STUDY
2026.7.21
【ミイラ?牛の尿!?】絵の具の原材料知ってる?歴史に残る奇妙すぎる顔料の話
絵を描くとき、絵の具の「中身」を気にする人はあまりいないかもしれません。
ですが、あなたが美術館で見上げる名画の中に、ミイラの粉末が使われていたとしたらどうでしょうか? フェルメールやターナーが描いた輝く黄色が、牛の尿から作られていたとしたら?
絵画の歴史というのは、美しさと技術の歴史であると同時に、信じがたいほど奇妙な素材選びの歴史でもあります。
目次
シャウエンの顔料, Public domain, via Wikimedia Commons.
今回は、実際に使われていたとんでもない顔料(絵の具の色のもとになる粉末や物質のこと)を5つ取り上げてみます。どれも「本当にこれで描いていたの?」と思わず声に出したくなるような話ばかりです。
第1章 ミイラを砕いて作った茶色「マミー・ブラウン」
マミーチューブ, Public domain, via Wikimedia Commons.
まずは、顔料の歴史の中でもとびきり衝撃的な一品から始めましょう。その名も「マミー・ブラウン(Mummy Brown)」。
これは16世紀のヨーロッパで人気を博した茶色い絵の具ですが、原材料は文字通り、エジプトのミイラでした。人間だけでなく、猫のミイラも使われていたとされています。
ミイラをヨーロッパへ輸送し、粉状に砕いてミルラ(没薬:ミルラの木から採れる樹脂で、古くから香料や薬として使われてきたもの)や白樹脂と混ぜ合わせることで、透明感のある深い茶色の顔料が生まれました。
この顔料が画家たちに好まれた理由は、その独特の発色にあります。油絵具に混ぜると、透明感のある赤みがかった茶色が出て、人物の肌の色を表現したり、影を描いたりするのに非常に優れていたのです。ウジェーヌ・ドラクロワ(1798-1863)をはじめ、名のある画家たちがこの顔料を購入していた記録が残っています。
ドラクロワ自画像, Public domain, via Wikimedia Commons.
ところが、この顔料をめぐって有名なエピソードがあります。19世紀のイギリスを代表する画家のひとり、Edward Burne-Jones(エドワード・バーン=ジョーンズ、1833-1898)は、長い間「マミー・ブラウン」という名前を「ただの茶色の一種」として使い続けていました。
ところがある日、仲間の画家から「あの絵の具、本当にミイラで作られているんだぞ」と知らされ、愕然とします。彼はすぐに手元にあったチューブを庭に持っていき、丁寧に埋葬したと伝えられています。
作家のラドヤード・キプリング(1865-1936)がその場に居合わせており、「死んだファラオで作られた絵の具だから、ちゃんと葬ってやらねばならない」とバーン=ジョーンズが言ったと回顧しています。
マミー・ブラウンはその後、20世紀に入っても断続的に製造が続きました。ロンドンの老舗画材店であるC. Roberson(ロバーソン社)は1939年のカタログにも「エジプトのミイラの骨とビチューメンを砕いた顔料」として掲載しており、1964年にようやく製造中止に。廃業の理由は「ミイラの在庫が底をついたから」というなんとも生々しいものでした。
現代では、ハーバード大学美術館の顔料コレクション(フォーブス・コレクション)に20世紀初頭に購入されたマミー・ブラウンのチューブが現存し、展示されています。なお、今日「マミー・ブラウン」の名前で販売されている顔料は石英や酸化鉄などの鉱物を原料としており、ミイラの成分は一切含まれていません。
第2章 牛の尿が、あの名画の黄色になっていた「インディアン・イエロー」
インディアンイエロー, Public domain, via Wikimedia Commons.
