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2026.5.13

【横浜美術館・取材レポート】日本画の革命児 今村紫紅展の見どころとは?

明治時代、日本画家たちは一つの課題と向き合っていた。

明治という新しい時代にふさわしい日本画とは、どのようなものなのか。

その答えを得るためには、受け継がれてきた伝統にとらわれているだけでは足りない。流派の枠組みを越えて学び、時に既成の枠を壊すほどの覚悟をもって向き合う必要もあっただろう。

今村紫紅も、またそのような気概をもって駆け抜けた一人だった。

今村紫紅《熱国之巻(朝之巻)》今村紫紅《熱国之巻(朝之巻)》 紙本着色・一巻(図は部分) 大正3年(1914) 45.7×954.5cm 東京国立博物館 ※国指定重要文化財 (展示期間:4月25日~5月20日) ※《熱国之巻(暮之巻)》は5月22日~6月3日の展示 Image: TNM Image Archives

36年という短い生涯の中で、彼は琳派や文人画などの日本の古画だけではなく、印象派など西洋の技法も貪欲に吸収し、歴史画や物語画、さらには風景画へと表現の幅を広げていった。

「暢気(ノンキ)に描け!」
「自由も、新も我にあり!」

彼が仲間や後輩に語った言葉からは、溢れ出さんばかりのエネルギーが感じられる。

そんな今村紫紅の没後110年を記念し、実に42年ぶりとなる展覧会が紫紅の生地にも近い横浜美術館で開催されている。その見どころとともに、紫紅の濃密な表現世界を紐解いていこう。

歴史画家としてのスタート

今村紫紅は1880年に横浜の提灯問屋の三男として生まれた。1897年、17歳で兄と共に上京し、歴史画の大家・松本楓湖に入門する。師から与えられる粉本(絵手本)をひたすら模写する一方、兄からは郊外への写生に連れ出された。

前者を通して、古画の技法や当時の風俗を学んでいった。また兄の指導は、走る馬を描くために自らも走りながら描かせるなど厳しいものだったが、それはただ与えられた型をなぞるだけで満足するのではなく、そこから一歩踏み出す姿勢を身につける礎ともなっただろう。

第一章のタイトルにもなっている、紫紅自身の言葉「古画のよい処を分解して、その後を追え!」も、この経験に根ざしたものだったのではないだろうか。

1898年からは、「千紫万紅」から二字を取った「紫紅」を自らの号として使い始める。同年10月には日本美術協会で入選する。1900年に入会した紫紅会(後に紅児会と改称)では、安田靫彦と出会い、意気投合し、生涯の友となる。

そして、歴史画の分野で頭角を表し、22歳で日本美術院の正会員になるなど、順調にキャリアを重ね、地位を確立していく。そうした歩みの中で生まれた歴史画の一例として、第一章の〈鞠聖図〉に目を向けてみたい。

今村紫紅《鞠聖図》今村紫紅《鞠聖図》 紙本着色・二曲屏風一隻 明治44年(1911) 147.4×145.6cm 横浜美術館

この作品は、平安時代後期の公卿で蹴鞠の名手として知られた藤原成通の故事を主題としている。成通が、1000日間休まず蹴鞠の修行を行う千日行を達成した夜、童子の姿をした3人の鞠の精が現れて彼を祝った。

成通の日記によると、鞠の精たちは人間の頭と、猿の手足と胴体を持った異形の姿だった。しかし、紫紅は描くにあたって鞠の精たちを可愛らしい子猿の姿に置き換えている。さらに画面の右端にやや寄せるようにして2匹だけを描き、まだ現れていない3匹目の存在を想像させる構成になっている。

これらの工夫に加え、抑えた淡い色調と余白を大きくとった構図によって、作品全体が和やかな雰囲気に仕上がっている。

成通と鞠の精の故事は、それまでにも画題として描かれてきたものではあるが、紫紅は伝統を踏まえながらも独自の解釈によって、歴史画というジャンルに新しい息吹を与えようとしたのである。

