STUDY
2026.3.24
ちょっと怖い?ドガ《エトワール(星)》に見る、花形バレリーナの輝きと現実
エドガー・ドガの《エトワール》は、ひと目で視線を奪う絵です。舞台の上では、ひとりの踊り子が白い衣装を大きくひろげ、光を浴びながら腕を伸ばしています。題名の「エトワール」は“星”を意味し、バレエでは花形の踊り手を思わせる言葉です。
目次
エドガー・ドガ《エトワール》1876-77年、オルセー美術館, Public domain, via Wikimedia Commons.
舞台の中央で、主役がもっとも輝く瞬間。そう考えれば、この絵はたしかに祝祭の場面です。1876〜77年頃に制作されたこの作品は、モデルをロジータ・マウリとする見方でも知られ、ドガのバレエ作品のなかでも特に印象深い一枚となっています。
けれど、この絵はただ美しいだけでは終わらない
しかし、この絵を長く見ていると、華やかさだけでは説明できない気配が立ち上がってきます。踊り子は光のなかで輝いているのに、画面の左奥には黒い服を着た男が立っている。
【部分】エドガー・ドガ《エトワール》1876-77年、オルセー美術館, Public domain, via Wikimedia Commons.
その姿は、舞台の一部として自然に置かれているというより、暗がりから場面を見つめる影のようです。祝われるべき花形の姿を描きながら、ドガはそこにもうひとつの現実を忍び込ませています。この絵が忘れがたいのは、祝祭のまんなかに、説明しきれない不穏さが残されているからです。
白いチュチュは、拍手と熱気をそのまままとっている
この作品が祝祭に見える大きな理由は、まず光と色彩の華やかさにあります。踊り子の白いチュチュは照明を受けて発光するように浮かび上がり、胸元や腰に散る赤い飾りが、その白のなかで鮮やかに燃えるようです。
【部分】エドガー・ドガ《エトワール》1876-77年、オルセー美術館, Public domain, via Wikimedia Commons.
背景にもオレンジや緑、青がゆらぎ、舞台の空気そのものが熱を帯びているように見えます。そこには静かな儀式の整いではなく、音楽と緊張と高揚が渦巻く“いまこの瞬間”の熱気があります。私たちはそのきらめきを前にして、まず無意識に「これは主役の見せ場だ」と感じるのです。
【部分】エドガー・ドガ《エトワール》1876-77年、オルセー美術館, Public domain, via Wikimedia Commons.
見上げるのではなく、のぞき込むような視線が場面を揺らす
しかもドガは、この踊り子を正面から堂々と見せてはいません。少し高い位置から、斜めに、舞台を切り取るように描いています。
この視点のせいで、私たちの目は中央の踊り子に惹きつけられながらも、どこか落ち着きを失います。舞台装置は不自然に切れ、奥の空間はわずかに歪み、舞台全体が安定した祝祭の場には見えません。まるで、客席から整然と眺めているのではなく、誰かがそっとのぞき見た一瞬のようです。
【部分】エドガー・ドガ《エトワール》1876-77年、オルセー美術館, Public domain, via Wikimedia Commons.
だからこの絵には、晴れやかな舞台画にはない生々しさが残ります。輝きのただなかにありながら、どこか危うい。ドガはその揺らぎごと、舞台を描こうとしました。
左奥に立つ男が、祝祭の空気を一変させる
では、この男は誰なのでしょうか。19世紀パリのオペラ座には「アボネ」と呼ばれる富裕な男性定期会員たちがいました。彼らはただの常連客ではなく、特権的に舞台裏へ出入りすることができる存在でした。上演中も舞台袖に姿を見せ、踊り子たちに接近することがあったのです。
【部分】エドガー・ドガ《エトワール》1876-77年、オルセー美術館, Public domain, via Wikimedia Commons.
そこでは恋愛、援助、社交、欲望が複雑に絡み合い、ときに大きく不均衡な関係が生まれました。華やかなオペラ座は、夢の舞台であると同時に、パトロン文化や高級売春の気配とも隣り合わせの場所でもありました。
光を浴びるスターは、同時に値踏みされる存在でもあった
そう考えると、《エトワール》の祝祭性は、急に別の重さを帯びてきます。舞台の中央で踊り子は光を浴びています。けれどその光は、純粋な喝采だけを意味してはいません。見られること、選ばれること、評価されること、そして値踏みされることまで、そのなかには含まれていたはずです。
【部分】エドガー・ドガ《エトワール》1876-77年、オルセー美術館, Public domain, via Wikimedia Commons.