ヨハネス・フェルメール(1632-1675)の《天秤を持つ女》(1662-1663)にある橙黄色のカーテン、ウィリアム・ターナー(1775-1851)の《天使、太陽の中に立つ》(1846)の金色の輝き。
こうした名画に使われていた、あの神秘的な黄色の正体を、長い間だれも知りませんでした。その顔料の名前は「インディアン・イエロー(Indian Yellow)」といいます。
ロチェスター工科大学とMoMAの研究者による2008年の分析では、ファン・ゴッホの《星月夜》(1889年)の月と星の部分にもこのインディアン・イエローが使われた可能性が示されています。ただし、この分析は多スペクトルイメージングという光学的手法によるもので、推定的な性格を持つことは注意が必要です。
インディアン・イエローは、15世紀にインドからペルシャ経由でヨーロッパに伝わったとされています。ロンドンの港には、インドのカルカッタから定期的に茶黄色の塊が届いていました。
これを砕いて結合剤と混ぜると、透明感があって深みのある黄金色の絵の具ができあがる。ウィンザー&ニュートン社(現在も世界的に有名な画材メーカー)にも同じ荷物が届いていたことが知られています。
問題は、その塊が何からできているのかが長らく謎だったことです。独特の強いアンモニア臭があり、「ヘビの尿では?」「ラクダの尿では?」などさまざまな憶測が飛び交いました。
1883年、キュー王立植物園の園長であったJoseph Hooker(ジョセフ・フッカー、1817-1911)が、インド農業省に向けて調査依頼の手紙を書きました。9ヵ月後に届いた回答は、Trailokya Nath Mukharji(トライロキャ・ナート・ムカルジー、1847-1919)という調査官による報告書でした。彼はインド・ビハール州の一地域まで直接足を運び、ついにその謎を解明します。
現地には、マンゴーの葉と水だけを与えて育てた牛の群れを管理する酪農家の一群がいました。
インディアンイエロー, Public domain, via Wikimedia Commons.
マンゴーの葉を食べると、牛の尿が鮮やかな黄色になる。その尿を素焼きの壺に集め、一晩かけて煮詰めると、底に黄色い沈殿物が残る。それを濾して丸め、乾燥させたものが「インディアン・イエロー」の原材料だったのです。
こんな素材で作られた顔料が、世界中の名画に使われていました。しかも、この製法は牛に対して非常に過酷なものでした。マンゴー葉だけの栄養不足の食事が続き、大きな腎結石を抱えた牛が多数いたとされています。牛がインドでは神聖な存在であることもあり、こうした扱いへの批判は高まり、インド政府は1908年にこの製法を禁止しました。
2018年に発表された科学的研究によって、インディアン・イエローの未精製サンプルから牛の尿に特有の成分(ヒプル酸)が検出され、ムカルジーの証言が裏付けられています。
第3章 1000年以上使われ続けた、毒入りの白「鉛白」
鉛白, Public domain, via Wikimedia Commons.
白い絵の具といえば、現代では酸化チタン(チタニウム・ホワイト)が主流です。しかし、それ以前の数千年にわたり、白の顔料といえばほぼ一択で「鉛白(えんぱく:Lead White)」でした。
鉛白の歴史は古く、紀元前4000年頃にはすでに鉱物として採掘されていた記録があります。古代ギリシャやローマでは、鉛の板に酢をかけて腐食させ、できた炭酸鉛の白い粉を顔料として使う方法が確立されていました。
ルネサンス期には下塗り(アンダーペインティング)や肌色の表現に欠かせない顔料として広く普及し、レンブラント・ファン・レイン(1606-1669)やカラヴァッジョ(1571-1610)といった巨匠たちも日常的に使用していました。
「復活したキリスト」―レンブラント, Public domain, via Wikimedia Commons.