琳派への傾倒

1911年、豊臣秀吉の「醍醐の花見」に材を取った屏風作品〈護花鈴〉が、紫紅の画業に大きな転機をもたらす。

実業家・原三溪の目にとまったのだ。桃山時代の文化に傾倒していた三溪は、当時の華やかな空気を現代的に捉えた〈護花鈴〉を高く評価し、以後強力な後援者(パトロン)となる。

そして、古美術のコレクターでもあった原三渓との交流を通し、紫紅は彼が所蔵する南画(文人画)や琳派の作品をはじめ名品の数々に触れ、大きな刺激を受けることとなる。特に彼が傾倒したのは、俵屋宗達だった。

俵屋宗達は、現代でこそ琳派の祖として位置づけられているものの、明治・大正時代当時はあまり注目されていない存在だった。

だが、紫紅は宗達の大らかさな筆致や斬新な構図に惹かれただけでなく、王朝文化を踏まえながらも、己の感性によってアレンジを加え、新たな造形へと昇華させたその姿勢にも本能的に共感していたのだろう。

今村紫紅《雷神》今村紫紅《雷神》 紙本金地着色・色紙 大正5年(1916) 21.0×18.0cm 山口蓬春記念館

宗達の代表作であり、琳派のアイコンともなった風神雷神のモチーフに何度も挑んでいることは、その傾倒ぶりを示してもいる。また、宗達や、宗達に私淑した尾形光琳が取り上げた伊勢物語の主題をも、紫紅は自分なりの解釈で新たに描き出した。

この〈伊勢物語図〉は、その一つである。

今村紫紅<伊勢物語図>(展示風景より)今村紫紅、<伊勢物語図>(左隻)、明治44年頃、大阪市立美術館(筆者撮影)

今村紫紅<伊勢物語図>(展示風景より)今村紫紅、<伊勢物語図>(右隻)、明治44年頃、大阪市立美術館(筆者撮影)

今村紫紅<伊勢物語図>(展示風景より)今村紫紅、<伊勢物語図>(左隻)、明治44年頃、大阪市立美術館(筆者撮影)

六曲一双の屏風には、白馬を引いた老人と、荒れ果てた垣根の向こうを伺い見る旅装束の男、お供の童子が描かれている。

パターン化され、リズミカルに配された草花や太い金泥の線で表された衣服のひだなどは装飾的で、紫紅が琳派の先人たちの表現を確かに学び取っていたことがうかがえる。

〈伊勢物語図〉というタイトルではあるが、光琳の〈杜若図屏風〉や宗達の〈蔦の細道図屏風〉のように、具体的にどの場面が描かれているのか、特定するには決め手にやや欠ける。

むしろ、「東下り」(9段)や「武蔵野」(12段)など、複数のエピソードを想起させるモチーフを描き込むことでオーバーラップさせ、『伊勢物語』全体に流れる寂寥感というものを表現しようとしていたのではないか、とも考えられる。

〈熱国之巻〉

三溪の支援のもと、生活の安定を得た紫紅は研究を重ね、歴史画以外にも多方面へと活躍の場を広げていった。探求の日々の中でたどり着いた、紫紅の画業の一つの「到達点」が、風景画である。

1912年に挑んだ連作<近江八景>がその最初の一歩だった。

「近江八景」とは、近江(滋賀県)の琵琶湖の周辺の美しい8つの風景を描く、江戸時代から親しまれた画題で、モチーフや描き方のパターンはほぼ定型化していた。

が、紫紅は1912年8月、実際に滋賀県へと旅し、名所の数々を自分の目で見て、写生した成果をもとに新しい「近江八景」を作り上げて見せた。(6月5日から展示開始予定)

しかし、この後も彼の躍進は止まらない。1914年には、これまでにない新たな画題を求めてインドへと旅立つ。そして旅の中で見た風景を、絵巻物<熱国之巻>(朝之巻)(暮之巻)へとまとめ上げた。

今村紫紅《熱国之巻(朝之巻)》今村紫紅《熱国之巻(朝之巻)》 紙本着色・一巻(図は部分) 大正3年(1914) 45.7×954.5cm 東京国立博物館 ※国指定重要文化財 (展示期間:4月25日~5月20日) ※《熱国之巻(暮之巻)》は5月22日~6月3日の展示 Image: TNM Image Archives