踊り子は拍手の対象であると同時に、強い視線にさらされる存在でもありました。ドガはそれを声高に告発するのではなく、たったひとりの男を舞台袖に置くことで示しています。その静かな描き方こそが、かえって絵の不穏さを深くしています。だからこの作品は、祝祭の絵でありながら、祝祭に酔いきらないのです。
ドガが見ていたのは、夢の舞台ではなく、夢を支える現実だった
ドガのバレエ作品が今も強く人を惹きつけるのは、そこに夢だけが描かれているわけではないからでしょう。彼は踊り子を、ただ優雅な存在としてではなく、稽古し、疲れ、待ち、見られ、働く身体として見ていました。舞台の上のわずかな輝きだけでなく、その前後に横たわる現実ごと見ていたのです。
エドガー・ドガ《エトワール》1876-77年、オルセー美術館, Public domain, via Wikimedia Commons.
彼にとってオペラ座は、理想化された芸術の殿堂ではありませんでした。歌手、音楽家、踊り子、観客、そして舞台裏を行き交うアボネたちまで含めた、欲望と労働の入り混じる人間の世界だったのです。だから《エトワール》の踊り子も、ただ軽やかに舞っているのではなく、どこか張りつめ、ひりつくような孤独をまとって見えます。
スターの名を与えられたモデルが、絵の切実さをいっそう深くする
この作品のモデルについては、スペイン出身のダンサー、ロジータ・マウリとする見方が広く知られています。彼女は当時の人気ダンサーであり、まさに“星”の名にふさわしい存在でした。そう考えると、この絵は名もなき踊り子の一瞬ではなく、実際に舞台の中心で輝いていたスターの姿をとどめたものでもあります。
ロジータ・マウリのポートレート, Public domain, via Wikimedia Commons.
けれどドガは、そのスターを栄光の象徴としてだけ描いたのではありませんでした。スターであることは、選ばれた存在であることです。しかし同時に、より強く見られ、より強く舞台の論理に巻き込まれることでもある。ロジータ・マウリという固有名が重なることで、この絵の華やかさは、かえっていっそう切実なものに見えてきます。
これは祝祭の絵だ。けれど、祝祭の無垢さを信じた絵ではない
では結局、《エトワール》は祝祭の場面なのか。答えは、やはり「そうであり、そうでない」でしょう。ここにはたしかに祝祭があります。主役の踊り子、舞台の光、色彩のきらめき、観客を魅了する一瞬。けれどドガは、その祝祭を無垢なものとして描きませんでした。
舞台袖の男の存在が、拍手喝采の背後にある階級や欲望や力関係を、影のように浮かび上がらせます。つまり《エトワール》は、祝祭そのものの絵というより、祝祭がどんな現実の上に成り立っていたのかを忘れさせない絵なのです。
まぶしさの隣に影を置いたところに、この絵の凄みがある
この作品の凄みは、光と影を同じ画面のなかに閉じ込めたところにあります。もしドガが踊り子だけを大きく描き、周囲を整え、舞台を美しく整理していたなら、この絵はもっとわかりやすい花形賛歌になっていたでしょう。
けれど彼はそうしませんでした。あえて不安定な視点を選び、あえて男を残し、あえて祝祭のすみに影を置いた。
そのためこの絵は、見るたびに別の顔を見せます。最初は華やかなバレエの絵に見える。次には舞台裏を映し出す絵に見える。
そして最後には、輝くことの残酷さまで映した絵として立ち上がってくる。祝祭の光がまぶしいほど、そのすぐそばの影もまた濃く見えてしまう。そこにこそ、《エトワール》が今なお人を惹きつけてやまない理由があります。
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東京美術館巡りというSNSアカウントの中の人をやっております。サラリーマンのかたわら、お休みの日には、美術館巡りにいそしんでおります。もともとミーハーなので、国内外の古典的なオールドマスターが好きでしたが、去年あたりから現代アートもたしなむようになり、今が割と雑食色が強いです。
東京美術館巡りというSNSアカウントの中の人をやっております。サラリーマンのかたわら、お休みの日には、美術館巡りにいそしんでおります。もともとミーハーなので、国内外の古典的なオールドマスターが好きでしたが、去年あたりから現代アートもたしなむようになり、今が割と雑食色が強いです。
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