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STUDY

2025.5.1

《物語下絵料紙 金光明経 巻第二》が国宝に!大阪市立美術館が誇る名品3つの謎とは?

美術館や博物館で目にする、工芸品や古文書。正直、難しそうだなあ、よくわからないなあ、と飛ばしてしまうことも……。

しかし、ふと説明書きに目をやり【国宝】の文字が見えた瞬間、「あっ、ちゃんと見なきゃ!」と、姿勢を正したこと……ありませんか?私はあります。しょっちゅうです。

《物語下絵料紙 金光明経 巻第二》(部分)鎌倉時代・建久3年(1192) 大阪市立美術館蔵(2025年3月24日(月)、同館にて行われた取材会にて撮影)

大阪市立美術館が所蔵する《物語下絵料紙 金光明経 巻第二》が、新たに国宝に指定されることになりました。同館の館蔵品では初めてとなる国宝です。

《物語下絵料紙 金光明経 巻第二》(部分)鎌倉時代・建久3年(1192) 大阪市立美術館蔵

名前の印象から「難しそう……」と感じる方が多そうですが、知れば知るほど興味が湧く、謎多きミステリアスな作品です。まずは、そんな《物語下絵料紙 金光明経 巻第二》の要点を3つにまとめてみましょう。

①物語の下絵の上にお経が書かれた珍しい作品
②下絵には後白河法皇が深く関係している
③何の物語なのか、誰が絵を描いたのかなど、謎に包まれている

国宝にふさわしい貴重な作品でありながら、解明されていない謎も多く、それも作品の魅力のひとつになっています。この記事を通して、《物語下絵料紙 金光明経 巻第二》を深掘りしていきましょう。

国宝とは何か?重要文化財との違い

《物語下絵料紙 金光明経 巻第二》鎌倉時代・建久3年(1192) 大阪市立美術館蔵(2025年3月24日(月)、同館にて行われた取材会にて撮影)

「すごく価値の高いもの」が国宝に指定されていることは、何となく知っている方が多いかと。基本的には、その認識でOKだと思います。日本の文化や歴史を知るうえでとても重要で、貴重な作品だと思っていただければ。

念のため、もう少しきちんとした説明もしておきましょう。私たちの国の文化や歴史は、工芸品や古文書、建造物、歴史資料など、さまざまな形で今に受け継がれています。それらのうち、日本にとって歴史上、芸術上、学術上価値の高いものをまとめて『有形文化財』と呼びます。

有形文化財のうち、重要なものを国が『重要文化財』に指定。さらに、「重要文化財のうち世界文化の見地から価値の高いもので、たぐいない国民の宝たるもの(文化財保護法第27条)」が、『国宝』に指定されます。

大阪市立美術館の館蔵品、初めての国宝指定

2025年3月24日(月)に行われた取材会で作品を解説する内藤栄館長

大阪市立美術館は、日本や中国の絵画、書蹟、彫刻、工芸など多岐にわたる作品を約8700件も所蔵しており、その中には重要文化財も多数含まれています。

しかし国宝に指定されたものはなく、今回初めて館蔵品から国宝指定が誕生。約90年の歴史を持つ美術館に、新たな歴史が刻まれました。報道向けの取材会で作品を解説する内藤館長の瞳も、キラキラと輝いておりました。

《物語下絵料紙 金光明経 巻第二》ってどんな作品?

《物語下絵料紙 金光明経 巻第二》(部分)鎌倉時代・建久3年(1192) 大阪市立美術館蔵(2025年3月24日(月)、同館にて行われた取材会にて撮影)

ここからは、《物語下絵料紙 金光明経 巻第二》に迫っていきましょう。まず、名前が長いですね……。漢字だらけのため、ここまでちゃんと読まずに流してきた方も多いのでは。

