩と音の世界を融合。生い立ちや作品を紹介
パウル・クレーは、音楽的な感性と独自の色彩表現で知られるスイス出身の画家です。音楽教師の父と声楽家の母に育てられ、幼少期から音楽と絵画の両方に親しんだクレーは、後に世界的な画家としての道を歩み始めました。
目次
パウル・クレー『セネシオ』, Senecio 2, Public domain, via Wikimedia Commons.
彼の作品には音楽のリズムや調和が込められ、見る人に不思議な感動を与えます。本記事では、クレーの生い立ちや代表作を紹介。彼の魅力的な芸術世界をご案内します。
アートに触れはじめた方でも楽しく読めるような内容になっているので、ぜひ最後まで読んでみてください。
パウル・クレーとは?
パウル・クレー 1911年, Paul Klee 1911, Public domain, via Wikimedia Commons.
パウル・クレーはスイスのベルンで生まれ、音楽教師の父と声楽家の母の間に育った芸術家です。子供の頃からバイオリンを学び、11歳でプロのオーケストラに加わるほどの才能がありました。
音楽を愛しつつも、クレーは最終的には美術の道に進みます。20代の頃は売れない画家の時代を過ごしましたが、のちにバウハウスで教えるようになり、画家としての名声を築きました。
バウハウスに関してはこちらの記事を参考にして下さい。
パウル・クレーの生い立ちと絵画への影響
パウル・クレー『ホフマン譚』, Tale à la Hoffmann MET DT1768, Public domain, via Wikimedia Commons.
音楽一家での幼少期
1879年:スイスのミュンヘンブーフゼーに生まれます。音楽家の両親のもとに生まれ、幼い頃から音楽に囲まれた環境で育ちました。特にバイオリンの才能は高く、11歳でベルン市管弦楽団の楽団員になるほどでした。この音楽的経験は、クレーの絵画に大きな影響を与えています。
クレーは、音楽の構成やリズム、ハーモニーなどを絵画に取り入れ、色彩と線画による独自の表現を追求しました。
作品名には「ポリフォニー」や「フーガ」といった、音楽用語を用いており、音楽への深い知識を絵に表していたのがわかります。色彩の微妙な変化や調和にも、音楽から得た繊細な感性を反映させていました。
幼少期から美術へ関心
音楽家の両親に育ったクレーでしたが、幼い頃から絵を描くことに熱中していました。母方のおばあさんから絵の手ほどきを受けていたそうです。音楽と並行して美術への関心を育み、画家を志すようになりました。
1898年、クレー19歳の時、彼はミュンヘンに移り美術を学びはじめます。1990年には、ミュンヘン美術アカデミーに入学し、象徴主義で有名な画家であるフランツ・フォン・シュトゥックに学びました。
しかし、学校での画一的な教えはクレーには合わなかったようです。1年後にはアカデミーを中退し、旅に出かけています。
クレーの絵画の特徴である、枠にとらわれない自由な表現は、幼い頃から培われた自由な発想によるものです。クレーは生涯を通じて、さまざまな画材や技法を試していることから、新しい表現方法や素材への探究心が伺えます。
青年期はさまざまな芸術家と出会う
1901年-1902年、クレーは彫刻家ヘルマン・ハラーとともにイタリアを旅行してルネサンスやバロックの絵画・建築に触れました。カンディンスキーやマルクなど、他の芸術家との交流を通じて、表現主義や抽象絵画などにも接しています。
新しい芸術動向を吸収したことで、クレーの絵画表現はより豊かになりました。独自のスタイルを確立する基盤となったといえます。カンディンスキーらとの交流は、クレーが抽象絵画に取り組むきっかけとなり、色彩と線描を重視した独自の抽象表現を生み出すに至りました。
結婚・子の誕生・初期の活動
1906年、クレーはピアニストのリリー・シュトゥンプフと結婚し、ミュンヘンに移住します。翌年には、息子のフェリックスが誕生しました。
1912年、パウル・クレーは「青騎士」というグループに参加しました。このグループには、クレーのほかにカンディンスキーやマッケ、マルクといった芸術家たちがいます。
「青騎士」は、ドイツで行われていた「表現主義」という新しい美術運動の一つで、心や精神を表現することを大切にしていました。このグループが開いた美術展には、ピカソなども招かれ、当時の有名な芸術家たちも関わっていました。
4人に共通していたのは、目に見えない心の世界を絵で表そうとしていたことです。
チュニジア旅行と色彩への目覚め・中期の活動
クレーが兵士として動員された頃の写真, Paul Klee, 1916, Public domain, via Wikimedia Commons.