鉛白が支持された理由はいくつかあります。まず、非常に優れた隠蔽力(顔料が下地を覆い隠す力)を持ち、白として「厚み」と「輝き」のある表現が可能でした。乾きが早く、他の顔料とも混ぜやすい。こうした実用的な長所が、毒性を知りながらも使い続けられた理由のひとつでした。
毒性そのものは、古代ローマ時代から一定程度知られていました。しかし問題は、当時の医学では「少量なら問題ない」という感覚が広く共有されていたことです。絵の具を調合する際に粉末を吸い込んだり、指についたものを口にしたりといったことが日常的に起きていました。
ここで見落とされがちな視点があります。顔料を原料の粉から絵の具に加工する作業、つまり最も粉塵にさらされる工程を担っていたのは、巨匠本人ではなく、工房で働く弟子や助手たちでした。師匠は仕上げの筆を執る側で、下準備の大半は若い助手が受け持っていました。
そのため、名のある画家よりも、歴史にほとんど名を残さない無名の職人たちのほうが、鉛中毒のリスクにはるかに深く、長くさらされていたと考えられています。
カラヴァッジョやフランシスコ・デ・ゴヤ(1746-1828)は鉛中毒だった可能性を指摘する研究者もいますが、決定的な診断には至っていません。ただ、「画家のコリック(絵描きの腹痛)」という言葉が当時の文献に登場していることは興味深く、鉛中毒による胃腸への影響と一致する症状とされています。
鉛白は19世紀に入り、亜鉛白、さらに20世紀にはチタニウム・ホワイトの登場によって徐々に置き換えられていきました。工業用途での使用は1970年代以降、多くの国で規制されています。ただし現在でも、伝統的な絵画技法を重視する一部の画家の間では、鉛白はいまだに使用されています。
第4章 竜と象の血から生まれた赤「ドラゴンズ・ブラッド」
Dragon's blood (Daemomorops draco), Public domain, via Wikimedia Commons.
この顔料の名前を聞けば、誰でも一度は目が留まるはずです。「ドラゴンズ・ブラッド(Dragon's Blood)」訳すと「竜の血」。
もちろん実際には竜ではなく、これはもちろん別のものから作られていますが、中世のヨーロッパではこの顔料が本当に「竜と象が戦って死んだ場所から採れる血の混合物」だと信じられていました。
中世の動物寓意書(ベスティアリ:動物の特性を象徴として解説した書物)では、竜は象にとって天敵であり、両者が死闘を繰り広げた後に流れ出した血が固まってできたものだ、と記載されていたのです。
実態は、東南アジアや中東に自生するラタンヤシなどの植物が分泌する赤い樹脂でした。樹脂をそのまま固めた塊の色がきわめて鮮やかな深紅で、まるで血液を乾燥させたかのような外見をしているため、こうした伝説が生まれたと考えられています。
Dragon's bloodの木, Public domain, via Wikimedia Commons.
顔料としての歴史は非常に長く、古代ギリシャ・ローマから利用されていたことが知られています。絵の具として使われただけでなく、バイオリンのニスや木材・革の着色、さらには中世の医薬品としても重宝されました。
画として有名な使用例では、ジョット(1267頃-1337)と工房によって描かれたとされる《聖霊降臨》(制作年詳細不明)に、この顔料が使われている可能性があると研究者に指摘されています。作中の使徒たちの頭上に描かれたオレンジ色の炎の部分に、ドラゴンズ・ブラッドが使われたと分析されているのです。
顔料としての最大の弱点は「耐光性の低さ」でした。光に当たるとすぐに退色してしまうため、油彩画の主要な絵の具として恒常的に使われることは稀で、むしろ写本の彩色(テンペラや水彩での薄塗り)や、バイオリンのニスのような透明なコーティング剤として限定的に使われるケースが多かったとされています。
17世紀頃の記録に絵具としての言及が残っていますが、19世紀に入ると文献上でも「絵の具」より「ニス」として扱う記述が主流になっていきます。
ケンブリッジ大学のクイーンズ・カレッジには、1702年にジョヴァンニ・フランチェスコ・ヴィガーニ(1650頃-1713)が収集した薬品キャビネットの中にドラゴンズ・ブラッドのサンプルが残っており、現在でも見ることができるそうです。
第5章 1グラムに貝殻8500個。権力の色「チリアン・パープル」
Tunisian Purple, Public domain, via Wikimedia Commons.
最後に紹介するのは、「染料」と「顔料」の違いが鮮明に出る素材の話です。
「チリアン・パープル(Tyrian Purple)」は厳密には染料であり、そのままでは絵の具として使えません。布や糸に直接染み込ませるものなので、絵の具にするには「レーキ顔料(染料を白い粉状の基材に染着させて固体化したもの)」に加工する必要がありました。ただし、この色の歴史と製法は、絵の具・顔料の世界と切り離せない深いつながりを持っています。
「チリアン・パープル」あるいは「ロイヤル・パープル」と呼ばれるこの色は、古代フェニキア(現在のレバノン周辺)の都市ティルスで、紀元前16世紀頃から作られていたと考えられています。その原材料は、地中海に生息する巻き貝、ムレックス(Murex)の仲間が分泌する粘液でした。
ムレックス貝, Public domain, via Wikimedia Commons.