本作の作品名には、「どんな作品なのか」が簡潔にまとめられているので、読めるようになるだけで理解しやすくなります。作品名を分解して、読み解いてみましょう。

物語下絵(ものがたりしたえ) 物語の場面を絵にした「物語絵」の下絵。簡単に言うと、絵の下描きのこと
料紙(りょうし)書に用いる紙。特に平安時代には、装飾が施された料紙が求められた
金光明経(こんこうみょうきょう)護国三部経のひとつ。仏教の力で国を安定させる鎮護国家を説く
巻第二(かんだいに) 第2巻。現存する4巻のうち、奥書があって経文が完存する他の2巻(京都国立博物館所蔵・大東急記念文庫所蔵)は既に国宝に指定されている

いかがでしょう、かなり理解しやすくなったのでは。ざっくりまとめると、「物語の下絵が書かれた紙に金光明経を写経した作品の第2巻」と言えるでしょうか。(金光明経については後で触れるので、一旦スルーでお願いします!)

物語が描かれた絵巻や華やかに装飾された写経(装飾教)は、そこまで珍しいものではありません。しかし本作はその2つが合わさり、「下絵の料紙を転用して写経された」のが大きな特徴です。

《物語下絵料紙 金光明経 巻第二》(部分)鎌倉時代・建久3年(1192) 大阪市立美術館蔵

実際に作品を見ると、薄い下絵の上にお経が書かれているのがわかります。

写経って何?どんな意味があるの?

写経とは、仏教のお経を書き写すことですが、一体なんのために行われたのか……ピンと来ない方も多いのでは。

現代では、心を落ち着ける目的に行われることが多くなってきている写経。手書きによるお経のコピーとも言え、もともとは仏教の教えを広めるために盛んに行われていました。

《物語下絵料紙 金光明経 巻第二》(部分)鎌倉時代・建久3年(1192) 大阪市立美術館蔵(2025年3月24日(月)、同館にて行われた取材会にて撮影)

また、故人の冥福を祈る追善供養の一環で写経を行うことも。《物語下絵料紙 金光明経 巻第二》は、後白河法皇の崩御(建久3年・1192)にともない、追善供養のために書写されました。

《物語下絵料紙 金光明経 巻第二》をめぐるミステリー

ここからは本作にぐっと近づいて、どんな下絵が描かれているのかなど、詳しく見ていきましょう。

謎① どんな物語なのか?

《物語下絵料紙 金光明経 巻第二》の解説より(2025年3月24日(月)、同館にて行われた取材会にて撮影)

作品名に「物語下絵」とあるように、教文の下には彩色前の下絵が描いてあります。吹抜屋台の邸宅の内外にいるらしい貴族の男女や僧侶の姿が読み取れるものの、物語の内容はわかっていません。

「源氏物語」や「在明の別」とする説などがありますが、現存する作品から判定するのは難しいとのこと。

《物語下絵料紙 金光明経 巻第二》の解説より(2025年3月24日(月)、同館にて行われた取材会にて撮影)

上の画像にある場面だと、女性が描かれているのはしっかり読み取れますが、何をしている場面なのか、抱いているハート形のものは何なのか…、詳しくはわからないそうです。

一方で、未完成だからこそ、下絵を描いて彩色する当時の物語絵の制作手順が読み取れる貴重な資料とも。目や鼻が描き込まれる前なので、本作は「目無経(めなしきょう)」と呼ばれることもあります。

謎② 誰が下絵を描いたのか?

《物語下絵料紙 金光明経 巻第二》(部分)鎌倉時代・建久3年(1192) 大阪市立美術館蔵(2025年3月24日(月)、同館にて行われた取材会にて撮影)

絵巻の制作には後白河法皇が関与していたとされていますが、誰が描いたのかはわかっていません。ですが、後白河法皇みずからが筆を取った、とする説があります。

というのも、大東急記念文庫本では、これらの下絵を「御絵」と呼んでいます。ただの「絵」とは異なり尊敬が込められているのは、後白河法皇が描いた絵だからではないか……と考えることもできるそう。

後白河法皇は美術に対する高い素養があり、多くの絵巻の制作に関わっていました。本作が法皇の直筆かどうかはわかりませんが、そうだったら面白いぞ……!と想像を膨らませるのも悪くないのでは。

謎③ なぜ金光明経なのか?