何枚もの紙を横につなげて長大な場面を作り出し、主題となる物語や風景を右から左へと展開させていく絵巻物は、日本美術独特の表現形態であり、紫紅も修業時代に模写したものが残されている。

この伝統的な様式によって、彼は、旅の前半に自らの目で見たインドのカルカッタやシンガポール、ペナンなどの異国の風景と、そこで暮らす人々の生活という、これまでの日本美術では描かれてこなかった風景を、鮮やかな色彩と筆致で描いてみせた。

実際に広げられた絵巻を前にすると、画面からはインドの熱く湿った空気が立ち上ってくるような錯覚すら覚えてくる。

<熱国之巻>は、再興後の日本美術院の第一回展に出品されたが、「問題作」として賛否両論を引き起こした。紫紅を後援していた三溪すらも、「悪作」と眉をひそめた。

だが、伝統の枠組みに則りながらも、主題も技法も前例のないこの大作は、紫紅の理想や美学が凝縮されたマニフェストとも言えよう。

まさに「(芸術の)自由も、新も我にあり!」である。

<熱国之巻>制作・発表の後も、紫紅は後輩たちと研究会「赤曜会」を設立し、後輩の指導につくしつつ、自らも「新南画」ともいうべき新しい画風の追求に没頭した。しかし、1916年、新居に引っ越したその日に倒れ、亡くなる。35歳だった。

短い生涯の中でも、彼は「日本画の革新」という目標に向け、常に学び挑戦し続け、多くの作品として昇華していった。まさに自分のエネルギーのほとんどを、「自由に描く」ことに、そして後輩たちにも伝えていくことに捧げた人生だったと言える。

<熱国之巻>をはじめ、今回の紫紅展に展示されている作品群からは、そんな彼の濃密なエネルギーが立ち上って来るかのようだ。

ぜひ、体感してみてほしい。

展覧会情報

展覧会名:没後110年 日本画の革命児 今村紫紅
会場:横浜美術館(神奈川県横浜市西区みなとみらい3-4-1)
会期:2026年4月25日(土) ~ 6月28日(日)
開館時間:10時~18時(入館は閉館の30分前まで)
休館日:木曜日 ※4月30日、5月7日は開館
主催:横浜美術館、毎日新聞社、TBSグロウディア、神奈川新聞社、tvk(テレビ神奈川)
特別協力:丸栄堂、東京国立近代美術館
協力:みなとみらい線
後援:TBSラジオ

観覧料

一般:2,200(2,000 / 2,100)円
大学生:1,600(1,400 / 1,500)円
中学・高校生:1,000( 800 / 900)円
小学生以下:無料

※上記全て税込料金
※( )内は有料20名以上の団体料金
団体は有料20名以上の料金(要事前予約[TEL:045-221-0300]、美術館券売所でのみ販売)
※障がい者手帳をお持ちの方と介護の方(1名)は無料(ミライロID可)
※前売券は4月24日に販売終了しました。
※同時開催する横浜美術館コレクション展「みる風景、かんがえる風景」、「アーティストとひらく 鎌田友介展:ある想像力、ふたつの土地」も、「今村紫紅」展チケットで観覧当日に限りご入場いただけます。

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ヴェルデ

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アート・ライター。大学ではイタリア美術を専攻し、学部3年の時に、交換留学制度を利用し、ヴェネツィア大学へ1年間留学。作品を見る楽しみだけではなく、作者の内面や作品にこめられた物語を紐解き、「生きた物語」として蘇らせる記事を目標として、『Web版美術手帖』など複数のWebメディアに、コラム記事を執筆。

アート・ライター。大学ではイタリア美術を専攻し、学部3年の時に、交換留学制度を利用し、ヴェネツィア大学へ1年間留学。作品を見る楽しみだけではなく、作者の内面や作品にこめられた物語を紐解き、「生きた物語」として蘇らせる記事を目標として、『Web版美術手帖』など複数のWebメディアに、コラム記事を執筆。

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