1914年、クレーが35歳の時、大きな転機が訪れました。それがマッケたちと一緒に行ったチュニジア旅行です。彼はチュニジア滞在で色を自由に使うことの楽しさに気づき、「色彩がぼくをとらえた」と日記に書いています。この経験で、クレーは自分ならではのスタイルを見つけたのです。
チュニジアでの強烈な色彩体験は、彼の絵画に鮮やかな色彩をもたらし、表現の幅を広げました。また、現地の強烈な太陽の光と影のコントラストは、クレーの絵画に深みと奥行きを与えるとともに、光と色彩の関係を探求するきっかけとなりました。
第一次世界大戦が勃発すると、多くの芸術家も兵士として動員され、1916年-1918年の間はクレーも従軍しました。彼と同じように戦場に向かったマルクやマッケは戦死しています。
クレーは、親友のマルクが亡くなったことを深く悲しみました。
戦場から戻った後は、ミュンヘンの画商ゴルツと契約し、翌年の1920年には大回顧展を開催します。クレーの作品発表が増加したのはこの頃からです。
また、エッセイ「創造的信条告白」を発表、現代美術の分野でトップクラスの画家の一人として有名になりました。
エッセイに紹介されているクレーの絵画についての考え方は、詩のような想像力に満ちた不思議な話です。文章自体も、まるでクレーが絵で表現しているような独特な感じがあり、読んでいるとクレーの絵を見ているように感じられるかもしれません。
バウハウスでの教育活動
パウル・クレー『死と炎』, Death and Fire (1940) - Paul Klee (Zentrum Paul Klee), Public domain, via Wikimedia Commons.
1921年-1931年(42歳から52歳)の10年間、クレーはバウハウスで教鞭をとり色彩論や造形論などを教えました。この教育活動はクレー自身の芸術理論を深めるきっかけになり、作品にも反映されています。
作品はより深みのある表現を可能としました。色彩の調和や対比など、美術を理論的に探求したことで、洗練された色彩表現ができるようになったのです。
亡命・闘病:晩年のクレーの創作活動
クレーはバウハウスを退職後、1931年からはデュッセルドルフというドイツの都市にある別の美術学校の先生になりました。しかし、1933年にナチス政権がドイツを支配するようになると、クレーのような新しい考え方の芸術家たちは弾圧、批判されるように。
その結果、クレーは学校を休むよう命令されたり、自宅が警察に調べられたりしました。身の危険を感じたクレーは、奥さんのリリーにすすめられ、故郷であるスイスのベルンに亡命します。
クレーの芸術は「退廃的」と見なされ、彼の作品の102点はドイツの博物館から没収されています。
晩年、彼は「皮膚硬化症」という難病に苦しみましたが、より創作活動に励みました。病気による身体的な制約は、クレーの表現方法を変化させ、新たな境地を開拓するきっかけとなったようです。
この時期の作品には、単純化された線と形による、独自の表現が見られます。創作を諦めなかった彼の強い生命力は、晩年の作品に力強さと深みを与えています。
どんなスタイル?パウル・クレーは何主義の画家?
パウル・クレー『奇跡の生還』, Miraculous Landing, or the "112!", Public domain, via Wikimedia Commons.
パウル・クレーの作風は表現主義や超現実主義などのいずれにも属しておらず、独特のものです。作品には抽象的な要素と独自の技法が多く含まれています。音楽的なリズムやポリフォニー(多声的構成)が取り入れられ、視覚的な協奏曲のような作品も多く見られます。
初心者でも楽しめる!パウル・クレーの代表作
パウル・クレー『花の神話』, Paul Klee Flower Myth 1918, Public domain, via Wikimedia Commons.
クレーの作品は色や形がユニークです。見る人それぞれが自由に感じ取れるため、美術に詳しくなくても、自然と惹かれてしまう不思議な魅力があります。
さえずる機械(1922年)
パウル・クレー『さえずる機械』, Die Zwitscher-Maschine (Twittering Machine), Public domain, via Wikimedia Commons.
描かれているのは、鳥のような形をした機械がワイヤーに止まってさえずっている様子です。鳥の鳴き声と機械的な動きを融合させたものとして見ることができます。機械的な要素が生物的な要素と交錯する、不思議な魅力を持つ作品です。
新しい天使(1920年)
パウル・クレー『新しい天使』, Klee-angelus-novus, Public domain, via Wikimedia Commons.
天使が空中を飛んでいるように描かれています。天使は、パウル・クレーの後期の作品によく登場するモチーフで、彼の内面的な探求やスピリチュアルな要素が感じられます。この作品は、20世紀の哲学者ヴァルター・ベンヤミンにも影響を与えたそうです。
パルナッソスへ(1932年)
パウル・クレー『パルナッソへ』, Ad Parnassum, Paul Klee (1932), Public domain, via Wikimedia Commons.