《物語下絵料紙 金光明経 巻第二》(部分)鎌倉時代・建久3年(1192) 大阪市立美術館蔵(2025年3月24日(月)、同館にて行われた取材会にて撮影)

一般的に、供養の目的であれば「阿弥陀経」などの写経が多いとのこと。本作に写経されたのは鎮護国家を説く「金光明経」で、この教文が選ばれた点にも謎が残ります。内藤館長は、「これからも後白河法皇の力で国を守ってほしい」といった意味が込められているのでは、と考えているそうです。

本作の写経には、後白河法皇と関係が深い醍醐寺の僧侶が関わりました。醍醐寺は、鎮護国家を担う真言宗の寺院。そのような背景もあって、金光明経が写経されたのかもしれません。

《物語下絵料紙 金光明経 巻第二》(部分)鎌倉時代・建久3年(1192) 大阪市立美術館蔵(2025年3月24日(月)、同館にて行われた取材会にて撮影)

書かれてから900年以上が経過してもなお、本作の流麗な筆致は色褪せることがありません。経年に強い墨で書かれた文字は、途中で筆跡が変わっており、複数人によって書かれたことも推察できます。

《物語下絵料紙 金光明経 巻第二》を見に行こう

先述のように、奥書があって経文が完存する他の2巻(京都国立博物館所蔵・大東急記念文庫所蔵)は、既に国宝に指定されています。

《物語下絵料紙 金光明経 巻第二》(部分)鎌倉時代・建久3年(1192) 大阪市立美術館蔵(2025年3月24日(月)、同館にて行われた取材会にて撮影)

大阪市立美術館が所蔵する《物語下絵料紙 金光明経 巻第二》は「奥書がなく、途中6紙を欠いているものの、物語の場面数は現状において4巻のうち最多であり、 質・量ともに国宝の2巻に匹敵する1巻として特に高く評価される」として、新たに国宝に指定されることになりました。

本作に限らず、絵巻の途中を切断して掛け軸にすることは過去によく行われてきました。本作も途中を切り取って貼り直した部分あり、お経と物語の下絵がつながらない箇所も。それでも、物語の場面が数多く含まれ、見応えのある作品です。(切り離された部分の所蔵先はすべて判明しているとのこと)

《物語下絵料紙 金光明経 巻第二》(部分)鎌倉時代・建久3年(1192) 大阪市立美術館蔵(2025年3月24日(月)、同館にて行われた取材会にて撮影)

保存状態も良く、大抵は劣化して差し替えられる絵巻の軸も、当時のものがそのまま使われています。

本作は、鐘淵紡績の代表取締役をつとめ、仏教美術はじめ尾形光琳、与謝蕪村の作品蒐集で知られる武藤山治(1867~1934)氏の旧蔵品。孫の武藤経三氏より遺贈され、大阪市立美術館の館蔵品となりました。

《物語下絵料紙 金光明経 巻第二》(部分)鎌倉時代・建久3年(1192) 大阪市立美術館蔵(2025年3月24日(月)、同館にて行われた取材会にて撮影)

直近では、同館で開催される特別展『日本国宝展』で公開される予定です。展覧会の会期は2025年4月26日(土)~6月15日(日)で、《物語下絵料紙 金光明経 巻第二》の展示は4月26日(土)~5月18日(日)の予定。

流麗な文字の向こうにうっすらと絵が浮かび上がって見える、他に類のない珍しい作品です。ぜひ足を運び、本作をご覧いただければと思います。

美術館情報

大阪市立美術館外観(2025年3月24日(月) 撮影)

◆大阪市立美術館

〒543-0063
大阪府大阪市天王寺区茶臼山町1-82 (天王寺公園内)

公式サイト:大阪市立美術館

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明菜

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美術ブロガー/ライター。美術ブログ「アートの定理」をはじめ、各種メディアで美術館巡りの楽しさを発信している。西洋美術、日本美術、現代アート、建築や装飾など、多岐にわたるジャンルを紹介。人よりも猫やスズメなど動物に好かれる体質のため、可愛い動物の写真や動画もSNSで発信している。

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