1グラムの顔料を作るために必要な貝の数は、推定で8500個以上。プリニウス(1世紀のローマの博物学者)は「1オンス(約28グラム)の紫の染料を作るのに、何千もの貝が必要だ」と記しています。貝の殻を砕いて粘液腺を取り出し、塩水に漬けて太陽のもとに置き、10日かけてゆっくりと煮詰めます。その工程は非常に手間がかかり、しかも相当な悪臭を放つものでした。
この色がいかに高価だったかを示す記録があります。西暦301年のローマ皇帝令では、1ポンド(約450グラム)の紫染料の価格が15万デナリウスに定められています。これは当時の金約3ポンド相当、あるいはローマ兵の年収半分に相当する価格でした。
権力との結びつきは非常に強く、ローマ皇帝だけが全身を紫のマントで包む権利を持ち、元老院議員はトーガに紫の縞を入れることが認められていました。しかし、ローマの法律の贅沢禁止法は、一般市民が紫の衣服を身につけることを明示的に禁じていたのです。
歴史家スエトニウスによれば、カリグラ帝はモーリタニア王プトレマイオスが紫のマントを身に着けて訪問したことを、皇帝の座を狙う証拠と解釈し、処刑したとされています。
絵具としてのチリアン・パープルは、写本や壁画にも使用された記録はありますが、染料としての用途が圧倒的に多かったとされています。現代ではその製造法は廃れており、合成染料で代替されていますが、チュニジアをはじめ地中海沿岸の一部の職人が、今も伝統的な方法でムレックスから紫を再現しようとしています。
まとめ
これだけ並べてみると、絵の具の歴史がいかに人間の創意工夫と、時に倫理的な問題を抱えてきたかがよく分かります。
ミイラを砕いて茶色を作り、牛を酷使して黄色を作り、鉛という毒物を白として使い続け、竜の血と信じていた樹脂で赤を表現し、貝に命をかけて権力の紫を作った。名画と呼ばれる作品の背後には、こうした素材の歴史が必ず存在しています。
現代の絵の具は、合成顔料の発展によって安全性や安定性が格段に向上しました。しかし、その出発点となった素材の多様さと時にグロテスクな豊かさは、絵画を鑑賞するときにもう一枚の見えない層として存在しています。美術館でどこかの絵を見るとき、「この赤はいったい何でできているのだろう」と想像してみるのも、ひとつの楽しみ方かもしれません。
参照・参考リンク
National Geographic「Was This Masterpiece Painted With Ground Mummy?」
Harvard Art Museums「A Pigment from the Depths」
Winsor & Newton「Mummy Brown」
Winsor & Newton「Indian Yellow」
WebExhibits「Pigments through the Ages: Indian Yellow」
Chemical & Engineering News「Chemical clue suggests spurned account of Indian yellow's origins might be right after all」
Jackson's Art「Lead White: History and Modern Alternatives」
Daily Art Magazine「Toxic Beauty: 3 Poisonous Painters' Pigments」
University of Cambridge「Dragonsblood: the alchemy of paint」
Wikipedia「Dragon's blood」
Smithsonian Magazine「In This Ancient Workshop, Greeks Crushed Snail Glands to Make the Purple Dye Worn by Royalty」
Wikipedia「Tyrian purple」
ColourLex「Van Gogh, The Starry Night — Pigment Analysis」
Kelsey Museum of Archaeology「Ancient Color: Purple Pigments」
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Contemporary Artist / 現代美術家。 Diploma(MA) at Burg Giebichenstein University of Arts Halle(2019、ドイツ)現在は日本とドイツを中心に世界中で活動を行う。
Contemporary Artist / 現代美術家。 Diploma(MA) at Burg Giebichenstein University of Arts Halle(2019、ドイツ)現在は日本とドイツを中心に世界中で活動を行う。
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