ギリシャ神話で創造の女神ミューズたちが住む山「パルナッソス」にちなんでおり、芸術の神々にささげる意味が込められています。
バウハウス時代を経て、デュッセルドルフ美術学校で点描画法に取り組んだクレーは、この作品で音楽の重層的な構造「ポリフォニー」を絵に表現しました。
公開予定のパウル・クレー展
パウル・クレー『赤い風船』, Paul Klee, 1922, Red Balloon, oil on chalk-primed gauze, mounted on board, 31.7 x 31.1 cm, Solomon R. Guggenheim Museum, Public domain, via Wikimedia Commons.
愛知県美術館と兵庫県美術館では、2025年にパウル・クレー展が開催される予定です。
この展覧会では、スイスにあるパウル・クレー・センターの協力を得て、クレーと関わりのあった他の芸術家の作品との比較や、当時の貴重な資料をもとに、クレーの作品を新たな視点から見つめ直します。
「星座=コンステレーション」という形で、クレーと彼を取り巻く人々や情報がどのようにつながっていたかを探り、彼の一生にわたる創作の足跡をたどる内容になっています。
愛知県美術館では2025年1月18日(土)- 3月16日(日)
兵庫県美術館では2025年3月29日(土) - 5月25日(日)
詳細はこちらを参照ください。
愛知県美術館「パウル・クレー展ー創造をめぐる星座」詳細
兵庫県美術館公式「パウル・クレー展ー創造をめぐる星座」詳細
クレーの作品が常設展示されている美術館は?
パウル・クレー『スイスのパウル・クレー・センター』, Paul klee zentrum, berna, int. 04, Public domain, via Wikimedia Commons.
スイスのベルンにあるパウル・クレーセンターは、クレー家族とミュラー教授の寄付により作られました。ここには世界中にあるクレーの作品の中でも4割以上がここに集まっており、その数は約4,000点ほどで世界一の所蔵数です。
個性的なデザインの建物も作品も見応えがあるので、ぜひスイスにいく時には立ち寄ってみてください。
パウル・クレーセンター公式ウェブサイト
日本でパウル・クレーの作品が見られる美術館
パウル・クレー『インスラ・ドゥルカマラ』, Paul Klee, Insula dulcamara, Public domain, via Wikimedia Commons.
日本では、次の美術館にクレーの作品が所蔵されています。
宮城県
宮城県美術館:パレッシオ・ヌア(1933年)、アフロディテの解剖学(1915年)、金色の縁のあるミニアチュール(1916年)、橋の傍らの三軒の家(1922年)
宮城県美術館公式ウェブサイト(改修工事中のため、長期休館しています。2025年度中にリニューアルオープン予定です)
東京都
東京都現代美術館:版画集『ART D'AUJOURD'HUI MAITRES DE L'ART ABSTRAIT - ALBUM 1』 昼間の音楽(1940年)
東京都現代美術館公式ウェブサイト
アーティゾン美術館:双子(1930年)、平和な村(1919年)、少女-振動(1923年)など多数
アーティゾン美術館公式ウェブサイト
愛知県
愛知県美術館:回心した女の堕落(1939年)、喜劇役者(インヴェンション4)(1904年)、女の館(1921年)
愛知県美術館公式ウェブサイト
高知県
高知県立美術館:故郷(1929年)
高知県立美術館公式ウェブサイト
新潟県
新潟市美術館:プルンのモザイ(1931年)
新潟市美術館公式ウェブサイト(改修工事中のため、長期休館しています。2025年8月頃にリニューアルオープン予定です)
まとめ
パウル・クレーは音楽家の家庭で育ち、バイオリンを通じて得たリズムやハーモニーを絵に取り入れました。抽象的な表現を追求し、特に色彩を重ねた独自のスタイルで世界的に評価されています。
彼の作品はスイスの「パウル・クレー・センター」や日本の各美術館に多く収蔵されており、心に響く色彩の世界を楽しめます。クレーのユニークな作品に触れると、絵を通して彼の感じた音楽や心の世界をきっと味わえること間違いありません!!
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本の執筆をメインに活動中。イロハニアートでは「難しい言葉をわかりやすく。アートの入り口を広げたい」と奮闘する。幼い頃から作品を作るのも見るのも好き。40代の現在も、自然にある素材や家庭から出る廃材を使って作品を作ることも。美術館から小規模のギャラリーまで足を運んで、アート空間を堪能している。
本の執筆をメインに活動中。イロハニアートでは「難しい言葉をわかりやすく。アートの入り口を広げたい」と奮闘する。幼い頃から作品を作るのも見るのも好き。40代の現在も、自然にある素材や家庭から出る廃材を使って作品を作ることも。美術館から小規模のギャラリーまで足を運んで、アート空間を堪能している。
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